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十七年目 不安

この物語はフィクションです。実際の団体、個人などとは一切関係がありません。

また、連載小説という形態をとっていますが、作者は気まぐれなため続くかは未定です。もしも楽しみにしていてくださる方がいらっしゃいましたら、申し訳ありません。

 グラブにボールが吸い込まれる。乾いた音が、鳴り響く。

 試合前のノック。少しでもボールに対してのアプローチを確認したいという考えと同時に、体をしっかり温めてから試合に入りたいという気持ちがある。

 今年で十七年目。いくら高校から入ったといっても、既にベテランと呼ばれる域に入っている。まだまだ自分は、若い選手に打ち負かされるような衰え方はしていないと思っている。ただ、数年前と比べると体の動きが鈍ってきているような感覚もある。

 去年の成績は、今までで一番良い成績だった。しかし、オフにシーズンを振り返ってみたときに、ふと

 (これから、落ちていく)

と、微弱で曖昧な不安が脳裏を走った。

 幸い、この不安が周囲に漏れ出ていた様子はない。チームメイト、首脳陣、裏方、そして家族に至るまで、これまでとは変わった反応を示していない。

 試合準備が始まるまでの時間、しっかりとノックを受ける。丁寧に、丁寧に。

 自分がチームの一員として、そして選手としてグラウンドに立つ以上は、粗雑なプレーをすることは許されない。

 周りにいる選手たちは、キャンプ中のように泥だらけになるような受け方ではない。それは自分もそうだが、その分、全ての動きに神経を集中させる。向かってくるボールに対しての動きの合わせ方。イレギュラーに対しての対処の仕方。他の選手との連携。ランナーに対してのアプローチ。ただボールを捕って投げるだけでは、ノックではない。

 打球が来た。ゴロだが、速い。滑るようにして飛んでくる。ボールを待ち受けて捕球態勢をとった。自分のすぐ手前に来た瞬間、いきなり弾んだ。それに反応してグラブを引き上げたが、間に合わなかった。前腕に当たり、体の前に落ちた。すぐにそれを取り上げて、返球した。

 グラウンドを見る。跳ねた所が少し荒れていた。

 (注意を怠っていたか)

 気付けたはずだ、と自分を叱った。こういうことを続けていかないと、これからは衰えていくしかない。

 打球を受け続けていると、練習用の器材が撤収されてる時間。

 今日の試合の為にグラウンドが整備される裏で、選手たちは各々が自由に体や気分を整えていく。自分は、念入りに体を動かした影響で搔いた汗を流すために、シャワールームに入った。

 汗を流し、ユニフォームに着替えて、ロッカールームで着座していると、庄司しょうじが近づいてきた。

 「斎藤さん、感触は掴めました?」

 「キャンプからやってるから、だいぶ。庄司から見て、どうだ?」

 「特にやり難さは無いですよ。反応が良いから、自分が動き回らなくて良いのが…」

 「楽か?」

 「はい」

 庄司がやんちゃな笑顔を見せた。自分の思っていることを隠せないタイプだが、愛嬌があると同時に、評価には彼なりの公平さがある。それだけに、彼の発言には皆が耳を傾ける。 

 「今日は頼んだぞ。難しい球は勘弁な」

 少しだけ、言葉でちょっかいをかけてみたが

 「任せてくださいよ!」

と臆面もなく答えた所も、また彼らしかった。

 「斎藤さんの一塁手デビュー、僕が支えます!」


 昨シーズンは優勝した。だが、CSクライマックスシリーズで敗退した。

 悔しいシーズンだったが、秋季キャンプへと気持ちが早めに向いたことが、今回の決断の一助になったように思う。

 一昨年から打率だけではいけないと、長打力を強化する方向に舵を切った。それは結果的に成功と言って差し支えない。

 それまでのスイングを見直し、高い出力を無駄なくボールに伝えていくものに切り替えた。

 打率こそ低下したが、それまでフェンスを越え切らなかった打球がスタンドに入るようになり、本塁打数が倍増した。それに伴って打点も増え、強力なバッツ打線を中核として支えられるようになった。

