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恋をした花。

作者: 春野美咲

自分にしては長め。


 魔力の富む大地には、草花や木々にその力が宿されることがある。そして、魔力を持ったそれらは半永久的な命を得ることができる。


 わたしは聖なる泉のすぐそばに咲く、名前もない白い花だった。泉を囲むように少しずつ数が増え、そこは人間で言う聖なる花畑だった。

 わたしは悠久のときをそこで過ごした。

 もちろん、魔力を持つからと足が生えるわけでもないし、蜜を求めてやってくる虫達を追い払うこともできない。彼らにもまた、それぞれの役目というものがある。

 けれど、わたし達は話すことができた。仲間とともに天気を語り、泉を眺め、そして人間の話もした。時折蜜を求めやってくる虫達も、いつしか言葉を介するようになった。そうして彼らから、ここから遠く離れた人里の話も聞いた。


 人間は、とても残酷な生き物らしい。

 花を踏み荒らし、虫達を薙ぎ払い、罠を張って取り込んだあと火に焼いて彼らを食べてしまうらしい。

 虫達が、人間という生き物を敵視していることはよくわかった。もし人間達がこの地に足を踏み入れたなら、遠慮などなく追い払うべきだと。

 わたし達よりも遥かに大きい人間になど、勝てるはずがないのだから。



 でもある日、一人の人間がこの花畑に近づいてきた。

 虫達は憤り、男に何度も鋭い針で刺したが男はそれを振り払う間もなく泉の方まで近寄っていく。

 多くの花々が踏まれたくない、と叫ぶ中で男は「申し訳ない申し訳ない」と呟いていた。


 他に人間はいなかった。

 男はわたし達の声を聞いて謝っているのだろうか?


