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第53話 プレッシャーゲーム

 憶奪の彗術師。噂に聞いた占い師。冬場で無意識にパキパキと踏み潰してしまう枯れ枝のような腕が札をめくる。彼女の前にある三枚の札は、字が読めるようになったころ、城にあった絵本の、油絵のように色合いの濃い絵が描かれている。


 三枚それぞれには、魔族、獣族、王族を表す絵柄が描かれ、それは、わたしの前にも三枚伏せられていた。


「このゲームの、ルールを説明しよう」


 老婆は凹凸のある札を撫でながら、からからの声で、ゆっくりと話す。


「ひとつ。勝負は“ゲーム”ならば、なんだっていい。チェスだろうが、ポーカーだろうが、明日の天気への賭けだろうが、暴力の伴わないものならなんだって。

 ふたつ。お前が勝てば、望む未来を観測してやろう。しかし、負ければ、――お前の全ての記憶をもらう。経験のない人間など赤子と同じ。実質的な死だ。

 そして、みっつ。ただのゲームに勝ってこれでは、少々退屈だろう。観測させてもらう。お前の意思を。観測されながらの、思考を読まれながらの四次元的なゲーム。ついてこれるかね?」


 老婆は端的に説明をした。


「いいよ。やろう」


 わたしは端的に返事をする。彼女の言った意味が分からないわけではない。チェスもうまく出来ないわたしには、このゲームに勝ち目は、ほぼ無い。三次元的な戦場で自由に動けてもボードの上ではただの駒にすぎない。


 しかし、それでも、姉を、リサをないがしろにする女だと言われて、黙って引けるほどお淑やかな女ではない。勝ち目がなくとも、勝つ。


「わたしは、一人じゃない」


「ふぅむ。心意気はいいねぇ。到達者である空間魔術師の記憶がいただけるとは。さぁ、王獣紙(ジャックタグ)だ。これしかまともにできないのだろう」


 老婆は性が悪く、情報を得ていることを言葉にちらつかせながら、冷静さを失わせるように煽る。フクロウちゃんが相談室で零していた『おばあちゃん』という言葉。額面道理に受け取るなら、この老婆が彼女の祖母と言うことになる。確かに、わたしはジャックタグしかできないが……高潔なあの子の血縁であるとは思えない。


「わたし、博徒でもないし、運だけのゲームとか好きじゃないから、これであんたが負けたら、とても恥ずかしいね」


「煽りを考えるよりも先に、考えることがあると思うけれどね」


 老婆が三枚の札を一まとめに手に取る。わたしも倣うように手に取り、手の中でその三枚を見つめる。


  魔族は王族に強く、獣族に弱い。

  獣族は魔族に強く、王族に弱い。

  王族は獣族に強く、魔族に弱い。


  老婆は深くフードをかぶっているせいで口元すら見えない。だが、見られている。わたしの目から、絹の糸よりも細い道を通じてわたしの脳まで……


 日の光が落ちる王都にふたりだけの星空が巡る。ノスタルジックな空間で殺伐とした二人は、ゆっくりとカードを選んだ――。



「ユウメさん……?」


 日の当たらぬ影の脇道で、強い風が吹いたと思ったら、彼女の姿が消えている。


「フクロウちゃん」


 皇女様が、険しい顔をして最近聞きなれ始めた名前を呼ぶ。


 帝国のクラスで、私はそう呼ばれていた。十中八九、頭に乗るこの子が影響しているのだろう。名前を呼ばれることは少ないが、親しく『フクロウちゃん』と呼んでくれるのは、悪い気持ちではなかった。


「皇女様」


「何があっても、私のそばを離れないで」


「分かった」


 何か良くないことが起きているのは、皇女様の様子で分かる。長年彼らの管理下にあった私に戦う力は無い。学園に入学できたのも、彼らが許した上での、奇跡に近いものだった。大人しく、皇女様の陰に隠れる。


「条件魔術か固有魔術……でも、魔術痕がない……」


 彼女は、小鳥のように小さな声で推理する。数秒考えると顔を上げて、いつもの凛々しい表情で言う。


「分からないわ。とりあえず大通りに戻りましょう」


「うん」


 動揺を全く見せない彼女は蒼みがかった白銀の長髪を風に流しながら歩く。私の黒よりも黒い髪とは真逆の位置にある色。片割れと言ってもいい存在が突然行方不明になったのに、動揺していない皇女様は綺麗だなと思う。


