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志保(後編)

「あと、もうひとつというのは?」

 志保さんの声が僕の意識を現実へと引き戻す。僕が彼女の方を見ると、彼女は椅子を引いて姿勢を正した。

「はじめて参加してみて、なんというか、僕が心配していたような微妙なことは何もなかったんですが……今後も千種さんの身の安全の面で問題がないものなのか、少し気になったんです。変な幻覚のせいで、過敏になっているのかもしれませんが」

 志保さんは僕の要領を得ない話を我慢強く聞いてくれていた。

「なるほど」

 志保さんはテーブルの上に重ねた手を微かに動かした。

「ご心配されていることは、なんとなく分かりました。白木村長さんのご紹介でもありますし、あなたが何とも言えないお立場であることも鑑みて、守秘義務に触れない範囲でどういう風に奉習の内容が決められるのか、ざっくりしたフローをお伝えしようと思いますが、それでいいですか?」

 彼女は医師としての領分をわきまえた上で、かといって事務的でもない、こんな僕にも配慮した対応を心がけてくれている。門前払いされたって、こちらとしては文句は言えないのだ。

「はい、是非お願いします」

 志保さんは小さく頷くと、語り始めた。

「まず、当たり前のことですが、奉習の内容の最終的な決定権は千種さん自身にあります。その上で、私は医師として、彼女のフィジカルとメンタル両面でのサポートをします。現場でのアフターケア含めた対応の部分は、内侍の巫女のお二人にもご協力いただいています」

 同意書にサインした際にも感じたが、想像以上に構造化されていることに改めて感嘆した。

「奉習の具体的な内容は、チェックリストを使って決めています。ただ、彼女の年齢も考えて、完全に彼女任せにするのではなくて、適宜こちらからも提案するようにしています」

 真摯な目だった。僕もそれに合わせ、彼女をまっすぐに見つめながら、言葉に耳を傾けた。

「最初のうちは奉習ごとに毎回、慣れてきたら数回に一回のペースで、彼女の状態を確認するためのカウンセリングも設定しています。ここまでで何かご質問はありますか?」

 僕は今までの内容を軽く頭で振り返ってから、返事をした。

「いえ、大丈夫だと思います。思っていた以上にシステム化されていて、驚きはしましたが」

 彼女の表情がいくらか緩む。

「このあたりは白木村長さんのご手腕によるところが大きいですね」

 そして志保さんを包む空気に変化が見えた。

「ここからは私の個人的な見方によるお話になりますけど、あなたが心配されているように、奉習、延いてはその先の巫女のお勤めには歴史的に見るとやや危ういところもあります……ハードリミットやソフトリミットといった概念はご存じですか?」

 ソフトウェア制御に関する概念しかぱっと出てこなかったが、恐らく文脈的にはもっと別のことだろう。

「いいえ」

 志保さんは僕が知らないことを予想していたのだろう。流れるように続きを語った。

「ハードリミットは絶対に受け入れられない行為、ソフトリミットは通常は避けられるが、状況や条件次第では検討する行為、ということです。それをチェックリストで決めてるんです」

 僕は緊張をほぐすために、また呼吸を意識した。つまりはそういった概念の導入が必要なほど、繊細な問題だということだ。

「その他にもセーフワードというものを設定する場合もあります。レッドワードとイエローワードというものがあって、前者は行為の即時中止、後者は一時停止や注意喚起を行う際に用いられるワードとして、参加者間で誤解なく認識できるものを予め設定しておくんです」

 知らない事ばかりだった。そして『設定する場合もある』ということは、今の千種の場合には導入されていないと考えてよいのだろうか。

「正直、現状の千種さんにはセーフワードの導入までは必要ないとは思います。ただ、備えておくに越したことないので」

 それを聞いて、胸のつかえがひとつ取れた。

「ご説明いただき、ありがとうございました。僕が言うのもおかしな話かもしれませんが、安心しました」

 それから僕はひとつ提案をしてみることにした。

「あの、もしよければ、もう少し砕けた感じでお話しいただいても大丈夫ですよ。この村においては同世代みたいなものですし。お立場もあると思うので、もちろん、そこはお任せしますが」

