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図書館Ⅹ ~ヴォカリーズ~

 彼がくれたコアカミゴケは、その後もどんどんと子器をつけていった。離れて見るとそれは本当に花のように見える。彼がどこか遠くから、わたしのために採ってきてくれた。わたしなんかの為に。彼はほぼ丸一日寝てた。ずっと、歩き詰めだったみたい。

(馬鹿みたい)

 その時は、そう思った。

 彼が姿を見せなくなって、最初はもう戻ってこないのかと思った。別に、わたしには関係ない。また、静かな日々に戻るだけ。梯子の音で眠りを妨げられることもなくなる。ただ、それだけ。

 でも扉の向こうに彼の姿を見た時、なぜか少しだけほっとした。どこかで野垂れ死にされてたら、寝覚めが悪い。そんな気がしていたからかもしれない。

 彼が目を覚ますと、ケースに入った変なコケみたいなのを見せてきた。子器という花のようなものをつけるのだと、彼は説明した。彼は申し訳なさそうに謝った。本物の花じゃなくて、ごめん、って。

 イライラした。なんで謝るんだろう。花が好きというのは、嘘じゃないと思う。でも、あんなのただの気まぐれで言っただけだし、わざわざ遠くまで探しに行くなんて思わなかった。

 ちょっと、気持ち悪かった。結局、彼も期待してるんじゃないか。そう、感じたから。

 でも謝る彼の顔を見てるうち、ちょっと可哀そうになってきた。雨に濡れた犬みたいだ。馬鹿みたい。

 借りを作るのも嫌だったから、わたしは一応お礼を言った。ありがとうも無しだと、さすがに冷たすぎる気がしたから。

 

 その子器というものがどんなものなのかは、ちょっと気になった。

 わたしはそれは光の当たる喫茶スペースに置き、本でコアカミゴケのことを調べながら、時々一階で見つけた霧吹きで水をあげた。

 そんな風にしていると今度はわたしを横目に見ながら、薪ストーブの灰を集めていた。また、ヘンなことしてる。花火の材料に必要らしい。

 わたしは気づくと、下唇を噛んでいた。もやもやした。

 そんなことしなくたって、シたければ言えばいいのに。でも、彼は以前わたしを突き飛ばした。格好つけたいだけ。ゼッタイそう。

 「もうやめたら?」何度か、そう言いそうになった。

 でも、言えなかった。だって、わたしは何もしてないから。ただ、このガラス張りの檻の中で、じっとして、逃げてるだけ。何から……?もう……思い出せない。思い出したく……ない。

 もしかしたら、この図書館を出ていくべきなのはわたしの方なのかもしれない。そうしたら、彼は探しに来てくれるかな。

 あんなに冷たくしておいて、いまさら彼に甘えるの?そんなの、最低にも劣る。


 しばらくすると、彼がわたしのところに駆けてきた。すごく興奮してる。そんな彼は初めてだった。

 花火が出来たのだという。

 きっと大した出来ではないのだろう。ちょっとそれっぽく燃えるだけ。そうやって、わたしは期待しないようにした。だって、裏切られた時に、つらいから。

 でも、それは、花火だった。記憶の片隅に残っていた輝き。線香花火。一番可憐で、かわいくて、大好きな花火。それを彼が作ってくれた。わたしの為に。

 彼はまた謝っていた。でも、わたしがその時に抱いた感情は、苛立ちでも、嫌悪でもなく、知らない何かだった。

 胸の奥が、ちりちりした。火花が散っている。それは涙になって、わたしを内側から開いた。そっと、やさしく。

 声が弾んでいた。それは、わたしの声だった。

 雪の中をくるくる回る。世界も廻る。花火と、雪で、キラキラしていた。

 隣を見ると彼が涙を流していた。それを指で払ってあげると、恥ずかしそうに笑った。不器用そうな笑顔。でも、可愛かった。

 そしてその瞬間(とき)の涙の温かさは、図書館に戻って、毛布に包まった後も、ずっと、残っていた。わたしはその温かさを忘れたくなくて、何度も確かめた。彼に聴かれないように、細心の注意を払って。


 やがて、彼が開けてくれたわたしの世界に、色が差した。

 コアカミゴケが、紅い子器をつけた。

 わたしが自慢げにそれを彼に見せると、彼はいつものように申し訳なさそうにした。

 かわいそう。

 どうして彼はいつも、そんな風に卑下するんだろう。きっと、ずっと否定されながら生きてきたのかもしれない。

 わたしは、自分で自分を否定してるけど、それとは違う感覚なのかもしれない。

 わたしが肯定してあげたら、彼はもっと楽に笑えるようになるのかな。そしたら、わたしも、自分を否定しないで、いいのかな。

 彼になら、触れて欲しい。そう思った。だから、彼に身を寄せた。彼はとても火照っていて、そして、渇いていた。そういうのは、わかる。

 彼に食べられたい。彼になら、食べられても減らない気がした。わたしは、彼に食べられながら、彼を食べるんだ。

 