 わたしが悠長にも不思議に思っていると、男はついに泉に辿り着いた。

 そこは他の花々の中でもわたしととても近い場所だった。


「聖なる泉よ、どうか……。どうかお助けください!」


 泉には、この大地の魔力が溜まっている。

 それは神秘的で、どんなものでも癒やすとさえ思える神々しさだった。

 でも…………


「無理よ。あなた、呪いをかけられているもの」


 その男には遥か遠くの大地に咲くとされる、人食い花の呪いが染み付いていた。

 たとえそれが呪いであろうと、それはその大地からの加護。その呪いが解けない限り、他の大地からの加護は得られない。それが呪いでも、祝福でも。

 魔力は土地によって色も性質も違うのだから、一緒にすることはできないのだ。


 男はわたしの声に一度周囲を見渡し、そしてわたしを見つけた。


「…………あ、なたは花の……精霊?」

「残念。わたし達は花そのものよ」


 事実、わたし達はもともとただの花だった。

 泉から溢れる魔力がわたし達を喋れる花とした。

 人食い花だって、魔力を使ってこの男に呪いをかけたのだ。この男を、取り込むために。

 運良く彼は人食い花の領域から逃れたようだけど、もしもそのままその場に留まっていたら、蜜に群がる虫達のような姿になっていただろう。


「ねぇあなた。どうして助けが必要なの?」


 この男は、自身が呪いにかけられていることにも気が付いていないようだった。わたしの問いかけに男は逡巡したように俯き、また口を開いた。


「…………聖なる泉であれば、病が治ると思っていたんだ」

「まぁ、あなた自分にかけられた呪いを病だと思っていたのね」


 お気の毒、とわたしが感想を吐けば男は不器用にも笑った。

 その顔が、妙に焼き付いて離れない。


「……そうだな。本当に、オレは馬鹿だ」


 何もそこまで言ってない、と思ったけどわたしは彼に対して何も言えなくなった。

 それはきっとわたしが彼を可哀想と思ったから。


「なら、呪いを解けばいいわ」

「そうね。呪いが解けたら解決だわ」


 急に、それまで人間の男を怖がって何も言わなかった花々が一斉に話しだした。それに男は戸惑ったようだったけど、その慌てぶりがなんだかとても可愛らしく思えた。


「そうよ。一番最初に話しかけたあなたが解いてあげなさい」

「そうね、それがいいわ。そうしましょう」

「…………え?」


 突然宛行われた役目に、わたしが呆然としているとそれを周囲の花々は気に留めることもなく彼に言葉を続ける。


「ねえそこのあなた。これから毎日ここにいらっしゃい」

「そうよ。そしたら少しずつだけど、呪いをその子が解いてあげる」


 人間の彼もわたしと同じように呆然としている様子だったけど、最後には「わかった」とまた不器用に笑った。


 …………なんだか、変な感じね。


 呪いの解き方は何となくだけどわかる。

 こことは違う色の部分を、少しずつでも抜いてあげたらいい。

 それでも、ついこの前まで人間とは関わりたくないと話していたのに、どうしてわざわざ招くのだろう。

 それがとても、不思議な気がした。

 その不思議さに、何処かがムズっとした気がした。



 彼はそれから本当に毎日訪れてくるようになった。

 最初は何か土産を持ってきたほうが良かったかな、とかもっと早起きしてきたほうがいいかな、とか気にしていたようだったけれど、最近ではたくさんの花々や虫達と一緒に笑って話していることが多い。


