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第56話 一本の指

 見上げた夜空は歪んでいた。


 赤い光は、頭を強打したことによるニューロンの明滅だと冷たい路上から伝えられる。


 夜空が歪んでいるのは、脳が死にかけているからだろう。考えるに、意識を失ったのはそう長い時間でもないはずだ。今生きているのがその証拠だ。


 何がどうなっているのか、思考を纏めるために自力で血液を循環させる。


 また、視界が真っ赤に染まる。これは、自分の血液の色だろう。赤が視界の隅に見えるまま、呼吸をしていなかったことに気づいた。


「ゴポ、ゴポ」と、水音の混ざる咳と共に数秒ぶりの酸素が体に巡る。酸欠による手足の痙攣と、縛り付けられるような頭痛、左腕半ばまで切断された傷。全身打撲。


 落ち着かない視界で見たものは、正面の、おそらく兵舎の側面。そこに、わざと設計したのなら壊滅的な美術センスを疑うほどの穴があり、自身の体は瓦礫と横たわりながら向かいの建築物にもたれかかっているという状況。


 兵舎から何かの力で弾き飛ばされ、路上に落ちたということは確定だ。そして、あの穴からボスが出てくることも、確定している。


「ボスの能力……当てが外れたか」


 分裂、分身、その系統だと考えていた。しかし、この状況は、推測とは別の、何らかの魔術で生み出されたものだろう。その身だけで、人を壁を突き破って弾き飛ばすほどの膂力を出せるわけが無い。


「人の身にふたつの魔術は余る。身体強化系か……いや……なにか、なにか、()()()()()


 ユウメ・エクテレウと対面した時に似た感覚が、ただの身体強化では無いと言っている。


 路上に崩れた兵舎の瓦礫に、ぱらぱらと細かな破片が落ちる。明かりの消えた暗闇の穴から、夜空に照らされる人影が現れた。


「死が新世界の門戸足り得んのなら、楽園はどこにあるのか?」


 彼はどこからかアルミ箔に包まれた長方形のものを取りだした。細々と両手を使って二重の包装を解いている。右手の五本指の土台に支えられたアルミ箔の中身は、長方形の黒い物体だった。


 それは、恐らくチョコだろう。


 彼はそれを摘むと、口の中に落とした。二度嚙んだ後に、声に抑揚と潤いを持たせて言う。


「かつての世界で詩人は謳った。『頭は宙よりも広い』そうさ。楽園は、ここにある」


 彼は、音もなく、虫の鳴き声もしない夜に飛び降りる。


「さあ。ナインちゃん。君の番だ。言葉を遺す時が来た」


 しっかりと両の足で歩いているのに全くの音がない。歪んだ視界では、浮遊しているようにも見える。人の世に存在する者とは、到底思えない存在。


「遺す言葉か……」


 彼はもうすぐそばに来ていた。こちらを見る目は、慈愛が籠っているようにも、無感情のようにも見えた。


「絵師が必ず描く絵がある」


「当ててやる! チョコの絵だ」


「違う」


 彼の瞳には、ゆらりと立ち上がる私の姿が写っている。


「『美』それそのものだ」


 その声は、彼の後ろから発された。彼は右手を鋭い剣のように構え、途轍もない速度で振り返る。


 赤い髪と褐色の肌に染まった私が、ボスの右手に裂かれ、水風船のように爆発四散する。


「私が描いた生物に触れた時」


 返す右手で、彼が語りかけていた正面の私を切り裂く。しかし、それもまた血液の人形。


「『絵の中の友達(スタンド・バイ・ミー)』は筆をとる」


 本体である私は馬に足を組みながら横座りし、距離をとりながらその発現を見送る。


「しぶてぇやろうだなぁ!」


 彼が腕を振って走ろうとした時、やっと、血塗れた右手の異常に気づいた。赤い手袋が、まるで、木の枝に服を着せたかのようにぶかぶかに経たっている。


 正しく、彼の右手が枯れた枝のように現在進行形で乾涸びていた。更に、それは急速に進行し、右手から手首、前腕、止まらず肘まで侵略する。


「う、うおおぉぉッ!」


 風船が萎むように肉体が死んでいく様を見て、彼は雄叫びを上げながら右腕の上腕を、左手の手刀で叩き切ろうとするが、芯から靱やかに鍛え上げられた肉体は叩き折れるに耐えた。


 地の底から響くような苦悶の声を上げながら、容赦なく登りつめる死を切り離そうと、彼は半ばから折れた上腕を握り、ぐりぐりと葡萄の茎を折り切るように腕を引き抜く。骨にへばりついた筋が伸び、それすらも噛み切って自らを死の運命から断ち切る。


