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若菜(前編)

 千種と別れた後、部屋に戻って遅めの昼食をとり、シャワーを浴びた。そして、なんとなく人通りのあるところで考え事がしたくなり、役場の前の広場でぼんやりとしていた。

 火曜の夜、千種の自宅での夕食会に招待された。それはそれでなんだか気後れのする提案だったが、それ以上に僕を戸惑わせたのは、その後に行われる奉習に参加してくれないかという提案だった。それはつまり彼女のお神乳を口にすることであり、起一さん同様に村の因習の当事者になることを意味していた。

 奉習への参加者は、和夫さん、稲葉さん、志保さんらが選定した後、千種が最終確認をして決定するとのことだったが、その際に千種の方から提案することも可能なのだという。予め話は通しておくので、夕食会までに決めておいて欲しいと千種は僕に言った。正直、僕は混乱していた。どう判断していいか分からなかったからだ。

(オブザーバーとして、そこまで足を踏み入れていいものだろうか……それに……)

 僕はそのことについては夜に湯舟にでも浸かりながら考えることにして、千種と遠野さんのことを考えることにした。しかし千種に対して伝えるべきことは一旦伝えたつもりだ。現状ほぼ接点のない遠野さんへアプローチするのは難しそうだし、思春期の少女同士の関係に対してこれ以上できることは無いような気がした。俯きがちになっていた顔を上げると、友達と思しき同年代くらいの少女らと連れ立って歩いている若菜を見かけた。西の雑貨屋で出会って以来だ。少女らが若菜に何かを謝っているような様子に対して、『いいって、いいって、気にしないでって言ってるじゃん』――遠目だがそんな風なニュアンスを感じた。青春だ。あまりじろじろ見るのも良くないと思い、視線を地面の石材のパネルに落として再び二人のことを当てもなく考えていると――

「たそがれてる人、発見」

 背後からの突然の声に、肩が小さく跳ねた。

「っ……」

 振り向くとそこには顔を背け、声を押し殺しながら腹を抱えて笑う若菜の姿があった。僕は表情で抗議の意を示すことにした。

「ひっ、ふっ、はぁぁ……ごめんね、そんなに驚くなんて思わなかったから」

 目尻に涙まで浮かべている。

「そんなに?」

「その顔……くっ、ダメだ、はぁーっ……」

 若菜はたしたしと両手で自分の頬をはたいて表情を整えると、隣の石の球体に腰を下ろした。

「結人さんって面白いって言われない?」

 僕は口に指をあてて考えてみた。

「『ユニークだね』みたいなことはたまに言われる気がするけど、たぶん褒められてないよね」

 若菜がまた笑っている。随分と楽しそうで何よりだ。いけない、気づくと彼女のペースだ。僕は流れを変えることにした。

「今は遊びの帰り?」

「そ!友達と公園行って、プール行って……まぁこの村でできる遊びって言えばそのくらいだしね。楽しいんだけどさ」

 そういえば鏡渕池の西には新しそうな公園があった。子ども向けの前衛的なデザインのお洒落な遊具や大人でも楽しめそうなトランポリンなどもあり、気になってはいたのだ。つくづくこの村は、交通アクセスの問題さえなければ、自然豊かで住み良さそうだった。しかしここに来てさすがに分かってきた。それは意図してそうなっているのだと。ソトから入りづらく、ナカに居れば居心地がいい。そうできている。人口流出はあるのだろうが、今はリモートで出来る仕事も増えている。この村の状況も変わっていくかもしれない。

「なんか、悩みごと?」

 若菜が懐に飛び込んでくる。心理的な意味で。こういう率直さは彼女の魅力だが、僕は話すべきか迷った。彼女と千種や遠野さんの関係性も分からない。同じ巫女の血筋と考えれば交流はありそうだが、なんとも言えない。

「ひょっとして、千種と琴音のこと?」

 僕は思わず目を見開いて彼女を見た。

「エスパー?」

 彼女は目を細め、指をわきわきと動かして魔術的な雰囲気を演出した。

「だとしたら生きるの楽だろうけどさ……いや逆にしんどいか」

 出会った時もそうだったが、()()()物言いをする。僕も彼女を倣って率直にそれを伝えてみることにした。この村には年齢を問わず倣うべき人が多い。

「若菜ちゃんって、大人っぽいよね」

 言われ慣れているのだろう、彼女は僕を一瞥すると、つまらなそうに言葉を続けた。

「そ?まぁ、お母さんの影響かもね。大学で講師とかしてるから、それでボクも頭でっかちなのかもねー」

(ボク……)

 彼女はいわゆるボクっ娘というやつらしい。学生バイトで塾講師をしていた時に、生徒に一人だけそういう娘がいたが、リアルで遭遇するのはそれ以来だ。最近では芸能人でもそういったキャラ付けを見かけるし、もしかすると今やありふれていて、ボクっ娘なんて表現は死語なのかもしれない。ただ彼女がそういう一人称を使うことに特に違和感は覚えなかった。むしろ似合っている気がした。そんな若菜は自分の爪を眺めていた。健康的でよく手入れされている。

