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第81話 熱に沿う

 深部への道のりは徐々に険しくなった。地面に不規則性が増え、同時に滑らかに沈む形となっている。それは重力さえも捕まえる蟻地獄で、暗雲でさえも深部の中心地へと沈み込もうとしている。逆さまになった漆黒の山が大地を押しつぶしているような光景は、自然への畏怖を無理やりにも抱かせる。


 沈黙がわたし達を迎えた。虫も草もなく、雪も雨もなく、白も黒もない灰色の大地がただ待っている。恨みも、悪意も無い沈黙は全くの自然で、それは進化の本質がどこまでも純粋な競走だという証明だった。


〈まだ、深部ではありませんが、僕がついて行けるのはここまでです〉


 それは事前に決めていたことだった。わたしとイム、そしてヴァルターが深部を通過し、帝国にたどり着ける確率はゼロから始まる数字であるらしい。もし、全滅級のトラブルがあり、全員死ねば技構は死体を回収する必要があり、となると責任者は全滅したかどうかを知らねばならない。


 しかし、彼はゼロから始まる数字に賭けた。有数の防護服を貸し、ここまで連れてくることを許してくれた。技構は信用できないが、それだけは感謝したい。


「うん。……ありがとう。わたし達を信じてくれて」


〈信じたのはあなたでは無くあなたの魔術です〉


 彼の言葉自体は厭味ったらしいが口調に嫌味は無く淡々としていた。


〈しかし、あなただからこそ。その魔術は特異点(シンギュラリティ)へと至れたのも事実。最初で最後の激励を送りましょう〉


 黒く丸い顔がわたしを見る。


〈『完璧な文章などと言ったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないように』……前時代の作家の言葉です。人は負けるようには出来ておらず、どんな絶望にも隙はある。あなたの空間は、それを打ち砕くためにあるのでしょう。……防護服越しの顔は二度と見ないことを祈ります〉


 わたしは少しだけ面食らった。彼は物事に感情を含まない乾いた人間だと考えていたからだ。


〈生存率を上げる為ですよ――〉


 責任者は沈黙の空に傘をさしたまま、背を向けて歩いて行った。荒んでいたわたしは少しだけ罪悪感を覚える。


〈俺の経験上、本をよく読むやつは素直じゃない奴が多い〉


 ヴァルターが責任者が離れたことを見届けてから言う。


〈聞こえています〉


 無線があることを知らないはずがないヴァルターは、呆れたような素振りを見せて深い、深い淀みの底へと足を向けた。


 深部に到達したのは沈黙の中で一夜を明かした後だった。


 暗い。夜よりも暗く、海中のように重い。防護服に備え付けられた灯りが正面を照らすが、それはあまりにも頼りなかった。一寸先は見えず、すぐ側に這い寄っているだろう死の概念が全身に纏わりつく。この場所は、深海に似ている。あの、フィアの深海に。


「ねぇ、ヴァルター」


 うっすらと見える防護服に語り掛けた。視界の逆の方には、異常繁殖したリンクズモドキが骨の山のように積み重なっている。……それは、視界に写った数秒の間に蠢き、成長していた。


〈なんだ〉


 傾斜はきつく、不可視の空間階段をゆっくり降りた方が安心するほどで、それは無限にも思えるほど続いている。下に進めば進むほど、防護服の冷気が強くなり、外気温の高さが察せられる。


「ずっと、見られている気がする」


 リンクズモドキが人間に感じられるほどの速度で成長しているにも関わらず、深部はあの生物に埋もれていない。それは、あれが繁殖するよりも早く食す存在がいることの暗示だろう。


〈空間は展開し続けているか?〉


「うん。でも、時々、何かが触れてくる」


〈……近づいては来ないんだな?〉


「うん」


〈深部の生物は、俺でも、責任者でもほぼ分からない。近づいてきたら、容赦せず圧縮空間で吹き飛ばせ〉


 右前の空間が何かに撫でられて消滅する。しかし、その方向を見ても暗闇が広がるだけ。その生物は何重にも展開した空間の外側を触るだけ触って闇へと消えたようだ。それは、動物が未知のものを少しづつ触れながら知る行為に似ている。つまり、その生物には知恵があり、そして、空間が消えるということは、魔力がある。


「右前。魔力生物が空間を触って逃げた」


〈空間階段を上の方に修正できるか? そいつの手の届かない場所に行こう〉


「空に行ったら龍に捕捉されない?」


〈龍の子機は直線にしか動けず、魔力体である空間を優先して破壊する。もし音がしたら空間を囮にしてくれ。あと、方向を見失わないように空間のガイドを出しておいてくれ〉


 汚染地域(リヒトンリージョン)で方位磁針は通用しない。防護服の外気温計と、外方向に流れ続ける風の向きが脱出の目安となっているらしい。


「分かった」


 ヴァルターの言う通りにすると、灰色の大地はすぐに闇に包まれた。上も下も右も左も完全な闇、何もかも、不確実で確実なものは何もない。


「ねぇ、ヴァルター」


〈なんだ〉


「関係ない話していい? そっちの方が集中できる」


〈……何かあったらすぐに言えよ〉


「うん。感染と発症の話なんだけど。もし、イムが発症したら魔術を奪われ、そしてアァ レウェは全人類を操れるようになる。でも、わたしは思うの」


〈あぁ〉


「女帝や、父さんが操られるとは到底思えない。理論は無い、勘だけど……」


〈あぁ、同感だね。結局は、頭の中で因子が争うことになる。あの怪物たちは、恐らく細胞の一片に至るまで怪物だ。そして、怪物色の因子もな。発症を克服しても、おかしくはない。むしろ、当然だと思わないか?〉


