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第5話 人間性の海へ

 与えられた命令は女帝の娘、つまり、第二皇女と出会うことが文頭だった。半ば上の空で指定された場所に行くと、私は空の上にあった頭が、引力が星を落とすように、引き落とされた。


 優雅に茶を傾けていた蒼みがかった銀髪の少女が私を認めると、口を曲げて挑戦的とも見える笑みを浮かべる。私は少女が何かを言う前に、その笑みの意味を解し頭を下げた。この礼には礼儀よりも謝罪の意を多く込めている。


「挨拶と呼ぶにしては慇懃だね、ユウメちゃん。その頭を重くしてる要素は何。あの時、私が皇女だと気がつかずに無礼な口をきいたこと?  それとも私の毛布に汚物をぶちまけたこと?」


 なんとなく『あの時』に見た顔に既視感あった。あったがまさか、まさか()()グリーネ皇女が市街に降りて生活してると思わない、あったとしても、わざわざ汚れに見える化粧までして町娘のような服装をするわけが無い、と考えていた、そう、あの女帝の血筋が。私の頭に存在するイムグリーネ皇女の像と、あの銀髪の町娘はあまりに乖離していたのだ。

 そして毛布の件は既に謝って許してくれたはずなのに。


「はい……本当に申し訳ございません、でした。まさか皇女様だったとは気づかず無礼な……」


 いつも、自分に非があったと認めるとすぐ謝るようにはしているが、この時ばかりは謝罪の気持ち以上に頭を下げた。


「ふふふ、いいんだよユウメちゃん。許してあげる」


 上げた頭を迎えたのは剝がれない挑戦的な笑み。彼女の攻め、損失の請求はまだ終わっていないというように、私の目を見た上で捕食者的な睨みを効かせた。


「それはそれとしてさ、治療費の請求、まだだったね」


「治療費……」


 彼女の言葉の先はただの金額であってほしい。鍛錬と任務に時間を費やしているから、金はいくらでもある。本当に、いくらでも。しかし、貯えが日の光を見ることは無い。一国の姫が、ただのけじめとして金で終わるはずはないのだ。


「大丈夫だよ、請求するのはお金じゃないから。代わりに私への奉仕で許してあげる。そう、ユウメちゃんには私の学園留学の護衛について来てもらうわ」


 皇女殿下は身を乗り出して請求内容を発表している。驚いてほしいとでも言っているような態度だが月を獲ってこいやらの無理難題を構えていた私に、それは普段の任務内容と別段の差は無く、ただ「はぁ」と受け止めるしかなかった。

 私は彼女の姿が掴めない。頭の中にいる皇女という彼女の像すら霞がかって、晴れることはない。


「詳細を伺っても」


「驚かないのね……」


 彼女は意外そうに眼を細めた。姿を掴み切れないのはあちらも同じらしい。だが、私が心底困惑しているのとは違い、彼女は精神の探り合いを楽しんでいるようだった。謀略の渦で生まれ育った皇女たるからだろうか、しかし、私はそれに付き合いきれない、探り合い、謀略的なものは微塵も許さず全てが嫌いだ。


「はぁ……しょうがないか。留学の話はこっちの、私専属メイドのカッツィがしてくれるから」


 探り合いは諦めたのか、わざとらしく残念そうな顔をした後に退屈さを滲ませながら会話を投げる。専属メイドとやけに強調した紹介を受けた、カッツィと呼ばれた獣人が一歩前に出て様になった所作で頭を下げる。


「ご紹介に与りました、ワタクシ、イムグリーネ第二皇女の専属メイドを勤めさせて頂いております。カッツィと申します」


 猫とメイド服、自由と隷属。正反対の位置にある二つの象徴が混じり合った彼女はそれが調和することは無く、猫としても、メイドとしてもどちらにとっても超越した風格があった。頭から足まで恐ろしくふわふわな漆黒に包まれたカッツィの細い瞳孔が私を捉える。


