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第62話 毒鳥はかく語りき

「いかにも。私がアルキメデスだ。ユウメ・エクテレウ」


 天窓から降りる夜の光がアルキメデスの羽を流れる。頭から首へ、トーガの隙間から足へ、不動の石を照らすように流れる光が、彼が、何か、流氷のように重い決意を抱いていることを思わせた。


「ユウメ・エクテレウ」


 夜の光を吸収し、夜に溶け込み、いずれ夜そのものと化す漆黒の羽がそうであるように、アルキメデスの声にも惹きつける色があった。


「ユウメ・エクテレウ。君は、姉が殺されたことも、母が殺されたことも、果てには、自分が捨てられたことでさえも、強さの無かった自らの責だと考えている」


「……なんの話?」


「そちらの方が、楽だからだ。そうだろう? 母が死ぬ、姉が死ぬ、日常が死ぬ、手も届かぬ場所で。そんな、どうしようもない不条理が、君は認められない。

 降り注ぐ不条理を、雨を傘で防ぐように、防壁を求めた。その不条理が、鉄をも溶かす猛毒とも知らず、強さという防壁を過信している。

 愚かな娘だ。君は理由が欲しいのだ。不条理が不条理たり得なくなる、矛盾した理由が。それに気づかず、闇雲に走り続け、自らを押し潰し、傷つけ続け、周りの誰も彼もが死んでいることに気づかず、また、強さを求める」


「ご高説おじさんはね、殴って黙らせるようにしてるの。…………あなたに私の何が分かるって言うの?」


 局面に追いついた皇女がユウメの拳を握る。鴉を見上げる彼女の瞳は暗く淀んで、鴉のガラスのような目に反射している。


「君は、強さに盲信している。我が息子……ズグロを思わせる人の相だ」


 アルキメデスが首を回すと、その目の奥に赤い光が輝いた。


「私の話より、そいつの話を是非、ご高説頂きたいのだけれど」


 アルキメデスは、あっさりと承諾した。


 トリトリント達を帰らせたヴァルターが紫煙を燻らせながら、高説を聞こうと廊下にあった椅子を持って来て我が物顔で座ると、アルキメデスは滔々と語った。


 ズグロ・ピトフーイは、漆黒の羽と、巨大な翼を携えて朝日と共に産まれた。残った夜の露を払う朝の光さえ適わぬ黒の毛皮。先祖返りか、獣人同士の交じり合いの影響か、人の特徴が少なく、指も四本で爪が丸く、鋭かった。


 ピトフーイ家の子は、必ず、養子の子と共に生き、育てるという規則、いや、受け継がれた、儀式がある。同年代の子どもを傍に置き、互いに競い合わせ成長を高めるというのも目的のひとつであった。


 その儀式の為、孤児院から無作為に選ばれた養子は、短い黒の髪を持つ、無貌かと思わせる程、感情を捨てた孤児。彼は、無貌と呼ばれた。


 その無貌は、ズグロに共感を持たせた。我らピトフーイにも、その能力は無いからだ。物覚えも良く、凶暴性も無く、従順で、見目も良く……これほどの、適役は無かったのだ。


 そして、ズグロと無貌が同じ時を十年生きた。

 この儀式の節目である、十年。私の父がそうしたように、私はズグロだけを呼び、言った。


『この十年を超えた先を歩けるのは、お前か、あの無貌か、どちらかだけだ』


『次に日が昇るまでに、無貌を殺すか、自害しろ』


 空を飛ぶには、感情というものは重すぎる。大空の鳥に表情が無いように、感情を排し、空に忠誠を見せればより高く飛べるだろう。だが、殺さずに、新たな解決法を見い出せれば、鳥ではなく人として、どこまでも遠くまで飛べるだろう。