 ユウメさんと皇女様が、ふたりでひとりと言ってもいいほど密接な関係にあるのは知っている。というか、帝国のクラスの人なら、皆知っていると思う。それぐらい、簡単に一目でわかる行動をしている。


 そんな密接な関係であるユウメさんは、皇女様は私が言う、いわゆる強い人、ではないと言った。凛々しい皇女様は一目ではわからない。だが、よく見れば、普段の余裕のある歩き方とは少し違う……気がする。動揺していないのではなく、していないように見せているだけなのかもしれない。


「気になっていたから、聞くけど。フクロウちゃんは、ユウメのことどう思っているの」


 大通りの風が吹いてきた辺りで、突然、聞かれる。特に何も思っていない。はずだった。


「え、どうって……」


 友達と思っている。とか、無難に答えることができたらよかった。でも、今の私には、それはすごく難しいことだ。


「やっぱり」


 大通りに出ても、歩みを緩めずに彼女は言う。


「目を見ればわかる。あの女も、そんな目をしていたわ」


「あの女って?」


「ウォルフ・ライエ」


 それは、対抗戦で暴れて、最多撃破の褒章をもらっていた人だ。彼女があの人とどういう関係なのか、非常に気になる。


「一応聞くけど、どんな目……?」


「発情した雌犬みたいな目」


「……」


 率直な言葉に面食らう。私はそんな目をしていたのだろうか。


「よくないこと……だね」


 言葉を放った後に、この質問自体が不躾でよくないことだと気づく。あなたの恋人をそういう目で見ているのが、よいことであるはずがないと考えればわかる。しかし、皇女様はその失言を気にしなかった。


「いいわよ。私にそれを止める権利はないわ」


「それは、すごいね。そんなに、自信があるんだ……」


「自信? 買いかぶりすぎよ。私はいつだってひりついているわ……ユウメの隣にいるのは、私じゃない」


 最後の方は、聞こえるか聞こえないかで上手く聞き取れなかった。頭に乗っているこの子なら聞こえたかもしれない。


 私はこの子と通じ合うことはできても会話することはできない。彼女の言葉は、この子の中に閉じ込められてしまった。


 ……彼女に自信がないというのなら、私にだってチャンスはあるのかな。


 胸のポケットに入れたものを握る。布の下にあるそれは、角ばった感触を返してくる。彼女がこれをくれたのは、なんでだろう、と一日考えた。『綺麗なんだから』その言葉を額面通りに受け取るのは恥ずかしいから。


 自分を見失うな、と、そう言ってくれるのだろうか。


 はっきりとした意味は、彼女に聞かない限り分からない。私に思い入れを与えたかったのかもしれない。ただ、本を探すことと、あの人間たちへの復讐が私という存在の意味だったのに、彼女の行動で、鏡をくれた理由を聞く、という目標が増えた。


 あんなことをされて、綺麗だと言われて、彼女の大事なものをくれて、優しくされてしまったら、もっと深い目標を夢見てしまうが、今のところの目標は、それでいい。彼女に近づけるのなら、それがいい。


「あ、言い忘れていたけど」


 皇女様が振り返って、今まで見たことがない子供のような挑戦的な表情をした。


「ユウメと会うときは、私を通しなさいね!」


 皇女なのだから『会うな』と言ってもいいのに。私は、彼女の不器用なやさしさに少しだけ笑ってしまった。


「この話は終わり。ユウメを探さないと、ホテルに戻って……」


 皇女様の言葉が止まる。彼女は、青い空に、釘付けになっていた。私が見ても、そこには何もない、皇女様の瞳にだけ見えるものがあるのだ。


「はぁ。やっぱり。隣にいるのは、私じゃない」


 と、彼女は不貞腐れた幼い表情を見せた――。


 