「護衛の期間は四年間。学園への入学、卒業までの間です。ユウメ様には姫さまと共に学園へ入学し、常に姫さまの傍に付いて護衛をして頂きます」


 私は、今頃湧いて出た嫌だという気持ちをグッと抑え込んだ。ここで『はい』と答えれば、本格的に父を追うことは出来ない。しかし、憎しみと疑念の混ざった灰色の気持ちが、リサの死をそのままにするのがお前の意志かと喉元を疼かせる。


「ユウメ様には護衛の他にも、イムグリーネ様の良いご学友になってくれればと、思っております。イムグリーネ様には今まで同年代の友人とはあまり上手く話せてないようですから……」


 皇女様はつまらなそうにしていた顔を鋭く歪め、話に割り込んだ。少しだけ、その顔に朱色が差している。


「ちょっとカッツィ、余計なことは言わなくていいの。ユウメ! 出発は一週間後だから、準備しておいて」


 そう言うとイムグリーネは私の背中を押して部屋から追い出し、扉を閉める。閉められた扉から「カッツィ!」と叫ぶ声が聞こえた。


 私はこの一週間、無心で、準備を進めた。


 帝国から王国に向かう場合はひと月ほど掛けて、帝都と王都を結ぶ中心線を避け大回りするように作られた山脈街道を進む。中心線を進めば二週間もかからず到着できるが、真ん中の汚染地域(リヒトン・リージョン)を通ってまで旅路を急ごうとは誰も、父のような英傑でさえも思わないだろう。


 私とイム、カッツィを乗せた馬車と、数人の付き人達を乗せた馬達が街道をゆっくり進む。辺りには帝都の面影はなく、閑散とした農村地帯が続き、ポツポツと背の低い木が並ぶ平原には草を食べている、放牧中らしき羊がいた。


「私、外で見てないでいいの? 一応護衛なんだけど……」


 イムは私の向かいに座っている、その横にはカッツィ。

 皇女様が私を話し相手として馬車に乗せてから直ぐに不敬罪の罰を仄めかしながら、これからは街で会った時のように話し、呼べと言われた。なのに、彼女は何かを話すことは無く、居心地の悪そうな私を気にも留めずに、物憂げに外を眺めていた。カッツィは無言で、遂に耐えきれなかった私の問を彼女は二言で終わらせた。


「いいんだよ、私の付き人達は信用出来る人達で固めてる。それに私を狙う人は誰もいない」


 イムの表情に暗い影が差した。この話題は続けてほしくないようだ。


「そういえば、何でこの時期に出発なの。確か学園に入学するのは春からだよね」


 今はまだ冬の始まり、葉も赤く、少し暑さが残るような時期だ。入学まではまだ半年ほどある。


「……環境に慣れておきたいの。環境の変化は体調にも直結する、入学早々不調で休みなんて勿体ないじゃない」


 彼女はどうやらこの留学を楽しみにしているようだ。本当に。


「いい判断だと思うよ。気になってたんだけど、今回の留学って何が目的なの。第一皇女様も数年前に留学してたよね」


「そうね。王国と帝国って戦争してるでしょ。今は休戦中で前の戦争は二十年ぐらい前だけど」


 二十年前の大戦は、それが世界共通の年号となるぐらい大きなものだった。発端として挙げられるのは多々あるが、最も根源的なものは食料不足。蒸気と歯車を活用するようになった現代すらも、人は食べることから逃れられない。虫も犬もそうなのだから、人だってそうだろう。


「それで、お母様が殺し合う相手の顔ぐらい見て来いって。その国の臣民達の生活や価値観、生き様を見て、それを殺すということを知れって。おかしいと思わない? 継承者はお姉様なんだし、私が皇帝なんてなるわけないというのに」


「お姫さま、そんな事言ってはダメですよ。世の中何があるか分かりませんし、備えはタイセツなのです」


 イムの横に座っているカッツィが彼女を窘める。カッツィのメイド服は少し変わっている。全体に金属光沢が見えるので恐らく特殊な繊維で編まれた戦闘用の服なのだろう。城でもその光沢は見えていた。


