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結人Ⅴ

 咎めるようなブザー音が僕の意識を無理矢理引っ張り下ろした。

 頭の奥に釘でも打ち込まれたような頭痛がして、喉の奥に酸っぱいものを感じる。

(夢……?いや――)

 僕はスマートフォンで日付を確認する。

 西暦二〇二四年七月三十一日。

 つまり、振り出しだ。戻って来た。

 今回はきちんと憶えている。僕は使命を負っていて、これは三周目の世界だ。

「……」

 今回もダメだった。最期の記憶があやふやだが、そこに至るまでの過程も既にあまり良い状況ではなかった気がする。

 過干渉――

 一言にすればそれが原因だったような気がする。

 二周目の世界はどうなってしまったのだろう。続いているのなら、僕がいなくなったことで心配をかけてしまっていたら申し訳ない。

 でも、その手のことは考えても仕方のないことだ。僕に出来るのは前に進むことだけだ。実際的になる必要がある。

 僕はまたビジネスライクになってきているだろうか。でも今はそれでもいい。次どうすればいいかは、ある程度明確な気がしたからだ。

 ビジネスライクなやり方の良くない点の一つは、問題を可視化する際にデジタルになり過ぎることだ。人間の繊細な問題を扱うには削ぎ落すものが多すぎる。今はその問題がある程度見えている。あとはそれを微調整して如何に着実に実行するかだ。

 前回の課題が僕の過干渉だとすれば、まず若菜が千種と琴音の間を取り持つというシナリオは崩してはならない。その上で、三番勝負はしてもいいだろう、あれは良い結果を生んだ気がする。琴音にとって、それに僕にとっても。

 あとは僕が理想化された「ソト」の象徴であってはならない。とはいえ、琴音だって本当は分かっているはずなのだ。彼女を性的に揶揄した者達もソトの人間だ。どちらかといえば村への不信感の反動によるところが大きいのかもしれない。

 この村にはこの村にしかない先進的な側面がある。彼女にはそれを知ってもらう必要がある。それについては、少し考えがある。すみれさんの協力が必要になるかもしれない。

「……まずい」 

 このベンチで考えすぎてしまった。急がないと若菜と僕の出会いが変わってしまう。ボーイ・ミーツ・ガールしなければ。そう思って僕は坂を駆け下りた。


 今回は若菜と上手く自然にファーストコンタクトが出来た。前回も結局特にその後支障はなかったとはいえ、念には念を、だ。

 そして日々は流れ、今回もまた千種とのスリリングなやり取りがあった。避けようかとも思った。だが、あの一件は僕をコントロール下に置く経験をすることが、彼女の自信に繋がった気もしたからだ。

 あまり健全な形とは言えないかもしれないが、選り好みしている余裕もない。注力すべきポイントは絞る必要がある。リソースは有限だ。

 そしてその後、僕はカフェで千種に頼み事をした。


「若菜ちゃんが何か仲直りの方策を考えてくれてるみたいなんだ。だから、やっぱり遠野さんと話すのは待ってあげて欲しい。きっと、それは若菜ちゃんにも必要なことだから」

 千種は最初不思議そうに僕をみていたが、小さく微笑んだ。

「わかりました。結人さんがそう言うなら、そうします」

 彼女は人の善意に対する感受性が高い。受け入れてくれるだろうことは薄々分かってはいたが、やはりほっとする。彼女は人を幸福な気持ちに出来る。その得難さをもっと自覚できればいいのだが、悔しいかな、謙虚さが邪魔をするのだろう。

 そしてまたその謙虚さこそが、彼女の感受性を育てているのかも知れなかった。損をするタイプだ。

「あと――」

 もう一つ、伝えておかなければならないことがあった。

「琴音さんには、図書室でのこと……二人きりで会ったということ自体、今は伏せておいた方がいいかもしれない。誤解を生みかねないし、まだ、受け入れられない気がするんだ」

「そう……ですね。はい、大丈夫です。わたし、危うく琴音ちゃんに話しちゃってたかも……結人さんは二人きりになっても、何もしてこなかったよ、って。わたし、想像力不足ですね」

「普通のことだよ。想像力を鈍るせるのは、なにも邪な何かだけじゃない。誰かを想う気持ちも、時には想像力を鈍らせる」

(『あの眼……忘れられないんだぁ』)

 バーベキューの夜に若菜が漏らしていた言葉が甦る。失恋した友人を慰めることで精一杯になっていた友達が、アロマンティック傾向にある若菜に対する想像力を欠いてしまった。哀しい事故だ。

 でも僕は今、千種にそんなのは普通だと伝えた。そうだ、若菜の友達だって、過剰に責められるべきではない。そうしたら今度は、若菜の存在が友達を傷つけることになってしまう。

 やがてその友達は無意識にこう思うかもしれない。セクシュアルマイノリティなんて、「邪魔だ」と。それだけは避けなければならない。

「結人さん……?」

「ごめん、ちょっと考え事をしてた。千種さんと話してたのに、最悪だ」

「……好きですよ」

 見ると、千種はどこか遠くを見るように目を細めていた。

「結人さんが、何か考えてる時の顔」

 僕はもしかすると、その時赤面していたかもしれない。

「大人を揶揄うもんじゃない」

 僕は生まれて初めてそんな陳腐な台詞を口にした。

「揶揄ってなんか、ないですよ。わたしだって、もうオトナです……仕返しです」

「仕返し?」

 千種が笑う。風に吹かれる野花のように。

「昨日、結人さん、言ってくれましたよね。わたしの、翳った表情や淀んだ眼を、綺麗だって」

 確かに言った。落ち着いた状況で思い返すと、随分と気障なことを言ったものだ。

「わたし、たぶんあの時、ほっとしたんです。この人の前では、笑ってなくてもいいのかもしれない、って」

 千種のことを思い返すと、確かに翳った表情や照れた表情も想起されるが、穏やかに淡く笑っている印象が強い。でもそれは、彼女の心の傘なのかもしれない。

「でも、それも気をつけた方が良い。弱ってる獲物には、良くないものが寄ってくる」

「はい。だから……結人さんの前でだけです」

 頭の奥で何かがチリチリと燻った。

「……遠野さんが心配する気持ちが分かるよ」

「もう!わたし真面目に言ってるんですよ?」

 わざとそんな風に言って男性を翻弄する女性もいるだろう。やがて彼女もそうなって行くのかもしれない。でも、そんなことは責められない。男性に潜在的な加害性があるなら、女性の側でもそれに何らか抗わなければならない。躱し、手玉に取るのも手段の一つだ。そうして駆け引きが生まれる。僕はそういうものとは無縁だった。僕に近づいてくるのは彼女のような純粋な女性ばかりで、僕は優しい顔をしてそれに無意識につけ込んできたのだ。

「あまり僕に気を許し過ぎない方が良い」

 千種はまだ何か言いたそうだったが、それっきり口をつぐんだ。

 

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