「………………………………………………」


 苦痛の唸りが終わると、沈黙と共に、枝と化した右腕の前腕から先を持って駆け出す。 体のバランスは右腕がある頃と比べ物にならないはずだが、その足取りに歪みはなく。今どちらの足を出しているのか分からないほど、速く、正確に迫って来る。彼は二足の身で、四足の馬の速さを超えていた。


 突き放したはずの距離がぐんぐんと縮まり、四つ辻同士を結ぶ距離から、建物四棟、馬車四台分、そして、四馬身の距離と詰めてくる。


 追われる側の焦燥感。激しいクラシックの佳境を聞いているかのような、心臓があれば鼓動を早めていただろう。流れる風の音。狩る側から狩られる側へ、山豹に追われる鹿。


 だが、鹿の角は決して無駄なものでは無い。


 行き着く先の分からない馬に乗って、その異形を迎え撃つ。


「一手一手、詰めさせてもらうぞ……ボス」


 馬の赤い足跡から生物が産まれる。数十匹の棘を持った鼠。ヤマアラシが剣山のような臀を向けて突撃する。それに触れれば機動力が失われる、ボスは、飛び上がるしかない。


 その肉体の躍動は、猫の顔を持つ肉食獣のようで。避けると攻撃の動作を同一にしたその行動は、最善である。


 誰にとっての最善か。

 私にとっての最善である。


 馬を急停止させる。全力疾走中に、壁にぶち当たったかのように馬が軋むような音を立てた。劇中の将校が勝鬨を上げるように馬の前足を天高く上げ、慣性に吹き飛ばされる私は、馬の首を透過し、そのまま前に投げ出される。


 生物に当たれば、魔術が発現する。


 馬に当たれば彼は死ぬ。だが、飛んでしまえば方向は変えられない。


「まず、一手」


 彼は馬に当たる直前に、左手に持った右腕で、天空を叩いた。放物線が僅かに降下し、馬に当たる前に墜落する。そして、彼は水中に飛び込むように馬の跨ぐらを通過しようとする。


「そして、二手」


 前回りで受身を取り、馬の下敷きになる前に再び駆け出そうとする彼に更なる追撃を浴びせる。彼が背負う形になる馬を、破裂させた。


『生物に当たれば、魔術が発現する』


 これが、ブラフだったら?


 生物で無くなった、馬だったものに当たっても『絵の中の友達(スタンド・バイ・ミー)』は発動しない。だが、彼なら、赤い手のボスたる彼なら、私が馬を破裂させた理由を考えるはずだ。


 ブラフなのでは無いかと。


 今まで、血液を当てるタイミングは幾らでもあった、それが、この為の布石なのだとしたら。


 彼が打てる手はもうひとつしかないのだ。


 吹き飛ばされる私と彼との距離、およそ、一馬身。


「使え……魔術をッ!」


 X(ボス) から漆黒の魔力が雷撃のように迸る。

 それは、加速の力。雷光と見間違うほどの圧倒的な身体加速(アクセラレート)


 既にその体は馬を背負わず。眼前へと迫っていた。振りかぶる右腕が到達する前に、私の攻撃が到達する。


「そして、三手目だ。X(ボス)


 左胸から、兎が跳ねる。



「やはり、選ばされる手に答えは無い。死が門戸になり得ないのと同じように」


 路上で大の字になったボスの胸の前には、赤い兎が乗っている。胸から血液の吸収が始まり、兎が渦の中心になって、血液が失われていく。


「何故ですボス……その選択に答えがないことぐらい、知っていたでしょう」


 返答は奇妙だった。彼は、残った左手で、自分の喉を貫いたのだ。それが、どういう意味を持つのか、私には汲み取れなかった。


 血液の吸収が止まる。それは、魔術の対象が死亡した証でもある。


 彼はもう動かない。


 死体を背に振り返る。


 夜の街は音も無ければ風も吹かない。鏡の中のような静寂の世界で、良く手を阻む影があった。


 黒の僧衣と、右手に持つ風化した刀剣。赤い手袋、その番号はX(テン)


「ボス」


 どちらにも、大した情動は無かった。


「第二ラウンドといこうか」


  まだ、終わっていない。


「いや。これで、チェックだ」


 第一ラウンドは終わっていない。そして、これで終わらせる。そんな言葉を裏に隠して、彼の肩に小さな、小さなモルモットが走る。それは一匹だけではなく、群がる蟻のように彼の身体中を数百匹蠢いている。その発生源は、彼の持つ、刀剣だった。


