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第54話 掃除が好きな先輩

「制服ってよォお、ナンデ存在するんだろうなァあ」


「さぁ」


「さぁ。じゃねぇよなァ。『聞く』っていう行為には『答える』って行為が付属されなきゃいけねェよ。酒場で必ず酒が出てくるようによォお。てめェ学生だろ? 賢いんじゃねぇのかよ」


「今、君の言ったことが制服の意味ではないのかい?」


「あーあぁ?」


 制服を着た女。彼女は、人の胴が三つしか入らないほど狭い路地にいる。


「これだから頭のいい奴はよォ! 毎日が疑問ってかァあ」


 その路地に、人の胴は三つある。ひとつは制服と、ふたつは厚い黒革の外套、そして、小奇麗な無地の白いシャツ。


 白シャツは独特な口調で、威嚇する蛇の鎌首のように腰を曲げて、背を壁に預ける制服の女に詰め寄る。


「お前、何年生だ」


 近づく白シャツに不快げな表情をする彼女を見て、対照的に紳士的とも言える外套の男は話がこじれる前に本筋に戻そうとした。


「四年生だが」


「なら、もうすぐ卒業だな」


 外套の男はそう言うと、紙に印刷された写真を取り出した。微かにインクの匂いのするそれは、質の悪い印刷機でも使ったのか、掠れて写像がダブって見える。


「帝国特務機関、エクテレウ家の執行人の一人。ユウメ・エクテレウ。こいつを殺せという依頼がバラまかれた」


 その写像には、帝国第二皇女の後ろ姿と、隣を歩くユウメ・エクテレウが中心に映っている。彼女は、色の失った世界からこちらを見ていた。その目に映る殺意は、色を奪われても色彩に満ちている。


「魔術はそれなりにしか使えないのだろう? 魔力は確実に我々が上回っている。大人しく言うことを聞け」


「言うこと、とは?」


「脱げ」


 制服の女は困惑した。文脈から考えて、制服を依頼に利用するのだろうが、不快な想像が浮かんできたからだ。


「まさか、君たちが着るのか?」


「んなわけねェだろうが!」


「お前が必要以上のことを知る必要はない。それなりの金はやろう。卒業したら学者か? 夢は叶えたいなら、言う事を聞け。墓の予約をするほど先見の明があるのなら別だがね」


 黒革の外套が懐から出したのは見た目で重みを察せるほど、肥えたように膨らんだ、麻の袋だった。その羽振りの良さに、バラマキ依頼の報酬がどれだけのものか分かる。


「ふむ。確かに、あれは芸術のげの字も分からないほど情緒がない」


「おう。早く脱げよ」


「性格は淑女と言うには粗暴すぎる上に、暴力に躊躇の無い、タガの外れた人間だ」


 彼女は腰の後ろで結んでいた左手を、甲を見せつける様に顔の横に掲げる。


「だが、後輩なのだよ。彼女はね」


「そうか、残念だ……」


 掲げた手に、血液が集まる。赤い液体は、流動しながら手に密着するように形成され、手袋のような質感を出した。


「お前……それは……なぜだ」


 黒革の男が、怯える様に後退る。その深紅の手袋には漆黒の数字が描かれていた。


「赤い手の番号付き……!」


F.Ⅸ(フィンガーナイン)。次席の手に掛けられるのは光栄なことではない。運が悪いな、悉く」


「てめェえ。これをバラまいたのは赤い手の連中だろうが!」


「やったのはボスさ。私に言わせてもらえば、品性に掛けるね」


「殺しに品も糞もねェよ!」


 白シャツの男は、何か行動を起こそうとした。だが、その行動が何かを知る事ができる人間はいなくなった。


 赤い角に、褐色の毛皮。頭が人の腰ほどにある、自然に生まれたにしては小さい体高だ。だが、その一匹が二人を消したのだ。


「あぁ、さっき言ったことは全部忘れてもらって構わない。君たちの言う事を聞かなかったのは、私が人の命令を聞くという行為に対し、無性に癪に障るからだ。癪に障ったから殺した。ここで起こったのはそういう事象だ」


