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第85話 遥か特別なる

「弱い」


 カルベラの拳にはいくつかの白い石片が刺さっていた。


「闘志はある。だが、不足が多い。脚が折れれば人は立てない」


 彼女の拳からぽろぽろと落ちた石は、歯だった。

 這いつくばったユウメは自らの顔部ごとカルベラに粉砕されたことに気づいていなかった。顎部を打ち抜かれたが故の脳の揺れと、二本や三本、骨が折れた程度の痛みでは無い右大腿部のそれによって意識が混濁していたのだ。

 そして、呼吸をしようとしていても血が吹き出るばかりで出来なかった。


「喉に歯が刺さったな。どうする」


 エクテレウ家に拾われて十五年を二日前に迎えたユウメは呻き声も上げずに、空間で喉に穴を開け、そこに指を突っ込んだ。人体の外側から歯を抜き取ったのだ。そして、片足と両手で立ち上がる。喉を詰まらせぬよう血を抜くために、常に前かがみにならなければならなかった。


「これは訓練では無い。だが、殺し合いでもない。ただの試験だ。鉄杭を打って耐久を見るような、製品が実地に耐えうるかどうかの試験」


 ユウメは駆けた。それはこの試験で繰り返された単調な攻撃に見えたが、違った。彼女はカルベラの拳と自らの顔面が直線で結ばれた瞬間に、握っていた砂を投げ、空間で自らの足元を消滅させ、その直線上から逃げた。


 だが、カルベラは目を瞑らなかった。眼球に砂粒が食い込むのをそのままに、砂の隙間から影を捉え、躊躇も無ければ容赦もなく蹴り抜く。


「私達は軍人の体を取っているが、軍人では無い。『機関』だ。人では無いのだから軍人では無い。不良品は取替える」


 ユウメは遂に倒れ、立ち上がれなかった。


「次に同じようなら、両脚を付け根から切り落とす」


 カルベラは、ユウメを『小さい頃から見ていたから軍人を止めさせるように厳しくする』とか『治らない傷をつけて再起不能にする』とか、そういった理由でこれを行っていたのではなかった。


 これは、リサも通った道であり、ダインも通らなければならない道だ。ただ、彼女は基準通りに試験を行っているだけだった。


「足…………」


 ユウメは気を失ってはいなかった。しかし、いくら意志があろうとも、人は肉体が無ければ動けない。神経を断ち切られれば精神は起動しない。首を切られれば死ぬ。彼女の両足は動かない。


「……足で立ち上がれないなら、手で……」


 それでも彼女は両手を突いた。


「心意気はいいんだがな」


 カルベラの投げた石で、ユウメは気絶した。


 下顎骨骨折、永久歯十二本損失、右大腿骨三箇所開放骨折、その他全身打撲、裂傷。全治不可。再起出来たとして三年間以上の治療が必要だと医者は判断した。


 カルベラは彼女の病室へ頻繁に訪れた。それは励ましでも謝罪の為でもなく、殺し方の手数を教えるためだった。


 カルベラは心の片隅でも申し訳ないと思っておらず、他人事のように可哀想だとも思っていなかった。ユウメがそれを目指すと決めたのなら邪魔はしない、しかし、同時に手助けもしない。ただ、そういう質だった。


「根底から弱いのは、たぶん、お前が私の攻撃にビビっているからじゃないか?」


「ひひらないあえないえしょ!」


「何を言っているのかわからん。ただ、私が言いたいのは、お前は戦えなくなることを恐れているということ。体が柔いからな、自覚してるんだろ」


「…………う」


「痛みや死を恐れないことは不可思議だが、それはいい。ただ、ダインが一人になる状況を恐れているのか、足や手を犠牲にすることを避け、尻込みしている。いいか……厄介な奴には共通の術理がある。堂々と間合いに入って獲物を振るう、それだけの術理が」


 それが無い。カルベラはそう言った。

 ユウメにはどうすべきか分からなかった。堂々と間合いには入り、もし、相手の方が早ければ死んでしまう。術理などではなく、狂った賭けとしか思えなかった。だが、片隅で思った。それが、殺し合いなのだと。それを理解していないから、弱いのだと。


