第6話 観察
魔術は意志を象る。人間以外の生物、鹿にも熊にも、蟻にもコオロギにも植物であろうと意志はある。あとは魔術を出力する回路を変異など何らかの過程で獲得すれば、鹿の角や熊の爪と同じように、魔術は象られるのだ。
「なんでこんなに魔獣がいるの!」
熊型や狼型、捕食生物と徒党を組む理由のない鹿型など、数匹の魔獣が馬車の周りを囲む。それなりに平和だったはずの街道は、殺気立った獣共の狩場と化し、自然の追跡者が餌を見逃すはずもなく、私達は真正面からの殴り合いを余儀なくされた。
馬車のように大きな鹿型が、自らが恐れる極寒の冬を齎そうとしている。
「カッツィさん。あいつ任せた! 私はクマ!」
カッツィは小さく頷き、二足歩行とは思えない速度で走り出した。彼女は鹿の角から放たれる冷気の結晶を蹴り砕き、いつの間にか鹿の首筋に登っていたかと思うと、両の手で鹿の大木のような首を掴み、握り潰す。
背面に敵が消えたことを確認し、私は大物の熊に飛び掛かった。熊の恐ろしい獣の目は易々と私を捕捉し、岩も軽く裂きそうなほどの凶暴な爪を振りかぶる。それを受けるわけにはいかず、空に空間を展開し、それを足場に避けると同時にぐるりと跳ね飛び、もう一度空間を蹴り、握った拳を天から地へ脳天に打ち込む。拳が触れると同時に熊の頭が陥没し、呆気なく崩れ落ちた。
賊の襲撃から一週間は順調に進んでいた。途中途中で街に立ち寄り、宿に泊まり、物資を補給しながら何事もなく進むことが出来ていたのだ。しかし、やっと王国との国境かというところで魔獣からの襲撃を受け続けていた。
魔獣なんて、一匹でも見つかれば周辺立ち入り禁止の報告と共に新聞の一面を飾る程の希少生物である。それがこうも見つかるとなると、敵対組織の存在を感じざるを得ない。
付き人達と私、カッツィが魔獣を片付け終わり、街道を濡らす赤色を鬱陶しく思う頃には、空がその色を反射したように朱色に染まり始めていた。
彼ら魔獣の目はこの朱色だった。怯まず、逃げず、決死の道から血走る目を逸らさなかったのだ。まるで、退路などないというように。意志も無く、ただ生きるだけに貪る野良が、生きる為に決死の意志を宿すことなんて尋常なことが無ければありえないだろう。
「イム。おかしいと思う。魔獣なんて見るの人生で初めてだし、群れるなんて。絶対誰かに狙われてる。とても近くから。それも、組織的に」
馬車に籠っていたイムが、窓から顔を出して辺りを見渡した。
「視線は感じるわね。それも、堂々とした。物好きな人もいたものね」
呑気か、それとも余裕か、彼女からは命のやり取りをする緊張感を感じない。護衛をされる側なのだから、それで構わないのだけれど。彼女は時たま、適当な事を言っていると見せかけて『こう言ったらどういう反応をするのか』と私を推し量ろうとする。動物の生態を観察するような目で。いや、その目すらも私の反応を量る触媒に……そんな感じでぐるぐると、未だ、彼女の人間性は掴み切れない。
しかし、今は考えている場合では無い。その観察の目で、私達は何者かに見られ続けているから。戦い方、魔術師の生態を観察し、追跡し続ける魔術師殺しの経験者らしき何者かに。
「魔獣を操れるのは獣人の、それも珍しい部類だけどなんか心当たりないの」
「操っているか、追い立てているか」そう言って、イムは肩を竦めて首を振った。
暗くなる空に気を配ると、漆黒のカラスが飛んでいた。カラスは自由に興味が無いようで、私たちの周りを回遊し続けている。じぃっと見ていると、不自然に高度を下げ、遠い森の中に潜っていく……その経路に人影が見えた。
「イム、あいつ」
私は遥か遠くにいる木の上の人型から視線を外さずに問いかける。人型は私の視線には気づいているだろうに、逃げずにこちらをじっと見つめ続けていた。
「間違いないわね。あれは……鳥の翼? 獣人かしら」
「鳥の翼? よく見えたね」
「え。あぁうん。私って目がいいの。凄く」