「それで、千種さんと遠野さんのことだけど――」

 彼女の視線がさっと僕の方を向く。

「なんで千種だけ名前呼びなの?」

 別に後ろめたいことはないはずなのだが、妙に居心地が悪くなる。職務質問と同じだ。

「いや、それでいうとボクに対しても名前呼びか」

 彼女は僕の返答を待たずに一人で続ける。確かに言われてみればそうだった。

「まぁでもそれはボクが最初に結人さんを名前呼びしたから、自然なのかも?でも千種は自分から結人さんのこと名前で呼ぶとは思えないし――」

 冷静に振り返っているように見せて、彼女は微笑を浮かべながら僕の反応を楽しんでいるようだった。わざとらしく眉根を寄せ、僕の顔を覗き込む。

「ねぇー、なんでなんでぇ?」

 彼女の顔が近かったので、僕はそっぽを向いた。そしてふと、職場の同僚に似たようなキャラクターがいたことを思い出す。その彼は僕よりいくらか年上の髭面の男性だったので可愛くもなんともなかったが。確か、インコを飼っていた。

「村に来た日の夜の宴会で、ちょっと親しくなったんだよ。帰り道を送った時に、色々話したりして……」

「ふぅーん」

 彼女を見ると、首を水平に傾げるようにして、僕の方をまっすぐ見つめていた。深く、心の中まで見通すような、そんな眼差しだった。

「たぶん、千種は結人さんくらいの年上の男の人とか好きだからさ……なんていうか、その……」

 どうやら彼女は友人想いらしい。僕は思わず頬が緩んだ。

「大丈夫。若菜ちゃんが心配するようなことは、絶対にないよ」

 彼女は僕から視線を外し、正面を向いた。

 数秒の沈黙のあと、ぽつりと呟く。

「……絶対なんて、ないじゃん」

 それはもっともな指摘だった。自信満々に言い切った自分が、急に恥ずかしくなった。軽薄だっただろうか、と。

「それは、そうかもしれない」

 ジェット機の甲高い音が聴こえたような気がした。見上げるが、空には何もない。それでも、何かが遠くへと引かれていくような感覚だけが残っていた。

「でも僕は、もうそういうのは嫌なんだよ」

 空の青さに目の奥が痛くなって、僕は目を閉じた。それからゆっくり瞼を開き、若菜の方を見た。彼女の表情からは何も読み取れなかった。ただ、僕のことをじっと見つめてくれてはいた。それだけで今は十分な気がした。

「ちゃんと見張ってるからね?」

「望むところだよ」

 今度は彼女が空を仰いだ。足をぷらぷらと遊ばせている。そろそろ話の続きをしよう。

「それで、どうして僕が二人のことを考えてるって分かったの?」

 エスパーでないなら、何か情報源があるはずだった。

「お母さんにね、和夫さんから連絡が来てたんだよ。結人さんにオブザーバーをお願いしたから、よろしく的な感じでええ゙ぇぇ」

 若菜は石材のボールをバランスボールのようにして背を預け、全身を弓なりに反らして呻くような声を上げていた。反らされた胸が強調され、お臍が見えそうになっていたのを見かねて僕は再び視線を逸らした。千種も無防備な雰囲気があったが、若菜にはまた種類の異なる無防備さがあった。

 連絡があった、というのはよく考えれば自然なことだ。和夫さんは僕に対して、特に巫女の血筋の三人のことをよろしく頼みたいようなことを言っていた。どこの馬の骨とも分からない怪しい男にそんな頼みをするのだ、親御さんにも話を通すのは当然と言えばその通りだ。

 彼女が体をバネのようにして元の姿勢に戻る。そういえば出会った時も彼女はこうしてむくりと起き上がった。癖なのかもしれない。

「それとね、あの二人が喧嘩をはじめた時、ボクもその場にいたから」

 そう話す若菜の目はぼんやりとしていた。溌剌として社交的で大人びた殻の中に、少女らしい不安定さが垣間見えたような気がした。

「そうなの?」

「うちでみんなで宿題やってたんだけど、なんか来た時から琴音の様子がちょっとおかしくてさー……ボクがお花摘みから戻ってきたらもう、ね」

 気落ちしているように見える彼女を、僕は少しでも励ませないかと思った。ちょうど、役場前の広場にジューススタンドのようなものがある。そのくらいなら問題ないだろうか。

「何か飲む?よかったら買ってくるけど。奢るよ」

 彼女の眼に煌めきが宿る。現金なものだが、僕はなんだかほっとした。

「え、なになに、ひょっとしてボクのこと励まそうとしてくれてるのー?」

 彼女はニヤニヤしながらこちらを見ている。

「そうだね、若菜ちゃんまで元気がないのはよくない」

 若菜は意外そうな顔をした。

「ボク、元気なかった?」

「そう見えたけど」

 僕は正直に伝えた。励まそうとしている可能性に気づいたのだから自覚があるものと思ったが、違うのだろうか。

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