第14話 陰陽師の仕事
忙しい芳川中佐に手短な挨拶を済ませた遥香は、廊下に出てぼんやりしてしまった。
彰良の育ての親。とてもにこやかにしてくれたけれど、なんだかすこし怖かった。
値踏みされているように感じてしまい、その期待にこたえる自信が遥香にはないからなのかもしれない。
頑張りたいな、と遥香は考えた。せっかく彰良と働けるのだから。
「おう、おまえら来てたか」
廊下を歩いていると声をかけてきたのは山代だった。
「今日はこっちに泊まりだろ。ついでに仕事していけよ」
「どうしてです」
ばっさり断りそうになる彰良だが、仮にも上官にそれでいいのか。遥香はやきもきしたのだが、山代は気にせず笑った。
「俺らは横浜方面支部に属する仲間だ。目に見える実績があれば、他の連中に何か言われずに済むからな」
それには返す言葉がなかった。
遥香が半妖だということはどこまで知られているのだろう。また、女だてらに軍属になっただけでも目立っているかもしれない。今も本部内で行き会う者からチラチラとされていた。
ため息をついた彰良は仕方なく働く気になったらしい。
「何が出たんですか」
「怨霊だな。商家の門にひそんで、通る家人をおどかし昏倒させるとか」
「それは……何か恨みを買ったせいで、自業自得では」
「だとしても出ちまったもんは何とかするしかないだろう」
出たといっても門の陰に隠れているぐらいなら生きている者が犯人の可能性もある。そう喜之助が言ったら、さすがに山代は否定した。
「げらげら笑いながら姿が靄のように消えたそうだ」
「……明るい怨霊さんですね」
遥香の感想に山代は吹き出した。
怨念を生むのは人の心だ。本人の執着、それとも憎悪。何事も度が過ぎれば歪みをもたらし魂を汚す。だから怨霊は悲しい存在だと遥香は思っていたのだが、復讐を楽しむような心もあるのだろうか。
「たしかに明るいかもしれん。こういう愉快犯は放っておくと関係のない者にまでちょっかいかけて遊び始めるぞ。さっさと対処してこい」
「それって出張任務外じゃないですか」
「ケチケチすんなよ吾妻。あ」
そこで山代は声を低めた。ちょいちょい、と全員に顔を寄せるよう手招く。
「あのな、この件に妖怪は呼ぶな。帝都でうわさになるのは、ちょっとまずい」
豆腐小僧だの水乞だのと報告が来て、山代は頭を抱えたのだ。
そんな連中、下手をすれば祓いに行かなきゃならない。方技部内で知られたら遥香の立場にかかわるし、芳川中佐と相談の上そこはひとまず秘密にしておくことにした。他所でやっている分にはバレないだろう。それが遥香を横浜にとどめる理由でもあった。
「こちらに知り合いの妖怪さんはおりませんし、呼ぶのはたいへんですから……」
「おや。てことは彼らは神出鬼没じゃないのかい?」
遥香はひかえめにうなずいた。
どうやら彼らの世界にも決まり事があるらしい。人の世ではないそこは常世なのか幽世なのか。わからないが、妖怪には妖怪の理があるのだった。
「じゃあ今回、遥香さんは留守番だな。俺と彰良で行こうぜ」
「……でも、それだと滅してしまうんですよね」
彰良と二人で行く気になった喜之助に、遥香はためらいながら申し出る。
「私もついていってはいけませんか。もしできそうなら、清めさせてください。無理はしませんから」
「うーん、その気持ちはわからなくもないけど」
「あと私……お二人がこれまでどんな風にしていたのかも見たことがないですし」
「あ、そうか」
ここまで遥香が怪異を祓ったのは二回。どちらも遥香の力量をはかるための試験であって、彰良と喜之助は補助しかしていない。
「んじゃ、俺のお手並みを披露する感じでいく? 余裕があれば遥香さんが清めるってことでさ」
「自分でお手並みって言うな」
冷たく突っ込む彰良だったが、それだと出番がないなと考えた。
怪異の動きをかいくぐり、斬り捨てて滅する。それが彰良のやり方だから。
そして夜、指示されて向かった商家の外で三人は待機していた。遥香は動きやすいよう巫女姿。念のため装束を持ってきておいてよかった。
幽霊話で家に帰らず逃げ回っていた旦那が今夜は帰宅することになっている。恨みの元はその男なのだろうし、きっと怨霊もあらわれてくれるはずだ。
今回は喜之助が重要な役目を果たさなければならない。真言と呪符で動きをにぶらせ足どめし、遥香が近づけるようにしたいのだった。彰良はもう、完全にただの護衛だ。
「ほい来たぞ。旦那ってあれだろ」
「そうだな」
ビクビクとおびえながら歩いてくる男。目つきの鋭い用心棒を連れ、警戒している。門の前でこちらに気づきペコペコ頭を下げてきたので、さっさと入れと手で追いやった。彰良は念のため剣を抜いた。
「ヒイィィーッ!」
門の内側で男の情けない悲鳴が聞こえた。ちゃんとあらわれるとは律義な怨霊だ。
「行くぜ」
喜之助はスルリと中に入った。腰を抜かして座ったまま後ずさる商家の旦那。その前でゆらゆらとする怨霊は中年の男のようだ。
喜之助は隠しから出した呪符を一枚、ピッと怨霊の足もとに飛ばした。
結界が張られ、怨霊はそこに囚われる。異変を感じたか怨霊が身をよじるが足が動かないようだ。
「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん!」
喜之助は光明真言を唱える。それに力をそがれ、怨霊は苦しそうにのどをかきむしった。背を丸めてうずくまる。
「行きます」
遥香は小声で告げ、近づいた。憎々しげに顔を上げた怨霊と遥香の目が合う。
ごめんなさい、どうか安らかに眠って。
遥香は緊張しながら手を伸ばす。何をされると思ったのか、怨霊は叫んだ。
「ヒヤァァーッ!」
いや、これは悲鳴か。恐怖にひきつった顔の怨霊がふところに手を突っ込む。出したその手に匕首がある!
「どけッ!」
遥香を突き飛ばした彰良の剣が、緋い炎をまとった。
突き出された匕首。彰良は腕ごと斬り上げる。
ひゅんッ!
彰良の剣は怨霊の体までも斜めに断った。その緋い傷が燃え上がり、そしてみるみる黒ずむ。怨霊は苦悶の顔だ。
これが――滅。彰良の異能。
「あ――ああ」
遥香は顔をおおった。助けられなかった。
怨霊が黒く散る脇に、頭上から立派な松の枝が落ちてくる。彰良は小さく舌打ちした。
またやった。剣からほとばしる力が周りまで斬ってしまうのだ。急なことで、つい力んだ。
そして喜之助も後悔に天をあおぐ。
失敗した。いや、怨霊は祓ったが、狙った結末にはならなかった。清めてやりたかったのに。
消え去った怨霊と腰を抜かした商家の男。そして松の枝。
目の前で起きたことをぼうぜんとながめながら、遥香はみずからの無力をかみしめた。そして――彰良のことを考える。
剣がまとった緋い炎。
――そこから感じた気配はたぶん、人のものではなかった。