文乃Ⅶ
月明かりの差す部屋の中に、きらきらと光の粒子が舞う。
すべては寝静まり、世界にはわたしたち二人しかいない。
いつもの抑制的な彼からは想像もつかない情熱的な囁きや、時に繊細で時に大胆な動きのひとつひとつが、わたしのナカの炉に情念をくべ、燃え上がる。
彼がわたしを求める感触に酔い、奥深くで彼の熱さを感じる。
本能と本能をぶつけ合い、淫らに嬌声を上げるわたしと、荒々しく息を吐く彼を、もうひとりのわたしが、どこか遠くから見ていた。
初めて彼に抱かれた日、わたしの中はひどく淀んでいた。
彼の真っ直ぐな気持ちが流れ込んできて、攪拌され、沈殿していた真っ黒な何かが撒きあがり、わたしを汚した。
不安、後悔、嫌悪、焦燥、欲望、罪悪感――
だからわたしは、もっともっと、彼に滅茶苦茶に、獣のように、汚して欲しくなった。
涙が出た。
彼の純粋な気持ちに対して、わたしはそんな風に感じてるなんて、彼に知られたくなかった。
でもそう思えば思うほど、その黒い朧のようなものが、わたしの心を麻痺させ、カラダを昂らせ、際限なく彼を求めさせた。
最低の女。
二回目に繋がった時も、まだ私は濁っていた。
それでも彼は、そんなわたしを全部受け入れてくれると言った。
言葉を、眼差しを重ねるうちにわかった。彼が、本気なんだって。ただ、わかった。
そして、今。この幸福感を、わたしはたぶん、生涯忘れられない。
彼はわたしの醜い欲望も、弱さも、純粋さの残滓も、すべて受け止めてくれた。
親猫が子猫の全身を丹念に舐めるようにして、彼はわたしを受け止め、解し、洗い、包み、肯定してくれた。そして、求めてくれた。彼の渇きを感じた。それがなんだか、とても可愛くて、切なくて――
あの後、わたしは彼に尋ねた。
『どうして、わたしなの?』と。
愚かな問い。蛇足、藪蛇。わたしに絡みついた蛇が、わたしにそんなことを言わせたのかもしれない。馬鹿げた想像。
彼は言った。
『文乃さん。貴女が、僕に、言葉を取り戻させてくれたからです』
それはこれまでで、一番、やさしい声だった。
『貴女は以前、それは僕自身の力だと言ってくれた。でも、それはやはり、貴女なくしてはあり得なかったことなんです』
その言葉は、最初から用意されていたみたいに、淀みなく流れてきた。
『貴女の言葉が、眼差しが、すべてが、僕を変えてくれた。貴方といる時、僕は本当に意味で息をすることが出来た』
言葉が注がれ、肌を伝い、沁み込んでいく。
『文乃さん。貴女は僕にとって――』
あなたにとって……?
『言葉そのものです』
わたしは、溢れ出るものを止めることができなかった。月がゆばりを流すように、自分が空っぽになるのではないかと思うほど、止めどなく零れた。でも不思議と、流せば流すほど、満たされた気持ちになった。そんなの、わたしは知らない。
気づくと、隣に彼がいた。
彼が笑う。
わたしも笑う。
わたしは彼がすき。それはただの淡い感情。
結婚もセックスもなく、愛ですらない。
すき――それだけ。
彼の傍にいたい。
彼と同じものを食べて、同じものを見て、同じ時間を過ごして……そうしてそのまま、世界に還る。そうあれたら、それ以上の幸福はない。
わたしにそんな資格はないと諦めていた。聞き分けのない無垢な童女のような、そんな願いは身に余る。
でも、手を伸ばしたら、彼はその手を握ってくれた。温かかった。わたしはもうそれを手放さない。
それはわたしだけの"盗めない宝石"。




