第59話 致死の渦巻き
相談室の窓を開けると、夕暮れ時の日に焼けた光と硝子のように冷たい風が入り込んでくる。学園を囲む森林しか見えない視界を、モリフクロウの背中が占領した。灰色と黒の織り成す羽がピンストライプの三つ揃いのようで、役人のように様になって見える。
「これを持って、出来るだけ飛んできてくれるかな」
フクロウちゃんが、細かい網目の走る球体を持ちながら、窓枠に鉤爪を刺して沈黙した彼に言う。網目から覗く球体の中には黒い綿のようなものが詰められていて、綿の先に何があるかは分からない。
「それ、かなり振動しますけど……その子、大丈夫ですか」
フィアが言う。
「これ、なんなの」
わたしが聞くとフィアは流暢に答えた。
「魔術道具のひとつです。組み込まれている回路はふたつで『送信』と『受信』。設定した情報を範囲内に居る人間に音として送り、記憶に反応した人間との距離を受信し座標を計算します。『メラヴィリア』とクレッテは名付けました」
机の上にある、造形の終わった遺体の仮面とその似顔絵を見る。この似顔絵の情報を送り、顔を見た記憶のある人間を特定するつもりだろうか。
「一応聞くけど、どういう仕組み?」
理解出来る気はしないが、その不思議な機能がどうやって動いているのか気になった。
「それは、その。原動力自体は、亜鉛と二酸化マンガンを、塩化アンモニウムの水溶液とで組み合わせた次世代のものなんです。けど、人の脳の反応を読み取る回路を作ったのはクレッテなので……その部分はまだ私も理解しきれていないです」
「動かして見たらわかるんじゃない?」
思慮深そうな姿とは真反対に、能天気にフクロウちゃんは言った。数ヶ月過ごして分かったが、彼女は意外と、驚くほどの度胸がある。授業でやった実戦組手でも、イムと彼女だけはわたしの拳を恐れなかった。
「これかな」
彼女が網目から飛び出したネジを半周回すと、メラヴィリアは震え始めた。フクロウちゃんの手の中で寒さに震えるように振動している。耳鳴りのような、高い音が聞こえた気がするが、それは掴みきれずに霧散した。
顔の造形を終えて、再び行方不明者リストとの照合を始めた彼ら彼女ら(ゴルトとトリトリントは用事があるようで、ここに居ない)も顔を上げてメラヴィリアに注目する。クレッテは疲れたようでソファで横になって寝ていた。
「これは、顔だ。あの人の顔が、浮かんでくる」
メラヴィリアを見るフクロウちゃんが言う。彼女の言っていることが分からない。わたしの頭には何も浮かんでこないからだ。
「顔……?」
反芻して、リスト捜索組の方を見る。散らかった紙を囲む皆は、何も言わずにメラヴィリアを見つめている。ノイズの走る静寂の中でイムも、ミチルも、グリズリも、ウィズダムも。
クレッテと目が合った。
こちらを見ている。瞬きをせずに。硝子のような、機械のような、昆虫のような、無機質な瞳で。身動ぎもせず、風にも揺られず、ただ、こちらを見ている。メラヴィリアの生み出すノイズに乗せて。そこに、凡そ少女と呼ばれる成分は無かった。
「これで」
その声が耳元から聞こえたように感じて、弾かれるように目線を向ける。フィアが停止したメラヴィリアを持って中に指を入れていた。
「あの似顔絵を見た事のある人間から座標を受け取ったはずです。それは、内部で証書に書き込まれるので……よいしょ! はい。これに魔力を流せば座標が出るはずです」
フィアが、細長い紙に魔力を流す。すると、横に二十桁近くある数字が現れた。一つ、二つ、三つと、現れる、その三つの最初の十八桁は全て同じ数字だ。この相談室にしかあの似顔絵を知る人間はいないから。四つ、五つ、六つ。
だが、七つ目がなかなか浮かばない。
「んん。おかしいですね。魔力が足りないんでしょうか」
そして、浮かぶはずの七つ目が浮かぶ前に。
「貸してくーださい!」
クレッテが、その証書を奪い取った。人形のように凍りついた顔では無く、大人をからかう子供のような笑顔で相談室を走り回る。「待ってよう」とフィアがそれを追いかけた。
あのノイズ混じりの相談室で、たった一人と目が合ったことが忘れられない。目が合ったこと自体にではなくあの無機質な瞳が、記憶に『恐怖』として焼き付いた。無機質だが、無感情では無い。なにか得体の知れない感情が、あの目にはあった。それは、底の知れない……
