十九年目 布哇
この物語はフィクションです。実際の団体、個人などとは一切関係がありません。
また、連載小説という形態をとっていますが、作者は気まぐれなため続くかは未定です。もしも楽しみにしていてくださる方がいらっしゃいましたら、申し訳ありません。
青い空、白い砂浜、常夏の風、アロハオエ。
一同はハワイに着いた。バッツの本拠地の近くにも、直接ハワイに接続できる空港はある。しかし家族も連れ立って行く関係上、一度東京に移ってからハワイに向かってフライトをする行程となっていた。
東京から大体八時間弱。夜中にフライトを開始。機内食を食べた後、向こうに着いた時にすぐ動けるよう、仮眠をとる。
今回の旅行では両親も連れて行こうかと思ったが
「去年、行かせてもらったからいいよ。実ちゃんと陽人、貴也をその分楽しませてあげて」
と断られたので、実と子供二人を連れていくことにした。
現地時間、八時ごろ。ハワイに到着。
去年も感じたことだが、日本とは空気が違う。風がよく抜けていく感じがする。
手荷物を持ち、貴也を抱えて空港のラウンジで自分の荷物を待つ。陽人は実に手を引かれて、他の選手の家族たちの輪に加わっていた。
自分は一対一での会話はできても、大勢の中に入って馴染むことはできない。この辺りは実たちの方が慣れている。
「あ、監督。荷物待ちですか」
横に倉野さんが立ち止まった。明るい水色のアロハシャツを着ている。
「俺のは、もう有るんだがな。おふくろのがまだなんだよ」
「お母様のですか。輸送ミスなんかだと怖いですね」
倉野さんが「縁起でもないことを」といった具合に溜息をついた。自分の一言が現実になる可能性は、無いわけではない。それに自分にも、そういった難事が起こらない保証がないのが怖い。
「お、きた」
しばらく待っていると、先に自分と実のバッグがレーンに乗って運ばれて来た。自分のバッグは暗めの赤で、実のバッグは黒に白いラインで縁取られている。
「お前のが先に来たかあ」
少し残念そうに、倉野さんがつぶやいた。
「自分のは来ましたけれど、監督のお母さまのがまだですから。一緒に待ちますよ」
「ああ、そうか?なんか、世話掛けるな」
次々と運ばれてくるバッグを眺めながら、それぞれの家庭のことを話した。
倉野さんの父親は、プロ入りしてから暫くして亡くなった。それからというもの、独りになった母親のことを案じて、実家に帰れそうな時は必ず帰るようにしていた。倉野さんのそういった感情の機微は、自分が一軍に出るようになってから面倒を見てもらっていた分、よく分かった。
「もう、おふくろも70中盤だしな。今年も無理に連れてきたよ」
最後に加えたこの言葉は、時間を惜しむ気持ちが滲んでいた。
「貴也くん、だったっけ?」
少し湿っぽくなってしまった空気を、もとの旅行気分に戻そうとしたのだろう。自分の腕の中で眠っている次男の名前を訪ねてきた。
「そうです」
「そうか。陽人くんはだいぶ明るく育っているようだからな。貴也くんも、そうなると良いな」
倉野さんが目を細めながら新鮮な空気に触れて、はしゃいでいる陽人を見ている。
「倉野さん、お子さんは二人とも上京先で頑張ってるんですよね」
「うん。二人とも、あっちの大学で勉強してるはずだ」
「寂しいですね」
「そんなことあるか。独り立ちしてもらわないと困る」
「もう少し若かったら、二人ともハワイだったんですかね」
「そんな心配しなくても、今頃向こうで友達と遊んでるんじゃないか」
同じように二人の子供を持っているといっても、倉野さんのほうが腰が据わっている。まだまだ自我が希薄な幼子を持つ親と、自我をしっかりと確立した青年を見た親との差だろうか。
流れてくる荷物の中に、茶色いキャリーバッグを見つけた。
「お、やっとか…」
倉野さんは力が抜けたような声を出した。なんだかんだ、三十分くらいは待ったと思う。
そのキャリーバッグを手に取り、
「付き合って貰ってすまんかったな」
と右手で挨拶をした倉野さんは、母親のもとに向かって早足で歩いて行った。
自分も、その背中を見送った後に家族のもとへ向かう。
「大分、時間かかったね」
実の声は、少し不機嫌そうだった。
「ごめん。ちょっと、人付き合いでね」
「ふーん、そう。ほら陽人、いくよ」
実は自身の荷物を受け取ると、陽人の手を握った。自分もバッグを持ち上げて、続々と移動をし始めた優勝旅行メンバーの後に続いて、空港のターミナル内を進んでいった。
四日目は、ゴルフコンペよりレジャー。去年に続き、今年もそうすると決めていた。
シーズン中は家を離れることが多く、家族と一緒の時間を大切にしたいという思いもある。有るには有るが、ゴルフを以前にやった時、ビックリするぐらいに自分が下手だったという苦い経験もある。
