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第88話 決着

 ……ズグロ、次死んだら私に体を貸せ。


「嫌だ。こうなったら意地だ。あの女をぎゃふんと言わせるまでは付き合え」


 ……君は私の最初の友達だ。いっぱいお願いを聞いてくれたが――こればっかりはだめだ。特異点を使え。それでだめなら、もう勝ち目はない。せっかく集めた魔力が無駄だ。


「おいおい。俺が集めたのはそんなもんじゃないだろう。まだ百回はいけるはずだ。お小遣いをちょろまかすんじゃねぇ」


 ……私は得体の知れない彼女が怖いんだ……寿命の無い生物が存在しないように、因子の無い生物は存在しない。私が関与できないものは存在しないはずじゃないか。だというのに……。バターを塗ったトーストは必ず最悪の形で落下する。彼女は、私にとって、そのトーストを回転させる何かなのだ。だから、彼女は溶けて消えてもらい、私はバターの乗ったトーストを食べなくてはならない。別に、食べたい訳でもないが。頼むよ。ズグロ。


「そう怯えられると、気の毒になってくるな。そうだな、認めてやる。あいつの護りは最強だ。もう、特異点しか俺の矛は残ってねぇ」


 ……そうだ。なんなら、人の領域にこだわる必要さえない。君を何人にでも増やせばいい。同時に百人で襲い掛かれば……


「嫌だ」


 ……何故だ。君はもう人じゃない。腕だって三本だし、死んでも生き返る者を人は人と呼ばない。今更それにこだわるのはおかしい。キングを百体用意して、ズルだから代わりにクイーンを動かさないって言ってるようなものだ。


「そのおかしさを、人はプライドって呼ぶんだぜ。これは、俺のプライドだ。マジで悔しいが、俺には意志があるってことだ。俺が俺であるうちに、アイツに勝つ。――特異点を防がれたら、俺の負けだ」


 ……いいだろう。そのときは、私の番だ。


 空は未だ青い。


「まだ、あんなのじゃダメだな……」


 握りしめたフクロウの羽根は押し花のようになっていたが、それが羽だと思えるくらいには原形を保っている。そのために握ったわけでは無かったが、十分な一撃にはやはり足場が必要だというパラメータになった。


 それに、自慢できるほどの威力じゃない。


 ユウメはあの一撃が、父の一振りに近づきつつあると確信する。まだ、並び立ててもいないだろう、あのひと振りは一文字の光で人体の全てを消滅させたのだから。


 もっと見せつける必要がある。星には手が届かないと知らしめる必要がある。わたしの魂を砕くことは出来ないと、彼の魂に刻み込む必要があるのだ。


 生きるために空へ昇った。


 生きるために拳を握った。


 そこに恨みの一片も無いと言えば嘘になる。だが、恨みだけを握ったと言えば、それも嘘になるのだ。全てを焚べている。拳を握らせる全てを薪として焚べているのだ。


 だが、足りない。あの男を墜としきるには、わたしだけの純粋な生存欲では足りきれない。


「だから、死人としてじゃなく――友達として」


 この拳を、一緒に握ってくれ。


 青い空に黒が混じる。四度目の再生。それは頭から始まった。生物の青図が存在するが如く、頭蓋骨から骨が生まれ頭蓋骨から生まれる白骨が人の骨を成した。肉が埋まれ、肋骨が見えなくなる。両腕二本。黒翼一対。槍を捨てたのだ。


 言葉は無かった。


 ――特異点


 ズグロが黒い渦を纏うと同時に、ユウメは前へと走った。彼女にとっての前とは上空であり、ズグロ・ピトフーイのいる方角だ。


 青空の中で色の無い階段を駆け上がる姿がズグロには見えていた。その迷いのない姿に、彼は安心感すら抱く。期待通りだったのだ。この矛を真正面から打ち破らなければ、自身は負けを認めない。それが彼女に伝わっていることに、初心に安堵した。そして、絶対の自信が勝ちを確信させる。天帝の娘さえ、本物の天才でさえ、この絶望の渦を突破することは出来なかった。それが、ただの空間でさえ溶かされてしまうユウメに何ができるというのか。


「いいや。お前は俺を超える。その目は――俺が認めた目だ。だから、お前は俺を超える。だが――その更に上を、俺は飛ぶ」


 彼女にその素質を見たからこそ焚き付け、煽り、殺し回ったのだ。全ては、この一瞬の為に。好敵手を育て上げ、超えるために。


 この空で飛び続けたものが進化の象徴だ。世界が、因子が選んだ未来なのだ。


 ユウメの周囲で歪んだ空気が廻り始める。ユウメを恒星とした圧縮空気の数は九つ。常人ならば一発で粉々になる殺意の塊が九つも彼女を護っていた。


「特異点――」


 更に空間が歪みを増す。ユウメはひとつの新たな圧縮爆弾を作る魔力を、既存の空間の再圧縮に回した。必殺の爆弾は、かつて人類がそうだったように、必要以上の殺意を持って殺傷性を高めていく。