彼女の瞳の中にある紫の花が揺れる。何か彼女の核心を突いた気がしたが、考えている場合ではない。核心の手ごたえだけは、覚えておこう。
「カッツィさん、片付けたら出発しよ」
巨大鹿の死体を引き摺って街道の橋に寄せていたカッツィに、人型のことについて説明した。
「うーん。あの木に? ワタクシは目が悪いのでよく見えませんね」
カッツィは首を傾げながら、アーモンドの形の目を見開いて大木の方向を見つめていたが、やがて諦め、馬車に乗った。
立ち寄った町は、町と言うより村といった方が適切では無いかというほどあまり栄えてない場所だった。大通りには多少の瓦斯の通った街灯はあるが、ポツポツと続いているため光量が足りず侘しい雰囲気を街に下ろしている。私はイムの休む宿に気を配りながら人通りの全く無い大通りで夜空を見ていた。
「ユウメさん、お休みにならないので?」
カッツィは、夜に見ると毛並みがいつもより深く見えた。
「いえ、私はあまり仕事中は寝ないようにしてるの。一回寝るとなかなか起きれなくて」
「あらあら、起こして差し上げましょうか。旅は一ヶ月。その間ぐっすり眠れないのは辛いでしょう」
「いえ……本当に起きれないの、自分でもビックリするくらい……それよりも、カッツィさんはどうしたの」
カッツィはクスクスと笑いながら話を続ける。黒いしっぽがゆらゆら揺れていた。
「ユウメさんを探しておりました……姫様のことについて、少し」
「何かあったの?」
「……防御魔術を見れば相手の力量を推し量れることはご存じかと……ですが、更に、深く見ることができれば相手の考えや性格まで見えてしまう、という話を聞いたことがありますか」
「……あるけど、眉唾だと思ってる」
彼女は宿の方へ視線を向ける。イムの部屋の方向だ。
「はい、その通りです。ただの観察ではそこまでの読みが出来るとは思えません。しかし、姫様には産まれ持ってその力を、魔術を授かっておりました。名を内の瞳。魔力の本質と世の理、人の心までも見透かす。全能の瞳です」
あの花の咲いたような瞳と、核心を突いた手応え。嘘ではなさそうだ。他人に魔術の能力を暴露するのは殺人的とも言える行為だが……これはある種、カッツィにとって、ひとつの賭けなのかもしれない。しかし、疑問も生まれる。イムが私をつつきまわして反応を試す必要性が無い。私を見るだけで人間性は推し量れるはずだ。
「今はある程度制御できるようになったらしく、人の心が勝手に見えることは無くなったようですが……」
彼女には、私が戸惑っているように見えたかもしれない。
「大丈夫。私は見られて困るような考えは持ってないし、たぶん……それに、借金を返す前に逃げるような真似はしない」
私がそう言うとカッツィは満足したように微笑んだ。
「フフフ、いいお返事が聞けて、安心しました。ユウメさんも姫様と一緒に学園生活楽しんでくださいね」
私は返事の代わりに微笑み、カッツィと共に宿に戻ろうとしたその時、金属が軋むような音が聞こえたかと思うと、私たちを照らしていた一つの街灯が消えた。
「こんばんは、お嬢さん方。こんな夜更けに出歩くなんて、不用心じゃないか」
消灯し、ぐしゃぐしゃにへしまがった街灯の上に黒ずくめの外套を着た男が立っていた。その男は身の丈の三倍はあろうかという巨大な一対の翼を広げ、口に弧を浮かべていた。間違いなく、彼が追跡者だ。
「何者ですか……」
カッツィが尻尾を逆立てながら誰何する。厄介な男だ。あの巨大な翼から身の毛もよだつような恐怖心を感じる。極採食の蜘蛛や蛙を見たときのような、本能が絶対に近づくなと叫ぶような感覚。漆黒の翼、何よりも黒というのは、極彩色を煮詰めた色だ。
「俺の名はズグロ・ピトフーイ。お嬢さん方を追跡させてもらってる。……とか言っても、俺の羽ばっか注目しちゃってさ。楽しくお話しもさせてくれない。だからよ、教えてやるよ。俺の魔術」