「君達はいつから言葉を使うようになったんだ?」

「そんなの、ずっと前からよ。年月なんてわからないわ」

「いつの間にかおしゃべりをするようになっていたわ。それ以前のことはあまり覚えていないの」


「やっぱり人間のことは好きになれない?」

「当たり前だ。人里に行って、我らがどんな思いをしたか」

「お前達人間とて、我らが憎いのだろう?」


 彼は花々や虫達とも対等に話していた。

 その姿はまるで友のように、家族のようだった。

 不思議な人間。

 虫達も、普段はあんなにも人間嫌いだったのに彼とは普通に会話を楽しんでいる。

 髪は短いし、土の色だし。手は岩のようだし、声は木々の話し声みたいに低い。

 わたし達と話すより、彼らと話している方が違和感がないのではないかしら。


 そんなふうに思う自分が、本当に不思議だった。



「いつも、ありがとう」


 急に、彼がそう言ってきた。

 日に日に彼にかけられた呪いは薄らいで、あともう少しで完全に解けそうだった。

 この男は、呪いが解けたらもうここには来ないのだろうな。

 そう思っていたわたしに、彼はまたあの不器用な笑顔で言葉を続ける。


「君のおかげで、オレは救われてる。今でも、君が妖精か何かだと思ってしまうよ」

「…………褒めても、早くは治らないわよ?」


 おかしな人間。

 そう思うのに、彼に見つめられると不思議なくらいポカポカを感じる。

 まるで、雲の隙間から太陽がこちらに笑いかけているみたい。

 不思議な感じ。



「ねぇ、あなた今日もあの人間に可愛いって言われてたわね」

「わたし達は人間から見たら同じに見えるのに、あの人間はあなたのことばかりキレイだと褒めていたわ」

「…………」


 あの人が朝からやってきて、帰ったあと。他の花々がそんな話を振ってきた。

 怒っているというわけではなく、なんだか羽根を伸ばして飛び交う蝶を眺めるような声だった。


「あなたにばっかり、あの人間はかわいいとかキレイとか言うのよ」

「妖精とか精霊とか、わたし達は言われたこともないわ。…………あの人間には、あなたとわたし達とで違うように見えているのかしら?」


 まるでイタズラをするときのように歌うように、おかしそうに笑うその言葉になんだかフワフワを感じる。


 不思議。おかしい。

 あの男のこともだけど、わたし自身そんな感覚がある。

 嬉しくて、楽しくて。

 なんだかいっぱいな思いになる。


 不思議で、おかしな…………わたし。



「…………終わったわ」

「……何が?」


 不思議そうに尋ねてくる彼に、わたしは再度終わりを告げる。


「……あなたの呪いが、今完全に解けたわ。もう、人食い花に惹き寄せられることもないわ」

「………………そう、か」


 彼の呪いが解けた。だからもう、彼はここに来る理由はなくなる。


 不思議ね。なんだか、とても辛いわ。


 そもそも、人間の彼がここにいるのも変なのに。

 こうして、自然のわたし達と会話をするのもおかしなことなのに。

 半永久的に生きる、わたし達と人間とでは関わることも、普通ではないのに。


 …………本当に、不思議。


 そんなわたしの思いとは異なり、終わりを告げたはずなのに、何故か彼は早々に立ち去ろうとしない。

 もう用はない、と立ち上がりさえしない。

 それを不思議に思ってわたしがどうしたの、と尋ねようとしたとき、彼はまた不器用に笑った。


「…………触れても、いい?」

「……え……?」

「折らないように、気を付けるから」


 今まで彼はわたし達を踏まないよう、傷付けないようにここに居た。毎日毎日、わたし達の声を聞いて痛がらないように気遣ってくれた。

 そんな人が、触れてもいい?と聞いてくるんだもの。

 …………ダメ、なんて言えるわけがなかった。


「……いいわよ。触れても」

「ありがとう」


 彼がそっとわたしの花弁に触れた。

 それがくすぐったくて、それでも……嫌じゃなかった。


「…………やっぱり」

「…………?」


 彼の呟きに、反応してしまう。

 その言葉の先が、聞きたくて仕方がない。

 彼に見つめられ、わたしが見つめ返す中で彼はゆっくりと口を開く。


「君が、一番キレイに見える」

「………………!」


 彼は最後にそう言い残して、ようやく立ち去った。

 わたしは彼の後ろ姿を、ただ見つめるしかなかった。

 …………もう、あの男はここには来ない。

 そう思うとなぜか、茎がピリピリと痺れたように感じた。



「…………ねぇ、本当にいいの?」

「ついていけばよかったのに」

「詰んで貰えばよかったのよ」

「水と土さえあればわたし達は生きられるんだから」

「………………」


 それから毎日、他の花々がそればかり言って声をかけてくる。

 でも、あの時のわたしはどうすれば良かったのかなんてわからなかった。

 ついていこう、なんて思いもしなかった。



「────おやおや、かわいい我が子達。何をそんなにざわついているんだい?」


 草花の囁きの中、空からそんな声が降ってきた。


「ヒカリだ」

「ヒカリだわ」


 魔力に溢れた光を纏い、人間のような形をした、神様のようで精霊のようで妖精のような方。

 そんな彼をわたし達は「ヒカリ」と呼んでいる。

 彼を最後に見たのはいつだったか。


「ヒカリ、また来てくれたのね」

「ヒカリ、人間が来たのよ。もう来ないけれど」

「ヒカリ、この子ね。その人間に会いたいんだって」


 勝手に他の花々がヒカリにあの人間のことを話し始めた。ヒカリはわたし達を眺め、泉を見つめた。

 その横顔からは、わたしは何も読み取ることができなかった。


「…………そうか。その人間は、とても…………。とても優しい人間だったんだね」


 しばらく泉を見つめていたヒカリは、納得したように頷いてわたしの方を振り向いた。

 まるで、あの日々を見てきたかのように。


「お前は、その男に会いたいかい?」

「…………え?」

「会いに、行きたいかい?」


 ヒカリはまっすぐわたしを見て問うてきた。

 嘘も誤魔化しも、全く通じない雰囲気を纏っていた。

 わたしはその真っ直ぐな瞳につられて、自然と本音が出てた。


「…………会いたい、わ。あの人間に、会いに行きたい、の」


 花が人間に会いたいなんて、おかしな話。

 なのに、ヒカリは優しくわたしを見つめていた。

 そしてあの男とは違う、きれいで優しい笑みを携えた。


「…………うん。わかった。なら、会いに行っておいで」

「……え」


 どうやって、とわたしが尋ねる前にヒカリはわたしをふわりと撫でてくれた。

 その撫で方は不思議と彼とは違うように感じた。

 その瞬間、わたしはまるで魔法のように優しい風に包まれ、花びらの一つ一つが散っていくような感覚が襲われた。でも、不思議と痛みも怖さもなくて。

 目が覚めたら、少しの肌寒さと一緒に普段よりもずっと高い視界が目に入った。


 …………目?