 全ては、あの黒い渦を打ち破るために。


 ズグロの周囲の黒い粒子が、彼を囲むように、ドーナツ状に展開され、海に浮かぶ渦巻きのように面積を広げていく。それは底の見えない黒であり、光すらも溶かす黒である。二人の視線は、交差したままその黒に溶かされた。


 膨張を始めた渦が空の一枚絵に穴を開けたような黒となる。その回転には、漆黒の羽根と黒い線虫が見え隠れし、太陽の光が入り込む余地の無いほどの圧倒的な密度で膨張する。エネルギーを圧縮し、そしてそのエネルギーで膨張する。そこに巻き込まれたものは、死を知覚する間もなく、存在を消されるだろう。


 ユウメは九つの再圧縮空間に、さらにもう一つ分の余剰魔力を使いその全てを一まとめにした上で更に圧縮した。空気の塊が重さを感じさせるほどの圧縮率を越え、あまりの魔力のつぎ込みにより彼女の色が浮かび上がり、それは白塗りのサイコロになった。


 サイコロは浮かび上がり、蕾となる。彼女の頭上にこれまでにない大きさの花弁が現われた。もうひとつの太陽である。歩を止めたユウメが右腕を指して方向を指示した。花弁の一枚一枚が城のような大きさのそれが開花前のように畳まれ、蕾を隠した。


 迫りくる渦。黒い渦。彼女はそれを前にして、これがただ、ズグロを殺すだけの戦いではないことを知る。その渦は、今までユウメを取り巻き、苦しめ、絶望させ、恐怖させたとりとめの無い何か。見えず、存在を知ることは出来ない何かが顕在したものだと。ユウメはそれに意味を与えた。それは、時計であり、生命であり、人類であり――運命であると。自らが絶対に打ち破らなければならない、絶望だと。


 憎しみが呼び起こされ、母を、姉を、学園を、友達を、恋人を、自分を殺した悪魔を、殺せと叫ぶのだ。打ち破らなければ、お前は死ぬと。しかし、ユウメは、この蕾に更に魔力をつぎ込もうとしたが。


――やめた。


 思い起こされるのは、自らを叱咤激励した友達の姿だ。


「わたしは弱い。だから、力を貸して。カッツィ」


 絶望の渦が止まった。


「特異点――」


「特異点――」


 ――『致死の渦巻き(メイリアス・モルタル)


 ――『一心爛漫(ラヴ・カメリア)


 絶望の渦が彼女に向けられた。ゆっくりと回転を始めたそれは、廻り続ける人間の運命のように速度を上げる。歴史を消し去る滅びの渦がゆっくりにも見えるように、超常的な回転速度を有したそれがユウメを消し去らんと食指を伸ばした。


 彼女の花がゆっくりと開き、その食指の先へ蕾を見せる。触れることを戸惑うようにゆっくりと進む漆黒が、その中心を見て、速度を落としたように見えたのは気のせいではないだろう。

 純白の箱が、花開こうとしているのだ。

 その美しさは、いつか絶望すら吹き飛ばす。焦りを孕んだかのように再び加速した漆黒が、その蕾に触れようとした瞬間、この世の全てがのしかかってきたかのような圧力に巻き込まれ、焼却されるように消え去っていく。


 花開いた純白が、濁流のような連続した圧力を放出する。渦はその圧力を巻き込み、しかし、織りなすような純白に塗り潰されて消し去られる。


 実力は、拮抗しているかに思われた。


 彼、彼女の間で押し合う特異点(シンギュラリティ)がお互いを喰い合い、殺し合い、消し去り合っているが、ズグロが物質を溶かすのに対し、ユウメの圧縮爆弾は大量の空気を圧縮して爆発させるため、融解速度を物質量が上回るはずだった。


 漆黒は純白に負ける、はずだった。


 ズグロは、血反吐を吐いていた。涙と血涙を垂らし、歯を喰いしばった先から、歯茎が潰れ、血液が漏れ出ている。全身の毛穴から、脂汗を吹き出し、次の習慣には過労死するかのような泥臭い様になっていた。


 彼は、この戦いに全てを賭けている。そのために、ただ高くあるために、全てを捨てたのだ。


 家族のいる科学者と、家族のいない科学者では後者の方が成果を上げる。

 家族のいる棋士と、家族のいない棋士では後者の方が実力を上回る。

 家族のいる騎手と、家族のいない騎手では後者の方が速い。


 彼らは、それだけ打ち込んでいるのだ。未来を捨て、子孫を捨て、愛を捨て、全てを捨て、自らが誓った一瞬の為に。


 この一瞬に賭ける者が今を見ず、未来に縋る者に負ける道理があろうか。


 いいや、ない。


 上回っている。ズグロの方が、不利な条件にもかかわらず大きく上回っている。


「――うおぉぉぉぉオオオ!」


 獣のような雄たけびがズグロの特異点を揺らした。自分の人生を、勝利のために賭けている。本気だった。


 それを、信念と言わずしてなんというのか。


 純白を完全に漆黒が塗り潰す。喰い尽くし、溶かし尽くし、消し尽くし、暴れ尽くした。それでもズグロは咆哮を止めず、更に出力を上げてあるはずの肉体を溶かす。もう絶対に溶けたはずだ。殺したはずだ。勝ったはずだ。そう片隅に思っても、ズグロは咆哮を止めない。


