表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
88/107

第87話 死狂い

 ユウメの空想に、学園で撃たれた三者三様の特異点が思い起こされる。ズグロの致死毒の渦。イムグリーネの質量に変換された因子の激流。フィアの揺蕩い沈んだ圧力の顕現。三人の特異点は深海から、空から、更に上の宙から、齎され、青と黒と白のシルクが混じり合うように融合し、融解し合った。それは、海の波の隙間に、空気が息をする泡の白や、波が隠し光が絶たれた黒、海を月の光が照らした青が顕現と潜在を繰り返す様のようで。その殺し合いは、ひどく美しかった。


 ユウメは、近い未来、自分に降りかかる災禍を振り払うために想起を続ける。その魔力因子の戦争に押し勝ったのは、漆黒だった。イムグリーネも、フィアも、あの致死の激流には勝ち得ない。全てを溶かすあの渦に彼女達の魔力因子すら巻き込まれ、彼に届くことなく、溶解していった。


 三度目の再生は切っ先から始まった。


 彼が特異点を撃たないのは、この戦いが終わってしまう事を惜しんでいるからだろうとユウメは予測した。必殺への絶対的な自信がありその上で、わたしにすらそれは破れない、と。それは事実だ。わたしに、捨て身を除いてあれを突破する手段は存在しない。毒を受けても、溶け切るまでに彼の意志を打ち砕ければ勝てるだろう。しかし、そうはしない。


 生きたい。


 その意志がわたしを空に上げたのだから。


「――特異点」


 ユウメは、彼の再生が終わり切る前に三個の圧縮爆弾を作った。そして、行軍中に作り続けた六つのストックを合わせて九つの空間を自身の周りに浮かべる。魔力の残量は成長した、しかし、今、この場で作れるのは残り三個ほどが限界だろう。一瞬で十六個の分の圧縮は可能だが、戦いはこれで終わりでは無いのだ。汚染地域(リヒトン・リージョン)深部を踏破するには密度を増した空間が必要不可欠であり、ここで全力を消費するわけにはいかない。それは捨て身と同義だ。だからこそ節約しなければならず、その限度をあと三個と定めるしかなかった。


 彼の再生が終わる。


「わたしは、お前の意志を変えようとするつもりはない。わたしの考えを押し付けるつもりはない。意志を変えることができるのは、誰でもない自分だけだ」


 それは、学園で最初に教えられたことだった。そして、意志の不死性はリサから教えられた。意志が死なない限り、人は死なない。人は、自ら敗北を認めたときに負けるのだ。


 ユウメを作り上げてきた今までが、彼女の戦争を形作る。


「構わんさ」


 宙に浮いた口蓋が喉の震えを再現した声を放った。


「お前がどう思おうと、どういう理由で戦おうと、関係ない。てめぇがここまで上がってきたのは、復讐心の他ないんだよ。だって、そうだろう?」


「俺の特異点から護れるものは何一つない――てめぇの意志すらもな」彼がそう告げ終わるころには、彼の肉体は再生を終わらせていた。捨て身でなくて、自らを殺す術は無い。ユウメにもズグロにも、それは分かっていた。だからこそ、彼は遊んでいるのだ。


 三本の腕と一本の槍。浮かんだ圧縮空間と羽根を握った右手。

 未来を捨てて羽ばたいた男。全てを護り高くある女。

 最強の矛と、最強の盾。


 空間の位置はユウメ本人にしか分からない。ズグロが翼を使った加速で無暗に突っ込めば自らの毒によって空間を起爆させることになる。このような状況になった時、どちらかが攻めあぐねるはずだった。


 だが、この二人に、そんな初心な緊張など介在する余地は無かった。同時に、双方同時に翼をはためかせ、空間の上で歩を進めたのだ。二人の間に浮かぶ圧縮された空気の歪みが、彼らが持つ圧のぶつかり合いを表現しているかのようだった。


