街(後編)
意識が白み、目を覚ました時には、もうすぐ目的のバス停に着こうかというところまで来ていた。途中何度か目を覚ました気がするが、記憶は判然としない。地方都市特有の巨大ショッピングモールに隣接したバスターミナルに着くと僕らは順に降車し、伸びをしたりして体をほぐした。帰りのバスは午後四時だから、その頃にはまたここに戻る必要がある。運転手に手を振ってしばしの別れを告げると、僕らは目的地である眼前の商業施設に向けて歩き出した。僕は都内の会社に勤めていたが、住んでいたのは北関東だったから、こういうスケールの大きい商業施設には馴染みがあった。
(なんだか懐かしいな)
東京住まいの人間には理解されないことも多かったが、これがなかなかに居心地がよく楽しいのだ。都内には常に最先端のモノが溢れ、イベント事の多くも東京周辺で催される。もちろん、刺激的で楽しい。一方で広い公園など自然やゆとりも整備されていて、経済力さえあれば良いバランスの上に暮らせるだろう。だが僕個人としては、あらゆる事物が極限まで洗練されている必要はないとも考えている。それは見方によってはただの嫉妬かもしれないし、馬鹿にするならすればいい。都内のある種の洗練さに対して、僕はしばしば血や汚物の臭いを感じることがあった。こうした地方のショッピングモールにはそれがない。平和で草の匂いがする。それはそれで良いものだ。
並んで歩く三人を後ろから見ていて気づいたが、千種が一番背が高く、若菜が一番小柄だった。性格のせいか逆の印象があったが、実際には違ったようだ。施設内に入ると、彼女らはまず昼食をとるということだったので、僕は遠慮して別途食事をし、一階のインフォメーションカウンターの前で待ち合わせることにした。こういうところには、だいたいフードコートと専門店がある。気楽にフードコートで済ませるのもいいし、専門店に入ってゆったりするのもいい。だが昼時とあってか、どこも混んでいた。こうなると、ついつい空いている店で済ませてしまいたくもなる。そして結局僕はタリーズコーヒーに入って、パスタのセットとコーヒーをオーダーした。
出来上がりを待つ間、僕はぼんやりと店内を眺めていた。パソコンで作業をするサラリーマン風の男性、大学生と思しき男女のグループ、若いカップル……たくさんの若い人間がいるのが、なんだか不思議だった。霞巫峰村はもちろんだったが、それまでの旅先でもこうした商業施設を訪れることは少なかったから、目にするのは年配の人間が多く、僕はなんだか酔いそうになった。地方都市ですらこの調子なら、新宿や渋谷にでも足を運ぼうものなら卒倒するかもしれない。だがいずれはまた、馴染んでいかなければならない。生き続ける限りは。
昼食後、彼女らに合流してから、僕は切り出した。
「さて、そろそろ教えてくれてもいいんじゃない?その禊の内容とやらを」
「ま、平たく言えば荷物持ちだね。あと、魔除け」
若菜は案内図を見ながらこっちを見もしないで答えた。
「魔除け?」
怪訝な顔をする僕には構わず、若菜たちは時間を惜しむようにずんずん歩いて行った。仕方なく僕は彼女らの少し後をついていった。
雑貨にインテリア、洋服と、彼女らは目についた店に入りながら、歳相応にはしゃいでいるようだった。若菜が遠野さんにガーリーな服を勧めては、気が進まなそうな彼女を千種が試着に促したり、若菜が遠野さんに猫耳カチューシャをさせようとしては、押し付けられた千種の姿に二人で興奮したり、小腹が空いたと言ってフードコートに行けば、遠野さんが運動部らしい健啖ぶりを披露したりと、遠目に見ているだけでも飽きなかった。よく考えれば彼女たちが一緒に過ごしているところを、今までほとんど見たことがなかった。初日に千種と遠野さんが一緒にいたのを見たくらいだ。若菜がムードメーカーで、千種が二人を気遣い、琴音はイジられつつも良いストッパー役になっているように見えた。バランスが良い。そしてもうひとつ気づいたことがあった。彼女らは女子高生だということだ。街中で三人でいることによって生まれるエネルギーのようなものが、改めてそのことを僕に認めさせた。眩暈がする。
禊の方はと言えば、何か買い物をすると若菜が僕にそれを持たせた。そこまで大量の買い物ではなくとも、三人分となればそれなりになる。千種が時折そんな若菜に抗議したが、『これは結人さんのために必要なことなの』と言って何かを強いられているかのような表情を浮かべて譲らず、ただそれについては僕も異論はなかった。『気にせず楽しんでおいで』と言うと、千種は困った顔をしたまま走っていく若菜を追いかけていった。二人ともそれぞれに優しいのだ。
そんな風にして時間が過ぎていく中、ふと三人に近づく大学生風の二人組の男性の姿が目に付いた。やがて彼女らに話しかけ、何やら遊びに誘っているような雰囲気だ。若菜が僕の方に視線を向ける。なるほど、僕は若菜の意図を理解した。そして大量の荷物を抱えて悠然と彼ら彼女らに近づいた。
