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第80話 英雄、宙と共に

「まさか……この川に入ったり、雨に当たるとわたし達は分解されるってこと?」


〈短時間なら、問題ないでしょうが、長時間なら間違いなくそうなります。具体的な数字を出すとすれば、三十秒以上は厳しいかと〉


「はぁ!?」


〈大した数字ではありません。彼らは外骨格を捨てているため、多量の水分で体を包まないと汚染により即死します。数が多いということは、それだけ水分が必要であり、水たまりにわざと足を浸け続けるぐらいしなければ防護服に傷がつくことは無いでしょう。僕たちが未だ歩けているのが、その証拠ですよ〉


 今まで死んで無いから大丈夫というのは、無事に生きているという場合と、ゆるやかに死んでいるという場合の、二つの状況がある。大抵、人は前者を信じてゆるやかに死ぬものだが、わたしの腕には彼女がいる。今だけは賢くなっている場合じゃない。


「空間の上を歩こう」


〈普段なら迂回しますが……えぇ、そうするしか…………ありませんね〉


「……なに?」


〈いえ、何か、嫌な予感がして〉


〈そりゃ、大気も植物も微生物も敵に回れば嫌な予感もするだろう。俺はずっとイヤイヤだぜ?〉


〈……はい。気にしている場合ではないですね。それに、ここからは大地も敵に回ります〉


「今度は何?」


 わたしは辟易としながら聞いた。


〈深部までは空間の上を歩きましょう。リンクズモドキに紛れて、ワーカーを食べる食虫植物型がいます。彼らを踏めば防護服に傷がつく〉


「分かった。行こう」


 空間を伸ばし、小川を渡る。嫌な予感は、確かに、ある。空から監視されるような、うなじに視線がピリピリと刺さるような予感。正体は分からないが、察しはつく。身体全体が、これ以上進むなと警告を出しているのだ。


 空が敵になり、大地が敵になり、水が敵になり、雨が敵になり、植物が敵になり、汚染が敵となり……そして、まだわたし達がいる場所が浅瀬だということを忘れてはならない。頭でわかっていることを、体が分かっていないはずもない。張り続けている緊張感が、これ以上は絶対に破綻すると悲鳴を上げているのだ。


 緊張の破綻が訪れれば……防護服に傷がつけばゆるやかな死が確定する。飛んでくる虫に掠っても、少しふらついて大地に手をついても、防護服のどこかに水が溜まっても死ぬ。最もプレッシャーを与えることが、死ぬのがわたしではなくイムになるかもしれないという事だ。


 伸ばした空間の上を歩き続ける。傘として展開した空間を水が滑り、壁として展開した空間に矢のような速度で虫が当たって、潰れて死ぬ。薄暗い灰色の森は風にも揺れずに眠っている。寒気がする。こんなところで怯えている場合ではないというのに、わたしは病的に辺りを見回し続けた。


 小川はとうに通りすぎたが、雨によるぽつぽつとした水たまりがあり、それは明らかに水だけではない光沢を含んでいた。この微生物たちは、対外侵域(キルゾーン)を越える心配がないのだろうか、彼らがもし外に出てしまえば、もっと悲惨な被害が広がっていただろうに。


 その時、防護服の厚みを貫通するとんでもない音が空から降り注いだ。その音はシャープな雷鳴のような、剣戟の一合いのような音がびゅんびゅんと流星のように襲ってきた。


〈大丈夫、龍の子機です。地上にいれば襲われない〉


 責任者は空を見るが、空には、何もない。絶望的な暗雲が広がるだけ。


〈超高速で飛び回り、飛行生命体を殲滅する、龍の一部分。あの音は空気を割く音で、これから、何度も聞くことになりますが……実害はありません〉


「大きい音ってだけで……実害しかないよ……」


 防護服は致死的な勢いで吹く蒸気の音さえ気にならない位減衰していたというのに、今の音はそれ越しで耳が潰れそうになった。防護服無しで聞いていたらどうなっていただろうか、想像に難くはない。


「あんな奴がいるってことは、空は警戒しなくていいってこと? でも、あそこまで強力な、生物? 技術? を技構は作れるの?」


〈前文明の機械を流用しているだけだ。技構は完全な制御ができない上に、龍は不安定で汚染地域(リヒトン・リージョン)内でしか運用できない〉


 いつもの彼からしてみればその説明は何かを省いているように感じた。喋れることは喋ってほしいが、わたしが知り得ぬ概念なのだろう。あんなものに当たっては空も地も関係なくひとたまりもないだろうに、あれが、アァ レウェとの戦いに使えないことがもどかしい。


「空間を四方で囲んで展開させ続けたら? 空は雨以外大丈夫でしょう? 地底から魔力生物が来る可能性は?」


〈地底には熱源があり生物が生存できる環境ではありません〉


「空には龍がいて、地の下には熱がある。気を付けるのはわたし達と同じ高さにいる奴ってことね」


〈それも、擦り付けた臭いのおかげでそこまでしつこく攻撃されることもないでしょう〉


 彼の言う通り、空間の上を歩き続けている三時間の中で攻撃されることは無かった。その三時間が数倍に感じるほど道のりは長かった、険しくもなく、暑くも寒くもない、ただ、体がいつもより数倍重いだけの平坦な道のはずが、弾けそうな警戒心が一秒一秒を引き延ばし、それに伴って空間が伸びたように感じたのだ。