「でも、カフェが操られたのは意外だと……何? この音」


 無限の闇が揺れている。それは、地面全体が蠕動するかのように小刻みに揺れ、リンクズモドキの山がガタガタとぶつかり合う音だった。最初は微かに聞こえていたが、だんだんと防護服を貫通するほどの大音響となる。


〈ユウメ! 空に逃げるぞ!〉


 一歩後ろにいたヴァルターが何かを見たのか尋常ではない声色で叫ぶ。階段を駆け上りながら、そのこちらに近づいてくる震源地を探す。


「圧縮空間で……!?」


 その生物を視認した時わたしは絶句した。


〈空間を動かせ! 徒歩じゃ間に合わん! 巻き込まれるぞ!〉


 魔力温存の予定だったが他に方法は無く、止む無く乗っていた空間を急上昇させる。大気に押しつぶされ膝をつく中で、空間が消える感覚を覚えさせられる。破壊されたのだ。物理的な力によって。


〈なんだ、あの、化け物は……〉


 それは、生物という枠組みに収まって良いものでは無かった。わたしたちが数秒前にいた場所は、鉛色の地面によって塗り潰され、その鉛色はこの世の全てをかき混ぜるように高速で回転している。城の尖塔が横たわったような超巨大な造形がいつまでもいつまでも行進し続けている。一本一本が巨人の手のように大きな触手が出鱈目に動き、回転と行進を生んでいる。それは、百足の動きに似ていたが、足の数は毛虫の毛よりも多いだろう。


「あれが、生き物? わたしにはそう見えない」


 ヴァルターは珍しく戸惑いを隠せない様子だった。


〈龍には確かに似ているが……技構が無駄に深部を刺激するとは思えない。だが、生物だとも……思えない。……あの自重をどうやって支えているというんだ?〉


「……殺す?」


〈いや、やめておこう。あの大きさで蛇みたいに暴れられたらたまったもんじゃない〉


 蛇の尻尾が上下左右に暴れるように、城が如き巨大なものに暴れられたらどうしようもない。しかし、あの化け物の行進は未だ終わらず高度を下げることは出来ない。


 そして、あの音がやってくる。


 わたしの頭を誰かが強い力で引っ張る。その誰かは、わたしが抱えていたイムの手だった。何が起こったかを理解する前に、わたしの頭があった場所を冷たい鉄が貫く。


〈ユウメ!〉


 瞬きもしていないのに、わたしは暗闇の中にいた。今、宙に浮かび上がっているのか、それとも落ちているのか、空と大地がどこなのかもわからない。ただ、地に足がついていないことが確かで、落下が始まった。

 龍の子機が側を通過した衝撃に吹き飛ばされたのだと予測をつける。だが、その予測の先にあるのは死と絶望だった。足場を求め展開した空間が次々と消滅する。龍の子機により次々と消し飛ばされているのだ。


 落下が止まらない。微かな明かりが照らすのは、更なる絶望、高速回転、進行する化け物。空間がひしゃげ押しつぶされる程の圧倒的暴力が近づいてくる。


 圧縮空間で殺すか? しかし、空間は龍に消される。一瞬の迷い、終わらない落下と不安定な回転に確かな声が届いた。


〈ユウメ! 空間を展開し続けろ!〉


 わたしは冷静であろうとしたが、自我を消し潰す程の不安と焦りがあった。その言葉を全面的に信じ、龍を欺くためのダミー空間を無量に展開する。次々と消滅し、そしてわたしが展開する。龍の雷鳴が鳴り響く縮図された生物競争の中で、わたしはあの壊滅的な生物を見る。大地を這い進行する化け物の足、幾多もの触手のその先端にはリンクズモドキの中身に似た生物が詰まっていた。一本一本の先端に連なる歯がありそれが大地を生物掴み回転を生んでいるのだろう。


 ゆっくりと観察できるのは、わたしの脳がどうすべきか考えているからだろうか。だが、思い浮かぶのは一か八かの方法だけ……


 その時、わたしの上、空に光が生まれた。暗雲が一瞬で晴れたのかと思うほどの光量が世界を沈める。


〈暴れるなよ!〉


 あれはヴァルターが発生させたのか、わたしの居場所を探るために。彼も空間を破壊されたせいで落下している。その彼が細い、ワイヤーのようなものをわたしに伸ばす。それは、投げ縄のようにわたしが掴み、わたしとイムに巻き付き、ヴァルターとわたしを繋いだ。

 彼のポケットには本当に何でも入っているのか?


 ワイヤーはどういうわけか、彼の方に引き寄せられる。化け物の上、空の中でわたしたちは投げ飛ばされたスリング弾のようにぐるぐると回り、どこともわからず飛び続ける。連なり響き渡る雷鳴と、化け物の進行が小さな音となるまで飛んで、やっと、不時着した。


〈クソっ! 最悪だ……! 防護服に穴は開いてないか?〉


「大丈夫! ありがとう、助かった……」


〈いいや、まだ助かってないぞ。最悪の中で最も最悪なことになった〉


「なんで? もうあいつはいない、このまま進めば……」


 進む? この暗闇のどこへ? 


〈方向を見失った……! 勘で進めば一生ここから出られないぞ……!〉

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