 そんなわたしを置いて、彼はピアノを弾き始めた。

 気取っちゃって。

 でも、聴いていると、それはすごく綺麗な旋律だった。ごめん、ぜんぜん気取ってなかった。すっと、音が心に入ってくる。もっともっと、わたしはそれが欲しくなった。

 彼の隣に座って、近くで音を食べる。そうしてると、息ができた。

 段々と、眠くなってくる。

 あったかい。

 眠くなるのなんて、いつぶりだろう。いつもは、ただ気絶するだけなのに。

 でも、もっと聴いてたい。まだ、聴いていたい。でも、わたしの体はわたしが望むより不自由だった。


 目が覚めた時、わたしは近くのソファの上にいた。きっと、彼が運んでくれたんだろう。

 彼の顔がみたくなった。変な感覚だった。

 だから、急いで梯子を下りた。眠ってたら、起こしちゃうかも。でも、お返しだよ。そう言ったら、どんな顔するかな。きっと、申し訳なさそうな顔するよね。

 でもね、わたしはもう怒らないよ。あなたがわたしを眠くして、それからまたあなたに、起こして欲しい。かんかんって、音を立てて。

 それからね、あなたの名前を知りたい。呼んでみたい。わたしの名前も、呼んで欲しい。どうやったら、思い出せるかな。


「どう……したの?」

 わたしは、その喉に石を詰められたみたいな違和感にすぐ気づいた。

 彼はいつもの場所で座っていた。いつも通りに。でも、何かが変だった。

 目だ。

 すごく平板で、どこも見つめていない。

「どうって?」

 彼のその声に、わたしは久々に苛立ちを覚えた。それが何に対する苛立ちなのか分からなかった。でも、とにかくじっとしていられなかった。わたしは彼の正面に回ると、その肩を揺さぶった。

「何かあった?」

「別に、なにも」

 そんなわけない。

「変だよ?なんか、わかんないけど、わたしそういうの分かるんだから」

 いまは、きっとわたしの方がよっぽど変だ。わたしはオーディオシステムでアンプやプレイヤーの電源を入れると、"ノクターン"を流した。彼も時々聴いているのを知っていたから。

 でも、彼はぼんやりとしたままだった。

「ねぇ、綺麗な曲だよね?なんで、そんな……何も感じないみたいな顔してるの……?わたし、最初は楽観的だなんだって言ってたけど、最近はなんだか好きになってきちゃって……あ、他のにする?君の好きな曲、教えて?わたし、知りたい。なんでもいいよ、ねぇ――」

「いまは、いい……いや、しばらく、いいよ」

 篝火が、消えていた。

「ごめん、あんまりそういう気分にならなくて……それより僕、ずっと逃げてきたから、ここにいるには何かしないといけないと思うんだ」

 彼が、よく分からないことを言っていた。

「もっと他に行けるところがあればいいんだけど、心当たりもないし、僕はここで本の整理をしようと思う。それを、求められてる気がするんだ」

「わかんない……どういうこと?ねぇ!なにもわかんないよ!」

 彼が、少し哀しそうに、わたしの顔を見つめた。

「ごめん……大きな声出して……でも、なんだか別人みたいで……わたし、怖くて……」

 彼はもしかしたら、わたしのことを撫でてくれるかもしれない。どうしてだろう。そんな下らない期待をした。でも彼は、ただ少し哀しそうに、わたしを見つめるだけだった。それから、口を開いた。

「そっか、君は僕の中のそれを好きになってくれてたんだね……でも、ごめんね、もうそれはあげちゃったんだ」

「『それ』?なんのこと、言ってるの?」

 気づくと彼は、窓の外を見ていた。

「想像力と、感性。彼はそう言ってた。そんなの、要らないと思ってた。彼が、それと引き換えに欲しいものをくれるって言ったから、あげたんだ。君の欲しいものを手に入れるために、どうしても足りないものがあって……でも、そんな悲しい顔させて、ごめんね」