 後輩は、彼女を先輩と呼んだ。彼女を表すには、その間柄を示す文字だけで十分だった。路地と制服。彼女の顔に飛び散った赤い液体は小さな鹿に移動する。


「殺しはやっていない。絵のためには、ね」


 ぽつぽつと降る小雨のように、小さな声を零しながら、人の少ない夜の王都を歩く。彼女の目的は絡まれて、癪に触って人を殺すことではない。


 憲兵との無駄な接触を避けるため、正門は通らずに城壁を飛び越えて外縁に出る。外縁には、背の高い針葉樹が、囲まれる人の最終終着点を隠すように植えられている。


 そこには、墓がある。


 何も供えられていない、苔の生えた墓石。花の供えられた綺麗な墓石。碑銘の無い墓石。ふたりの名が刻まれた一つの墓石。花の輪を置かれた墓石。小さな墓石。大きな墓石。全ては白い棒。人の骨。馬車から見る人のように、彼らは後ろに後ろに流れていく。


 彼女はその墓石に目もくれずに真っすぐと歩く。流れる墓石の速度が上がり、暗い墓地の中心地に近づく。夜空の冷たく薄い光を反射する墓石たちが、中心地にある一つの椅子を避ける様に円状に配置されている。


 そこにある、背もたれ付きの、木そのままの色の椅子には男が座っている。夜空と墓に囲まれるそこで、ただ佇むことを仕事としている彼は何をするまでもなく、座っていた。


「墓守の仕事は、あなたにとっての天職だろう。(ボス)


 男は懐いた犬のように笑った。


「おう!」


 あと一歩で襤褸切れになるような服を着て、彼は椅子の上で王のように座る。夜に寝たことがないような深い隈がついていた。眼窩のように見えるそれと、骨の形が見える手足。


 彼女は絵の仕事で病床に伏せる老人から仕事を受けたことがある。その老人は、もう二度と動けないほどやせ細っていた。視覚的にも嗅覚的にも死の匂いがしていたというのに、沈む眼窩に残る眼球だけは、凶器のように鈍く輝いていた。


 目の前の彼も、全く同じだ。眼窩に沈む目も、死の匂いも。


「埋葬は葬儀屋がやる、俺は帳簿を見ながら埋める場所を決めるだけでいい。そしたら金をもらって、チョコを食べるだけ! あっ、あとは掃除だ。俺は掃除が得意で、好きだ」


「そう。それはいいことだ」


「で、何の用だい。(ナイン)ちゃん」


「掃除をする手間を増やしたのはなぜだい、ボス」


 彼女は箱守の前に一枚の紙を投げた。それは風に乗って、墓守の足元に落ちた。つたない夜の光だが、写っているものははっきりと見える。

 彼はそれを見て、何が聞きたいか分からないというように首を傾げた。


「まさに、まさに足りないじゃないか。人の手、いや、まさしく指がね」


「私は知識上でしか語れないが、指があなた一人になった時も、こんな下賤な真似はしなかったと知らされている。殺すのは、赤く染まった手でなくてはならないと」


「だってよ。五本と一本消えたんだぜ。人間でいえば、片手と残った手の小指が消えちゃった! って感じ。実際に無いんダケド」


 彼の右手、赤い手袋の小指が支えるはずの場所は力無く垂れ下がっていた。


「猫の手も、借りたいだろ」


 彼は質問への本質を答えずに、現状を答えた。話を逸らされ目に見えて不快な顔をした彼女が、言葉を発しようとしたが、被せる様に墓守が答えた。


「それに。原因はお前にだってあるんだぞ。(ナイン)ちゃん」


 飄々とした口調には、抑揚と潤いがない。


「なぁんで殺さないのよ。ケーキを切り分けるナイフはお前の手にあるのに」


「それは、あなたにもあるだろう。学園に潜入するのも、簡単なはずだ」


 彼の服は、腰のあたりが不自然に横に広がっている。


「やだよ。友達いるもん」


「私もいるのだが」


「いないだろ」


 …………


「――奴を殺せば、赤い手は完全に復活する。依頼人が提示した報酬金は、それだけで国が建つほどだ。彼は、金相応の信用できる身分でもある上に、力がある。殺せ。ナイフをケーキに沿って動かすだけで終わる。殺せ。それだけで俺たちは独立し、再び殺しを独占できる」