 殺しても、殺さなくても、感情を排すか、知恵を使うか、どちらにしても、ピトフーイの血を継ぐ者として相応しい者になるのだ。


 相伝の魔術を持つズグロと、魔術を持たない無貌。彼らにとって、この一夜は一生で一番短いものになる。


 まだ朝の光が照らす前に、彼は私の元へ訪れた。


「現れたのは、我が息子、ズグロだった」


 アルキメデスは人の形をした指を、扉だったものへと向ける。


「ズグロがそこに」


「そして」と続けて、真反対の天窓の下へと指を向ける。その日の再現を、各々の脳内でさせようとしているのだ。


「私は、そこにいた。灯りのない部屋で、我が息子と対峙した。『彼は殺していない』と、ズグロは嘴を動かさずに言った。そうか、と私は言ったと思う。

 そして、次に見たものは、私に襲いかかるズグロの姿だ。鮮明に覚えている。目は虚ろで、首にあった一線の傷から服を染め、足に至るまで鮮血で染まっていた。

 それは、ズグロであって、ズグロでは無かった。私はそれに相伝の魔術で反撃し、確実に息を止め、殺しきった。それの正体は、ズグロの皮を剥ぎ、ズグロだったものを被った無貌だったのだ。

 私はその二人を骨まで灰にし、土に混ぜて海に流した」


「待て……話が、違うぞ」


 ユウメに投げ捨てられた側仕えが、いつの間にか意識を取り戻し、顔だけを起こしてアルキメデスに目を向ける。アルキメデスは思い出したかのように目を見開いた。


「そうだな、我が代の方割れよ。君に話したのはこうだった。ズグロと無貌の儀式を、秘匿であるそれを知った特務が、咄嗟にその場にいたズグロ、無貌、そして、君の妻と息子を殺害したと、私達も処されぬうちに亡命し、王国の条件を受けいれた。

 それは全て、足元から頭まで、嘘で、虚構だ。儀式は家督以外には誰にも知られてはいけない、女帝に知られれば、一家纏めての執行は確定的だ。だから、無貌の死体を見たその二人は、消さなくてはならなかった」


「貴様……人の心など、捨てていたのか……」


「それは、空を飛ぶには重すぎる」


「おい、お前らの事情なんてこっちはどうだっていいんだよ。牢屋か地獄で続きをやれ。ズグロと無貌、二人とも死んだのなら、ズグロ・ピトフーイと名乗るアレは誰だ!?」


 アルキメデスはトーガに手を入れた、そして、何かを掴んだまま、嘴を開ける。


「……無貌は、感情が無いから、無貌であるはずだった。だが、皮を剥いた後の奴の顔は、笑っていた……

 ズグロの首の傷、あれは正面から受けたものではなく、背後から掻き切られたものだ。ズグロから儀式の解決法を求められた無貌は、背後からズグロを襲ったのだろう。だが、なぜそんなことをする? いくらでもあったはずだ、逃げる方法など。なぜ、わざわざ殺し、ズグロの皮を被って私を襲った? 勝てぬことなど分かりきっていたはずだ。

 情理に乗った考えでは無い。私はこう予測した。儀式を知り、強者の生き方を知り、強さを盲信し、私を殺すことで自信を持とうとした。または、誰から指示を受けていた。

 このどちらか、いや、もしかしたら、どちらもなのかもしれない」


 ユウメは、彼がズグロ・ピトフーイという名を、やけに周知させようと行動していたことを思い出した。あれは、狼が狩りの前に雄叫びをあげるように、ピトフーイの一族へ『今から狩るぞ』と喧伝していたのでは無いか。復讐か、強者への克服のために。


「そうか。じゃあ、いつかここに、亡霊のズグロ・ピトフーイが来るって訳だ」


 ユウメは更に考える。アルキメデスは、彼の正体に全く辿り着けていないのだろう。何故なら、アレを見ていないからだ。無から蘇るネームレスを。ズグロ・ピトフーイに指示を出していたのがアァ レウェだとしたら、彼を生き返らせたのもアァ レウェだ。


「ああ。それは今では無いがな」


「じゃあ、ベラベラ喋ってくれているうちに次の質問だ、ここで何をしていた」


「術式の抽出と、適応の実験だ」


 全員に、ファーストの頭に描き込まれた脳のマップが浮かんだ。魔術の術式は脳にある。


「さっきの話の続きだ。技術防疫機構の()()()()()