「おめでとう。これでお前はどこでも、好きな場所に駆けていくことができるよ」

「ヒ、カリ?」


 先程よりも遥かに近く、少し小さくなったヒカリは変わらずわたしをまっすぐ見つめていた。


「人間だわ」

「人間の女の子よ」


 花々の声で、わたしは初めて自分が変化したことに気がついた。

 自由に動かせる腕。どこまでも伸ばせる指。

 今にも走り出せそうな足。あの男とは違う、柔らかそうな白い体。

 そして、腰の下まで伸びる緩やかなウェーブのかかった茎色の髪。


「…………わたし、人間、なの?」


 不思議。不思議でいっぱい。


「さぁ、早くお行き。人間の男に、会いに行きたいのだろう?」


 ヒカリはそう言って、わたしの背中を優しく押してくれた。

 今までは地面に根を張って生きてきた。

 立つということも、歩くということも経験なんてない。

 それでも、ヒカリに押された背中は倒れることも、止まることもなかった。

 自然と、体が勝手にゆっくりと歩き、そしていつしか走り出していた。木々の声を聞いて、虫達の言葉を頼りにわたしは人里に向かった。

 その間、何故かわたしは一度も転ばなかった。

 息は苦しかったけど、それでも足は止まらなかった。


 どうして人間になれたんだろう。

 どうして人間にしてくれたんだろう。


 それが、気になるけど、ずっとは考えていられなかった。

 わたしは衝動的に、あの男の人間に会いたくて仕方がなかったのだ。


 走って、走って。走った先に人里があった。

 たくさんの人間がそこにいた。

 彼と同じ、でも彼とは違う人間達。

 そして、わたしはある一人の人間と目が合い、立ち止まった。


 彼だった。


 彼は目が合うとまっすぐわたしを見つめていた。

 わたしのことなんてわからないはずなのに、彼はまっすぐ、わたしを見つめていた。


 不思議で、おかしくて。…………変なの。


 気がつくとわたしはまた走り出していて、そんなわたしに気がついた彼もこちらに向かって走り寄ってきた。


 会いたくて、会いたくてたまらなかった。

 わたしはただ魔力のある花なのに、人間が恋しくて仕方がないなんて。本当におかしな話。


 目が合って、お互いに手を伸ばして。

 そして、抱きしめあった。


 不思議。おかしい。

 彼はわたしが誰かわかってるのかな。

 わたしがあの花だって分かってるのかな。


 慣れないはずなのに、何故か知っているような感覚だった。

 彼を強く強く抱きしめて、彼もそれに応えてくれた。

 ゆっくりと彼の顔を見上げれば、そこには変わらずあの不器用な笑顔があった。

 それに安心して、ホッとして、わたしは気がついた。


 彼がこんなにも恋しかった。

 恋しくて、たまらなくて。

 …………あぁ、そうなのね。と。


 どうして、あんなにも必死に走ってまで彼に会いたかったんだろう。

 そんな疑問が、やっと解消された。

 まるで、呪いが解けたみたいに。


 わたしは、人間の彼に恋をしたんだ。



「ねぇ、人間のわたしはかわいい?」

「……うん」

「花のときよりキレイ?」

「……どっちも、キレイだよ。同じくらい」


 長い髪をうねらせて、わたしは彼に問いかける。

 花が人間になった、なんて虫達も信じてくれなさそうなのに、彼はあっさりと頷いてくれた。

 ヒカリがいなきゃ、できないことなのに。

 彼と抱きしめ合っていたら、周囲の人間がざわめきだしたから、わたしは慌てた彼に連れられて人気のないところまで歩いた。

 終始口数が少なくて頬を赤らめた彼が不思議だったけれど、彼に会えた喜びがわたしの心にあふれていた。


「わたし、あなたに会うために人間になったのよ」


 そう言って彼を見つめれば、彼は驚いたように目を見開き、そしてぎゅっとまた抱きしめてくれた。


「…………うれ、しい。それは、すごく」

「……うん。わたしも、あなたに会えて嬉しいわ」


 いつまで人間でいられるのか、ずっと人間のままなのかはわからなくても、今はただこの人に会えて嬉しい。この人に抱きしめてもらえることが、嬉しい。