 僕がそう告げると彼女は拳を口元に当て、わずかな時間、逡巡した様子だったが、やがてこちらを見た。

「そう……ですね。今後も何か彼女たちのことで私からも相談させていただくこともあるかもしれませんし、お言葉に甘えて――」

 そこで言葉を切ると、目を瞑り、小さく息を吐いた。そして机の上で手の平を組みながら等身大の笑みを浮かべた。

「よかった、あなたがフツウの人で」

 声の角が落ちたような気がした。蜂蜜一匙分ほど。そして普通というのは最も難しい。彼女にとっての普通のというのはなんだろうか。

「普通じゃない人が、多いんですか?」

 とりあえず僕は尋ねてみた。

「正直に言うと、あなたがソトから来た人だって聞いて、ちょっと警戒してたんです。もちろん、白木村長さんが認められた方だってところで、大丈夫だろうとは思ってたんですけどね。職業病なのか、やっぱり自分の目で見てみないと確信が持てなくて」

 僕は頷きながら、視線で彼女に続きを促した。

「二パターンあると思ってたんです。私の話を聞いて、すごく拒絶反応を示すか、あるいは変に好奇心を出してくるか」

 確かにそういう懸念はなんとなく分かる気がした。

「あ、あともうひとつありましたね。なんだかすごく失礼な反応をするパターン。たとえば、え、そんなの大げさじゃないですか、みたいな?」

 徐々に彼女の言葉が砕け、本来の気さくな一面が顔を見せ始めたので、僕もリラックスすることができた。なんだか学生の頃に戻ったみたいだった。

「確かに、そういうのはありそうですね。僕はむしろ、感心しましたけど」

 彼女はいつしか前のめりになっていた体を戻し、椅子の背にやや持たれると、小さく嘆息した。

「そう、だからフツウの人でよかったって思ったんです。私たち医療の世界も、妙に古臭いところがあって、特に男の先生とかは女性蔑視的な考えの人とか多いんですよ。あ、これあくまで私の周りが()()()()そうってだけだし、ここだけの話ですよ?」

「はい」

 僕は志保さんの毒舌な物言いに、つい笑ってしまった。

「さっきお伝えしたセーフワードの概念とかも、結構自分で勉強したんですよ。ていうか、今も正に勉強中です。情報が得にくくて。あまり大きい声じゃ言えないんですけど、どういう界隈で用いられてる概念か、わかります?」

 それについてはおおよそ察しがついていた。

「恐らくは、セックスワーカーの間で用いられているような概念なのかな、と思って聞いてはいました。衝撃はありましたが、でも必要なことだと、確かに僕もそう思います。タブー視されがちですが、それ故にスティグマ化を許してしまう。だからこそ、あなたのような医療従事者の方が患者の健康や安全を第一に考え、脱領域的なアプローチをしてくださっているというのは、心強く感じます」

「そう!」

 志保さんは身を乗り出していた。

「ごめんなさい、でも本当に、ちょっと感動しちゃって」

 彼女も色々と苦労しているのだろう。

「変な話、医師の先生の中にはパパ活とかして逆にこの辺の概念に詳しい人もいそうだったんですけど、絶対にその人達からは教わりたくないと思って。や、好きにすればいいと思うんですよ?再分配だーみたいな理屈も分からなくはないし、需要と供給がマッチしてるならご自由に、とも思う。でも、女性の体への配慮に欠けてる人が多い実態も、医師として私は見てきたから。男性医師のパパ活なんて、なまじ知識がある分、それを悪用されることだってあるし……」

「女好きの半分はミソジニー、みたいな話もありますしね。確かに知人にもそういう人はいました。女性を求めながら、同時に酷く蔑んでいるような……同性としても全く理解できませんでしたが」

 その彼はモテるらしく、女性を夢中にさせておいて別れを告げる際に自分をすがるのが溜まらなく興奮するのだと言っていた。当時は屑だと思っていたが、今考えると憐れみを覚える。何が彼にそうさせるのだろうか。

「本当に、嫌になっちゃう……あ、ごめんなさい、私そろそろ次が」

 気づけば話し始めてから随分時間が経っていた。

「こちらこそすみません、せっかくのお休みの時間だったのに」

「ぜんぜん!むしろ話せて私の方がすごくスッキリしました。よかったらまた今度、ゆっくりお話させてください。ひとまずは健康診断、予約して帰ってくださいね。幻覚の件はその時にも改めて」

 その時の彼女の表情は、学友に向けるようなリラックスしたものに見えた。多少は信頼を得られただろうか。志保さんは受付まで僕を送ってくれ、そのままそこで別れた。

(僕は僕の仕事をしないとな……)

 僕は彼女の指示通り、健康診断の予約をして診療所を後にした。

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