 答えに近づけたのは、カフェだった。


「君のお父上と同じやり方はどう?」


「ほおさん?」


「エクテレウ家は代々身体が強靱ってワケではないんだよ。魔術理論に精通した家であると同時に、体が弱い遺伝を持っているんだ」


「ほおさんがよわい?」


「聞いた話だが、元々は打たれ弱かったそうだ。それが、剣技の踏み込みに響いて負けの一辺倒だったらしい。嘘じゃないって、お父上から聞いた話なんだからさ」


 カフェとヴァルターが昔話をする時は、決まって胡散臭かったが、これはとびきりだった。人かどうかも疑わしい父が負ける姿など存在しなかった。負けという概念すら存在しなかった。ユウメは父とわたしの血が繋がっていたらと、何度も夢見たのだ。


「ただ体を鍛えるのではダメだった。斬撃の前では筋肉は易々と裂け、打撃を前にしては内側から壊れる。だから彼は斬られ壊れた後の動き方を想定した。どうせ受けるのなら、斬られてもいい場所を差し出し、こちらは首を。そのために、受けてもいい場所を探し続けた。親友に狂人と呼ばれたこともあるそうだ。面白いよね。何も当然のことを。殺し狂うものが、狂人でないはず無いのだから」


 その話の姿は今の父の姿と鮮明に繋がった。あの魔神のような目で、刃に貫かれたまま相手を睨めつける様子が。


 その後、再起三年を待たずして、三週間で全治。永久歯を生え揃えた姿を見て、医者はこの世のものでは無いものを見る目をした。


 次の試験まで二年。その期間はあまりに短すぎ、父の技術を出来うる限り追ったとしてもパスラインには程遠いとユウメは理解していた。二年では。

 それが故に、ユウメとダインはふたりで試験に挑むことになる。


「私達は、ふたりでひとり。それでどう? それでカルベラに勝ったら――」


 試験当日、カルベラの表情に変化は無い。


「分かった」


 ユウメは拍子抜けしたが、ダインは懐の小刀を握らざるを得なかった。


 カルベラが背を向ける。


「どこに……」


「保証人を連れてくる。私が死んだとしても、君らの合格を証明する人間を」


 二人は、後ろ手に閉ざされる扉から目線を外すことが出来なかった。十分程の待ち時間があったが、会話は無い。沈黙の中、どちらともなく顎に冷えた汗が伝った。


 扉が開いて最初にカルベラが見えた。姿形が変わっていなくとも、何かが違うとふたりは思った。次に見えたのがカフェだった。ふたりの視線がカフェに結ばれ、保証人とやらが誰かを理解した瞬間、ダインの目線へと鈍色の鋭利が切り込んだ。


 ナイフの投擲である。空間の防護壁はあったが、透明だ。ダインは身体が起こした反射で体制を崩してまで避けてしまった。


 ナイフが空間に当たって、落ちるまで、その僅かな時間でカルベラは気を取られたユウメに近づき大腿部をナイフで刺した。刃渡り二十センチを超えるものが、対切創の衣服を貫通する。


 それを抜かずに、もう一本のナイフを防御姿勢の腕へ突き刺す。投擲されたナイフが落ちる音と同時だった。


 更にもう一本を刺そうとしたところで、ダインが小刀を構え、カルベラの腹部へとそれを伸ばした。更にユウメの拳が弧を描いて飛んできている。


 カルベラはまずダインの小刀を片手で払い落とし、もう片方でユウメの拳にナイフを突き刺して止めた。


 ユウメは予測していたのか、やぶれかぶれか、もう片方の拳で殴り掛かる。だが、カルベラはものが違う。既にダインの小刀を払い落とした手にはナイフが握られ、ユウメの首筋に迫ろうとしていた。


 攻守一体のクロスカウンター。内側を走る弧はカルベラのナイフだ。拳のリーチでは、カルベラに攻撃を当てることが出来ない。だが、拳は防御に回らない。そのまま進み続ける。