 認めているからだ。あの女を、帝国のユウメ・エクテレウを。忠告を聞かず、足手まとい達を全てを抱えたまま、この高みまで登ってきたイレギュラーを。アルキメデスの理論を受け入れず、自らと同じように、不条理に立ち向かう女を。


 だが、確信する。『勝った』この渦の中で、生きているものは存在しない。自らが、彼女を上回った。そう、そう思うしかない。


「やった……勝った……ぞ……」


『いや! まだだ!』アァ レウェが脳内で悲鳴を上げる。


 黒い渦に、人影が見えた。それは、修羅のように血に塗れて……いや、()()()()()()()


「『猫は帽子で丸くなるザ・キャット・イン・ザ・ハット』」


 あの黒猫の身体は、生き残ろうとする意志は、致死毒に適応している。


 ズグロは思い出した。いつもそうだった。最初の襲撃も、学園での特異点の撃ち合いでも、いつもいつも、トドメを刺せるってところで必ず彼女らを救うのはいつだってあの黒猫だった。


 そして、この空の上で――死してなお。


「ユウメえぇぇぇ!!!」


 黒猫は常に、彼女の胸にいた。空間となってでも。ユウメをここまで押し上げたのは、彼女の力だけでない。全てを抱えているということは、同時に全てに支えられているのだ。


 瞳まで真っ赤に塗れたユウメの腕に対照的とも言えるほどの純白が見える。それほどに密度の濃い魔力が動いているのだ。そこに握られた一枚のフクロウの羽根が、それに答えるように力強く顕在している。


 ズグロは翼をはためかせ、距離を取った。漆黒の羽根がユウメを撫でても、毒は効力を発揮しない。しかし、彼女の瞳は血に染まり、黒の渦による光失調により視界が機能していない。ユウメにとっても、この一撃は賭けなのだ。


「堕ちてこい! 爛漫(カメリア)ァ!」


 最後の余剰魔力がズグロとユウメの間で空間を圧縮した。しかし、残った渦、致死毒による融解で期待通りとはいかない。


「まだだ……まだ俺は、飛べるはずなんだ……!」


 ズグロが収縮した空間に引きずり込まれるが、それでも男は羽ばたいた。弱々しくも、撓んだ黒翼は確かに空気を掴み自らを空に引き上げようとする。


 ユウメが靴裏に仕込んだ空間を動かすも、更にズグロは羽ばたき、距離を取り続ける。空間収縮による引き込みによってズレた黒い渦から陽光が差し込み、ユウメにはズグロの這い上がろうとする表情を、ズグロにはユウメの生き様を照らした。


 彼女にはもう、一寸の恨みも無い。同じ魔術師として、敬意があった。ここまで高めたその実力、そして、まだ高くあろうと、生きようとするその自尊に、同じ人間として、敬意を抱いたのだ。


 だが、だからこそ、ここでカタをつけなければならない。どこまでも離されてしまう前に、その翼をへし折らなくてはならない。この黒猫の血液に隙間ができる前に。


 ――届かない。それでも、この拳は届かない。


 その翼は生き汚く、されども、力強い。


 その時だった。差し込んだ陽光が、灰色のピンストライプを運んできたのは。


 いつも、彼女の肩にいたモリフクロウが、この場にいる誰よりも高く飛び、そして、真っ直ぐ急降下する。ズグロの首元に研ぎ澄まされた爪を食い込ませ、肉を抉ったまま頭を下げさせる。バランスを崩して高度を下げる彼らの前で、ユウメは拳を構えた。


 モリフクロウは、黒い渦に巻き込まれ、身体の半分を骨にしたままこちらを一瞥した。


『やれ』


 左足の踏み込みは、血に濡れた空間を揺らし、周辺の空間がひずむ。彼女の全身に纏われた防御魔術が、今までにない程の白い輝きを放ち、その全てが右手に流れる。


「このっ……クソフクロウがァァァ!!」


 執行前、ズグロは叫ぶ。


 ユウメと拳と、一線に結ばれる。


「堕ちろおおおぉぉ!」


 その一撃は光を伴い、彼と彼女の間にギラギラと輝く白光を生み出した。その熱が連鎖し、さらに新しい白光を生み、その熱に巻き込まれた肉体が蒸発と共に爆発する。


「畜生……!」


 そう言い残し、三年に渡ってユウメを苦しめ続けたズグロ・ピトフーイの意志は、彼を象徴する黒い渦と共に消滅した。

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