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悠斗Ⅱ

 禰宜(ねぎ)を継ぐのなんて、正直まっぴらだった。

 父も、社も、好きになれない。父は監督役として因習の中では比較的中立的な立場をとっているとはいえ、それでも体制の一部には変わらない。そもそも俺は教員になりたいんだ。

 村へ向かうバスに揺られながら、頭を過るのはそんなことばかり。でも村そのものが嫌いなわけじゃない。特に今日のような、祭りの日の雰囲気は嫌いじゃなかった。

 久々の村の匂いを吸い込むと、なんだかんだと落ち着いた気持ちになった。社に向かうと、縁日の周りには既に子どもらがいた。皆、幸福そうにしている。少なくとも表面上は。

 長い石段を上って二の鳥居をくぐり、様子を見ているとしばしば「よう、坊!帰って来とったんか!」といった具合に声をかけられた。家を継ぐ気がない身からすると、正直気が引け、煩わしかった。もちろん皆、悪気があるわけじゃない。

 いつもと変わらぬ祭祀の日の風景に見えた。ある一点を除いては。それは幣殿へと続く人だかりだ。

 どうやらお神乳を振舞っているらしい。誰かが巫女の伝統を引き継ごうとしているのか?千種だろうか。

 胸がざわつき、中庭の方まで様子を見に行った。そして奥の幣殿の建物のへりで村民と話している若菜を見かけた時、俺は自分が見ているものを信じられなかった。やがて話し終えたのを見計らって、彼女に近づく。

「あ、悠斗!きてたんだー」

「どういうことだ?」

 俺の問いに対し、若菜が首を傾げる。

「あ、これ?かわいいでしょー」

 彼女は自身の来ている装束を摘まんで見せた。

「それは妍や媛の巫女のためのものだ。どうして君が着てるんだ」

 若菜はさもなんてことなさそうに、いつもの調子で話し出す。

「いや~、ボクも全然興味なかったんだけどさぁ。千種が奉習始めたの見てたら、だんだん興味出てきちゃってさ~」

「君がそんなものに関わる必要はないんだ!」

 若菜の目が見開かれる。彼女が驚愕している。でもそれは俺も同じだった。俺自身が、自分の動揺の激しさに驚いていた。もっと他に言い方はあったかもしれないのに。口をついて出たのはそんな言葉だった。

「……そんなものってなに?」

 低く、艶のある声だった。空気が変わった。

「悠斗が巫女の伝統をよく思ってないのは知ってるよ。しかも、最近まで全く興味を示さなかったボクがどの口でーとは思うよ?でもそんな言い方ないんじゃない?」

 彼女の目は昔から変わっていない。まっすぐで、澄んでいて、知性に輝いている。そのことがむしろ俺を混乱させた。周りの人間が、なんだどうしたと俺達二人のただならぬ雰囲気に気づき始める。

「ごめん、確かに言い方が悪かった。謝るよ。千種が選んだ道だ。君が友達想いなのは知ってる。千種が始めて、それに付き合ってみたんだろう?なら、今日でだいたい分かっただろ?」

 若菜が立ち上がる。彼女はやや小柄だ。でもその存在感は俺と同じか、それ以上に大きく感じた。

「そうだね、わかったよ……」

 俺は何を恐れてるんだ。

「どれだけ皆がこの伝統に対して心を砕いてきたのか。葛藤しながらも、守り、伝えていこうとしているのか。それは誰か一人の想いじゃない。みんなで創り育ててきたんだって」

 俺の脳裏に父の顔が(よぎ)る。逆光の中で、俺を見下ろしている。抑えていたはずの感情が溢れる。

「そんなのは結局押し付けられたものだろ!君は……つけ込まれてるんだ!」

 若菜はいつだって物事を冷静に客観視できる。分かるだろ?いや、分かるはずだ。いい社会見学になったじゃないか。それを糧にソトに出て、自由に生きていけばいい。村を大事に想うなら、他にもっといくらでも貢献のしようがある。

「ボクは巫女の伝統を継承することについて、真剣に考え始めてる」

「……」 

 周囲がざわめく。

「なにを……言ってるんだ?」

 俺は悪い夢でも見てるのか?あの若菜がおかしなことを言っている。若菜はじっと俺の方を見つめたままだ。まるで決意が固いかのように動じない。

「そんな……じゃあ、君のしたいことはどうなるんだ?あれだけの才能があるんだ、そんな君が――」

「なにも捨てるつもりはないよ。まだ夢というほどのビジョンはないけど、そっちも並行してやっていくつもり」

「そんなに甘くないぞ」

 俺は行きたくもない神道系の大学に行き、それでもなんとか教員になろうと準備を進めている。でもいずれはひとつを選ぶことになる。両立することなんて出来るわけがない。二者択一だ。

「そんなのやってみなきゃ分かんないじゃん!」

 若菜だったらやってのけるかもしれない。でも、だからこそ、そんなことは認められない。俺はもっと人目のないところで話そうと彼女の袖を引こうとしたが、振り解かれてしまった。だから声を潜めて言った。

「金か?留学資金を貯めるとか、そういうことか?確かに一見割はいいかもしれないけど、もし伝統のことがソトに知れでもしたら、巫女の経験は君のキャリアに傷をつけることになり兼ねないんだぞ」

「は?なにそれ……」

 若菜が俺を見る目の奥には怒りがあった。でもここで引くわけにはいかない。これは彼女の将来に関わることだ。

「わかってるだろ?あんなものは他所から見れば娼婦同然なんだ。理解されるわけがないんだ」

 若菜が俺の肩をとんっと軽く押し除けた。距離を離すように。俺は慄然とした。若菜がそんな目をするのを見たことがなかった。そして今度は彼女が俺を奥の人気のない方へと引っ張って行った。

「ねえ悠斗。ボクがなんで怒ってるのか分かる?」

「……巫女のことを、悪く言ったからだろ?」

「そこだよ。悠斗はいまボク達を二重に貶めたんだよ。わかってる?」

 若菜が何を言わんとしているのか、俺にはよく分からなかった。

「巫女のお勤めに対する理解が乱暴すぎる。それに悠斗は娼婦を馬鹿にしたよね?」

「いや……俺は別にそんなつもりじゃ――」

「じゃあなに?なんであんなこと言ったの?」

「俺が言ったのはあくまで一般論だ。俺がどう思ってるかとは関係なく――」

「じゃあ悠斗はどう思ってるのさ」

「……」

 正直、若菜と口論して勝った記憶がない。でも今回ばかりは譲れない。俺は、間違ったことは言ってない。これは彼女の為でもあるんだ。

「この村の伝統は廃止するべきだ。まして若菜、君が受け継ぐべきじゃない」

 若菜が俺の方を見る。なんだ、その目は。そこにある感情は、もはや怒りではない。

(……失望?)

 やめろ、そんな目で俺を見るな。

「……悠斗は、そう思うんだね」

 やがて若菜の視線があさっての方角を向く。何かに気づいたようだ。

「ごめん、悠斗。今はもう話したくない」

「若菜……⁉」

 彼女の後を追おうとした俺の足は、しかしその場で腱を絶たれたかのように動かなくなった。

 彼女は――知らない男の袖を握っていた。

 そしてそのままその男を引いて、どこかへと去って行ってしまった。

(あれは……誰だ……)

 腹の奥底で、何か黒い感情が渦巻くのを感じた。また、あの鳥の声が聴こえた。

 

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