 だからそんな満ち足りていっぱいの思いで、わたしも彼を抱きしめ返した。


 不思議なくらい、温かい。



「…………ねぇ、しばらくここにいてもいい?」


 どれくらい抱きしめ合っていたのかはわからないけれど、気になって聞いてみた。

 今更になって、もしかしたら迷惑だったかなと思ってしまう自分が不思議だった。


「いいよ。君の気が済むまで、ここにいて」


 なのに、まるで彼も望んでいるかのように答えてくれるから、もっと不思議で、おかしくてたまらない。

 わたしは花だったけど、今は水も土も必要ない人間なんだと思えばそれに少し納得もした。


 あぁ、今わたし、彼と同じ人間なんだ。


 そのことが妙に、嬉しくてたまらなかった。



「え、人間にもお水は必要なの?」

「……草花ほどでは、ないとは思うけどね。喉は渇くよ」


 ふーん、とわたしが頷いていると、彼は小さな器に水を指して渡してきた。


「直接飲むと溢れるから、このコップで飲むんだ。あの泉から走ってここまで下りてきたんだろ? きっと喉が渇いてるはずだよ」

「そう、なのね」


 彼が片手で差し出してきたコップを両手で受け取ると、その中の水が光を反射してキラキラと輝いていた。

 花であったときは地下茎から水を吸っていたから、飲むというのには違和感があった。

 それでも、彼に差し出されたものは嬉しくて、彼の真似をして飲んでみた。


「…………お、おいし、……い……?」

「うん。ここの井戸はあの泉と繋がっているみたいだから、君も気にいると思った」


 あの魔力に富んだ泉の水が、人里にまで届いているなんて驚いた。

 あの泉はわたし達自然だけではなくて、人間にも恩恵を運んでいたんだ。

 それが不思議で、ちょっとだけ嬉しかった。


「ありがとう、ね。このお水、とても好きよ」

「良かった」


 わたしが彼にお礼を言えば、彼は嬉しそうにそう言った。

 そんな彼が、なんだか可愛く思えたのはやっぱり不思議だった。



「あら、妹さん?」

「え?」


 彼と二人でいたら、急に知らない人間からそう声をかけられた。

 それに彼が慌てて否定しているのを見て、わたしは呆然としてた。


「まぁ、妹さんじゃないならどなた?」

「そ、それは、………………」


 その人間が彼に何を尋ねているのかがようやくわかった。彼は言葉に窮したようだったけれど、わたしはこれがチャンスだと思えた。


「こ、恋人っよ!」

「え?」


 わたしは勢い任せに彼の腕を取って、それを抱きしめた。


「わたし、この人と恋仲なのっ」

「…………」

「そう……、なのね? なら、……良かったわ」


 相手の人間は首を傾げながらも納得してくれた。

わたしも言いたいことが言えて一満足だった。


「…………いいのか?」

「……いいわよ」


 彼は恥ずかしがってなのか片手で顔を隠しながら、小さく尋ねてきた。それにわたしも大きく頷いて答えた。


「…………わたし、あなたが好きよ? だから、いいの」

「………………」


 わたし、あなたに会いたくてここまで来たのよ。

 あなたが恋しくて、たまらなくて。人間になってまで。


 そんな思いで彼を見上げれば、彼は顔を真っ赤に染めてこちらに視線を促した。


「オレも…………まるで妖精のような君が、好きだっ……よ」

「…………っ!?」


 不思議。不思議でいっぱい。

 彼がわたしを好きだといった。わたしも彼が好き。

 なのに、なのに。

 どうしてこんなに熱くなるんだろう。

 どうしてこんなに嬉しくなるんだろう。


 ワクワクがいっぱい。フワフワでいっぱい。


 好きよ、好きっ。わたしもあなたが大好き。

 今花弁があったらきっと全部赤く……うんん、桃色に染まってた。だって人間の肌がこんなにも熱く、桃色に染まるんだもの。

 きっと花であったときなら、もっと染まってしまってるわ。


 ねぇ、それはやっぱりあなただからなの?


 声にでない言葉が、やっぱり不思議だった。



 妹さん、と呼ばれて恋人よ!と答える。

 どうして皆がわたしを妹だと思うのだろう?

