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妖狐の嫁入り  作者: 山田あとり
ささやかな幸せ
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第12話 恋心はラムネの泡のように


「いやーん、あまーい! しゅわわー!」


 官舎にあらわれラムネを飲むのは、水乞(みずこい)のみっちゃん。

 ついでに遥香も一緒にラムネ初体験中で、パチパチいう泡に思わず笑顔がこぼれていた。とても甘くて、心までとろけそうだ。

 ちなみにラムネを買ってきたのは喜之助だった。お供えに近い気分で水乞に手渡したのは内緒にした方がいいだろうか。


「――今日は小さい子に戻ってる」

「あの時は驚いたぜ」


 ちゃぶ台からすこし離れてながめる彰良のつぶやきに、喜之助も苦笑いした。

 ヒョイと抱いて逃げたはずの水乞が、見る間に十歳以上も成長してしまった。子どもがいるような年頃になられると、小脇にかかえたのが申し訳なくなる。ラムネを差し入れたのはその罪悪感からだった。


「水を吸って育つなんて知らなかったからさあ――いや、知ってても見たらビビるか」


 水乞。のどが渇いたと水をねだる妖怪。

 あの夜、出現した時にはかなり乾いていた。水をほしがるのも当然だと納得するぐらい乾いていた。そう言うと女の子には失礼になりそうだけど、遥香がいそいでお茶を渡したのはそんなわけだ。

 そのお茶の一気飲みでプルプルにうるおったのには彰良も喜之助も目を疑った。だがその後、怨霊から水分を奪い取り干物にしかけたのは恐怖でしかない。

 あの怨霊は、しなびて動けないというよりシワシワの自分に衝撃を受けてうずくまったように見えた。水乞がやったのは物理攻撃と見せかけた精神攻撃ではないのか。怨霊となっても女性は女性、なんだかとても可哀想だ。


「でもちゃんと生前の姿になったよな」

「最期には、そうだった」


 遥香が触れた後、怨霊は自己を取りもどしフワリといなくなっている。

 今回は全貌をちゃんと見せられて遥香はホッとしたのだが、彰良たちはますます困惑していた。あの蒼白い光はなんなのだろう。


「でもそれを言っちゃうと、彰良の(あか)い炎もわからないぜ」

「――ああ、まあ」


 彰良が怪異を斬る時に剣がまとう炎。みずからの呪われた生まれのしるしであり怒りのあらわれだと彰良は思っている。

 ならば遥香のは何だ。やさしさ、それともいつくしむ心?


「――あの」


 まだ中身の残るラムネ瓶をちゃぶ台に置き、遥香はおずおずと彰良の方を向いた。

 その唇がいつもより紅いな、と関係ないことを彰良は思った。ラムネを飲んだからか。冷たく甘い、ラムネ。


「助けていただいて、ありがとうございました」

「ん?」

「怨霊さんが来ても、私、体がすくんで動けなくて」


 思ったより機敏な怨霊に迫られた時、彰良は遥香をかかえるように逃がしてくれた。彰良にとっては何でもないことだが、遥香はあらためて礼を伝えたかったのだ。だって本当に怖かったから。

 彰良たちはいつも、もっと恐ろしい怪異と戦っているのだろうか。そう考えると自分が特殊方技部に籍を置くなど無理なのではと心配になる。


「それが俺の仕事だ」


 素っ気なく言われ、遥香は遠慮がちにほほえんだ。この人はいつも気持ちを楽にしてくれる。

 ――なのに今は、遥香の心臓は早鐘を打っていた。あの怨霊から受け取ってしまった記憶(・・)のせいだ。

 でもきっとすぐ、だいじょうぶになる。自分に言い聞かせ、ちゃぶ台の上でしゅわしゅわしている残りのラムネを手に取った。はじける泡をゆっくり味わう。

 ドキドキするのに、甘くて幸せ。遥香はなんだか不思議な気分だった。



 遥香は夕飯後、台所で皿を洗いながらホッとしていた。今日一日、なんとか普通にふる舞えたと思う。


「ああどうしよう、困っちゃう……」


 遥香は触れた怪異の心を感じ取る。記憶が流れ込むこともある。それは悲しいものであることが多くて、ちょっとつらいと感じていた。

 だけど水乞の力を借りて清めたあの女の人は――男との愛を遥香に伝えたのだった。

 好いた男へのまなざし。交わした愛。裏切られた悲しみ。狂おしい気持ち。

 走馬灯のように彼女の中にうずまいた想いは遥香にとって未知のものだ。男を恋うる想いなどわからない――と思ったのだが、あれ以来ふとしたことで動悸がする。

 その時いつもそばにいるのは、彰良だ。

 ただ茶碗に飯をよそい渡すだけでも、喜之助と何か話している背中を見ても、彰良の気配で遥香の心臓はうるさくなる。


「こんなこと知られたら、ご迷惑ね」


 ぜったいに内緒にしなくてはと遥香は平静をよそおっていて――だけどそれが何故、彰良に対してだけなのかはわからなかった。ううん、わかろうとしなかった。


 恋などしてはいけない。

 遥香は狐の娘だ。

 母が人と恋をしたのがそもそも、間違いなのだから。




「――で、山代さんは何て?」


 夜、遥香が自室に引き取ってから、彰良と喜之助は布団の上で静かに話していた。

 喜之助は今回の件を本部に打電しに行き、その帰りにラムネを入手してきたのだ。そこで下された遥香への評価、本人に聞かせるべきことではない。


「うん、いろいろな駒を持ってそうだし、戦力として使えるだろうと」

「――だな」

「ただ、どう考えても護衛役が必要だろ」


 喜之助がぼやくと、彰良は小さく笑った。その様子に喜之助はこっそり驚く。最近、彰良の表情が豊かになってきているように思えた。


「それはどうしようもない。横浜方面支部に誰がどう配属されるか」

「人員が必要だよなあ。今回だって彰良だけじゃ対処しきれなかった」


 彰良が遥香をかばった時、水乞の方は喜之助が救い出した。それに真言(しんごん)も足どめに役に立ったはずだ。あの時のことを思い出し、彰良は尋ねた。


「あれは、なぜ愛染明王(あいぜんみょうおう)の真言だったんだ?」


 喜之助がくりだす呪符も真言もとなりでよく見ているが、愛染明王の真言などほとんど聞いた覚えはない。


「ああ――あんな場所だしな。あの怨霊はきっと、男に何かの気持ちを残して死んだんじゃないかと。だから、愛欲を悟りに昇華する真言を選んだ」

「そんなものなのか――」


 不得要領な顔で黙られて、喜之助は苦笑を禁じ得ない。女っ気のなさでは筋金入りの彰良だった。

 だが、何もかもを叩き斬るだけだった彰良にも、かすかに変化のきざしがある。それをもたらしたのは、おそらく遥香――半妖の娘。

 惚れたはれたの、愛欲の、と言われても彰良にはわからない。

 だがこの時に彰良の頭をよぎったのは、昼間ラムネで紅くなっていた遥香の唇だった。



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