 過去の栄光にすがる老いぼれ程、おぞましく匂うものはない。彼女はそう思った。


「お前、学園から離れたくないんだろう」


 彼女の表情が変わる。


「そうだよなぁ、学さえあれば、屋根があって、暖炉がある場所で毎日飯が食える。それに……絵も描ける」


 彼は誘惑するように続けた。


「当たり前は、当たり前と知らないから存在する。お前はそれを知っているから、当たり前は当たり前ではないと知っているから、縋り付いているんだ。約束しよう。殺せば、まだ学園にいさせてやるよう、友達に相談してやる。教職でも、研究職でも、芸術でも、好きにやればいい」


「彼女を殺せば。約束……」


 反芻。


「そうだ。なにも、難しいことじゃない。それはお前が一番」


 彼が言い終わる前に、彼女は言い放つ。


「――嫌だね」


 彼はそれを聞いて、手違いで人を殺した時のように少し黙った後、息を吐くように言った。


「――はぁ?」


「人の命令を聞くのが無性に癪に障る質だというのは、初耳じゃないだろう」


 彼は、三回ほど口を開いて閉じるという行為をした後に、諦めたように両手を振った。


「はぁ、はぁ、はー。そうかよ! くそ。どいつもこいつも……除名だ除名! どこへなりとも行っちまえ!」


 彼は脱力したように背もたれに体を預ける。

 彼女は、もうそれ以上付き合わずに墓場の中心から背を向け、歩き始める。その背に、彼は最後の声をかけた。


「王都で、次に顔を見せたら、殺す」


 彼女の背は何の反応も示さずに小さくなる。


「王都から出るまでは、見逃してやる」


 墓場は来る者も去る者も拒まない。

 後ろに後ろに流れた墓石が、前から流れて、過ぎて行く。墓の世界から、人の世界に戻る。彼女は、最後の墓石が流れたころに、夜空を見た。


 伸ばせば手が届きそうな広原の夜空。


 没落し、浮浪する自身を、当時の次席に拾われ十余年。積み重なった人の首の山はあの夜空に届くだろうか。何も考えずに殺した。決意も後悔も躊躇いも快感も恐怖もなく。自由に。だが、


 あの時の我々は、確かに、選んでいた。


 選ばされるのではなく、自らの意思で選んでいた。

 少なくとも、今のような、拒否権の無い選択をするなら、自由な殺しの旗本で死を選ぶような組織だった。依頼主は知らないが、チェスの駒のように人を動かす人間であることは分かる。前例のある人間性をボスが拒否できなかったのは、縋ったからだ、当たり前の栄光に。


 形のあるものはいつか壊れる。それが、形ないものが壊れない理由には、ならない。


 彼女は夜空から視線を戻し、前を向いた。


 そして、その心臓が貫かれる。


 衝撃と冷たさに胸を見る。鈍い光を失った、赤錆と土塊に塗れた、剣の形を成していないなまくらが左胸から生えていた。

 それを認識した時、痺れる熱さが左胸を襲った。赤錆の罅に血流が流れ水泡が破裂したように血液が溢れ出る。


「死は、生の位相に過ぎず」


 抑揚と潤いを欠いた声だった。


「ボス……なぜ……」


 彼は、何でもないことのように言った。


「あぁ。だってここ、王都の外だろ。それに、友達が『後々面倒』だって言っててさ」


 歪で少しも同一性も保っていない得物を引き抜く。でこぼことした刀身が、彼女の身体を削り、心臓を確実に不能のものとした。


「……変わった。組織は、あなたと共に、変わってしまった」


 体に空いた穴から、無くしてはならないものを吹き出しながら、彼女は言った。身体を支える力が無くなり、足の力が抜け、膝をつく。上体が人形のように倒れるまで、数秒もかからなかった。


「あぁ。変わらないでいてくれてありがとう。我が子孫よ。せっかくだから、葬式と火葬と納骨いっぺんにしてやる、光栄に思いながら死んでくれ」


 彼は懐から手帳を取り出し、血の滴る風化した刀剣を片手に、続きを読み上げる。


「死は、生の位相に過ぎず。新世界の門戸にはなり得ない。安らぎと死の境界に鏡は……あらら」


 彼がちらりと見たそこには、すでに死体も、噴き出したはずの血液も無かった。


「まだ、遊ぶ時間をくれるのか。良い事だ。存分に、葬ってやろう。墓は、来るものを拒まない」


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