 鉛が包む肉体と防護服が包む柔らかい肉体。地域内の生物相にわたし達は組み込まれている。しかしそれは捕食者としてではない、完全な被捕食者としてであり、開けた砂原の上を歩く柔らかな肉、草食動物と何ら変わらないのだ。状況も、心境も。風に逆らい動くもの、闇はもちろん木の陰にすら怯え、視野を広げる進化をした。彼ら怯える動物たちは、その砂原がただただ広く永いものに見え、そして感じるのだろう。今のわたしと同じように。


 夜の色をした雲が深部に近づくにつれて、さらに濃ゆく深くなり深淵が宙にあるかのような色合いを見せた。深みに溜まった淀みは排水溝に溜まる汚物にも見えて、禍々しく忌避させた。

 いつしかわたしの狭い視界で、雨は色褪せたふわふわしたものに変わった。


「雪……?」


〈似ているが、違う……これは、灰だな〉


「億年も前に人類を滅ぼしたものが、まだ空を舞っているっていうの?」


〈ほとんどは、地上から吹き上げられたものだろうが……まだ空にあってもおかしくはないだろうな〉


 灰はこの付近で降り続けていたのか、まばらにあるプラントやリンクズモドキの上に絵に描いた雪のように積もっていた。ゆっくりと、それは展開した空間にも進行し、透明な道と壁、わたしの空間が勝手に色付けられる。何度も思ったが、改めて思う。この地域のあらゆる特性が不快でたまらない。


〈透明な道が見えるようになったのは悪いことではないですね〉


「わたしはすごく嫌」


〈どうしてです〉


「…………」


〈……まぁ、人にはいろいろあるもんだ……なに、悪い事ばかりじゃない。この環境では追手は絶対に来ないだろう〉


 追手が来ない? あの男が来ない? 自分が汚染に侵されることや、龍に襲われることを恐れて? 

 わたしには、それは到底考えられないことだと思えた。飛ばないカラスはカラスじゃない。あの男が逆境の空を飛ぶのは、当然のことじゃないか。

 わたしの沈黙に納得とは逆の音を感じ取ったのか、ヴァルターは言葉を続けた。


〈……もう一つ、追手が来ない理由がある。お前が考えている男は、確かに不死性にも似た回復力を持っているが――〉


「違う、あいつが来る理由に回復力は関係ない。むしろ、ここにいない理由がない」


〈まあ聞いてくれ。あの治癒はアァ レウェの魔力から与えられているものだ。黒い魔力。見覚えがあるだろう?〉


 それはいつだってわたしの障害となったものだ。リサに寄生した黒、ネームレスを復活させた黒、ズグロ・ピトフーイそのものである漆黒。そして、アァ レウェの宙となる色。忘れるはずがない。


〈魔族、魔術師にはそれぞれの魔力に色を持つ。それに法則性は無く、同じ属性魔術でも同一の色になることは稀になる。なぜなら、それは因子が旗色をつけ、お互いを喰い合って寄生先を破綻させないようにするためのものだからだ。アァ レウェの色は漆黒。恐らく、変異した『B』の魔力因子と寄生先の色の魔力が争うことになる〉


「その変異した魔力因子が漆黒ってことね。そして、『A』は『B』を殺せず、『B』は『A』を喰いつくすからいつかは完全な漆黒に染まる」


〈それは、ならない。これは想定だが、魔力因子を生産する全身の細胞を作り替えることは出来ない。いくらでも溢れる絵の具みたいなもので、染色が追いつかない。その部位をクリュサオルが改造しようとしても、既存の色が抵抗することになるだろう〉


「その理論だと、クリュサオルは人間の体の中で魔力因子を喰うだけで、干渉することは出来ないってことになるじゃん」


〈魔力因子を生産する細胞は全身に存在するが、脳はまた別のものだ。寄生ってのは、宿主に干渉しすぎないように絶妙な進化を遂げる、いや、干渉しすぎる寄生体はすぐに滅亡する。寄生ってのは、そういうものだろう?〉


「だとすると、魔力因子は既存の色とクリュサオルの漆黒がずっと争い合ってる。そっか……生産されるのは『A』と『B』の混合で、必然的に『A』は減っていくから『B』の生存戦略としては生産する細胞を変える必要がないのか……」


〈そうだな。そこにリソースを吐く必要がないから、そういう進化をしなかった。分かってきたじゃないか〉


「はいはい……それで? この性質がどうしたっての?」


〈リサに不死性は無く、ネームレスの不死性は魔術師じゃないがために起こったものだ〉


 非術師は魔力を作れない。しかし、因子は体にある。何者にも染まっていない因子が漆黒に染められ、体を魔術師のものに作り替えられたのだろう。


〈じゃあ、ズグロ・ピトフーイは? 奴の魔力の色と漆黒は対立し、体を治癒……いや、復元するのは難しいはずだった。だが、あっさりと復元を可能にする条件がひとつある――〉


「――ズグロの魔力が、最初から漆黒だった場合」


〈そうだ。適合者というのが相応しいだろうかね……あいつは、選ばれたものだ、アァ レウェにとって唯一の英雄なんだよ〉


 そんなやつを簡単に死地に送ると思うか――彼は、そう言ってこの話を締めた。

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