第58話 刃毀れは夢と共に
「最近寝つきが悪くて……というのも、ファウンが寝ることを放棄しているせいなんです。あの子に睡眠が必要ないことは言いましたっけ? あの子は夜が好きでは無いから、一緒にいるんですけど、ジッとすることも好きでは無いらしくて」
「モゾモゾ動き回るから」と、ミチルは呆れたように語りながらイムの後に続く。その手には不満そうにしたファウンの手が握られて、もう片方で、分厚い本を脇に挟んでいる。
学園の図書室はそこら中に日の光源があり、草原の真ん中みたいに明るい。だが、隅々まだ行き渡る光は埃や塵のひとつも認めない。そんな、自分が蟻になったのかと錯覚するほど大きく聳え立つ本棚の回廊をわたし達六人の大所帯は歩いていた。
「ミチルねぇちゃんがお昼からずっと勉強してるから暇で疲れないのっ!」
「ファウンも勉強すればいいだろう! たまには頭を使え」
「やだ!」
「図書館だから……静かにね……」
両手に太い本を数冊抱えたフクロウちゃんが窘めると、ふたりは餌を落とした犬のように落ち込む。わたしも同じ太さと内容の本を数冊持っていたし、わたし達を俯瞰するような位置にいるトリトリントも例外では無い。
見えない死体の見識が終わったあと、直ぐにわたし達は学園に戻った。迎えたのは眠たげなミチルとファウンで、丁度いいからとイムが連れてきた。
ミチルが言った通り、ファウンの生態は奇妙で、疲れれば寝るが、疲れなければ全く寝る気が起きないらしい。幼児を外で遊ばせないと寝つきが悪くなるのと似ている。というか、そのものだ。
本棚の谷を抜け、ガラスの天蓋が陽の光を許す広場には、数個の丸テーブルがある。そのうちのひとつに、合計十一冊の本を並べる。本と言っても、紙を束ねて糸で縫い、ざらつく厚紙の表紙をつけたもので、どちらかというと冊子に近い。
それらの表紙には、日付を表す数字以外が全て同一で『王国行方不明者名録』と題されている。
一番古い日付のものを適当に捲ると、行方不明者の名前と外見的特徴が箇条書きで片面にまとめられている。写真は無い。この時に、まだその技術は無かったのだろう。
「これ、全部……王国の行方不明者?」
フクロウちゃんがまた別のリストを見ながら慄いて言う。
「そうですね。王国では年間十万人以上が行方知れずとなっています。その内の五割は年内に行方が明らかになりますが、残りは……」
トリトリントは言葉を続けなかった。
「そう。その行方知れずのまま、誰からも忘れ去られないように、これがある。これが、あの遺体が誰かを覚えているかもしれない」
イムの言うことにわたしは引っ掛かりを覚えた。
「でも……このリストにあるのかな。死因は黴毒だよね。あの川に捨てられた時には遺体だったのだから、行方不明の届けは出ていないんじゃないのかな」
「それもですが。もうひとつ。遺体が見つかったのは一昨日です。もし、届けが出されていても、まだここには纏められていないのでは?」
「どちらも問題ないわ。前者に関しては、この遺体の友達が死んだことを見つけていない場合、その友達にとって彼女は行方不明者よ」
「見つけていた場合は?」
「その可能性は低い。もし、そうなった時は問題が厄介になるだけよ。後者に関しては、遺体の軟組織が一部剥脱しかけていたことが答えになる。死亡時から、だいたい数ヶ月が経っているはず」
「数ヶ月程度なら、こんな王国黎明の時代から集めなくてもいいんじゃあ」
「下手な魔術があれば死体の保存なんて容易いわ。温度を下げるだけで良いもの」
「というわけで」と続けて、難しい話に飽きて、興味無さげに天蓋を見つめているファウンの名を呼んだ。そして、子供らしく惚けた顔をした彼女の前に、メモの一枚を置いた。
それには、古い行方不明者リストのように、文字のみで、その人間を表そうとする文字列があった。
「暇そうだと保護者から聞いたわ」
何となく、役目を察したのか眉間に皺を寄せて本の山から遠ざかった。
「やだ!」
「好きなお菓子を半月分買ってあげる」
「ほんとに!?」
ファウンは目を輝かせたが本の山と見比べて再び顔を曇らせる。釣れた魚をイムは逃がさなかった。
「全部探してくれたら、更に上乗せしてお菓子一ヶ月分」
「やる!」
「よし。ミチルにもお願いしたいわ」
「はい、もちろんですよ」
「うん。報酬には何か喜ぶことをしてあげる。フクロウちゃんとトリトリントのふたりもこれをお願い」
「おふたりはどうされるのですか?」
「地道に聞き込み」
図書室にわたしとイム以外の全員を残して廊下を歩く。すれ違う数人の知人達に適当に挨拶しながら向かうのは、外では無かった。
「皇女様方じゃないですか! どうしたんですか!」
油と鉄屑で汚れた前掛けをしたクレッテが耳に突き通る大きな声で言う。豚革の手袋を嵌めた手で、液体のような固体のような、柔らかいのか硬いのかよく分からない機械を持っていた。横に並ぶフィアは、同じ活動をしているはずなのに全く汚れていない。
「作って欲しいものがあるの」
「なんですか!? 皇女様直々ですか!? 任せてくださいよ!」
騒がしいクレッテを放って、フィアが手袋を外して話しかけてきた。
「先生。手足の調子はどうですか。内出血は改善されました?」