「結人さん!」
「え、あ、お兄さんですか?」
兄だとして誰の兄に見えるのだろうか。相手も深く考えて言葉を発したわけでもないだろう。なんだっていい。
「まぁ、保護者みたいなもんです」
それだけ伝えて中間的な笑みを浮かべているだけで、二人は頭を掻きながら去っていった。もっとイカツイ感じの相手だったら剣呑なムードになったかもしれないが、ここは今のところ平和な日本のショッピングモールの中だ。そこは常識的な相手のようで良かった。
「ふぅ」
「あ、ありがとうございます!」
千種が真っ先に頭を下げた。遠野さんも合わせて下げるものだから、なんだか申し訳ない気持ちになる。若菜はチェシャ猫みたいにニヤニヤしている。
「気にしないで、僕は『お兄さん』らしいから。魔除けってこういうこと?」
「結人さんてば、頼りになる~。ありがとね」
「メイウェザーとパッキャオが相手だったら散らせなかったけどね」
若菜は僕の冗談を無視して、もう次の興味に向けて動き出していた。確かにネタが古かったかもしれない。それにきっと格闘技になんて興味はないのだ。僕だってそうだ。サラリーマン時代についた無駄な知識だ。
三人が書店を見ているのを近くの長椅子で待ちながら、僕はぼんやりとさっきの一件を思い返していた。確かにあの三人は目立つ。魅力がある。村にいる時からそう思っていたが、街に出てもそれは変わらないどころか、際立っていた。僕みたいなのでも、いないよりはマシなんだろう。
「あの、月城結人さん、ですよね?」
そんな僕に語り掛ける妙齢の女性がいた。
「あなたは、確か社で……」
それは千種の奉習に参加した際、斎場にいた内侍の巫女の女性だった。
「申し遅れました、藤堂綾乃と申します。以後、お見知りおきを」
そうやって頭を下げる彼女に僕も急いで立ち上がって頭を下げると、椅子の上に置いていた荷物のひとつが転げ落ちた。
「あー、ごめんなさい!」
「いえいえ」
僕はそれを拾い上げると、彼女が座れるように荷物を詰めて、席を勧めた。
「大変……ですね」
「いいんです、禊なので」
藤堂さんは可笑しそうに笑った。
「今日は、お買い物か何かですか?」
「いえ、月城さんと同じ。お目付け役です」
自然、少女らの方を二人して見やる。
「こうして見てると、普通の女子高校生なんですけどね。でも、目立つでしょ?みんな可愛いから」
「ですね」
「だから、さっきみたいなこともあるし、なるべくバレないように見守るようにしてるんです。過保護なのは分かってるんですけどね」
三人を見つめる彼女の眼差しには母性的なニュアンスがあった。
「私、元々は燈子さんについてたんです。でも、ちーちゃんが伝統を継ぐかもしれないってことで、今は彼女に」
脈々と受け継がれている。バトンは渡っているのだ。
「あ。そろそろまた動くみたいですよ。それじゃあ、また。ご挨拶できて良かったです」
上品な笑顔を浮かべる藤堂さんに僕は会釈すると、大量の荷物を抱えながら移動した。
やがてあっという間に帰りのバスの時間が迫り、三人と僕は帰途へ着く。はしゃぎ過ぎたのか、互いに寄りかかるようにして舟を漕いでいる三人を眺めていると、微笑ましい気持ちになった。
(こうしていると本当に、年頃の普通の女の子達なんだけどな)
バスのライトと月灯りだけが行く先を照らしている。それはなんだか潜水艦みたいだった。深く深く潜航し、あるべき水底へと帰っていく。
村に着くと、小鳥遊家で文乃さんと燈子さんが料理を準備しながら待っていてくれた。
「お祭りの頃には私達は手伝いとかで色々と忙しくなっちゃうから、いつもお盆前にホームパーティーを開くのが恒例になっているの。夏を満喫ってね」
燈子さんが僕にそう説明してくれた。その日はバーベキューだった。といっても、学生時代によくやったような、安くて薄い肉をとにかく大量に買ってきてひたすらに焼いていく殺伐としたものではなく、塊肉をスモークしたりするような本格的なアメリカンスタイルだった。ハイソサイエティだ。
「あの、なにかお手伝いします」
「いいのよ、結人さんこそお疲れでしょ?あんなに荷物持たされちゃって。どうぞ休んでて。それに女同士、のんびりお喋りしながらやってるから、気にしないで」
そう言われると無理に何かするのも野暮に思われた。何か手伝えそうなことがあれば、さり気なく動こう、そう思って自分を納得させた。
少しして、さらに女性が一人小鳥遊邸の庭に顔を出した。
「あらあら」
彼女は笑顔を湛えて、僕に近寄って来た。ボブカットにサマーカーディガンの爽やかなオフィスカジュアルスタイル。
「はじめまして。琴音の母のすみれです。月城さんですよね?」
「はい、ご挨拶が遅れましてしまってすみません、月城結人と申します」