 そう疑問に思っても血縁関係なら見た目が似るらしいと虫達が話していたのを思い出せば、それも嬉しく思えた。

 だってわたしと彼が似ているように見えるということだもの。こんな嬉しいことはない。

 好きな人と似ているなんて、なんて幸せなのだろう。

 不器用にまた笑う彼にわたしも笑った。


 あなたが好きだと、あとわたしは何回思うんだろう。

 それが少しだけ、……いいえ。とても、楽しみになった。



「里での暮らしはどうだ?」

「とても素敵よ。皆があなたみたいに優しくて、温かいわ」


 わたしがそう答えれば、彼は安心したように息をつく。

 心配性ね。わたしはあなたのそばに居るだけで幸せなのに。


「なにか辛かったり、悩んでることはないか?」

「何もないわ。……あ、でも。わたしの幸せを恋人のあなたが理解していないのは、ちょっと悲しいわ」

「………………」


 わたしの答えに、彼は戸惑っているようでわたしはそれがとても可愛く思えた。


 もっと、あなたのそばに居たい。


 だからわたしと彼の二人で一緒に過ごして、恋人がずっと離れずに済む方法があることを知ってわたしは迷わずそれに飛びついた。

 それは人間の結婚だった。


「ねぇ、結婚しましょう」

「………………ぇ……っ?」


 わたしの言葉に理解が追いつかないような顔をしている彼に構うことなくわたしはお強請りをした。


「わたし、この先もずっとあなたのそばに居たいの。だから結婚しましょう?」


 あなたもわたしが好きでしょう?と確かめるように聞けば彼は慌てて頷いてくれた。

 それでも「結婚しよう」とは言わない彼に、段々ともどかしくなる。


「結婚、いや?」

「嫌じゃないっ、……けど」


 彼が言葉を詰まらせ、その表情が少しばかり歪む。

 どうしてそんな顔をするの?

 何があなたをとどまらせるの?


「………………考えて、おくね」


 両眉を下げてそう笑う彼に、わたしも何も言えない。絶対ね、と約束することもできない。


 …………不思議ね。



 虫達が時々様子を見に来てくれる。

 ヒカリはまだあの泉にいるみたい。

 虫達と話していると里の人達に見られている気がする。視線を向ければ逸らされるけど、やっぱり見られてると思う。


 一体どうしたのかしら?



 虫達はわたしのことを応援してくれているみたいで、よく人間同士が仲良くなれる方法や、ずっと一緒にいられるやり方を教えてくれる。

 結婚の話もそうだったけど、わたしはとても恵まれている。里の人も虫達も、みんなわたしのことを思ってくれる。

 それがなんだかくすぐったいくらい嬉しい。



「種を作ればよいのではないか?」

「種が実れば人間達は生活を共にしている」


 それは人で言う子供のことだった。

 やり方はよく分からなかったけど、里の女の子達は男に任せていればいいと教えてくれた。

 早速と実践してみようと思い彼に声をかければ、慌てふためいた彼はそんなことできないと断った。

 どうしてとわたしが問えば、彼は困ったようだった。


 わたしが花だから、できないの?


 そう問えば、今度は彼が泣きそうになった。

 結局、よくわからないまま終わった。

 互いにすり寄って、熱を分けて、ただ一緒にいる。

 人間の子供がどうやってできるのか知らないが、わたし達花や虫とはどうやら何もかもが違うようだった。


 それでも、少しでも彼と一緒にいられる理由が増えるのは嬉しかった。



「妹さん?一人で歩いて大丈夫なの?」


 初めてあった人に突然声をかけられた。

 彼が仕事をしている間、あまりに暇で外に出れば里には珍しいお客さんが来ていたようだった。


「大丈夫よ」


 一言そう返せば、その人はほっと息をついた。

 初めて会うのに、何がそんなに心配なのかしら?


「お兄さんは?」

「仕事よ」


 意外そうに驚いた顔を向けられ、だんだんわたしはそれに腹がたった。

 あの人が仕事もしないような人にでも見える?


「じゃあ最近はどうなの、恋人さん」


 何を言っているのか、分からなかった。

 今、その人の話をしていたじゃない。どうして呼び方を変えたの?


 からかわれたんだと、そう思ったけどやっぱり変だった。

 相手も「あれ?」と首をひねる。お互いに頭の中が疑問だらけだった。


「妹さん、本当に元気になったんだよね?」

「なったもなにも、わたしはずっと元気よ」


 何を言ってるの、初めて会うくせに。

 そんな気持ちで返せば、相手はこれまた驚いたような顔をする。


「…………君、妹さんだよね?」


 それは、これまで感じていたものとは違う、けれど似た違和感だった。

 この里の人達はわたしを見て「妹さん」と呼んでくる。人間と違って名前がないから、別にとあまり気にしていなかったけどどうしてみんな同じ呼び方なの?

 わたしがそんなにも彼に似ているの?

 髪の色も肌の色も違うのに、彼の妹に見えるくらい似ているの?

 みんな、わたしを見て「妹さん」と戸惑いなく呼んでくる。

 彼の恋人だと宣言しても、そうなんだと頷いて、それでも「妹さん」と呼んでくる。

 わたしはこのとき初めて気がついた。


 妹、とは彼の妹という意味ではなかったの?