ズグロはそう言って翼を震わせた。何枚か漆黒の羽根が舞い落ちるとそれに触れた金属の街灯がドロドロと、まるで雪が解ける様に溶けていく。錆のような強い悪臭が漂い、折れた瓦斯灯の配管から、シューシューと瓦斯漏れの音がする。
「名は致命の溶毒、俺の羽に触れた物体はこの猛毒の魔術によって溶かし尽くされ、塵芥よりもひどいものになっちまう」
街灯がぐらりと倒れると同時に、彼が一度だけ羽ばたくと瓦斯と錆の滲む空気が霧散する。地面に直立する彼は、何を言うまでもなく目に見える煙を片手で弄んだ。私達の言葉を待っているように。
「あなたは何がしたいの」
彼は凶悪的な翼とは不釣り合いな端正な顔立ちをしていた。そして、それがまた歪だった。
「ははっ、やっと俺の顔を見たな。教えた理由? ミステリアスな男はモテるだろ、そういうコト」
会話を楽しみたいと嘯く癖に、質問を投げ返すような男がまともであるはずがなく、足先から頭まで、そして精神までもが防御魔術を見なくても分かる程歪だった。
瓦斯漏れを検知して供給が止まったのか、街灯からの音が消える。それを合図にしてカッツィは、獣の俊敏性をもって、目にも止まらぬ速度で飛びかかった。
「悪いがこれは正当防衛だ」
ズグロは忌々しくもその速度に反応し、嗤いながら一瞬で巨大な翼をはためかせ、強風と大量の毒羽を飛ばした。カッツィは強風に煽られて動きが止まっている、毒羽を避けられない。
「設置」
私は彼女と自分の前に空間の壁を何枚も作る。ダインと行動している時は、言わなくても分かるのでわざわざ空間設置を宣言することは無いが、今夜の相棒は知り合って短い。飛来した毒羽は見えない壁に当たり、それ以上の進行を許されず、大通りにヒラヒラと落ちる。羽根に触れた私の空間がドロドロと溶けていくのが私には見え、絶え間無く飛来する毒羽が次々と何重もの空間を溶かし続けている。
私よりも奴との距離が近いカッツィの方は、空間の壁が既にほぼ溶け切ろうとしていた、強風によって崩された体勢を立て直したカッツィが私の横に一息で跳ね帰る。
その一瞬に、カッツィのスカートに羽が掠るのが見えた。
「カッツィ! 足!」
スカートの下部、羽が接触した部分がドロドロと溶けだす。自らの足元からスカートを辿って毒が登って来ているのを確認した彼女はそれを膝下から爪で切り落とした。切創耐性のある服を易々と。切り離されたスカートが地面に落下し跡形もなく溶け、黒煙を上げる。
「一瞬、服に触れるだけなら、どうにかなりますね」
「あの羽、私の空間も溶かす。でも、ここらへんが射程ギリギリ」
最初の構図に戻った私達をズグロは口元に弧を置きながらも、鋭い目線でこちらを真っ直ぐに見つめている。
「そっちの方がセクシーだぜ子猫ちゃん、ただ、もう少しお淑やかな方が俺の好みかな」
彼ははためかせた翼をたたみ、話を続ける。
「まぁ聞いてくれ、俺の話」
「聞くだけ聞く。その後は知らないけど」
ズグロは天を仰ぎながら、聞き分けの悪い学生に丁寧な授業をするようにゆっくりと語る。
「俺の致命の溶毒、良い魔術だろ? 考えてみろよ、このまま俺が数歩前に進んでこの翼をはためかせるだけで、お前の空間魔術でも防ぎきれずにいつか毒を食らって、俺の勝ちだ」
防御に自信のある最大まで強度を上げた空間が、ああも簡単に溶けたのだから、防ぎきれないという部分にはぐうの音も出ない。
「確かに、お前の空間魔術を張り巡らせば数秒は持つだろうさ、だが、数秒だぞ、俺の翼を見て良く考えろ? 何枚の羽根が見える。数え切れねぇだろうが、これの一枚でも肌に当たればお前らは即死だぜ」
ズグロはゆっくりと翼を広げて、天を仰いだ顔をこちらに向ける。その顔に笑顔はなく、闘争心剥き出しの猛禽類を思わせる表情をしていた。
「だから、無駄で虚無な死を迎える前に……皇女を渡せ」
彼の放つ凶悪な殺気が、私たちの肌を震わせ温度が下がったかのように錯覚させた。