 やぶれかぶれか。いや、違う。ユウメの瞳に宿った狂気。術理だ。


 事実、やぶれかぶれでは無かった。拳の先に展開した空間がダインによって落ちたナイフに交換される。リーチが五分に、いや、僅かにユウメの拳が勝っている。


 ナイフはどちらにも刺さることなく、カフェによって止められた。


 カルベラはその後、ユウメとダイン、どちらにも特務と名乗ることを許した。そして、ユウメは彼女の父、スレイヴの必殺剣と同術の必殺の拳を教え込まれ、会得することとなる。


「あまり、表立ってその技を使うなよ」


「どうして?  帝国魔術師全員に教えればいいのに。三百人ぐらいしかいないんだから」


「技術は進化するんだよユウメちゃん。見えないところで、水は溢れる。蛇口から止めないと」


 ユウメは特務入隊から数年、未だにダインと行動することを許されていなかった。


「分かんないけど、じゃあ、なんで私に教えてくれたの?」


 二人は答えなかった。カルベラは押し黙っている様子だが、カフェは楽しみを残すかのように黙っている様子だった。


 いつかの作戦中、二人っきりとなった時にカフェは雑談を始めた。


「何故、隊長は君とダインを組ませないと思う?」


 作戦中だった。標的を殺してはならない作戦。適度に痛めつけ、それを治療する医者を炙り出すため。これは、ユウメが苦手とすることだ。話しかけられ、調子を狂わされ、相手の腕を掠めるつもりが正中を殴ってしまった。当然、即死する。


「話しかけないで!」


 カフェの方はもう一人の標的の眼孔に二本の指をかけ、窓へと投げ飛ばしていた。


「答えるかどうかはユウメの勝手じゃない」


「気が散るの! それに、ちゃんとわかってるから! 今話しかけたのも試したんでしょ?!」


「そうだね。だけど、焦ってるでしょ。これでいいのかって」


「そうだよ! ずっとずっと同じこと! ただ殴るだけ! 殴るのが上手くなるだけで、他が強くなった気がしない」


「相手に傷つけられまいと七転八倒してちょびっと切りつける技が欲しいの?  スレイヴはそんなことしていた?」


「だけどぉ」


「身体、技、精神。ひとつの個体として完成する必要がある。ダインと君、ふたりでひとりじゃダメ。そうだね、気休めの言葉を送ってあげるよ。『繰り返すこと。それそのものが奥義となる』」


「副隊長の言うことはいっつも回りくどいよね。答えを言ってくれたらいいのに。それに、最近はダインと組む話も出てるでしょ? 私達はもう大丈夫だよ」


「そうだね。だけどもね、私はまだ早いと思うんだよなぁ。隊長もきっとそう思っているんだよ、だけど、急かされているみたいね」


「誰に?」


「特務機関隊長への命令権は、一人しか持っていないよ。ユウメとダイン、個人個人が完成した状態組んだ時、それはそれは面白いことになると思うんだけど」


「当たり前でしょ! 二人で特務に入ったんだから」


 カフェの言葉はユウメの琴線に触れた。


「それって」


「うん」


「それって、どれぐらい面白くなる?」


 カフェにしては珍しく悩んだ。


「……私と、ならび立てるぐらいかな」


 今、ユウメは一人だ。脳裏に数秒だけ流れたこの記憶が呼び覚まされたのには、理由がある。それは、きっと、『わたし』が完成しつつあるからだろう。


「薪にしたのは、『恨み』か?」


 ズグロは言った。吐く息は白く。空は高く、黒い暗雲の海の上で、どこまでも青かった。


「『信念』だ」


 ズグロは嗤わなかった。


「嘘をつくなよ。自分が死んだとしても、この俺を殺したかったんだろ? じゃなきゃ、わざわざ死にに来ない」


 ユウメの目には、彼の翼が大きく見えなかった。


「お前はもう一人のわたしだ。強さを求め、修羅に落ちたわたしだ」


 ユウメは右手の手袋を外した。


「四回。四回の拳で、お前を『殺す』」


 彼女は質問に答えず、ただ宣言をした。その真白い手には灰色の羽根があった。彼女はその四枚のうち、一枚を握ったのだ。

 彼は理解した。


「はっ。やっぱり恨みじゃねぇか!」


 仇討ちだと思った。拳で自分を打てば毒が回る。拳ごと、自己を破壊してでも相手を殺す、自暴自棄が故のやり方だと思ったのだ。だって、そうだろう。そうじゃなきゃ、汚染の空に肌身を晒し、高く昇ったりしないのだから。


