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第96話 ミスタースチームクレイジー

 汚染地域(リヒトン・リージョン)の出口は、入り口と同じ、キルゾーンだ。あの鬱陶しい纏わりつく熱を思い出すと、それはわたしの中で帝都の蒸気の温かみへと変換される。もう、あと少しかと思うと目の前にあの蒸気の城が蜃気楼に紛れて見えてきた。


 保護空間が揺れる。


 また、これだ。自分がどこにいるのか分からなくなる。耳の三半規管が悲鳴を上げているのか、それとも、脳か、脊髄か。


〈大丈夫か〉


 わたしの耳から声がする。わたしの進化の温床となった防護服は空間の上書きで消滅させざるを得なかった。そのため、わたしの耳にはヴァルターの魔術で交換した会話用の機械が装着されている。それに、声を拾う機能もあるらしい。


〈目がやられたのか?〉


 目? そうか。目かも知れない。受け入れる視界の情報が歪み、空間も歪んでいる?


 イムとその防護服が、両腕に強く重量を伝えている。左腕は空間で出来ているから大丈夫だけど、右腕の方は骨と防護服に挟まれた肉がリンゴみたいに搾られていた。


 痛いという感覚すら、痛みで曖昧。何処から出血したかわからない血液でバイザーの内側が汚れていく。


「目はダメ。案内が欲しい」


〈分かった〉


 あと少し、あと少しだ。だが、運命はわたしを必ず殺す為にあった。


「ヴァルター……! 後ろの上空の空間が破壊された、何か来る!」


〈了解〉


 彼がわたしとイムを素早く縄で結び、疎林の木へ結び付け前へと飛んだ。その木へ引き付けられながら、身体が悲鳴を上げる。そのうえ、木に引き付けられている途中で、襲撃者の攻撃か、広範囲の大地が爆発し、衝撃に包まれる。縄が千切れた、わたしの体中の組織がぐちゃぐちゃにされながらどこかに跳ね飛ばされていると自覚した。


 わたしの空間を破壊できるのは、わたし自身の光を伴う拳と魔術師の防御魔術だけだろう。つまり、自らを投石するような馬鹿が飛んできたのだ。それも、王国から帝国に最も近い場所までひとっとび出来るやつが。それができるのは、サージェだけだが……


「ヴァル……ター?」


 爆発による粉塵と、目のダメージで前が全く見えない。この離さなかった重さだけが確かだ。ベッドで二人で寝そべった時のように、わたしの片腕にかかるこの重さが命だ。わたしがそれに覆いかぶさると滑りけのある液体と、金属質の感触がわたしとイムの間でぐるぐるする。周囲のリンクズモドキが衝撃で吹き飛んだのだ。


 辺りでそれらを踏み砕く音が微かにもしないとなると、周囲で動いているものはないのだろう。出来ることはヴァルターからの返答を待つのみだ。


 周囲を高密度の空間で遮断し、少しだけ穴を開けた。酸素と音が通るだけの小さな穴。汚染地域(リヒトン・リージョン)の高温度が、血液を失い冷めた体に染みわたる。


 もし、この空間が襲撃者に見つかってしまえば、イムも、わたしも死んでしまう。近づかれた場合、残された手段は、圧縮爆弾で自決かどうか一か八かの勝負を仕掛けるのみだ。そうはならないよう、壊れかけの神経をあの穴に向けて、粉塵のぱらぱらと落下する音に耳を澄ました。


 一分、二分、待っても、ヴァルターからの返答が来ない。考えられるのは、その機能が壊れたか返答できる状況にないことだ。


 わたしがどうにかするしかない。


 何だろうか、何が起こったのか。龍の子機に狙われたか。いや、だとしたら空に浮かべていたダミーを先に狙うはずだ。到達種か? いや、空からだ。汚染に耐える金属をまとって、龍の子機を掻い潜れるとは思えない。それに、確実にわたし達を狙っていた。アァ レウェの一手だと考えるのが自然か。サージェがこの期に及んで寄生されていたら、ぼこぼこにしてやろう。


 だが、この熱はなんだ。衝撃前よりも温度が急上昇している。サージェの光は熱を伴うだろうが、このようなゆるやかな上昇ではないだろう。もっと、確実に仕留めることができるはずだ。つまり、サージェではない。全く知らない誰か、それも特務に並べる人間。三英五騎士の実力に近い。そして、その実力を持つ人間が怪しげな白色立方体を見逃すはずが無い。つまり、見逃されている。もしくは、今、視界は誰にも取れていない。着地による衝撃、それによる粉塵、この状況。温度は分からないが、いまはそう考えるのが自然だ。


 ヴァルターを呼ぼうとしたが、やめた。わたしの声か、向こう側の声が聴かれるかもしれない。どうする。敵は何をしている。一か八かで動くか? ヴァルターはわたしにどうして欲しい?