 ――星空の下で、場に出した札をめくる。


 眼前の茶髪の女、ユウメ・エクテレウはどこか穏やかな表情をしながら、続いて札を捲った。結果は、ユウメが魔族の札、そして、私が獣族の札。当然の、揺ぎ無い一勝。


「札を三枚とも隠して、運任せにしたらどうだい。勝ち目なんてないのだろう」


 安い挑発を、鳥が鳴くような頻度で出していく。水面に浮いた石という心を読むのに、水面を打つ雫は重要だ。


「わたし、運を信じてないから。言ったでしょ、博徒じゃないって。ボケてんの?」


 安い挑発に安い挑発が打ち返される。観測した彼女の思考は、煽りに弱いのか、先ほどの姉を含んだ挑発が効いたのか、しっかりと煮えくり返っていた。


 僥倖。感情が大きくなればなるほど、水面に広がる波紋は感じ取れやすくなる。


「それにしても、ふーん。やっぱり見えているんだ。考えが」


 彼女は敗北した一戦を見ながら言う。


「あぁ。もちろん。どうして、そんな当たり前の疑問を?」


「何でもない」


 そう言うと、魔族の札を再び伏せる。そして、札の裏面に右手の人差し指を伸ばす。ぽたりと、一滴の赤い血が落ちた。鮮やかな赤は、札の上でぷるぷると丸い体を揺らす。その身体を人差し指が踏み潰し、札の裏面に押し広げた。


「面白い工作だね。どういう考えがあるのだろうか」


 魔術のことを考えなければ、裏返す瞬間の、土壇場のすり替え。裏面を見せずにすり替えれば場で表になる札はまた違うものになる。あえて、替えないという手もある。通常なら考えさせられる手だが……


 躊躇なく、彼女の思考を覗いた。


「そういう読み合いを楽しむ心が無いの、貧相だよね」


「ふふ、なら、記憶を賭けないゲームをまた後でやろう。私に勝てば、の話だが」


「時間の無駄だから、いい」


 なるほど。なるほど。血を付けたのは、札ではない。札を囲んだ紙よりも薄い空間だ。空間を移動させ、血がついていたのは魔族の札という認識を利用するつもりだったようだ。いい努力。しかし無駄。何を出すか読めるのだから、結局のところすべて無駄。


 再びの勝負。血が付着した札と、新品の札が場に伏せられる。私が捲る、それは魔族。彼女が捲る血塗られた札。それは、王族。


 二勝。


「あと、ひとつだね」


 言ったのは、薄く、どこか妖艶に笑うユウメだった。


「諦めた……というわけでもなさそうだ」


「見てみなよ。わたしの……私の考えを」


 札を三枚ともまとめ扇のように広げて隠す。妙に、様になっていた。


「なんだ……これは……」


 それは、記号とも文字ともつかぬ何かだった。やっていることは分かる。空間で脳内のものを出力し、星空の、さらに上の空に描き出している。だが、その書きだしているものが何か分からない。


「やっぱり、分からないんだ。じゃあ翻訳してみてよ。わたしたちの言語」


「言語だと……?」


 新たな言語を生み出す力。その力は、なぜ……


 逡巡を前に、彼女は血がついている札を出した。理解できなくとも、推理できるパーツはそろっている。空に文字を書いた理由。助けを求めている。それは誰か。空間が見え、そして、新たな言語が共有できるほどの密接な関係……考えられるのは一人。イムグリーネ……ヴィルライヒ帝国第二皇女イムグリーネ・ヴィルライヒ。


 だとするのであれば、内の瞳(プピレ・ゲヒルン)の副産物。魔力因子の視覚化による粒子操作。予想されるのは空間魔術で座標を伝え、そして札の、移動。それしか、彼女が取れる手段はない。


「あれ。札、出さないんだ。――もしかしてぇ」


 彼女は二枚の札を机に置く。後がなく、死の崖っぷちで足を縛られたはずのユウメは、挑戦的にも、踊っていた。


「――ビビってる?」


 崖っぷちで追い詰められているのは、どちらか。


「……いいだろう。ババアを舐めたら、痛い目みるさ」


 彼女の思考では、意味不明な言語を除けば、王族を出すことになっている。つまり、今、場にあるのは確実に王族。そして、薄い空間の上にある血液。


 手の内に魔族と、気づかれぬように重ねて王族を持つ。


 粒子操作と言っても、札を高速で動かして入れ替えることしかできまい。奴が出すのは、王族を読み、私が魔族を出すところを狩る、獣族。札の動きを見て、少しでも動けば重ねた王族を出す。動かなければ魔族を出し、最終勝利をもらう。魔術師を拘束する憲兵さながら目を見開いて札に注視する。分かるさ。あの血液が揺れるその瞬間を、確実に――


