悠斗Ⅲ
俺はあの後、若菜の後を追った。途中で見失いそうになったが、やがて隣の墓地の方でさっきの男と話している若菜を見つけた。
「……」
そこには俺が久しく見なくなっていた、リラックスした表情で笑っている若菜がいた。ずっと小さい頃から一緒にいた俺だから分かる。表面上笑っていても、心から笑うことは少ない。いつからか、そうなっていた。
俺はモヤモヤとした気持ちを抱えたまま、逃げるようにしてその場を後にした。後日、俺は父に連絡し彼について訊いてみた。いわく、たまたま村を訪れたソトの人間で、村長がオブザーバーとして任命したのだという。それ自体、解せなかった。村の伝統は秘匿性が高い。何をもってその男にそんな重責を担わせたのか。だがともかく、俺はオブザーバーから見た村の伝統について直接意見を聞きたいという口実をつけ、村長経由でその月城という男に約束をとりつけた。
当日、約束した集会所の応接室に先入りし、急須に入れた茶を冷ましながら彼を待った。柱時計のカチカチという音が妙に耳についた。やがて彼が部屋の戸をノックし、入ってくる。
「はじめまして、神崎悠斗と申します。今日はお呼び立てしてしまって、申し訳ありません」
俺は立ち上がり、頭を下げた。
「はじめまして、月城結人です。そんなに恐縮しないでね、今日はよろしくお願いします」
彼が席に着くのを待って、氷を詰めたグラスに茶を注ぐ。氷が割れる音がした。彼はありがとう、と礼を言った。その声のトーンから、謙虚そうな男だなと思った。
「オブザーバーとしての僕から見た伝統について訊いてみたい、という風に聞いてきたんだけど、合ってるかな?」
「はい、是非一度、月城さんからの見え方を聞いてみたいと思っています」
彼は俺の意図を測るかのように、何度か頷いた。
「実は、若菜さんから神崎君についてはたまたま少しお話を伺っていて、お家の仕事を継ぐことには前向きではないという認識だったんだけど、何か心境に変化があったの?」
(若菜め、そんなことまで話していたのか……)
しかし隠す理由もない。俺は正直に話すことにした。
「はい、それは今でも変わりません。ただ、若菜たちはそうはいきません。彼女らは今、正に伝統を継ごうとしている。それについて、月城さんはどう思われてるんですか?」
月城さんは俺の方をじっと見つめている。物腰は穏やかだが、瞼の深い、猛禽類を思わせる鋭い眼だ。
「なるほど、彼女たちのことを気にしているんだね。どう思っているか、か」
彼は視線を下げ、口元に手をあてて考えるような仕草をした。内省的な性格なのだろうか、なんだかその仕草は様になっていた。
「一口には難しいけど、最終的には彼女たち自身の選択を尊重したい。もちろん、何か搾取的な構造になっていないかは僕も気にして見ているけど、今見ている限りでは和夫村長さんや医師の英さんの協力ですごく現代化が進んでいるように見えた」
英というのは確か俺と入れ替わるような形で村に来た女医のはずだ。会ったことはないが、巫女の因習に絡んできているのか。一度きちんと挨拶した方がいいだろう。
「自分はうちの村の伝統については早々に廃止すべきだと思っていました。巫女の負担が重すぎるし、倫理的にも問題があります。時代に合わない、と。ただ、確かに最新の動向は把握できていないので、一度英さんにもお話は伺おうと思います」
彼は数秒の間、目を瞑った。そして開かれる。怜悧な色が宿っていた。
「それもひとつの選択なのだろうとは思う。ただ君の言った通り、英さんや、あとはやはり若菜さんたち当事者を交え、村の皆で話し合って決めるべきだろうね」
「それは……そうです。だから、ソトのあなたから見た率直な意見が知りたいんです」
俺は気づくとやや前のめりになっていた。彼が息を吸うのが聞こえた。
「正直、僕も最初は驚いたよ。かなり特殊な風習だと思う。秘匿性が高くて、扱いには慎重を要する。でも皆それぞれに真摯に向き合っているし、さっきも言った通り現代化が進んでいるのを目にしてきた。僕は、一概に廃止した方が良いとは言えないと思っている」
今はまだそうかもしれない。でも過去の歴史を考えれば、いつ要求がエスカレートするか分かったものではない。俺は、若菜をそんな環境に置いておきたくない。それに彼女には素晴らしい才能がある。そうだ、彼女はソトに出るべきなんだ。
「月城さんは村の東にある若菜のアトリエを知っていますか?」
「アトリエ……?」
「廃屋を利用したアトリエがあるんです。若菜はそこで色々なアート実験をしていて、地方の新聞に取り上げられたこともあります」
彼は目を見開いていた。寝耳に水という顔だ。確かに外から見て分かるようなものではないし、知る機会がなかったんだろう。
「彼女にそんな一面があったんだね。全然知らなかったよ」
「だから彼女は、ソトのもっと広い世界に羽ばたいて、可能性を広げるべきなんです」
彼はまた口に手をあてて目を閉じた。柱時計の音が五月蠅い。
「神崎君は随分と若菜さんのことを買ってるんだね。……でも、気持ちは分かるかな。彼女には影響力がある」
共感的に微笑んだ彼に、俺は意表を突かれた。祭りの日の様子を見ても若菜とは既にある程度交流があるようだし、何か感じるところがあるのかもしれない。
「将来ということでいうと、神崎君は教職に就きたいという風に若菜さんから聞いているけど、そうなの?」
急に自分の話題になって、俺は少し面食らった。