 いいや。わたしに出来ることは無い。空間を動かしたとしてもわたし一人ではキルゾーンを抜けることはできない。ただ、いまは耐えることが役目だ。粉塵はいつか晴れ、この立方体はすぐに見つかるだろう。それも、遠くない未来だ。だが、焦らず、耐えるのだ。ヴァルターと合流しなければ何もできない。


 わたしは、一瞬の身じろぎも許さず、痛みによる身体の痙攣すら押さえつけ、ただ耐えた。


 そして、何か音が聞こえた。爆発音だ。防護服の中まで響くような爆発音が遠くない場所で響いた。それは一度で終わらず、近場で、遠くで、連続して鳴り続ける。


 ヴァルターとやりあっているのか? でたらめに攻撃しているのか? だが、どちらにしろまずい。


 粉塵が晴れる。


 気配がする。近くに何かいる。音がしたわけではない。空間の中では世界の外で行われるすべてが鈍感だ。だが、ドアの前に誰かが立っていることが分かるように、五感から外れた何かがわたしに警告を出している。だが、今のわたしはこれがヴァルターだと祈るしかない。両手を合わせることはできないが、その代わりに圧縮爆弾を握り、イムへ祈る。これがヴァルターであれと。


 だが、わたしにはある考えが思いついた。今、敵はわたしを攻撃できないのではないか……?


 きらめいた勘が思考に基づかれる刹那。空間が消える。


「俺だ。動くなよ」


 ささやく声だった。だが、その声はいつもより鮮明だ。


「防護服がやられちまってな。脱いで、ここまで来るのに時間がかかった。悪かったな」


 よかった。本当に、自分の勘だけは信用できる。だが、良くないのは彼が防護服を脱いでしまったことだ。わたしを止めようとしていたヴァルターが抱いていたのはこんな気持ちだったのか。場違いに申し訳がなくなる。


 彼の声に焦りも緊張もない。だが、いつもより平坦で、文字をそのまま読んでいるようだった。それが、状況が緊迫していることを切に伝えている。


「そして、敵はドゥデ・ロッカー。三英五騎士の四席だ」


 少なくとも、あの人の心を知らない化け物の捨て駒にされたのは一人だけのようだ。思い出そうとしても思い出せない、不透明な男だったことを覚えている。三英を送らなかったのは渋ったのか、それともあの冴えない男が、わたし達ふたりを相手取るに十分だというのか。


 舐めてはいけない。覚悟をするべきだ。少なくとも、ヴァルターはそのために自らの未来を捨てたのだから。


「考えがある。ここから二メートル下の地中を消し飛ばして、俺たち三人を隠してくれ」


 返事の代わりに、地中に棺桶を作り、その蓋となる灰色の大地を浮かせる。わたし達を空間で運び、その棺桶に入り込み、ゆっくりと蓋を閉めた。周囲は完全なる暗闇となった。そして、地熱によって全方位から温められている。コンクリートの地面に触れているだけで、火傷しそうだ。


「あいつの魔術は?」


「蒸気だ。王国の紙の上でも、今視認した限りでも、蒸気を生み出し操作することで間違いない。奴が実力を隠していない限りはな」


 なるほど。ここまで到達した手段は蒸気の噴射だ。だから彼らも視界を確保できていない。そして、ドゥデは蒸し焼きにするために、わたし達を探す必要もない。


「どうするつもりなの?」


「正直、鬱陶しいことこの上ないからな。スマートにご退場願おう」


 ドゥデは謎の金属生命体を踏み潰していた。消毒するかのように真珠のような白濁した蒸気が足裏から溢れ、世界の霧を深めていく。彼は汚染の存在を知らず、知らされてもいなかった。そのため、ユウメらが装備していた防護服を奇天烈な生物からの防御手段のものと考えており、それを考慮して威力を上げた奇襲は、自害となってもおかしくないほどで、彼の薄くなった頭髪の隙間から血を垂れ流す結果となった。


「手応えは、感じた。どこだ……わざわざ、病欠を使う羽目になったんだ……結果がなければ……」


 彼の視界には、胴体が背方向にに九十度以上変形した防護服が確かに映っていた。


「あれは〈八位(シェパード)〉だろう……片方は人を抱えていた……後を考えなかった甲斐があったということだ……これで、私は、さらに五席と差を広げる……軍母(サー・マム)が死ねば、私が……一杯のコーヒーが、また旨くなる……」


 『ユウメ・エクテレウの心を折れ』そう、王から仰せつかった彼は、彼女を直接殺すよりもその仲間を殺して追い詰めたほうがその目的に沿っていると考えた。だから、ヴァルターへの奇襲を成功させたのは好都合だった。


「私たちは奴隷だ……社会の奴隷だ……コーヒーを蒸気に変えて動く奴隷だ……奴隷の奴隷……ならば、上へ、上へ」


 彼はネクタイを緩め、リンクズモドキの粘液に汚れた白シャツの一番上から三番目までのボタンを五秒かけて外した。手のひらを下に向け蒸気を吹き上げた。許される限りの上空へ。忠告された龍の子機に狙われないまでの高度へ。水蒸気が急激に膨張する爆発音が散発し、焼き殺すための土壌を整えるとともに自らは上空へと吹き上がった。


 蒸気の供給出力が上がるとともに、水蒸気爆発による爆音とはまた別の、いや、比べ物にならない連続した台風のような爆発音を聞いた。


 これはドゥデが起こしたものではない。彼の興味が、狩りの邪魔を察した野獣のようにそれへと向いた。


 謎の爆発はそれほど離れていないところで起きたものだった。爆発の煙は、帝都の方へと伸びている。そして、煙の指先がさす場所に凄まじい速度で飛んでいく一人の人間と防護服が見えた。

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