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第79話 モノクロ森林

 疑問は疑問のまま、答えに昇華されることは無く悩むがままに時間は進む。学園に入る前のわたしならここまで悩むこともなかった。なぜなら、裏切られるかどうかは正面から殴り殺すか背後から殴り殺すかの違いでしかなかったのだから。その考えは、今は出来ない。長い付き合いで、信じてきた彼をこの手で殺すなんて考えたくは無かった。


 足元の感触にも慣れ始めたころ、あの灰色の森が近づいてきた。その木は外の森林ほど密集している訳ではなく、疎林と呼ぶ方が適していた。決してそよ風とは言えない風が吹いているにもかかわらず、その木は揺れていない。確かな存在を感じる。


 あのワーカーと呼ばれた鈍色の虫が這い回っている。よくよく見れば、その灰色の葉はまた違う形の生物が密集して葉のように見えただけだった。


〈これらはプラント。ワーカーの巣です。プレデターと呼ばれる捕食者と共生関係を結ぶ種もいますので、興味本位に近づくのは自殺と同義です。特に、()がついているものは〉


 葉は、大量の小さな蟻が形を成している。数匹の蟻がプラントの洞から蜂に似た暴れるワーカーをその葉モドキに連行すると、ワーカーは葉モドキに包まれて見えなくなり、息をつく間もなく、ワーカーは『だったもの』になりボトリと、肉の無い外骨格が落ちてきた。


〈ガキアリモドキ。プレデターの到達種。名付きです。ワーカーと共生関係を築くことがあり、ワーカーから餌を捧げられることで、ガキアリモドキはそのプラントに住み着き、ワーカー側は他のプレデターによる壊滅的な被害から逃れることができます〉


「個体の代わりに種を救うってやつらね。その進化は技構から学んだの?」


〈生物として、当たり前の事でしょう。それよりも、警告しておきますが、本当にその蟻は相手にしない方がいい。金属並みの外骨格に隙間を開ける顎があり、防護服に穴を開けられればそこから入り込まれ、あっという間にあのワーカーのようになる〉


「もしも見をつけられたらどうすればいい? 空間で空に逃げるしかない?」


〈逃げるしかありませんが、大幅なタイムロスです。この生物は気性が荒いどころの話では無く、目についた種の成体、子、卵を殲滅し、種そのものを絶滅させるまで止まりません。それで餌を喰い尽くし、逆に飢えて個体数を激減させた記録もあるほどです。他生物の脳からの指令に反応し、その特殊な感覚器官を使い敵を識別します。それが空にあるとなったら、蟻が連なって橋を作り、追ってくるでしょう。空間で自らを囲めばいつかは諦めるでしょうが……〉


「囲まれたらあいつらが諦めるまで動けなくなるってことね。分かった」


〈律儀に相手してやってもいいが、数が数だ。消耗するのはこっちだ。だから、これを使って喧嘩を売られる前に通るぞ〉


 ヴァルターは防護服のポケットから紐に繋がれた小さなものを出し、紐をぶんぶんと回してスリングのように投げた。それがりんりんとやかましく遠くに飛んでいくと、ガキアリモドキたちは驚くほどの速さで葉の形を崩し、地を這ってそれを追いかけた。木の表面にいるものだけでなく洞や、他のプラントからも大量の蟻が堰を切ったように溢れ出て、疎林全体に氾濫した鉛色の川のようになった。


〈今だ! 走るぞ!〉


 その川に切れ目ができると、ヴァルターと責任者は走り出す。それなら事前に言っておいて欲しいと思いながら、わたしも後に続いた。


 その後も疎林は続き、ヴァルターがうるさい球を投げて川の切れ目を作り、プラントの密集地は避けて、を繰り返しながら走ると、だんだんと空が深く暗くなっていった。


 汚染地域(リヒトン・リージョン)にも夜が来る。深い雲のおかげで日中も半分夜のようなものだが、完全な夜が来ると、伸ばした先の指先も見えないほどの完全な闇が降りた。防護服に備え付けられた灯りが無ければ、もっと紅軍は遅れていただろう。


 疎林は永遠に続くが、あの蟻の生息地には偏りがあるようで、その偏りでわたし達は休むことになる。防護服の太く曲がりにくい足をゆっくりと曲げて胡坐をかきイムを寝かせた。リンクズモドキの生息地に偏りは無く、イムを寝かせるためにそれらを潰すと、彼女の防護服の下から液体が流れた。


〈よし〉


 ヴァルターの小さい声が聞こえた。独り言でも拾ってしまうのが、この防護服の悪い所だ。彼の姿を探すと、鉄傘を持つ一人の防護服がいて、その先にプラントの洞に手を突っ込むヴァルターがいた。


「……何してるの?」


 彼が握った手を開くと、小さな丸い虫がいっぱい零れた。彼はポケットから金槌を出すとそれを潰した。彼のポケットはなんでも入っているのかも。


〈プレデターがいないから、もしやと思ったんだ。こいつには名前は無いが、似たような種が根絶することは無い。こいつらは高濃度の臭気と苦みがあって誰も食べたがらないんだよ〉


