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第84話 あるがままに

 空は暗い、どこまでも。クジラモドキの音を頼りに『前』だと思われる場所に向かう。あれが通った場所は硬い人工の大地が抉れていた。その横幅があまりにも太いため、それが何かの道であることはあの生物を見るまで察することは出来ないだろう。


〈これは……〉


 暗黒を探る防護服の灯りに、暗黒よりも黒いものが舞った。


 漆黒の羽根が。


 何度も何度も、わたしの目の前に現れ、その度にわたしの何かを殺し溶かす致死の猛毒が、空から舞落ちて。


「ズグロ・ピトフーイ……」


 ヴァルターがその殺意に気づくより、数瞬だけ、わたしは自分に待ち構える運命を悟ることが出来た。『運命』などという、得体の知れない、他人の糸を手繰る部屋隅に住み着いた虫のような存在を信じるのは馬鹿馬鹿しいが、彼の殺意と、わたしの殺意がいつか必ず、それも、遠からぬうちにぶつかり合うことはわたしの意志が理解していた。これを、運命という言葉以外で形容することは出来ない。


「馬鹿な……」


 ヴァルターは暗闇の中で更に黒く輝く羽を見て唖然とした。わたしの空間の上に一枚だけ落ちたそれは、老人の枕元に降りる帳のように静かだった。


「誘っているんだ。わたしを」


 だって、この羽には毒がついてない。何枚も何枚も、龍の牙を掻い潜るために落としているのだ。ただ存在を知らせるように、フクロウちゃんのポケットにそっと忍ばせた時のように。あの暗雲の上で、あの男は高く飛んでいるのだろう。龍の感知を避けるようなはるか高みで。静かな暗黒で、龍が音を裂いた。


「こんなことが有り得てたまるか。アァ レウェは何を考えている?」


 あの宙の主が考えることなんて推し量れるものじゃない。だが、あの男の考えは、心の髄まで見えている。


「アァ レウェにとってあの男が英雄でも、あいつ自身は自分を英雄だなんて思わない。わたしが護るために人を殺すように、あいつは殺すために人を殺す。だから、この機会は逃さない」


「……急ぐべきだな。追ってこようにも、向こうはあの暗雲から下に降りては来られない。龍に殺られる」


「降りて来たら?」


「なに?」


「ズグロ・ピトフーイが降りて来たとしたら?」


 ヴァルターは彼らしくない沈黙で答えた。それでも答えを待つ。今は、もう、やるべき事の相談に乗ってもらうしかない。


「……まず、龍の狩りから逃れた羽の毒が活性化するだろう。それでも、俺たちに当たるとは考えにくい。目をつぶって矢を撃つようなもんだ。奴が降りて来たとしても、龍を相手取りながら暗闇の中で、俺たちを狙うのは難しい」


「出鱈目に撃ってきたのだとしたら、それは相対的に大きい的に当たるということ。もし、偶然にあのクジラモドキが毒に当たってしまったら、行き場を見失ったわたし達は死んだも同然」


「お前……ユウメよぉ……テメェ、俺に何か言って欲しそうだな……! さっきからお前らしくもなく、つらつらと……!」


 ヴァルターは彼らしくもなく声に怒気を込めた。彼と一緒にいた中で、最も表に出さなかった感情を。


「闘いは避けられない。アイツとは今、決着をつける必要がある」


「『決着』、決着だと?  不死身の奴をどうやって殺す気だというんだ。お前は、復讐心に決着をつけたがっているだけだ。『死に場所をくれ』と俺に言っているだけだ!」


 彼の顔は見えない。光を受け入れず、真っ暗なまま。声だけが激しく聞こえた。


「確かに、ズグロ・ピトフーイは憎い。あいつと殺し合うことがわたしの生き甲斐だと思うほど、憎い。わたしは、わたしの中には、決着を、運命を憎み終わらせたがっている私もいることは事実。でもね、ヴァルター」


 わたしは抱えていた帝国の皇女を空間の上へ降ろした。イムグリーネを彼に預ける。


「わたしは生きたい。」


 そして必ず、彼女を返してもらう。


「これは、カッツィに生きろって言われたからとか、皆の仇をとるとか、イムを護らなきゃいけないからだとか!」


 みっともない声が出る。初めて覚えた感情を乗せるような、赤子が初めて声を出すような、この感情には慣れてない。


「そんな、使命感だとか、運命だとかじゃないんだ! わたしは運命を終わらせるんじゃない! 乗り越えるために前に進まなくちゃならない!」


 ヴァルターは気圧される事無く反論する。


「お前の気持ちは分かったさ……だが! それでも決着は今じゃない! 不死身の奴をどうやって殺すというんだ! たとえその方法があったとしても、汚染がある。それに、奇跡が起きて相討ちになったとしても、向こうは生き返る! 俺はお前の覚悟に負けて、お前の死を見て見ぬふりして『あぁ、そうだな』だなんて絶対に言わねぇぞ!」


 彼の言う事は最もであるし、わたし自身にも絶対にあの化け物を墜とせるという確信は持っていない。しかし、わたしはそれでもこの言葉を使わせてもらう。


「『絶対』に殺せる。それも、わたしは死なずに、ズグロ・ピトフーイを墜とせる。その手段がわたしにはある」


「ユウメ。『どうやって殺すか』それはもう、問題じゃねぇんだぜ……『今』じゃない。酸味を強調するためにあえて甘味を入れるように、今『あえて』をする理由は無いんだ、本能とか、直感は極限でない限り、役に立たねぇ。論理に従え」