「そんなそんな、こちらこそ。普段は村の役場で窓口なんかもやったりしてるので、そっちでまたお会いする機会もあるかもですね。あ、わたし、着替えて来ちゃうので、また後でゆっくりお話させてください」
今日は一日で色んな人物と出会う。目が回りそうだ。燈子さんに会った際には菖蒲を連想したが、彼女は朝顔のようだった。アスリートみたいなサバサバした人が出てくるかと思っていたら、琴音さんとは一見対照的な、ややおっとりとして柔らかい印象の女性だった。村の役場に勤めているとのことだったが、こんな女性が窓口対応をしてくれたら、多少面倒な事務手続きも我慢強く進められそうな気がした。
彼女ら三人の母達はとても仲が良さそうに見えた。燈子さんの話から三人はともに孤児のようだったから、ここにも特別な絆があるのだろう。僕らがそんな風に準備を進めている間、少女ら三人は中で着替えているようだった。時々燈子さんが様子を見に行っていて、三人が庭に出てきた時、彼女らは艶やかな浴衣姿だった。なるほど、祭りの日に巫女装束で手伝いをするとすれば、その分、今日のような日に着る機会を設けようということかもしれない。
千種の浴衣は、淡い藤色の生地に大きな牡丹が咲き、蝶が舞っていた。薄い黄緑色の帯が夏の爽やかさを演出している。そういえば、紗季も蝶のモチーフが好きだった。遠野さんの浴衣はこれも彼女によく似合っていた。紺色の生地に白い朝顔と流水のような模様が入っていて、涼し気だ。情熱的な赤い帯がコントラストを成していた。若菜の浴衣は明るい黄色に、ピンクと白の細かな花びらが儚さをも演出している。帯は鮮やかな青で、一筋縄ではいかない彼女らしい組み合わせだった。彼女らはいつだって絵になる。互いの浴衣姿を褒め合っているのが微笑ましかった。
その後の食事はつつがなく進んだ。村にいると野菜には不自由しなかったが、タンパク質はついつい豆腐など植物性のもので済ませがちだ。僕は肉に飢えていた。それから僕らはそれぞれの仕事の話や、僕の学生時代の話、少女らの幼い頃の話などに花を咲かせた。燈子さんは服飾デザイナーとして活躍し、文乃さんは特任講師として大学で教鞭をとる以外に、書評を執筆するなどの文筆業にも従事しているということだった。時間は過ぎていき、途中からは僕は洗い物を買って出た。正直、女性陣の中で男一人というは気後れしたし、招待を受けた身とはいえ親密な彼女らの中に混じっているのは落ち着かない気持ちにもなった。皿を洗っている時間、僕は穏やかな気持ちでいられた。もちろん、彼女らから、あからさまに僕を気遣っているような態度は感じられず、あくまでも自然に見えた。でも、僕はそういった感情の機微に対して疎いかもしれなかった。だから、自分の感覚を信用していない。気を遣っていないわけはないのだ。だが彼女らの母親世代は先代の巫女だ。僕はその威厳のようなものを薄っすらと感じ取っていた。ちょっとやそっとのことでは、動じないのかもしれない。
僕が洗い物を一通り終えて庭に出て行った時、水の入ったバケツが目についた。花火の時間というわけだ。案の定というか、若菜は両手に花火を持って回ったり駆けたりしていた。闇の中に描かれる光の残像と火花が、彼女の屈託のない笑顔といっしょになって、庭を彩っていた。
「危ないわよ~。もう、なんでうちの娘はああなのかしら。少しは二人を見習ってほしいわ」
「若菜ちゃん見てると元気になるわ」
「文乃ちゃんの娘さんらしいし、わたしは若菜ちゃんのああいうところ、大好きだけど」
三人は庭のテーブルの上で酒類を手に、愛娘たちを見守っていた。平和な光景だった。そうして僕も同じようにぼんやりと庭を眺めていると、端の方で千種と琴音さんが線香花火を始めているのが見えた。二人は身を寄せ合うようにして、その儚く美しい光を見つめていた。淡い光が二人の端整な顔を照らしている。二人で何かを話しながら、やがて遠野さんの肩が震え始めた。そんな彼女を千種が抱きしめる。微かに、琴音の嗚咽が聴こえてきた。涙ながらに、互いに大切な何かを、打ち明け合っているようだった。会話の内容は気になるが、彼女たちの繊細で美しい世界に水を差すわけにはいかない。そこにゆっくりと若菜が歩み寄り、振り返った二人の顔は、もう既に笑顔だった。むしろ若菜の方が、いくらか憂いを帯びた笑みを浮かべていた。若菜に向かって二人が飛び込むように抱きつく。そうして三人、笑い合う。今日のこの日の記憶は、この先何年か経っても、夏の日の残光の様に僕の中に残り続ける、そんな気がした。
「わたしたちも、あんな風だったのかしら」
隣のテーブルから、燈子さんの声が聴こえた。
「さあ、もう覚えてないわ」
文乃さんが答える。
「文乃ちゃんは、武闘派だったもんねぇ」
「武闘派って……」
燈子さんの言葉に複雑な表情を浮かべる文乃さんはしかし、また若菜達の方に視線を戻すと、どこか遠くを見つめるような、そんな眼差しをしていた。