「気色悪いなぁ! 防御魔術は切っていないはずなんだが!」


「血液が生物に変わるのに信号が必要だと思っているなら、間違いだ。友達というのは、お互いを支え合ってこそだろう。『絵の中の友達(スタンド・バイ・ミー)』は、私から自立している」


 私の赤い手袋を外した手の甲に、モルモットが乗る。赤い毛を震わせながら、小さく二回鳴いた。私の所有する血液、いや、『彼ら』は自ら考えて行動する。


「やはり、指の数が違うな」


 微動だにしない彼の刀剣を握る手を見る。指は、獲物を捕らえた鷹のようで、四本しか見えない。手袋の小指の部分は、垂れ下がっている。


「これには、しっかりと五指がついていたにも関わらず、だ」


 背後の死体。その行動。アルミ箔を乗せた右手は、はっきりと自立する五指が見えた。つまり、死体とボスは、分身や分裂体ではなく、はっきりとした別個体ということになる。双子か、影武者か。それは、鍛えられた眼識が違うと言っている。全く、一緒なのだ。小指以外の全てが。


「魔術か……? いや、身体強化系の魔術のはず……二つの魔術を持つ……!?」


 まじまじとみた背後の死体。道端の石が目を開くよりも奇妙なことが起きていた。血液を吸収し干からびたはずの胸から腕から足から、全て元に戻っている。千切れた右腕は元に戻っていない。だからこそ、その、左手に握られた右腕の生気を失った姿と全身の水気に膨らんだ姿との対比が際立った。


「死んだ駒を利用するチェスもどきもあるらしい」


 生きたボスが言う。死んだ方のボスが、起き上がった。


「将棋のことなら、殺した私の駒になるはずだがね!」


「とどめを刺したのは誰だったかな」


「あぁ、この俺さ!」


 ボスの問に、ボスが答える。


 私は、勝ったはずだった。


「詰みも、クソもないじゃないか……」


 鈍器と化した右腕と、風化の刀剣が迫る。モルモットが血液の吸収を始める。一瞬で干からびるボスは、自らの頭部を豆腐でも切るように割いた。すると、血液の吸収が止まる。だが、彼の足は止まらない。足元の血液から鹿の角を発現させるが、右腕と刀剣に叩き折られ自衛の役割を果たしきれない。


 二つの狂気は止まらない。


 死。


 赤い手が与えてきた明確なイメージと答え合わせをする前に、私たちを別つ壁が生まれた。


 防護の障壁。石畳と土塊の断層。王都の土壌をカードのように引き抜いた壁が、何枚も何枚も、死の到来を阻んだ。


 それなりの魔術師なら、もちろん、私も。一目見て分かる。


 特異点(シンギュラリティ)


 空間魔術の極点が大盤振る舞いされている。

 バイオレンスな後輩から空間を埋め込まれた腹を摩る。そこに、角ばった感触はもう認めない。心臓を潰されたと同時に展開した防御魔術が、空間を消したのだ。


 見上げた夜空に、皇女を抱いた特務の白い軍服が浮いていた。


「ユウメ・エクテレウ」


 餌を奪われた虎のような、妙に苛立った表情でぶっきらぼうに声を降ろす。


「余計なお世話って言いたいわけ」


「いいや、他人の絵を描きたいと思ったのはこれが初めてだ」


 彼女は見えない階段を下り、地上に降りる。不機嫌な顔から想像できないくらい丁寧に皇女を降ろすと、障壁を地面に戻す。北と南、相反する方向に存在した数重の壁が落ちると、その先にいる二人のボスが現われた。


「よぉ! 久しぶりだなぁ、糞特務ゥ!」


「赤い手の、十番……」


「お城の上で寝首を搔かれたのがそんなに悔しいかよ! えぇ!?」


「殺す」


 北と南。双方から襲い掛かる二人のボスには黒い魔術が迸っている。それとは無関係に、地面の削れる音がした。彼女が何か空間を設置したのだろう。消し飛んだ砂埃から見るに、北と南、その双方に城を横に倒したような巨大な空間を設置したようだ。


「特異点」


 北に三つ。南に三つ。空気の歪みが現われる。それが自身に向けられていないのは、幸福なことなのだろう。それ程恐ろしく、美しい。解放を待つ空気が鼓動し、夜が軋んでいた。


「――六重爛漫(セーイ・カメリア)