 ズグロは急停止するように羽ばたき、彼女に風を送った。彼の持つ必殺のひとつ、風圧による行動制限と、毒の羽根を飛ばす行動だとユウメは思ったが、毒に当てられるはずの、前方に配置した圧縮空間は爆発しない。黒く、ただ黒くある羽根が、空間を撫で、それを乗せた冷たい風がユウメの頬を撫でる。撫でる風に、チクチクとしたガラスのようなものを感じた時、彼女は目を見開いた。


 ――これは。


 魔術封じの合金だ。空は景色が変わらず、ぐるぐると二転三転すれば方角など思い付きのように消え去ってしまう。彼はあれが浮かんでいた空間のさらに向こうで再生し、羽ばたくことで新たな空間の生成を無効化したのだ。


 しかし、一見、驚異的な行動とはとれない。空間は展開できなくとも、動かすことは出来る。足場は確保できている上に、圧縮爆弾を爆発させることは可能なのだ。そして、今、同じく彼の毒は封じられている。


 ズグロが爆弾地帯へと突貫する。『やれるもんならやってみろ――』その目は、その翼は、その槍は、確かにそう言っている。


 出来ない。圧縮爆弾は起爆出来ない。

 合金の霧も同時に吹き飛んでしまうのだ。


 そうだ。彼の毒を封じているというのに。この拳を直接撃ち込む瞬間があるというのに。彼の肉を粉砕する瞬間があるというのに。なぜ吹き飛ばす必要があるのか。そして、彼も望んでいる。彼女の肉を裂く瞬間を、その魔の腕で殴りつける瞬間を、自らが上回っているという瞬間を。


 彼女は天衣無縫の歩みを止めない。合金の欠片が肌を裂くのをそのままに。

 彼は傲岸不遜の羽ばたきを止めない。空間が翼を撫でるのをそのままに。

 二人の間で、真に障壁と言えるものは無くなった。


 彼女の手のひらに何かが握られる。それは圧縮した空間を伸ばした棒だった。


「打ち合ってみるか――?」


「受け止めてみろ」


 彼は上の右腕と下の右腕が柄を握り、左腕が切っ先を指示する。

 彼女は片手でそれを握り、頂点を挑発するように彼に向けた。


 一度目は見えなかった瞬間的な加速が、ユウメの極限まで拡張した瞳孔が捕らえる。一対の翼が浮き上がった背骨のように限界まで畳まれ、回転と共に、気づけば開いていた。


 槍が横薙ぎに迫る。


 それがネームレスに迫るものだとしても――


 空間と刃が接触する。


「ぐぅっ――」


 空間が叩かれ、その衝撃が手を伝い足にすら走った。馬の蹴りよりも、熊の殴りよりも、自然には有り得ない人の技術の力が片手に伝わった。これでは、片手では、押し切られる。ユウメは、空いた片手で競り合った部分を支え、刃に手のひらを喰い込ませた。空間で、手の平で、肩で、胴で、彼女の全てをもって勝負する。


「なにぃっ!?」


 そして、それがネームレスに迫るものだとしても――両断には、至らない。


「同じ時間は流れてた。でも、お前がぬるま湯だと思っていても、わたしにとってはどこよりも熱かった……」


 ユウメの手のひらから血が流れ、それが空間を濡らして姿を世に示す。そして、出血した血をズグロの顔へと投げつけた。


 彼は余った左腕でそれを防ぐが、その左腕に視界が奪われる。押していた刀剣が軽くなり、ユウメの存在を知覚出来なくなった。だが、彼は彼女が何をするのか分かっていたかのように、構えられた極伝の構えを翼で叩き潰す。十分な踏み込みのできない拳はその威力を落としてズグロに届くが、彼は煙のようにそれを受け流した。


 加羅道。


 その技術は一朝一夕のものから洗練され、新たな魔術と思わされるほどまでになっていた。ズグロは彼女の踏み込みを潰しながら、弱い拳を加羅道で受け、隙を見て刀を振ればいい。奇しくも、かつてズグロを苦しめたユウメの戦法が彼の必勝の形となったのだ。