「はいはい、カッツィは心配性ね。……私に継承権を渡すなんて、お姉さまが何があっても絶対にやらない事よ」


 私たちが進む街道の周りにはポツポツとあった木の間隔が狭まり、平原から森へ変わろうとしていた。

 すると、コンコンと馬車の窓が叩かれた。


「どうしました」


 カッツィが窓を開けると、若い男性の付き人が報告した。


「右前方から馬に乗った数十人の賊共が近づいてきています。まだ距離はありますので余裕はありますが、どう致しましょうか」


 皇族の馬車を襲う野蛮人がいる。馬車の造形を一目見れば皇族だとわかるはずだが、帝国の賊はそんなに教養がないのだろうか。いや、教養があれば賊なんてやらない。


「カッツィ、私、彼女の実力が気になるわ。いい演習になると思わない?」


「……事足りることですが、そうですね。とりあえず、馬車を止めます」


 私はカッツィの肩に手を置いた。


「カッツィさん、問題ない。このままで。止まらずに走って」


 席を立ち、揺れる馬車の中で壁に手を付きながら移動し右側のドアを開け、半身を出す。決して遅くない速度の馬車は風を切り裂き、私の髪を揺らし視界の邪魔をした、髪を手繰り寄せ、森に敵を探した。


「お手並み拝見ね」


 無視して前を注視する、まだ米粒程の大きさだが確かにこちらに向かってくる賊の姿を確認できる。痩せた馬に乗った数十人の毛皮やら貧相な装備に身を包んだ奴らがこちらに全速力で近づいてきている。


 奴らはこのまま勢い任せに突貫し、馬を犠牲にしてでも損害を与える判断だろうがそうなればこっちにも怪我人が出てもおかしくない。衝突する前に殲滅しなければならない。


 私の手中とは、つまり、目の届く範囲である。しかし、展開した空間は遠ければ遠いほど力の伝達が損なわれる。まだこの距離では、馬の勢いがあれば平然と破壊される程度の強度しか得られないだろう。硝子ですらない。土煙を上げ近づいてくる賊たちをじっと見つめる、魔術師らしき者はいない。魔術師がいたら少しだけ厄介だったがいないのであれば簡単だ。


 少しずつ少しずつ賊達のシルエットが鮮明になっていく。奴らもこっちに向かってくるがこっちも変わらず進み続けている。このままでは衝突まであと三十秒もないぐらいか。


 御者の慌てる声が聞こえた、このまま正面衝突すると思っているのだろう。カッツィの御者を落ち着かせる声を聞きながら私は魔術の構えをとる。


 展開した空間は遠ければ遠いほど力の伝達が損なわれる。だが、近ければ……近ければ近いほど、私の空間は絶対的な固さを誇る。


 賊達が雄叫びを上げながら突貫してくる。そして、その声は途切れ、先頭の賊の身体がバラバラに崩れ落ちた。異常を感じた他の賊達が止まろうとするが、加速し切った馬は止まりきれず最初の一人に続いてどんどんと、バラバラの肉片が兎が跳ねるように散らばる。


「あれは……細い、紐」


 カッツィが声を上げた。目の前で起こる異常な光景に御者と一部の付き人は脅えていたが、イムとカッツィは窓から顔を出し、その光景から目を離さなかった。


「私の空間は立方体を作れるだけじゃない。箱を薄く、細く伸ばしたワイヤー状の空間をあちら一帯に展開したから、それに突っ込んだら、まぁ、見ての通りになっちゃうよね」


 数名の賊達が方向転換を計ったが空間はありとあらゆる所に張り巡らされており、直ぐに肉片へと変わっていった。凶悪な空間が肉を容赦なく切り刻み、賊達は悲鳴を上げながら一人残さず死んでいった。


 飛び散った血液が、私の設置したワイヤー状の透明の空間を赤く染め、その存在を露わにした。騎手が消えた馬がどこかへ逃げ去ったことを確認して、殲滅が終わったことを確認すると馬車に身体を戻し、ドアを閉める。


「空間魔術ってこういう使い方もできるのね。汎用性が高いのは素晴らしいんだけれど……あの殺し方を選んだのはどうして」


「……効率的でしょう?」


「ふぅん……」


 私とイムの、人間性の探り合いは続く。ふと窓から見上げた空には、一羽のカラスが飛んでいた。

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