「ねぇ教えて。あなたはわたしの兄を誰だと思ってる?」


 これまで、一度として気になったことはなかった。

 ずっと彼だけを見て、彼のそばに居られるようにと考えていたから。

 彼のそばにいられればいいと思っていたから。

 けれど、彼ではない人間を前に、わたしは気にせずにはいられなかった。


 彼のあの不器用な笑顔が、瞼の裏に張り付いている。


「本当に大丈夫?」


 相手は心配そうにわたしの顔を覗き込んでくる。初対面なのに馴れ馴れしい、とはもう思わない。

 そこにはなにか理由があるんだと、ただそう思う。


 そして、教えてもらった。お客さんにとって、みんなにとってのわたしの「兄」という人。そして、そんな兄がずっとわたしから守ってくれている「恋人」という人。


 そうだったんだ、と。自然と納得できた。

 空いた穴にピッタリとハマったような感じ。雨水が、空へと帰っていくのを見送ったときと、同じ気持ち。




「ねぇ、あなたはわたしが好き?」


 彼にそう問いかければ、彼は一度驚いたように目を見開いてまたあの不器用な顔で笑った。


「好きだよ。……ずっと、そばにいてほしいくらい」


 そこに、嘘はない。偽りはない。

 それがわかって嬉しかった。


「わたしも、あなたが好きよ」


 わたしも笑って返せば、彼はどこか安心したように肩を落とした。


「わたしは花だけど、それでもあなたが好きよ」


 わたしの続けた言葉に、彼が戸惑うことはない。

 だって、いつもと同じだもの。


「人間のあなたが、好きよ」


 変わらない。いつもと変わらない。嘘も何もない、本心。


「子供、作れなかったね」


 けれど、わたしが更に続けた言葉に彼は動揺した。

 それはどうして?


「もし子供というものが生まれてきたら、それは親に似るそうよ」


 彼は何も言わない。

 わたしが何を言っても、その垂れ下がる両眉が上がることはない。


「…………もしそれが生まれたら、どっちに似るかな」


 あなたに似ていたらうれしい。きっと、ずっとかわいい。

 あなた似の子供がわたしから生まれたら、それだけであなたのそばにいた印になる。


「あなたは、どっちがいい?」

「………………」


 わたしは彼の答えを待つ。ゆっくり待つ。

 そうすれば、彼は必ず何かを言ってくれるから。


「………………どっちにも、似てほしいよ」


 今まで、あなたと一緒にいられる理由がもっと欲しくて、たくさん欲しくてわたしは子供をねだった。

 彼はなかなか頷いてはくれなかったけど、それは生まれる子を思ってるんだと里の女の子達は慰めてくれた。

 ちゃんと、好きあってお互いに望んで、得られた子供が一番可愛いんだと、そう教えてくれた。


「作れなかったね、残念」


 最後まで、と口にしなくても彼には伝わった。

 彼は垂れ下がっていたはずの両眉を元の位置に戻し、本当に「あ」という顔をした。

 それが面白くてくすくす笑って見せれば、彼は今度は泣きそうな顔をした。


「ごめんね」


 ずっと、一緒にいられなくて。

 ずっと、あなたのそばにいられなくて。

 子供が作れなくて。


 ごめんね。


「…………嘘だ」

「嘘じゃないよ」


 もともと、花が人間になれることがおかしかった。

 わたしはただあの泉の力を借りて、お喋りができただけだった、ただの普通の花だった。


「嘘だ」

「嘘じゃないよ」


 彼をまっすぐ見つめて、わたしはずっと笑ってる。

 ニコニコはできなかったけど、どうにか口角は上がってる。


 不思議。あなたは普段、もっと優しい言い方なのに。


「嘘だっ」

「本当だよ」


 いつもより、声が大きい。いつもより言葉が荒い。

 それだけ、わたしに執着してるってこと。

 それだけ、わたしを好きでいてくれるってこと。

 それがわかって、わたしは心から笑える。


 ただの、花だったのに。


「…………嘘、だろ」

「嘘じゃなくて、本当だよ」


 彼はもう泣いてた。

 泣いてる彼を見ても、可愛いと思えるのはわたしがそれだけ彼を好きだったからだろう。


「あなたが好きよ」

「…………っ!…………オレだって、好きだよ」


 だからっ、と彼が続けたい言葉がわかる。

 すごいね、ずっと一緒にいると相手が何を言いたいのかがわかるなんて。

 不思議。何を考えているのかはわからないのに。


「…………どうして?」


 どうしたら、とそう聞こえる。

 変なの。おかしいな。

 彼が可愛く見えるのに、こんなにも愛しいのに。


 どうして、こんなに遠いんだろう?