 ただ、こういった打撃を二年も続けていくと、体へもその影響が跳ね返ってきた。

 右膝にある古傷がうずき始めたのである。

 今の段階ではそこまで影響はないようにも思う。だが、すでに違和感が出始めているのだから、これから障害として現れないという保証はない。

 年齢のこともある。長く体を酷使してきただけに、膝に限らず、もうそろそろガタが来ることも解っていた。

 だからこそ、トレーナーとも相談して自分の体のケアをより入念に行うようにした。

 怪我をしないこと。そして、それによって離脱をしないこと。それは今の自分にとって、大切なことだった。

 整体院から帰り、家のソファーに座った。

 一週間後に始まる秋季キャンプ。そこで自分は何を目標として設定するのか。何かを変えなければいけない。ならば、何を変えるのか。

 ふと、家の衣装棚を開けて、そこに仕舞ってあった箱を取り出した。

 WBCに向けて「ポジションに可塑性を持たせるために」という理由で入手したファーストミットが入っている。

 箱から取り出して、左手に嵌めてみた。シンプルな黒一色のミットだった。

 (これだな)

 思い立った瞬間、コーチに連絡した。夕方、特に食事時でもなかったお陰か、すぐにコーチは電話を取ってくれた。

 「倉野くらのさん。今、良いですか?」

 「ああ、別に良いけど。いきなりどうしたんだ?」

 「ファーストに挑戦したいんです」

 「ファーストか。お前ほど打ってる選手が、わざわざか?」

 「もちろんです。年齢のこともありますし、一つのポジションだけってのもキツイですから」

 少しの沈黙があった。

 「そうか…まあ、上とも掛け合わないといけないから。それから後にはなると思うけど、やる気があるならちゃんと準備しておけよ」

 「はい。ありがとうございます」

 「ミットはあるのか」

 「あります」

 「そういえばWBCの時にやってたな。あと了解を得たとしても、秋季キャンプでは外野だからな。居残りぐらいでしか受けられないぞ」

 「はい、贅沢は言いません」

 電話口から小さく笑っているのが聞こえてきた。だが、すぐに声色が変わって

 「斎藤、もしかして膝がかなり悪いのか?」

と聞いてきた。

 「いえ、悪いってわけでは無いんですけれどね」

 「そうか。それなら良いけど」

 この電話で、「掛け合う」という確約をとった自分は感謝を告げて、電話を置いた。

 電話をしている間、ずっとファーストミットを嵌めていた。目線も常に、ミットに置いていた。使った回数が少ないせいで、自分の手に馴染んでいる感じがしない。

 入手した時にしっかりと叩いて貰ってはいるが、やはり使わないことにはどうにもならない。

 秋季キャンプ、自主トレ、春季キャンプでしっかりと使い込む。自分も、一塁手として仕事ができるように体を仕上げていく。そうして初めて、試合に出られるようになる。

 左翼手というポジションを完全に手放すわけではないが、同時に一塁手というポジションの争いに加わっていくことを思うと、今までよりも心に張りが出てきた。


 一塁手としての最初の試合を迎えた。バッツのホームで行われる試合だけに、派手な演出の中、綺麗なグラウンドへ向かって選手が走っていく。

 ロッカールームで話した庄司は、名前が告げられると同時にセカンドのポジションへと走った。

 次が自分の番だ。スタンドに対してサイン入りのボールを投げ込み、場に促されてファーストベースへ向かう。着くと同時にボール回しが始まった。

 セカンド、ショート、サード。最後に、キャッチャーから投げられたボールを内野で一周させて、投手に返す。

 準備していたドラゴンズのトップバッターが、右打席に向かう。野手が皆ポジションに就き、投手がプレートに足を置く。

 場が整ったことを確認して、球審がプレイを宣告した。

十七年目

 586打席 497打数 151安打 .304 22本 97打点 (一軍)

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