「じゃあ、やろうか」


 彼女が札を持つ、妙な動きは無い。血液は揺れていない。つまり、王族。不審に思われぬよう、時間差を出さぬように自らの札をめくる……


 こちらは、魔族。


 そして、彼女が裏返すは、獣族。


「ほお……」


「一勝、だね」


 見逃した? そんなはずはない。血の付いた札は確実に最初から王族のものだった。絶対に全く動いてなどいない。今起こったことを考え、説明するならば空間そのものを入れ替えるほどの瞬間的な移動だ。粒子操作では、不可能である。


「はい、次。もういいよ」


 考える暇を与えずに、次の札が出る。また、血に塗られた札。これが獣族かどうか、全く分からない。しかし、これは単純な対称のゲームでない。そうであるまま、終わらせないさ。


「これは獣族か?」


「そうだよ」


「このまま、獣族をだすつもりか?」


「うん。時間無いからはやくしてよ」


「手品のタネはなんだ?」


「イムに助けを求めているだけだよ」


 自身に絶対有利のこの場は、たった一人の小娘に荒らされていた。彼女の心に嘘はない。純粋に札を出し、純粋に勝ち、純粋に急かして、純粋に助けを求めている。


 疑心暗鬼。


 なにが正で、なにが誤か、全く分からない。絶対有利の独壇場を、奪われたのだ。


「――だから面白い」


 サージェと並ぶ魔術師、空間魔術到達者のユウメ・エクテレウが、私を運の無くなった世界から、運の世界へと蹴飛ばした。出す札は、考えない。勘だ、常人のように、勘で勝負する。


 ――面白い。


 心底、そう思った。



 五戦目。場に出たカードは魔族と王族。


「負けだよ。老婆は若人に倒されましたとさ」


「じゃあ、約束通り」


「待ちなよ。そう老婆を急かすんじゃない。タネを教えておくれよ」


「だから、言ってるじゃん。イムに助けを求めたって――まあ、実際に助けたのは違うヒトだけれど」


「なに……? だが、空間が見えるのは、彼女だけだろう」


「見えなくても、会話ができなくても、通じるものがある。そう言っていたのはカッツィ。彼女は、同種だから猫と通じ合える。私の場合は、あいつとずっと一緒だから」


 あいつ。イムグリーネ以上の密接な関係……


「ダイン・エクテレウ……」


 ありえない。


「ありえない。彼と君は接触できていないはずだ。まさか……」


 まさか……彼女は、博徒ではないと言っていた。運を信じていないと……しかし、これでは。


「賭けたのか……彼が来るかの、一か八かに……」


 博徒ではない? 運を信じていない?


 大嘘。


 天賦の、大博打。


「わたしにとっては、確定した未来だった。博打なんかじゃない。姉が呼んだらせこせこ走って来るものなの。弟って」


 わたしは、一人じゃない。そういう事か。理解はあまりに遅かった。完敗である。


 ダイン・エクテレウの魔術、魔間交換(マジックポート)は魔力体と魔力体の場所を入れ替える。札に血を付けたのは、札を空間で囲う理由付けだった。彼女の『空間を移動させる』という考えは嘘ではない。そうやって、水面にノイズを潜ませ、本当の目的を巧妙に隠していた。


 血の付いた空間の中に更に薄い空間を作り、二重の空間となれば、いつでも手元の空間と交換できる。私に札に、薄い膜でもつけておけば、どれを出すのかは手に取るようにわかるだろう。


「わたしが作った言語を無理やり教えたりしてたな……まさか、本当に役に立つとはね。じゃあ、約束通り」


「ああ、いいだろう。観測してやろう」


 準備を整えようとしたところを、彼女は止めた。


「いや、いらない。あんたには、他にやってもらうことがある」


 彼女は立ち上がる。背が高く、すらりとした手足は恐ろしくも美しかった。


「――フクロウちゃんと会えよ。孫不幸もの」


 怒気だった。怒りに満ちていた。姉を含んだ挑発をした時と同じくらいに。


「なぜ……情報は、今しか手に入らないのだぞ」


「わたしとイムなら近いうちに必ずたどり着く。いらないんだよね」


「記憶を賭けて奪った勝利を……いいだろう」


 そう言うと、彼女は私の姿を一瞥して姿を翻す。彼女たちの未来を、私は全て知っている。孫と会わなかったのも、それが要因である。この世は、全てはむなしく、無駄なものだ。水面に落ちた羽根のように、一度落ちればもう空に戻ることは無い。


 チェスの一手はとうの昔に打たれ、そして、それは今も続いているのだ。

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