「あっ、ちょっと!」
フクロウちゃんが唐突に叫んだ。モリフクロウが音を立てて羽ばたきながらメラヴィリアに鉤爪を刺して持ち去ろうとしている。フクロウちゃんが身体を窓から投げ出してメラヴィリアのネジを半回させて、どうにか起動した。
窓から落ちそうなフクロウちゃんの腰を抱いて、部屋に戻した。
「あ、危ない……」
「ありがとう。うぅん。どうしちゃったんだろう、痺れを切らしたのかな」
「飛びたかったのかもね」
「ふふ、そうだね」
妙に楽しそうなフクロウちゃんを不思議に思って観察すると、首元の色が自然なことに気づいた。化粧をしていない。
「消えたんだ、痕」
「よく、気づいたね。そう。ユウメのお陰」
『さん』が無くなったわたしの名前は、甘く響く。消えたのは、彼女の治癒能力のお陰だろうが、彼女の言いたいことはそういう事では無いのだろう。だが、わたしのやったことはただの人殺し。根本的な解決とは言えない。
わたしが言葉に詰まったのを知って、彼女は外に視線を向けて話題を変えようとする。上手く返せなかった自分を情けなく思う。モリフクロウがいたら蹴られていただろう。
「最近さ」
彼女が外を見ながら言う。モリフクロウは既に飛び去って消えていた。
「鳥、見ないよね。自然の」
彼女と共に森を見る。風に揺れる樹林は静かなものではなく、木の葉を揺らしながらせせらぎを奏でている。時折、小さな鳥の鳴き声が連続で聞こえたり、何者か特定出来ない鳴き声が聞こえる。だが、姿は見えない。
「見えないけど、いるんじゃないの? カラスの鳴き声とか、さっき聞こえた気がするよ」
「でも、いないよね。最近、あの子がめっきり飛ばなくなったの。妙に思って、空を見るんだけど、絶対に鳥は飛んでない。おかしいと、思ってさ」
森の上を飛ぶ白と黒の鳥も、木の実を食べる茶色い鳥も、石畳に集まる灰色の鳥も、確かに、見ていない。聞こえはするが、どこにもいない。
その事実を噛み砕いた時、ノイズ混じりの瞳と相まって、背筋に走った寒気に身体を震わせた。
「見つけた! 見つけましたよ皇女様!」
ミチルの大声が相談室で乱反射する。彼女は一枚の紙を掲げ上げ、鼻息荒くイムに突き出す。イムが仰け反りながら受け取ると、「よし」と頷いた。
「はぁ、賭けは負けか……」
ウィズダムが紙束を放り投げて項垂れる。夕食を賭けていたのか財布の中身を数え出した。
「その紙を使って、聞き込みを続けるんだよね」
「そう。私の目で見て、知っているのに『知らない』と嘘をつく人間がいたら、また、そいつを調べる」
グリズリが淡々と言うイムに唸る。
「果てしないな。徒労になるかもしれないだろ。そこまでする義理も無いだろうに、やっぱり、あんた達は大したもんだ」
「…………」
イムは答えない。別に答えることも無いはずなのに。
彼女が詰問されて押し黙っているように見えたのはわたしだけのようだ。
「見つけた」
いつの間にか、モリフクロウはメラヴィリアを掴んだまま帰ってきていた。フクロウちゃんは黒い綿毛に突っ込んだ手を引き抜く。その手には、細長い白紙の紙が握られている。
「わたし、魔力通すよ」
「うん、ありがとう」
フクロウちゃんの手に触れながら受け取った証書に、滑らかに魔力を通すと次々と数字の列が表れる。紙に火を当てて浮かび上がる炙り文字のように。それは、六つや七つで終わらず、十を超え、二十を超え、三十と八で止まった。
いくら魔力を流しても、これ以上は浮かび上がらない。三十八人。遺体を知る彼ら彼女ら。たった一人のこの世から消えた顔が記憶に残る人間たち。決して多くは無いその数に、言いようのない寂寥を覚える。
私はそれを分割して仕事を終えて相談室に屯する学生たちに配る。そして、トリトリントから預かった地図を広げた。
「ほら、新しい仕事。これで明日の昼食も決めよう」
「よっしゃ!」
負けを取り返そうとウィズダムが誰よりも早く地図にかぶりつく。わたしとフクロウちゃんも作業に取り掛かろうとするが、ノックも無しに相談室の扉が開く。
「なに……? 風かな」
独りでに開いたのかと勘違いする程、静かに、自然に扉が動く。部屋に入ってきた影法師、それが人だと、気づくのが遅れる。それほど、黒く、滲むような影そのものに見えた。