 ユウメは、ニ激目を決めた時のように彼の腕を掴もうとするが、加羅道は受けに徹した技術だ。歴史の中で、そのとりとめの無い姿を掴んでやろうとしたものが何人もいたのだろう。掴んだと思った手の平は、ただの空気しか触っていない。掴み切る瞬間にその腕が搦めとられ外される。


「チィ――!」


 彼は槍を下の右腕でしか握っていない。それにも気を配らなければならず右腕の一本が空いているため、ユウメは必然と片腕で戦っているかのような不自由さを感じさせられた。苛立ちを顕わにしたその表情に、刺客が迫る。


 彼の切っ先が遂に始動した。十分でない威力の拳を振りぬいた瞬間に、斬り上げる動きを見せたのだ。ユウメの視界には、振りぬいた右腕の下で動くそれは見えていない。


 獲った――。


 そうズグロが確信しても、刃は彼女に届かない。空間の棒が彼女の脇下に伸びているからだ。防御に関しては、他の追随を全く許さない。


 受け切ったユウメがその刀身に肘打ちを食らわすと、刀剣は硝子細工のおもちゃのように崩れ去った。


「はっ!?」


 これ程の力を避けていたのかと戦慄したズグロは、彼女の振りかぶる拳に足を乗せ、それをばねのように使い距離を取った。遥か遠くに飛んだズグロを、彼女は追いかける。


「お前が展開しているこの地面……」


 彼は今、羽ばたいていない。空間の上に立っている。


「防御魔術で一気に消されないようにチェス盤みたいに区分けしてあるが、そんな中途半端な距離だと、落ちちまうぜ!?」


 彼が翼を伸ばし、空間展開能力を失ったユウメが走るチェスのマスを消す。彼女の足場が消滅し、バランスを失って転倒するように回転するも、転倒する先の地面は存在しない。このままでは落下し続け、龍に砕かれる。


 しかし、彼女は持っていた棒の空間を咄嗟に固定し、回転の勢いそのままにズグロへと飛び掛かった。加羅道は、人間用に開発された武術だ。服や腕、服の裾はまだしも、翼のさきっちょを掴まれることなど想定していない。


 ユウメだけが落下するだった未来に、ズグロと二人で躍り出る。彼女は、彼に翼で逃げられる前に足を彼の胴に絡みつかせ、空中で回転しながら馬乗りのような態勢を保持した。


 ズグロの焦点が結んだものは、右手を振りかぶったユウメの姿だ。


 だが、ここは空中だ。人の領域ではない。踏み込めないその拳は、大したことは無いはずだ。ズグロは咄嗟に上の右腕で殴り掛かるが、その腕が彼女の拳に粉砕される。型抜きのように腕の骨が肉から飛び出て、空のどこかに捨てられてしまった。一瞬で片腕が消滅したのだ。


 二発目が来る。たまらずに残った両腕で顔面を防御するも、両腕を構成する全てが圧壊し、破裂した骨の破片が彼の頭蓋骨を貫通して飛びさった。頭蓋骨内で乱反射する内圧によって頭部は爆散し、両腕が消滅し、脳が破壊された彼の肉体は、すでに死んでいる。


 三発目には彼の上体は圧壊し、消滅した。四発目を迎えることなく、彼の下半身は空に投げ捨てられた。


 ユウメは足場の空間を坂道のように移動させ、落下の威力を減衰した後に、無事にもう一枚の空間に着地した。幸いにして、龍の生息圏まで堕ちてはおらず、空間で階段を作れば数分で元の高度に戻れる位置だった。


 彼女は肌に食い込み、髪に絡みついた魔力封じの合金を払い落とし、空間が展開できることを確認すると、米粒のように遠くまで堕ち続けているズグロの下半身を粉微塵にした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