 わたしは防護服の頭と胴を繋ぐ留め具を外した。


「皇女を俺に預けたら、俺は皇女を殺す」


 手を止めざるを得なかった。「出来るの」と聞くと「お前は俺を信用していたのか」と帰ってくる。確かに、技構、アルキメデスの遺言、内通者、信じられない要素はあり、それを持って疑念としていたのはわたし自身だ。だが、今ここで、数個の要素を十年の事実が上回った。


「ヴァルターは殺せない。あなたは女の子を傷つけるような男じゃない」


 特務入隊の試練、訓練、戦闘……全てにおいて、彼が女を傷つけることを見たことがなかった。そして、それは今もそうだ。それは彼の信念だ。だが、彼は怒鳴った。


「殺すさ!  俺は一生の誓いよりも優先することは、とっくの昔に選んでるんだぜ。仲間を護る時も、そのひとつさ」


 わたしの彼に対しての疑念、不信は、根元の根元からごっそりと無くなった。彼はイムを殺せない。わたしと一緒だから。


「さすが。男前。じゃあ、仲間であるイムを護って。お願い」


 防護服の止め具を外し、ヘルメットを外した。ネズミが壁を齧る音が鳴り、思い込みかもしれないと思うほど、微かに露出した肌が痺れる。汚染は痛みを伴わないらしい。


 もう決めたことだ。あの男と戦うにはこの防護服は重すぎるし、上手く動けない。しかし、脱げば汚染の影響で一週間以内に死亡する。


 この瞬間は、わたしが一週間以内に死ぬ事が確定した瞬間。それほど、苦痛じゃない。かなしいけど。こんなに晴れた気分に浸れるなら生きるのは一週間で十分だ。


「女に、一言の嘘もつけねぇってのか……俺は……」


 ヴァルターには悪いと思っている。カフェ、カルベラ、ダインに父さんにも。


「ごめん。分かるんだ。あいつと同じ、わたしだから分かる。ここでやらなきゃ一週間よりも早く死ぬ」


 無責任。いままで何もかも自分の責任としていたわたしからしてみれば、これは随分と軽い選択だった。この選択が何よりも苦しい。


「だから、行くね」


「……どことなりとも勝手に行けと…………ままならん…………生きて、帰ってこいよ」


「もちろん。この空間が消えたら、灯りをあげて欲しい」


 脱いだ防護服は薄い白に染まった空間に安置した。久しぶりに吸った熱い外界の空気は、汚染されているにも関わらず少しだけ美味しい気がする。汚染に浸ってもいい事は無い。空に昇らなければいけない。わたしは、暗黒を突き抜ける、天まで続く白の階段を展開した。


 一段一段と登っていく足取りは軽い。これが、これがわたしが自らの意思で行った選択。何かに命じられる訳でもなく、誰かに決められたものでもない。


 わたしが決めて、わたしが選んだ道。


 ズグロ・ピトフーイ。あれは修羅だ。わたしのひとつの末路。強くなる為に殺し、闘うために殺し、そして最後に自分を殺す。あれが修羅だ。彼を心の底から殺すことで、過去の私は綺麗さっぱり消滅し、わたしは真に生きることが出来る。


 なぁ、運命。

 わたしをまだ苦しめられると思ったか?

 あのカラスに怯え逃げ回ると思ったか?

 生に執心して自分を見失うと思ったか?

 不条理と運命に従い生きると思ったか?


 幽霊は怖い。

 見えないものが怖い。

 圧倒的なものが怖い。

 裏で手を引く悪魔が、死が、深淵が、怖い。


 こんなに高く昇っても、一部の狂人共が夢見る神はいない。空は蒼いのに、地上は黒く、深い。

 誰もがわたしの邪魔をする。どれもがどれもの幸せを許さない。リサを、フクロウちゃんを、わたしの友達を奪ったのはズグロじゃない。アァ レウェでも、クリュサオルでもない。


 この世界だ。


 ならば

「ぶっ壊してやる」


 赤い手も技構もボスティもズグロも、わたしとイムを取り巻き暗躍するカスみたいな死の運命と不条理を全員まとめて跡形もなくぶっ壊してやる。


「わたしの肉体が死んでも意志は死なない」


 わたしが真の意味で屈服することなどこれからの生涯で一度も無いだろう。意志が負けていない限り、形を変えて何度でも壊しに行く。誰にもわたしを制御することなどできない。


 囮の空間を目掛けて龍の子たちが飛び交っている。雷鳴のような音が連続して響き、それは段々と音の間を短くしていった。その音は、耳が痛む所では無い音圧だったが、不快では無かった。わたしの心情はかつてないほど高揚していて、その断続的な音の爆発音は鼓舞してくれているようにも聴こえたからだ。


 一層暗雲が濃くなり、それらがコップのコーヒーが揺れるみたいにどろどろとして渦巻いている。これが最後の暗雲だなと思った。なんとなく、分かった。そして、それは合っていて、青い、どこまでも青い空がわたしを出迎えた。


 貼り付けたような青、塗りつぶしたような青、大地と遥かに格別された青。そして、一点の黒。殺意の漆黒。


「――ズグロ・ピトフーイィィ!」


 あの男はわたしが呼ぶ前から何が楽しいのか笑みを浮かべて羽ばたいていた。分かっていたのだろう。わたしが分かっていたように。


「――ユウメ・エクテレウ……」


 待っていた。彼は言外にそう語る。たまったもんじゃない、待たされていたのはこっちの方だ。わたしは羽を握った。彼女から託されたフクロウの羽を。


「決着をつけよう」


「あぁ。悪くない」

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