「あぁ?」


「本当の君の顔に語ろう。ズグロ・ピトフーイが来たのは今では無い。()()だ」


 アルキメデスは懐で握り閉めていた物を取りだした。


 それは、漆黒の羽だった。


 アルキメデスの羽と瓜二つの夜の羽。ズグロ・ピトフーイの巨翼の一部。かつて彼の魔術の脅威を味わった皇女と、ユウメだけがそれに反応した。


「離れて!」


 警告の声に反応したヴァルターが立ち上がり、構えを取るが、その前に側仕えが現れた。彼は木片を血が溢れるほど握り閉め、アルキメデスに突き立てようとする。


 アルキメデスは最期の時に、ユウメに目を向けた。


『不条理を認めろ』


 そう言い残し、アルキメデスは肉片を散らして爆散した。


 ユウメ達三人の前には、館の残骸が崩れ落ちていた。ズグロ・ピトフーイの『致命の溶毒(モルタル・トキシン)』かつての彼の魔術は、強力すぎるが故に毒が回りきらずに殺してしまう。だが、目の前に広がる惨状は彼の魔術の枠に収まらない、アルキメデスの肉片から床へ、天井へ、ガラスへ、柱へ、毒は伝染し、大地以外の全てを溶かしている。特異点(シンギュラリティ)到達により術が進化しているのだ。


「……これじゃあ、裁けるものも裁けねぇな。俺は別の仕事に行く」


 立ち去ろうとするヴァルターの背中に、ユウメが慌てて声をかけた。


「ちょ、ちょっと待ってよ。あいつが言ってた、本当の顔って何?」


「戯言だ。気にするな」


 ヴァルターは背を向けたままそう言い残し立ち去った。ユウメは、胸につっかえた不信感を残したまま、それを飲み込む。

 アルキメデスは、自身の性格と怒る点を分析していた。自身の人生を知り、皇女しか知らないはずの内情まで言い当てた。そんな男が、最期に無意味な言葉を遺すだろうか。ユウメはそう考えた。


 アルキメデスは、最期に必ず発芽する不信の苗を植え込むことに成功したのだ。


「『不条理を認めろ』って、どういう意味なんだろう。イム」


 皇女は少し考える素振りを見せて答えた。


「不条理は、道理に基づかない、理解したくない苦しみとか、そういう意味で、要は現実を受け入れろってことでしょう? あんまり、重要な言葉には思えないけれど。」


「うぅん……」


「……帰って考えましょう。ここに長居するのは不味いわ 」


「いや、今夜は帰らせられないな」


 帰路につく二人の前に、一人の男が立ちはだかった。彼は倒壊し、瓦斯に引火し勢いよく火の手の上がる館を見て、そして、彼女らに目を向けた。


「レモン……」


 ユウメが零すと、彼は袖を捲りながら言う。


「王子、だろ」


 夜に特別明るい火の手が上がり、レモンの影をより濃く染める。石膏で出来た彫刻のように目も肌も髪も白い、というのに、黒い影の面積は、彼の心の色を表すように広く、大きかった。


「君は……将来の王と皇女の対談には、役不足だ。だから――いい夜を」


 その声は薪が弾ける音と共に、夜によく通った。ユウメが強い眩暈を覚えたように頭を押え、膝を折り、眠るように倒れた。


「ユウメ……?」


 皇女がユウメがただ眠っているだけであることを確認すると、レモンを睨みつける。


「あの時か……」


 かつて、ユウメが正気を失い、皇女の首を絞めた時、レモンがユウメの肩に手を添えると、不自然に、時が止まったように、彼女の気が失われた事を思い出す。


 あの時に、何か仕込まれた。


「正しい」


「あなたは自身の魔術が心を読む魔術だと言ったわね。それも嘘?」


「正しくない。本当だ。ただ、能力はそれだけじゃあないのさ」


「私を眠らせることは出来ない」


「正しい。だが、ユウメちゃんに死んでもらうことは出来る。君に拒否する権利は、いや、人間としての権利は無い。その子を想い続ける限りね。さて、ついてきてもらおうかな」


「どこに」


「――平和な世界に」


 指揮棒を振るように、両手を広げて彼は言った。

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