表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
106/110

文乃Ⅶ

 月明かりの差す部屋の中に、きらきらと光の粒子が舞う。

 すべては寝静まり、世界にはわたしたち二人しかいない。

 いつもの抑制的な彼からは想像もつかない情熱的な囁きや、時に繊細で時に大胆な動きのひとつひとつが、わたしのナカの炉に情念をくべ、燃え上がる。

 彼がわたしを求める感触に酔い、奥深くで彼の熱さを感じる。

 本能と本能をぶつけ合い、淫らに嬌声を上げるわたしと、荒々しく息を吐く彼を、もうひとりのわたしが、どこか遠くから見ていた。


 初めて彼に抱かれた日、わたしの中はひどく淀んでいた。

 彼の真っ直ぐな気持ちが流れ込んできて、攪拌され、沈殿していた真っ黒な何かが()きあがり、わたしを汚した。

 不安、後悔、嫌悪、焦燥、欲望、罪悪感――

 だからわたしは、もっともっと、彼に滅茶苦茶に、獣のように、汚して欲しくなった。

 涙が出た。

 彼の純粋な気持ちに対して、わたしはそんな風に感じてるなんて、彼に知られたくなかった。

 でもそう思えば思うほど、その黒い朧のようなものが、わたしの心を麻痺させ、カラダを昂らせ、際限なく彼を求めさせた。

 最低の女。

 二回目に繋がった時も、まだ私は濁っていた。

 それでも彼は、そんなわたしを全部受け入れてくれると言った。

 言葉を、眼差しを重ねるうちにわかった。彼が、本気なんだって。ただ、わかった。

 そして、今。この幸福感を、わたしはたぶん、生涯忘れられない。

 彼はわたしの醜い欲望も、弱さも、純粋さの残滓も、すべて受け止めてくれた。

 親猫が子猫の全身を丹念に舐めるようにして、彼はわたしを受け止め、解し、洗い、包み、肯定してくれた。そして、求めてくれた。彼の渇きを感じた。それがなんだか、とても可愛くて、切なくて――

 

 あの後、わたしは彼に尋ねた。

『どうして、わたしなの?』と。

 愚かな問い。蛇足、藪蛇。わたしに絡みついた蛇が、わたしにそんなことを言わせたのかもしれない。馬鹿げた想像。

 彼は言った。

『文乃さん。貴女が、僕に、言葉を取り戻させてくれたからです』

 それはこれまでで、一番、やさしい声だった。

『貴女は以前、それは僕自身の力だと言ってくれた。でも、それはやはり、貴女なくしてはあり得なかったことなんです』

 その言葉は、最初から用意されていたみたいに、淀みなく流れてきた。

『貴女の言葉が、眼差しが、すべてが、僕を変えてくれた。貴方といる時、僕は本当に意味で息をすることが出来た』

 言葉が注がれ、肌を伝い、沁み込んでいく。

『文乃さん。貴女は僕にとって――』

 あなたにとって……?

『言葉そのものです』

 わたしは、溢れ出るものを止めることができなかった。月がゆばりを流すように、自分が空っぽになるのではないかと思うほど、止めどなく零れた。でも不思議と、流せば流すほど、満たされた気持ちになった。そんなの、わたしは知らない。

 

 気づくと、隣に彼がいた。

 彼が笑う。

 わたしも笑う。

 わたしは彼がすき。それはただの淡い感情。

 結婚もセックスもなく、愛ですらない。

 すき――それだけ。

 彼の傍にいたい。

 彼と同じものを食べて、同じものを見て、同じ時間を過ごして……そうしてそのまま、世界に還る。そうあれたら、それ以上の幸福はない。

 わたしにそんな資格はないと諦めていた。聞き分けのない無垢な童女のような、そんな願いは身に余る。

 でも、手を伸ばしたら、彼はその手を握ってくれた。温かかった。わたしはもうそれを手放さない。

 それはわたしだけの"盗めない宝石"。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