 彼は信じられないことにその虫の液体を全身に塗りたくり始めた。そうすれば狙われにくくなるだろうとは理屈で理解できても、気持ち悪いものは気持ち悪い。


「それって、わたしもした方がいいのかな、女は狙われにくいとかないの?」


〈諦めろ。むしろ、これが効果あるのは動いていないときだけだ。あいつらは目の器官が発達していない代わりに、動いているものを感知する器官が発達している。これから、ずっと追われるんだぞ? 夜くらい、ぐっすり寝たいものだろう〉


「……背に腹は代えられない……」


 責任者が洞に手を突っ込んだ後にわたしも手を突っ込み、感触も分からぬままに手づかみをした。引き抜くと、細かい虫を団子にしたものがわたしの手と共に出てきて、手の甲から腕に細かい虫が走る。ぞわぞわと背筋が粟立ち、慌てて叩き潰し、ただの液体に変えた。本当に、防護服という概念があってよかった。素肌にこれを塗るとなれば、わたしは発狂していただろう。


 この細かい虫たちも金属並みの外骨格を持っているようで、その小ささもあり、叩き潰すのに苦労する。わたしの身体に塗り終わると、次はイムの身体に塗らなければならない。


「ごめん、ごめんね……イム……」


 イムはこういうのは苦手なのだろうか。彼女は知識欲が強く、昆虫食も気持ち悪さより好奇心が勝つような人だ。彼女がこれをどう思うのか、彼女の口から聞きたい。気持ち悪さで目を覚ましてくれたら、どれほどよかっただろうか。


 食事と排泄は防護服の中で完結している。食事は装着時に腕に刺された管の付いた針から栄養を流している。排泄は管のようなものを通さなければならないが、わたしは嫌だったので代替案でしている。捨てたいが、それすらも汚染地域(リヒトン・リージョン)は進化の餌にするのだから。


 雨が降り始めた。

 どうせ、雨も危険なのだろう。空間を壁と屋根として展開して睡眠を取ろうとしたら、責任者がそれを無視して鉄傘を差した。わたしが何かを言う前に、彼の声が耳に届く。


〈悪く思わないでください。これは僕がやらなければならない事です。この雨には、厄介な生物が混ざっている場合がある。他人を無条件に信じ、備えを忘れ、代々繋がれてきた防護服を失ったとなっては、地獄で顔向けができない……これは、精神性の問題なのですよ〉


「……うん、気を悪くしたわけじゃないから、大丈夫」


 技構は嫌いだが、その油断のない姿勢は嫌いじゃない。わたしにとっては信用できる要素だ。


〈……もう寝るぞ。明日の夜には深部に入るだろう〉


 歪な自然界の真ん中で三人で交代で胡坐をかいて眠る。張り詰めた緊張の糸が途切れることは無く、うっすらとした睡眠と現実を行き来して、何事もないまま朝が来た。


 アァ レウェとの接触から三日目。

 雨は降り続けている。


〈――ワーカーと言っても、外骨格を砕く顎、僕たちを脅かすには十分な攻撃力があります。最初に見たワーカーは蜂のような頭部を持っていましたが、腹部はどちらかというと飛蝗に似ていました。あれは羽根を両脚に格納し、地上では跳躍のための筋肉に、空中では翼として使っているのでしょう。金属の外骨格は空ではあまりに重すぎる、既存の羽根は役に立たない。しかし、それでも初速は矢の速度を超えるかもしれません。注意すべきです〉


 風に揺られ、空間に強く打ち付けられる雨音が微かに聞こえ、それをバックに責任者のガイドが流れる。背の高い草は無く、どこまでもリンクズモドキとプラントが続く。ふたりの先導がいいのかもしれないが、通常、森を歩くとなれば背丈の高い草に身を沈めることもあっただろうに、ただ閑散とした草原を歩くだけでよいのは精神的に助かっていた。


 二人の足が止まる。その先には流れる雨が小川を作っていた。深くても足首ほどのものだろうか。


「その川も、もしかして、生物だったりする?」


 半分冗談で聞いたことだったが、彼らは頷いた。


〈汚染を防ぐ要素として必要なのが、厚い金属と、水またはこの灰色の大地です。リンクズモドキは大地を分解することでその両方の性質を併せ持つ外骨格を生み出します。それを地域内の全生物が食すことによって強力な外骨格を持つ生物が生まれ、忌々しい事ですが汚染地域(リヒトン・リージョン)の生態を支えています〉


 リンクズモドキは生態系での最下層でありながら、最上位の存在であるという事だ。だが、それと目の前の小川は関係あるのだろうか。


〈この小川には名付きではない微生物が大量に生息しているのですが……あの蟻のように群体を成し、巨大な一つの生物になってると捉えてよいでしょう。外骨格を有す生物とは違い、水による汚染の減衰を利用し、最低限のダメージを受け入れ、死数が生数を上回っているがために生存し続けている生物。厄介なのは、水と判別がつかず、一個体はあまりに小さいため蒸発する水分に含まれ、そして、雨にも紛れうるということです〉

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