「なにが『信念』だ、なにが『意志』だ。愛と平和? 秩序と平和? クソの役にも立ちゃしねぇ。結局、人間社会の誤魔化しで、誰かを殺したいって殺意と恨みがあるだけさ。それが秩序と平和だ」


 彼は妙な感覚に疑問を抱く。小さな痛みを覚えた時、思い通りに事が動かなかった時、父を見た時――その度に覚える感情を、何故か、今感じたのだ。


 ――苛立ち。あの女と俺は一緒だと思っていた。同じ空白だと、だからこそ高く飛べると。だが、違ったのだ。彼女は背負い、捨て、歩んできた。なのにどうして、この空の上に来たというのだ。構えを取った。絶対の受け、伽羅の極伝を。


「受け止めて殺してやる。お前の意志、信念がどうしようもねぇ誤魔化しだって証明した上で、殺してやるよ」


 空に音はなかった。


「来い」


 技術は進化する。ユウメの拳は固く、難く、そして、熱があった。


 空間がひずんだ。


 ズグロは一瞬、その技を初見と見間違えた。しかし、初見では無いと脳は言う。復元されたはずの翼が、何かにぶっ壊されたかのように痛んだ。それは違うと言っている。思い出したのだ。自信満々のあの女の姿を。初見だ。この技は初見だ。肉体に刻まれる程度では済まない。


 ――だが、問題ない。いつもの技だ。防御魔術の流動と衝撃、既にアァ レウェがリサ・エクテレウの脳を解析し、対処法は確立済みであるのだ。全身の防御魔術を流動すれば、護りが薄くなるのは道理だ。衝撃と共に一点集中で致死の猛毒(モルタル・トキシン)をぶち込む――


 彼女の姿には夜のように、夕焼けのように、父、アルキメデスの月光を流す漆黒の鎧のように、あるがままに、隙がない。


 彼には、ズグロ・ピトフーイには、拳を構える彼女の姿が、この一時だけスレイブ・エクテレウに、ムサシに、天帝に、あの勝機の見えない超越者達に、見えたのだ。見えてしまった――


 遠く離れたユウメは、気づけば目の前にいた。そう思えたほど、彼女の姿が大きく見えた。虎の牙が眼前に迫るように、はるか遠くにあるに関わらず、目の前に獰猛な顔面を幻視するように、圧倒的な絶望がその拳にはあった。


 そして、それは現実に訪れる。蒼天の空、無音の空虚、耳に響いた爆発音。彼女の背後で、空白が爆ぜた。爛漫(カルメア)による指向性爆発で自身を矢のように加速させたのだ。


 伽羅道は下腿を固定し、上体を揺らすことで衝撃を流す。咄嗟には動けない、動く必要が無い。だが、体は動けと言う。


 ユウメにはカフェの言葉が浮かんでいた。


『繰り返すこと。それそのものが奥義となる』


 彼女が握っていた熱は、奥義だった。


 絶速で弾けた拳は、ズグロの体と拳の間で閃光を産んだ。太陽と見間違うほどの大きな白い光が産まれ、そしてそれは五つ、八つと空気に伝染した。


 なぜこのような現象が起こるのかズグロには分からなかった。ユウメにも分からなかった。それは世界の法則に従っているとは到底思えない光景だった。


 圧縮された空気、いや原子が何かを放出したのか。

 圧縮された空気の熱なのか。

 魔力因子が、また新たな性質を見せたのか。


 分からない、分からないが、事実として。ズグロの肉体は、八割以上が消失していた。

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