「彼?誰のこと?そんな……だって……」

 このままじゃすべて失われる。とても大切なものが。そんな焦燥がわたしを突き動かした。わたしは彼の手を取ると、自分の胸に当てた。

「ね?柔らかいでしょ?わたしね……今度はちゃんと……あなたに…………あ……」

 彼の表情に赤みが差した。でも、それはわたしが知ってる彼じゃなかった。()()()と同じ顔をしていた。

 その時、あの黒いゼリー状のひと達がどこからともなく現れて、彼に覆いかぶさるように飛びかかった。

「や……やめて……まって……!」

 そのひと達を引き剥がそうとした。でも、彼らは捉えどころがなくて、掴もうにも手が滑ってどうにもできなかった。

「なんで……誰が彼をあんな風にしたのよ!」

 私がそう叫んだ瞬間、硬い金属でも裂くような、甲高い、とても大きな音が図書館中に響き渡った。見上げると、世界が煌めいていた。でもその煌めきは、触れてはならないものだった。ガラスだ。

 彼の方を見ると、一度身を離した彼らに囲まれたままぼんやりと空を見上げている。この場所とわたしのいる場所はちょうど吹き抜けになっている。もし大きなガラスが刺さりでもしたら――

 わたしが飛び込むようにして彼を庇うと、今度はわたしごと、彼らが折り重なるように覆いかぶさった。潰されるのかと思った。でも違った。不思議と、温かい。彼らは、わたし達を、守ってくれている?

 

 世界の終りのような音と衝撃が止んだ頃、彼らはまたどこへともなく去っていった。

 頬に、何かが当たった。

 雨だ。

 空が晴れ、雪が雨に変わっている。

 天を仰ぎながら、ふらふらと辺りを見回す。

 何かの、気配がした。

 振り返ったけど、誰もいない。いや、なんだろう、あれは。彼の膝の上に綺麗なアンティーク調の木の箱があった。近づいて、それを手に取ってみる。

 金の彫金で何かが彫ってあった。

(Mr.children "HERO"……?)

 蓋を開くと、ぎこちなく音が溢れ出す。オルゴールだった。

 素朴で、切ないイントロから始まる、親しみやすいメロディー。中をよく見ると、天井の部分に折りたたんだ紙が貼りついている。開いてみると、それは歌詞が記された紙だった。

 その詞は、ひとりの臆病な男の人の物語を歌っていた。多くを救う英雄などではない、ただひとり、自分の手の届く大切な誰かを守りたい、そんな平凡で、ありふれた人の話。

「それは私からの餞別だ」

 声に振り返ると、いつからそこにいたのか、見たことのない男の人が座っていた。歳の頃は……分からない。中年というほどではないけど、随分年上に見えた。でも、見た目以上に、その声は疲れていた。

「あなた……あなたが彼をこんな風にしたの……?」

 私は知らず、拳を握りしめていた。

「勘違いしないで欲しい。私はあくまで取引しただけだ。彼が欲するものを得るには、対価が必要だった。彼はそれでもいいといった。だから――」

「だからって!……こんな……それが大人のすることなの⁉」

 わたしに、抗議する資格なんてあるの……?ずっと彼に対して冷淡に接してきた、わたしに。

「彼の行為には、意味がなかったと?」

「そうじゃない……!そうじゃないけど……わたしの……せいなの……?」

 彼は目を細めて私を見た。不思議と、その眼差しに不快な感じはしなかった。

「君のせいじゃない。彼が自分で決めたことだ。でも、彼が頑張ったからこそ、今君はそんな風に、また誰かのために涙を流せるようになったんだろうね」

 わたしは頬に手を触れ、自分が泣いていることに気づいた。温かかった。彼の涙と、同じ。いつもの冷たい涙とは違う、温かな涙。

「わたし……まだ、彼の名前すら知らないのに……」

 靴が床板を踏む乾いた音がして、彼が立ち上がったのが分かった。

「どこ行くの……?」

「もう時間だ。この世界はもうすぐ役目を終える。だから、君ももう旅立つ時だ」

「……どこへ?」

 彼はかぶりを振る。

「それは君にしかわからない。君は何がしたい?」

「……彼を、元に戻したい」

 考えるより先に、そんな言葉が口をついて出た。

「なら、きっとまた出会える。全てのことは繋がっている。彼がこの図書館に辿り着けたように」

 世界を構成していた事物が、黄金色に輝く。輪郭がぼやけていく。

「もしまた彼に出会えたら、たくさん温かい言葉をかけて、眼差してあげるといい。それが彼を癒すはずだから」

 わからない。わからないよ。みんな、どうしてわたしを置いていっちゃうの?

「そうすれば、きっと彼はもう一度君を見つけてくれる」

 見つけて……くれる?


 もう誰も何も語らない。みな、舞台を去ってしまった。ここからは自分で確かめていくしかない。どんなに怖くても、前に進むしかない。わたしの世界に初めて色をつけた、あの「花」の記憶を頼りに。


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