「技構……?」
フィアの声だったと思う。か細い声が耳に届いた。
「かわい子ちゃんを泣かせた罪、償いに来たってね」
黒い手袋で、黒い中折れ帽を取る。その顔は、所々の部位をうっすらと脳が覚えている。帝国の諜報、特務の、ヴァルター・トンプソン。
「誰だ?」と、ミチル達が疑問を浮かべて、わたしとイムの間で視線を泳がせている。王国出身のウィズダムがいるなかで、正直に答える訳にはいかず、適当に取り繕って説明する。
「技構の、友達。協力してくれる人だよ」
「そう! 俺の名はファルター。よろしくな」
納得出来ない空気を、主にフィアとクレッテから感じた。
「峰打ちだァ!」と鬼の形相で影法師に迫るクレッテを「それを言うなら敵討ちだよ!」とフィアが止める。
後に続いて来た人物に全員が驚愕する。不審の空気など埃のように軽く吹き飛んだ。
ウィズダムが立ち上がり深深と頭を下げ最敬礼の形をとる。反射とも言えるほど早かった。それほど、深く民に刻み込まれた敬意。
「お目にかかれて光栄です。『英雄候補』」
ラスト・リンクス。占い師探しの時にホテルで少しだけ話している、わたしと、イム、フクロウちゃんの驚きはそれ程でもない。
わたしが驚いたのは、ヴァルターが彼と一緒に学園にいることだ。必ず、変装は見抜かれる。ヴァルターは上手くやっても、嘘が下手なわたしは確実にボロを出す。それが分からないヴァルターではない。
つまり、変装がバレてもいいということだろう。
わたしはあのラストとかいう男が、上手く掴めない。人心を把握することが得意な訳では無いが、彼は群を抜いて分からない。
『英雄』と尊敬、崇められていると言ってもいい程の人望があるはずの彼からは、なぜか、意志を感じない。『英雄』と呼ばれるほどの、民を引き連れる熱を感じない。凪いだ泉のような、空虚しか、彼からは感じ取れない。そのイメージが、今回でより一層強くなった。
「いいよ。僕は居ないものとして扱ってくれ」
そう言って、部屋の隅で背を預け腕を組む。ほぼ全員が『そういわれても』という感じで、そわそわと彼を気にしていた。
突然、珍しく、フクロウちゃんが悲鳴にも似た大声を上げた。
振り返ると、モリフクロウを護るように抱きかかえた彼女の前に、大きな黒猫が座っていた。
「あっ! 久しぶりの喋る猫ちゃんです!」
外から飛び上がって侵入したのであろう、窓枠に悠々と座る彼女は、クレッテの声を聞いて鬱陶しそうに顔を歪めたが、直ぐに気を取り直して無の表情になった。
クレッテは制止するフィアの声を適当にあしらってカッツィに手を伸ばし、脇に手を入れる。かなりの重さがあるのか、ふらつきながら抱きかかえると、カッツィの胴が伸びて後ろ足が地面につきそうになっていた。
表情筋の死んだ猫を抱えるクレッテは、どこからどうみても普通の少女で、異常性は見当たらない。それが、彼女の闇の深さを物語っている。
「突然現れて、何の用?」
イムが言葉の向かう先を誰かに指定せず、放り投げた。それをヴァルターが拾い上げる。
「ズグロの居場所が見つかった」
「どこ!?」
「落ち着けよ。どうどう」
彼はわたしの声をあしらって机に広げた地図に向かう。机にあった鉛筆をとり、富裕層が多く住む地区にある、ひとつの館に三重の丸をつけた。そして『亡命先』と書き加える。サージェの言葉を思い出す。ズグロ・ピトフーイ。ピトフーイの一家は、王国に亡命している。
「ねぇ、ちょっと待って……これ、座標。書いてみない?」
フクロウちゃんが小脇にモリフクロウを抱えて、片手で分割された座標を持って言う。彼女に従って、ミチル達と一緒に座標に黒点をつけていく。
三十八個の丸は、ふたつのグループに別れた。ひとつは、貧困街。集中することなく疎らに点在するのは十二個、彼女の友達や親族が顔に反応したのだろう。
そして、もうひとつは、二十六個の丸が、全てこの一箇所に集結している。そこは、三重の丸、ピトフーイの、館。
「繋がった……何で……?」
怯えるようにフクロウちゃんが言う。わたしは、いつか、こうなるだろうという確信があった。メイルシュトロム、致死の渦巻き。ズグロという特異点。あれとこの状況は同一であるとも言っていい。
収束しているのだ。運命が。偶然が。あの男に。