 解放と共に、巨大な空間内で爆発が乱反射した。音が聞こえていたら、この世の終わりのような爆音だったろう。中身にあったものは、ひとたまりもなく、殺される。


 だが、赤い手のボスは殺されても死なない。


「空間が切られた」


「なんですって?」


 後輩の驚きを含んだ言葉に皇女は聞き間違いを疑うような声を上げた。


「あのなまくら刀だ」


 自身の心臓を削り取った、風化した刀剣。ボスはそれで自らの頭蓋骨を豆腐のように切っていた。自分を切るのに、剣術もくそもないはずだ。あの刀剣に何かしらの秘密があるのだろう。


 爆発が収まると、そこには何もなかった。むなしい闇が広がっているだけだ。北にも南にも、何もない。

 どこからともなく、声が聞こえた。


「混沌の時代に、また会おう。それまで、生きていれば、だが。耐えて見せろよ、身も、心も。またな。ユウメ・エクテレウ」


「知らねぇよ。ボケ」


「消えたみたいね。不気味な奴」


 静寂が包む夜を見つめて、皇女は私に向く。その間にも、後輩は絶えず警戒を絶やさなかった。


「とんでもない嘘をついてくれたわね」


 ふらつく私に足払いを繰り出し、無様に転んだところへ、馬乗をした。一国の姫の一人とは思えない。


「何のことだかね」


「来るところまできて白を切るとは見苦しいわね。私の魔術は過去の魔力痕を見ることもできる。その手袋は何かしらIX(ナイン)と書かれているように見えるわ」


「――拾ったんだ」


 彼女は、信じられないことに、血液渦巻く左胸に手を突っ込んできた。指でぐりぐりと臓物と肉がかき回され、気を失うほどの激痛が襲う。苦悶の声だけでは痛みを軽くすることができず、視界に銀色の明滅が起こる。


「皇女に恥をかかせた罪が、これで済んでいいはずがないわ」


 彼女は赤子が玩具で遊ぶように、肋骨を引きはがそうとする。


「あなた、私に付き従いなさい。どうせ狙われる身でしょう」


 返答を求めているはずなのに、彼女の手は止まらない。この痛みで答えられる訳がないのだ。悪逆非道の皇帝の才能が彼女にはあるのだろう。


「な、なるほど。協定を結ぼうというわけか」


 苦痛の混じった声で答える。文字として出力できたのが奇跡だった。


「えぇ。一日に三回は狙われるから、人手に困っていない時が無いの。あなたにとっても、悪い話ではないはずよ」


「た、確かに、わ、悪い話ではないな」


「じゃあ、傘下に入ると言いなさい」


 心臓を治すにも時間がいる。その間にボスに襲われたら今度こそ死ぬだろう。隠れ蓑になってくれるのなら、これほどのものはない。帝国第二皇女の傘下ともなれば、扱いは荒くなろうとも安定した当たり前の生活が得られるだろう。


 心は決まった。これだけははっきり言っておこうと、止まらない臓物混ぜ機に意識を割かずに、息を吸って答える。


「――嫌だね」


 臓物混ぜ機が止まる。その目は、機械と言う他無いほど無機質だった。


「選ばされる未来に答えは無い。自分で選んでこそ、気持ちよく朝日を浴びられる。それに、私はね、人に命令されるのが――世界で一番癪に障るんだ。」


 自分の一番譲れないところを譲る時、人は死ぬ。それが、赤い手で見た答えだ。


「同感よ」


 以外にも、皇女はその手を引き抜いた。そして、懐から凍り付いた肉の塊のようなものを取り出す。今度は何をするのかと思えば、それをどう調理するわけでもなく私の左胸に突っ込んだ。


「なんだ……! なにをいれ……」


 視界が真っ赤に染まった。『絵の中の友達(スタンド・バイ・ミー)』が勝手にそれをどうにかしようとしているのは分かる。だが、それが良いことなのか悪いことなのか分からない。恐らく、悪い方に八割ぐらいだろう。


「いいの?」


 苦痛と混乱と憤怒に喘ぐ私を放って二人は会話を始める。それは、路上で塩をかけられたナメクジのようにのた打ち回る私が見えない、とでも言うのかというほどの日常会話っぷりだった。


「あとは時の運に任せましょう。敵でも味方でもないなら。どうにかしようともならないわ」


「あの心臓……オオカミのだよね」


「そうだったかしら?」


 聞き逃せない言葉を吐いて、必死に意識を保つ私をよそに、ふたりは、むなしい夜に消えた。

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