一打ごとに「ファー!」という声が鳴り響いたあの記憶が、脳裏にこびりついているのだ。
ゆえに、自分はいま海にいる。去年は山の中を、案内を受けながらハイキングしたが、今年は海でバナナボートに乗る。ハワイ旅行は既に、三日目までの全体行動から各自で楽しむ段階になったと言って良い。
上半身は、裸にライフジャケット。下半身は白いサーフパンツ型の水着を履き、すでに手渡されているオールを持って待機している。隣には同じような格好をしている陽人が居る。
「陽人、言うことをちゃんと聞くんだぞ。怪我したら大変だからな」
「わかった。ママはお留守番?」
「貴也がいるからな。離れられないんだよ」
実は貴也と一緒に、ビーチに差されたパラソルの下で海を眺めている。
貴也を膝に置き、育児用のグッズが入った入れ物を横に置いて、新調した濃紺の水着を着こなし、白いブラウスで肩を覆っていた。
そうして座っている実を見つけた陽人は、残念そうな顔をしている。
「斎藤さん、準備ができました。どうぞ」
海岸に停留してあるバナナボート。陽人は堪えきれなかったようで、砂浜を走り出した。離れすぎてはまずいと、自分も走ってその背を追った。
指示に従い、ボートに跨がる。陽人を前に座らせ、自分は後部に座る。
「じゃあ、いきますよー」
ボートが押され、奥に見える沖に向かって舳先が進んでいく。波に合わせてグラグラと揺れる船体。陽人が落ちると怖いので、視線を常に向けて注意を払う。
もうそろそろ、漕ぎ始めて良いだろうか。
「陽人、漕ぐぞ!」
我が子に合図を送ると、オールを使って波を搔き分けていった。
陽人が右を漕げば、自分は左を。陽人が左を漕げば、自分は右を。彼の表情は見えない。背中だけが見えているが、楽しんでいるのはすぐに判る。大きく、速い動きは、夢中になっている証だろう。
自分も、陽人の「速く前に進みたい」という欲求に応えようと、体全体を使って水を運ぶ。それでも波がひとつ来るたびに、後ろに流されてしまう。
(挑んでる感じがするなあ)
自らの子に影響を受けているのか、童心に帰っていくのが分かる。勝手に挑戦者になって、波に負けまいとして、必死に漕ぐ。体を動かす事に夢中になりすぎて、息切れしているかもわからない。
岸の方向を見ると、思っていたよりも沖に離れていた。帰岸しなければいけない時間までは、まだある。
(さっき、残念そうな顔をしていたよな)
その表情を思い出し、陽人に「岸にいったん戻ろう」と言った。
彼は遊びの時間が終わると思って反対したが、自分はまだ終わるわけではないと説明して、一緒になって、また漕ぎ出した。
陽人が一生懸命になって漕いでいる。自分は真っ直ぐと岸に向かっていくように、舵を取るように左右を切り替えた。
岸に近づくと、レジャースタッフが声をかけてくる。
「まだ早いですけど、終わりますか?」
「いえ。子供はこのままで、私だけ交代したいんです」
今回、レジャーは家族四人で登録してあるから、誰と交代したいのか、というのはすぐに検討がついたようだ。
「わかりました。ボートは繋いでおきます」
「すみません、お願いします」
ライフジャケットをスタッフに預け、軽く走りながらパラソルの下に座る実に近づいた。
「早かったね。陽人、楽しかった?」
「うん、楽しいよ。おかあさんも一緒に乗ろうよ」
陽人は手を組んで、実に笑顔を向けた。自分も膝をついて、目線を合わせると
「今度は実が行ってきなよ。貴也は自分が面倒見てるからさ」
と持ち掛けてみる。自分はそんな柄じゃない、といった様子で少し唸った。
「陽人も、実と乗れないのをちょっと残念がってたしな。ボートは繋いでもらっているから、早く行かないと取られちゃうぞ」
予約制で、時間で決まっているボートが取られる訳がないが、少し急かす意味も込めてそう言ってみる。すると実は、陽人の顔を見て
「陽人。行く?」
と問いかけた。陽人はまっすぐ目を見て、コクリと首を縦に振る。
「じゃあ、いこっか」
実が優しい口調でそう言うと、貴也を夫である自分の腕に預けてから、立ち上がった。
「行ってくるね」
ほんの少しの微笑を持った顔でこちらを振り返った後、ボートを繋留している護岸に向かっていった。
そのあと、彼女は自分よりも長くボートに乗っていたかもしれない。海の潮で全身を濡らした二人が帰ってくると、陽人は少し疲れていたが、実は晴れやかな表情に見えた。
「おかえり。どうだった?」
「陽人がはしゃぎ通しで大変だったよ」
「大変だった割には、実の方が元気そうじゃんか」
揶揄ってみると、満足そうな笑顔をしつつも、肩を小突いてきた。
五日目の昼。昼ご飯を食べる目的もあって、散歩がてらに家族四人で街中に出た。