右手の鋼鉄の輪を見る。鈍く輝くふたつの『吸い取るくん』が、冷たい感触をわたしに返す。重さには慣れたが、ひとつ十キロという現実は変わっていない。
今までは、躊躇なく振り回すと、骨と『吸い取るくん』の間で肉が圧迫されて内出血を起こしていたのだが、フィアが簡単に改造してくれてからは、大分楽になった。
「余裕余裕。痛くないよ。最近、殴ることが多いからパンチの威力が上がった気がするし、いい事尽くしだね」
「それは良かったですけど、ダメですよ……無理しては。女の子は肌が大事なんですからね」
いつも同室の相手の世話を焼いているからか、フィアは最近、世話焼きになってきた。普段、わたしに女らしさがないことを、ついに見抜かれたのかもしれない。
教え子に世話を焼かれる先生って、どうなんだろうか。
「ユウメ、そろそろ行きましょう。フィア、クレッテ、再三言うけど、学園の外に出る時は必ず 三人以上で、ね」
元気のいい返事と、落ち着いた返事を聞いて聞き取りに向かう。学園から中心市へ向かう途中、ホテルでカッツィに情報を共有し、大通りから外れ、日の当たらない道に出る。
大通りでの聞き込みを省いた理由としては、遺体の状態があった。
黴毒は、進行すれば確かに、致死の病となるが進行するまでは大したことは無い。初期症状を認めるか、かなり進行した状態でも、医者にかかれば十分に間に合う病だ。今の医療技術ならば。
つまり、遺体の歩んだ道は貧困の道だ。貧困で、体を売り、黴毒になったと考えれば自然である。そのため、わざわざよく襲われる道を歩いて、頭をゆらゆらと揺らす明らかに正気では無い人間相手に聞き込みをした。貧困の道を歩く人間は、貧困の道にいる人間しか知らないから。
そして、二日後。
「結論から言うと、有益な情報は全く集まらなかったわ」
お悩み相談室は、珍しく、雨雲を詰め込んだようなどんよりとした空気に包まれていた。フクロウちゃんとトリトリントはあまり寝ていないのか、目に隈を携えて肩を落としている。ミチルの膝に乗ったファウンはこの世の終わりのような顔をしていた。
「こっちも、全然……一応、全て見たのですが。多すぎます、特徴に合致する人間が千人以上もいました」
ミチルが紙束を差し出して、イムが受け取る。そして、ざっと、見通して苦い顔をした。
「それらしい者は、居ないわね……」
それを聞いて、雨雲のような空気が雷雲のように重くなった。
「仕方がない。もっと絞りましょう」
「しかし、これ以上情報はありませんよ」
「無ければ作るしかない。私の記憶から顔を造形する」
「造形……? イムって、あんまり……そういうの得意じゃないよね」
それには美術的なセンスが必要だと思われるが、記憶にある中のイムはかなり個性的な絵を描いていたと思う。
「えぇ、残念ながら芸術に傾きすぎて現実的な絵では無いわね」
大分厚いオブラートに包まれてはいるが、その通りだ。そして、人に頼ろうにも、芸術センスの頂点にある先輩は、あの件以来、学園を辞めて消息を絶っている。
「造形に自信のあるやつ……」
そして、そこまで悩まずに「あっ」と閃く。美術と造形。適材適所が身近にいた。
「俺たちはなにをすればいいんだ」
呼び出されたのは、熊のような、背を曲げないと扉をくぐれない程の大男、グリズリと、彼の横に並ぶと捕食される前の鹿のように見えるウィズダムだった。
ウィズダムの家系、貴族相手に馬車を造る仕事は、なかなか美術センスのいるものだろう。そして、あの図体に反して繊細な水魔術の使い手であるグリズリは造形そのものに高い適性がある。
イムが説明をしながら、早速作業に取り掛かる。机の上で、水がぐるぐると動き丸くなり、人の頭の形になる。イムが特徴を伝えるが、人の顔というには不気味すぎる形に変わる。そこで、ウィズダムがああでもない、こうでもないと、こだわりを見せながら造形は進めた。
「そうです……ここですよ」
造形の途中で、相談室の扉の外から、微かに声が聞こえた。ウィズダム達は白熱して気づいていない。ノックの音が響いて、わたしが許すとフィアとクレッテが妙な機械を持って入ってくる。二人だけでは終わらず、その後ろに、もうひとり。
「ゴルトだ」
二足歩行の馬の体躯は壮健で、久しぶりに見ると圧倒される。グリズリとはいい勝負をしそうだ。彼は、ぴっちりと制服を着こなし、所作も落ち着いていて気品を醸し出している。わたしに会釈を返すと、イムの方へと向いた。
「お初にお目にかかります。イムグリーネ皇女殿下」
「えぇ。イムグリーネ・ヴィルヘルム。よろしく。なんの用?」
「皇女様に顔を覚えて頂こうと。それと、丁度よく友人もいたもので、彼女に伝言が」
「そう」
興味無さげに作業に戻るイムに、嫌な顔せずにトリトリントの方へと向かうゴルト。彼の伝言とやらが気になり、聞き耳を立てた。
「……レモンが心配していたぞ」
「…………うん」
「調子はどうだ」
「どっちの意味?」
「お前が決めろ」
トリトリントが、この部屋にいる全員を俯瞰したような気配がした。
「……分からなくなった」
「…………そうか」
そう返したゴルトの声は、安心したような、心配するような、そう、わたしの不器用な、父の声に似ていた。