 理由は、わかっていたはずなのに。

 わたしは花で、彼は人間なんだから。

 根も動かせないわたしは、本来なら人間の彼を追いかけることもできないのに。


 こんなに好きなのに。


「あなたが好きよ、大好き。ずっと一緒にいたいくらい」

「…………ならっ!」


 でもね、駄目なんだ。

 虫達が、教えてくれた。ヒカリが呼んでるって。


「あなたが好きよ」


 何回も、虫達は教えてくれた。ヒカリに会わないといけないって。


 それでも、わたしは彼から離れたくなかった。

 だから無視した。


「あなたが、大好き」


 こんなにも、ずっと。たくさん。あなたが好き。

 不思議なくらい、おかしいくらい。


「大好き」


 彼は泣くけど、わたしは泣かなかった。

 だって、泣くなんてもったいないもの。

 彼はもう、わたしの顔も見えていない。

 わたしはそんなの嫌だ。ずっと見ていたい。

 最後まで、全部見ていたい。


「わたしは花だけど、それでもあなたが好き」


 人間のあなたが。


「大好きだよ」


 茎色の髪が、風に揺れる。

 土色の彼の髪とは、全く違う。

 岩のような彼の手がわたしに伸ばされる。

 木々の声のように低いそれが、嗚咽を漏らす。


 ごめんね、とそう言おうとした。

 最後にそう言おうとした。


 でも、やっぱり駄目だった。


「好き」


 もう、それしか言えなかった。

 好き、あなたが好き。大好き。

 …………大好きだよ。



 ごめんねヒカリ。せっかく呼んでくれたのに。

 ごめんね虫達。何度も教えてくれたのにね。

 ごめんね、人間のあなた。………………ごめんね。


 それでも、………………大好きだよ。

 ずっと、たくさん。大好きだよ。



 わたしは花だけど、それでもあなたが好きよ。

 妖精って言ってくれてありがとう。精霊って言ってくれてありがとう。

 キレイって言ってくれてありがとう。かわいいって言ってくれてありがとう。

 好きって言ってくれてありがとう。

 そばにいさせてくれてありがとう。

 守ってくれてありがとう。

 好きになってくれて、ありがとう。

 救ってくれて、ありがとう。

 いつも、本当にありがとう。


 ごめんね。…………花で、ごめんね。

 ここまで追いかけちゃって、ごめんね。

 こんな形で、お別れでごめんね。

 花のくせに、人間に恋してごめんね。


 それでも、やっぱり、…………大好きだよ。

 本当に。


 みんなに妹だって言われても、一人でいるのを心配されても。

 あなたは謝るかもしれないけれど、わたしは嬉しかったわ。

 だって、そのおかげでわたしは大好きなあなたと、こんなにも近くにいられたもの。

 最後まで、そばにいられたもの。


 ごめんね。優しい人間のあなた。

 ヒカリは、多分わかってたんだろうな。

 優しいヒカリは、わかっててそうしたんだろうな。

 ヒカリはあなたに謝れないから、わたしが代わりに謝るわ。


 ごめんね。こんな姿で、あんな形で、あなたに会いに来て。

 あなたの優しさに甘えて。

 知ったあともずっと、あなたに甘えて。

 ごめんね。


 ごめんね、本当の恋人になれなくて。

 ごめんね、たくさん無茶を言って。

 ごめんね、ずっとそばにいてあげられなくて。

 そばにいるって、言ったのにね。

 そばにいたいって、言ってくれたのにね。


 大好きで、ごめんね。


 それでも、


「大好きだよ」



 不思議。不思議よね。

 貴方が、気になってしょうがないの。

 こんなにも、好きで仕方ないの。

 大好きで、たまらないの。


 フワフワで、トロトロで。

 不思議でいっぱい。

 わたしは花だけど、それでも


 人間のあなたが大好きよ。




 わたしは名も無い花。人間に恋をした、ただの花。


(許して)

最後までお付き合いくださりありがとうございます。




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