陽人を肩車をしながら歩いていると、隣にいる実が道の向こう側を指す。
「あそこ、美味しそうじゃない?」
目線の先にはパンケーキを模した看板。人の列は、その隣に建つファストフード店に吸い込まれているが、店の中にはそこそこ人がいる。ただ
「昼飯に甘いの食べるのか?」
自分はその疑問を正直にぶつけてみた。ご飯派ではあるが、ハンバーガーならいける。ただ、もしもホイップクリームが盛られたならば、いけない気がする。
「メニューだけでも。良いでしょ?」
そう言われると断り辛いので、横断歩道を渡って、例のパンケーキ店の前に立つ。店頭にメニューが張り出されていたりはしない。
(仕方がない)
中に入って、カウンターにあるメニュー表を見てみる。すべて英語表記だが、理解できない程のものではない。そうしていると、奥からこの店のスタッフが出てきた。
おそらく「注文は?」と訊かれたのだが、メニューに注意が向いていたせいで、動揺が走った。
「ソーリー…アイ ウォント モア ミニッツ…」
ぎこちない笑顔で言葉を返すと、店員に
「ok」
と言われたあと、カウンターの下にあったメニュー表の写しを手渡された。他の人の邪魔にならないようにと、端に寄ってそれを開き、頼みたいものをひとつずつ指さしていった。
アボカドベーコン、ベリーベリー、チョコホイップ、オニオンスナック、アイスティー、コーヒー、アップルジュース。
それぞれカウンターで頼み終えると、四人掛けができるテーブルを見つけて、そこに着座する。
待つこと十五分。テーブルにパンケーキとドリンク群が運ばれてくる。
アボカドベーコンは、角切りのアボカドとカリッと焼かれたベーコンの他に、付け合わせとして色鮮やかなレタスサラダが付いている。
実の頼んだベリーベリーは、高く盛られたホイップクリームにベリーソースがかけられ、イチゴ、ブルーベリー、クランベリーが散らされている。付け合わせにはバナナとミント。実が好きそうな見た目だ。
陽人が選んだチョコホイップは、うず高く盛られたチョコ味のホイップクリームにチョコソース。バナナとバニラアイスが付け合わせとしてついている、なかなかインパクトのある見た目。確実に陽人は食べきれない。
サイズが全体的にアメリカナイズされている。パンケーキも、ドリンクも、日本人の感覚だとかなり大きい。しょっぱめのオニオンスナックを注文しておいて良かったかもしれない。
「それじゃ、食べよっか」
いただきます、と声を揃えてからパンケーキにナイフを入れた。
六日目。明日の夜にはもう、日本についているはずだ。少し口惜しいが、ここまででだいぶ楽しい時間を過ごせた。五日目まででだいぶ外の世界を楽しんだので、六日目はホテルの中を中心に、ゆっくりと過ごすことにした。
(しかし、昨日の昼は大変だったな)
パンケーキを頼んだのち、自分の分を食べるのは何ともなかったが、残してしまった陽人のパンケーキを食べるのに苦労した。
(しばらく食べていなかったから、味覚が変わったんだろう)
子供の頃は好きだったはずのチョコレートが、まさか苦手になっているとは思わなかった。いや、もしかしたらチョコではなく、あのとんでもない甘さが原因だったのだろうか。
(嗚咽しながら甘いパンケーキを食べる羽目になるとは)
サイズが大きい分、食べなくてはいけない量が多いのも辛かった。店を出た後に、近くで腰かけられるところを見つけて、しばらく休まないといけない程度には。
シーズン中には無い、ぼんやりとした時間が過ぎていく。ベットの上で寝転がっていると、天井にプロジェクターを向けたようにして、今回の旅行で得た情景が浮かんでくる。
体が揺れた。横を見ると、実が本を片手にベッドの縁に座っていた。
「実も、今日は外に出ないのか」
「ここまでずっと、はしゃいでいたからね。読もうと思っていた本も読めていないし」
「そうか…あれ、陽人と貴也は?」
「向こうの部屋にいるよ。陽人が、貴也の面倒は見てるからって」
「頼もしいようで不安だな。ご飯は食べた?」
「もちろん。あとは陽人がどれだけ頑張ってくれるかだね」
そう言うと、本をめくり始める。
部屋が静かになった。紙の擦れる音が、よく聞こえる。陽人が貴也に絵本を読んであげているのだろうか。楽しそうな声がする。
あれくらいの年齢なら、しっかりと育て上げようとか、守らないといけないとかよりも、親を模倣できる自分に満足するのが常だろう。でもそれが、人間としての一歩になる。
楽しそうな子供たちの声と、何も言わずに一緒に居れる実との関係性。
(こういうのも、良いな)
緊張とはかけ離れた、この場がかけがえもなく、そして羨ましかった。
十九年目
571打席 518打数 148安打 .286 17本 90打点 (一軍)