「……はい、そうです。今は神道系の大学に通っていますが、教職のための単位取得も進めてますから……」
「神崎君は、どうして教員になりたいと思ったの?いや、ただの興味だから、もちろん話したくないならいいんだけど」
俺は段々と彼に絆されそうになっている自分を感じて、警戒心を強めた。しかし、興味を向けられて悪い気はしなかった。その動機は確かに自分にとって大事なことだった。
「中学の時、すごくお世話になった先生がいるんです。その人に憧れて、自分も教師になりたい、そう思いました」
「いい先生だったんだね」
俺は牧村先生の柔和な笑顔を思い返した。
「はい。家の仕事を継ぎたくないという自分のわがままを、先生は受け止めてくれました」
「それは、素晴らしい動機だと思う」
彼の言葉には実感がこもっていた。
「実は僕も、大学院では教育社会学を専攻してたんだ」
「そうなんですか?」
意外な事実に俺は思わず食いついてしまった。
「といっても、結局僕は全然違う道に進んだんだけどね」
「そんな、なんで……もったいないですよ」
そう言うと、彼はバツの悪そうな顔をした。
「僕の進んだ専攻には、もちろん教職を目指す人間が数多くいた。でもその中でも、実際に教職の道に進んだ人間と、そうならなかった人間がいた。そこにはそれぞれに共通点があった。なんだと思う?」
何らか、挫折を経験するのだろうか。今の自分には想像もつかない。
「わかりません。情熱……とかでしょうか?」
「半分当たってるかもね。それは動機の差なんだよ。教員になった者は、僕が知る限りみんな君と同じように尊敬する先生がいたり、皆一様に教育というものに対して感謝していた」
そこで彼は一度言葉を切り、窓の外を見つめた。カーテンが風に吹かれて波の様に揺らめいていた。
「一方で別の道に進んだ者は、みんな教育に対して恨みがあった。酷い先生に当たったりね。そんなことを繰り返さないために、教育で、あるいは教育に何ができるかを模索していた」
それはひどく、寂しそうな眼差しだった。
「でも、やはりそれは消極的な動機と言わざるを得ないのかもしれない。悪しき何かを変えようとしても、真っ向から立ち向かうには壁が大きすぎて、挫折してしまう。そうすると、結局自分が良い教員になるしかない、というように個々別々のミクロな問題へと収束してしまうわけだけど、そうなった時にモデルケースとするような教師像を持ってない。そしてそれは君の言うように、情熱の差として顕れたのかもね。結局、教育に対してポジティブな想いを持っているか、ネガティブな想いを持っているかが、道を分けた。僕はそう思っている」
彼はグラスから緑茶を一口啜った。
「僕に関して言えば、学校教育以外の方法で何か人生を進みあぐねている人の背中を押すようなことが出来ないかと思って、メディアやエンタメ関連で就職活動をしたんだけど、まぁ上手くいかなかった。ビジョンが曖昧だったし、その分野はもっとずっと以前から、いわゆる『好きを仕事にしたい』と思って準備をしてきたような人達ばかりだったからね。僕は中途半端過ぎた。そもそも他人の金で何かしようという姿勢が甘い。今の時代はその気があればインディーズである程度は何でもできる。企業はあくまで営利組織だ。僕の家庭は親も専業主婦や大学教員だったから、そういったビジネス的なハビトゥス、まぁなんていうかノウハウやセンスを持った人間がいなかった。会社研究も甘かったしね。すべては言い訳だけど。そして皮肉なことに、少し前まではバリバリのビジネスの世界に身を投じていた。生きるためにね」
彼は手に持ったままだったグラスをテーブルに置いた。
「君はすごいよ。やりたいことに向かって真っすぐ着実に歩もうとしている」
俺は思った。自分はそこまで考えて、教職を目指しているのだろうか。キャリアとしての安定性、憧れの存在の影響、あるいは村から、父から離れるための足掛かり……。現実的で実際的だ。それで良いはずだ。
「それは……そうです。他の皆がどうかは分かりませんけど。でも、だから、確かな才能のある若菜がこんなところで道を迷うべきじゃないんです」
俺が話を戻すと、彼の目がまっすぐにこちらを見つめる。
「神崎君、君が幼馴染として若菜さんのことを尊敬し、心配するのは分かる。彼女の才能を評価していることも伝わった。ならそれも含めて、根気強く彼女に伝えていくしかないんじゃないかな?幼馴染の君にしか分からないこともあるだろうし。ソトの人間である僕から見る限りでは、今の彼女に迷いや戸惑いといったものは感じない。いつもの彼女と変わらず、軽やかに邁進しているように見える。だから僕はこのまま様子を見たいと思ってる。それぞれの役目を果たせばいい。どうだろう?」
そうだ、気を許しかけていたが、俺はそもそもこの男がどんな人間が見定めようと思っていただけだ。そしてよく分かった。やはり若菜のことについては、俺自身が直接彼女に言うしかない。
「そうですね、ありがとうございます。若菜と、もっと話してみます」
「それがいいよ。あまり有益な話ができなくて、ごめんね」
父はこんな風に話を聞いてくれたことはなかった。でも、それが何だというんだ。目の前の彼は俺に対して責任がないというだけだ。だからフラットに話が聞ける。……じゃあ父は?
「とんでもないです。この村のこと、引き続きよろしくお願いします」
自然、そんな言葉が口をついて出ていた。
その後、いくらか世間話をしてから彼を見送ると、俺は若菜と会う約束を取りつけた。




