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図書館Ⅲ ~悲愴~

 あれ以来、彼女と会えていなかった。僕は広い図書館の中を探した。広いとは言っても、探して見つからないような広さではないはずだった。それでも彼女は見つからない。時々、物陰に何かの気配を感じた。でもそこには何もいなかった。少なくとも、目に見えるようなものは存在しなかった。空は常に昏く、雪が降り続いている。昼も夜も判然としない。そんな中、僕は彷徨い続けた。どれくらいの時間が経った頃だろうか。上層階にある天体望遠鏡の傍で彼女を見つけた。僕はほっとした。もしかしたら彼女はもうこの世界にはいないのかもしれない。そんな気がしていたから。

「ここにいたんだね」

 彼女は一人掛けのワインレッドのコーデュロイ素材のソファーの上で、ニットのカーディガンに身を包み、裸足で膝を抱えるようにして空を見上げていた。それはなんだか絵になった。でも、すごく寂しい感じのする絵だ。

 首だけをこちらに向けて僕を一瞥し、すぐにまた空に目を向けた。

「なにか用?」

 やっとのことで見つけたにもかかわらず、彼女は僕にまったく興味がないようだった。無理もない。興味を持つ理由がない。なんなら、僕が彼女を探していた理由も、僕自身よく分かっていなかった。好奇心か、孤独感か……理由の判然としないその行動は衝動の産物だった。僕が答えられずに押し黙っていると、やがて彼女の顔がもう一度、僕の方を向いた。

「ひょっとして、わたしとシたいの?」

 彼女が笑ったのを初めて見た気がした。その目にぼんやりとした光が灯る。

「なんだ、言ってくれたら良かったのに」

 そういうと彼女はおもむろに服を脱ぎ始めた。スカートがぱさりと音を立てて床に落ち、脱いだニットとブラウスが椅子に向かって乱雑に投げられる。そして、みるみるうちに下着だけの姿になった。シンプルな、パステルピンクのセットアップ。僕は目の前で何が起きているのか理解が追い付かなかった。そしてさらに彼女がブラのホックに手を伸ばしたところで僕は思わず声をかけた。

「ちょ、ちょっと待って」

「なに?」

 彼女はまるでタマネギの皮を剥くのを制されたかのように、さも不思議そうに僕の方を見た。

「あ」

 そして僕の方に距離を詰めてきた。

「自分で脱がしたかった?ごめんね、気が利かなくて」

 彼女は僕をコーデュロイのソファーの上に押し付けるようにして座らせると、その上に跨った。

「どうぞ、好きにしていいよ」

「好きにって……こんなのおかしいよ」

 彼女の表情から笑みが霧散した。

「おかしいって何が?」

 その問いかけからは、どこか、不安めいたものが感じ取れた。

「だって、僕らまだお互いのこと全然知らないし」

 彼女の目が、いつものあの目に戻った。何も映していない、曇った鏡を思わせる、虚ろな瞳。

「それって必要なこと?」

「それは、そうだよ。こんなの、間違ってる」

 彼女が拳を握りしめるのが分かった。そしてブラの縁を掴んでグイと持ち上げようとしたのを、僕は咄嗟になんとか押さえた。

「なんで?」

 彼女の声は複雑な感情を孕んでいた。怒り、悲しみ、焦燥、そして僕がまだ知らない何らかの感情。それから彼女は僕の手をそっと掴むと、自分の胸に当てた。そのあまりの自然さに、僕は抵抗することを忘れていた。

「ね?きもちいいよ?初めてだよね?わたしがリードしてあげるから、一緒にきもちよくなろ?」

 チガウ。

「……」

 気づくと、僕は彼女を突き飛ばしていた。危うく頭から落ちそうになった彼女がこちらを見て目を見開いている。僕は動揺した。

「ご、ごめん!でも……ダメだよ、そんな自分をすり減らすようなこと」

「何様のつもりよ!」

 彼女は俯いていた。その表情は見えない。でも、その声から彼女が泣いているのが分かった。彼女は立ち上がると、脱ぎ捨てた衣服を掴んで、そのまま薄闇の奥へと姿を消した。

「……」

 彼女を傷つけてしまった。恥をかかせてしまった。でも、もし受け入れていたら、きっともっと彼女は傷つく。ずっと未来で。そんな気がした。いつの間にか、僕も泣いていた。世界中の皆が彼女のために泣いているような気がした。


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