第50話 フクロウちゃん
わたしとイムは、いつものように横に座って、エスベレッタ先生の午前の講義を受けた。元気よく手を振りながら退室する先生を見送ったら、昼休憩を挟んで午後が始まる。
しかし、慣れた動線を阻むように、席に座ったわたし達の前に立ちはだかったのは、制服に囲まれた中では異質である真っ赤なワンピースのファウン、と、その肩を持った保護者のミチルだった。
ほら、と、促すようにするミチル。ファウンは緊張したように表情を強ばらせている。言うぞ言うぞと意気込んでいるようにも見えた。
そして、そこまで待たずに出た言葉は。
「あっ、あのことは貸しにしておくからねっ!」
「『貸し』じゃなくて『借り』ね」
礼を言いたかったのかもしれないが、額面通りに受け取ると清々しい図々しさである。
ミチルとファウン、そして元凶の先輩が起こした血液絵画事件は無事(死者を出さず)に終わった。事件自体も火事として処理されたようだ。何か薄暗い見えない力を感じるが、どうせ、裏で先輩が糸を引いたのだろう。
「こら。 ちゃんとありがとうって言うんだ。ファウンはそれが出来る子だろう!?」
わたしは最近知ったのだが、思春期の子は真正面から相対するのに恥ずかしさを覚えるらしい。ファウンから学んだことだ。
彼女は子どもらしく頬を染めて言い淀んでいたが、折れないミチルに観念したようで、虫の鳴くような声で「ありがとう」と言った。
「君、出身はどこなの?」
そう言ったのはイムの横に座ったフィア。さらにその横にはクレッテもいた。クレッテは、目新しいものに目がないのか異質な色合いのファウンを目を輝かせながら見ている。
「ちっちゃくて可愛いですね!」
「はっ!? 私とそんなに変わらないじゃん!」
反射とも言えるほど速く鋭い言葉にクレッテは愕然とした。何故かフィアもショックを受けていた。
そして、また暴言を叱られると思ったのか、ハッとした顔のファウンがミチルの手を振り払って走り出す。
あのふたりの、特に、フィア側が、あの話をした時からうまく機能していないようだった。中身の大事な歯車が錆び付いた用に、ギクシャクとしていたのだ。親友が人類の敵たる存在の手先だと言われれば誰しもそうなるだろう。だが、それもこの前までだった。
心を決めたのか、何か変わるものがあったのか、フィアが顔を上げているところを良く見るようになった。彼女は見た目の割に大人びているが、心はちゃんと年齢相応のはずで、心配していたが。無問題だったようだ。
「なんであの子はその場しのぎで逃げるんだ?」
広い学園へと走り出したファウンを呆れたように見届けるミチル。普通なら、迷子になる心配をするが、彼女は間違いなく異変であり、心配は必要ない。
「子どもって、そういうものよ」
そうイムが言うと、いつの間にかミチルの前にファウンが現れた。瞬間移動でもしたかのように。
「ほら、怒られるから走るんじゃない」
ファウンは既に死んでいる。理論は分からないが、彼女は自立した魔術だ。魔力の供給先が絵画から、たまたま近くにいたミチルに移ったらしい。
これほど元気の良い幽霊は見たことが無いが(普通の幽霊も見た事ないけど)幽霊である以上、いつかは成仏するのだろう。
それは恐らく、家族に会った時。そうなれば少しだけ寂しいかもしれない。
「よお、お前ら。変なのが増えてんな」
高い声の中に混じる低い声は、片手をズボンのポケットに突っ込んだウィズダムのものだった。
「何が変なの! かっこつけ!」
「あぁ!? 何だこのガキは。ミチル。お前の隠し子か。教育がなってないぞ」
「子どもにガキなんて言うもんじゃないぞウィズダム」
「クマさんだ!」
熊のような低い声は、グリズリのものだ。
「ミチルから聞いた。大変だったらしいな。皇女様」
「まあちょっとしたことね」
「到達者とそれに並ぶ者から見たら、だろ。ふん、この学園程、安全な場所は無いだろうな」
がやがやと騒がしくなる教室はわたし達のまわりも例外では無い。入学当初はフィアと少し話をして、部活を始めるだけだった。だが、今は、フィアとクレッテがいて、ウィズダムとグリズリがいて、ミチルとファウンがいる。
こうやって、ただ、何も無い時間も、子どもに真正面から喧嘩を売られるウィズダム達を見るのも。
「悪くないわね」
イムが穏やかな笑みを浮かべて言った。
「……そうだね」
わたしは、一片の不満もなくそれに応えた。
食堂に行こうと、教材を鞄に入れ、席を立った時、二の腕まであるブラウスを軽い力で摘まれる。
その方を見ると、人の目とは思えないものと目が合った。思わず小さく声を上げるが、クリクリとしたビーズのような目、梨の断面図のような顔は、モリフクロウのものだ。
モリフクロウは、世間一般で見れば背の高い女生徒の暗い黒青の髪に乗っていた。対抗戦で撤退の合図にフクロウを飛ばした女の子だ。
「ユウメさん。ご飯の後、ある? 時間」
背の高さの割に、可愛らしい声だった。ファウンの「ありがとう」よりは大きい声だったが、どちらかといえば小さい声に分類されるだろう。
「うん。大丈夫だよ」
少し面食らったが返事をした。お悩み相談部は、誰だって、いつだって、何だって、歓迎だ。
昼食を済ませて、その後。ミチルからもらった、淡い青色の魔力を閉じ込めた立方体を指で弄びながら、活動記録をぱらぱらと捲る。
「やっぱ、重いな。これ」
わたしの四肢には、チェイサー条件魔術対策用の道具がついている。
『吸い取りくん』と、フィアとクレッテのふたりに名付けられたこれは、一つ十キロの、重量級の鋼鉄の輪である。それが、八つ。片腕二十キロ、合計八十キロ。
どこからどう見ても角張った鋼鉄の輪で、身体を動かす度に皮膚に食いこんで痛いし、重みで血流に悪さをしないか心配で、不快中の不快である。しかし、やはり確実なものであるし、何より、自分で選んだ道だ。
修練にもなる、と自分の頭を無理矢理向上心の塊にして活動記録に手をつける。
一センチ弱の厚さの記録帳は、いつの間にか四分の一まで手をつけた跡があった。そのほとんどは魔術の相談だが……この中の数枚は毛色の違う面白い事件だ。
フクロウちゃんは、魔術か事件、どっちだろう。
「眉間を撫でてあげると喜ぶよ。この子は」
その後、直ぐに来たフクロウちゃん。わたしとイムはまず彼女のアイデンティティでもあるモリフクロウと触れ合おうとしていた。
机の上で首を傾げるモリフクロウに、わたしが戦々恐々としていると、イムが先に手を伸ばした。かりかりとモリフクロウの眉間を掻くように撫でられて、彼か彼女かは、まん丸の目を細めていた。
「小動物っていうのは、素直でいいわね。鳥だけど」
イムは自身の周りに素直では無い大型動物がいるような口をきく。イムがなぜ、鳥が嫌いなのか知らないがこのモリフクロウは嫌いでは無いらしい。
「ねぇ、わたしも、触っていい?」
「いいよ。うん」
慎重に慎重に手を伸ばす。モリフクロウの目がわたしの指に視線を固めた。そのふわふわの眉間に手が触れようとしたその時。
「痛ってぇ!」
硬い嘴で啄まれた。モリフクロウは翼をはためかせながら全力で「お前の事が嫌いです!」とアピールする。目も合わせずに。
「……おかしい。この子、嫌いになるほど人に興味が無いのに」
わたしはフクロウちゃんの冷たい言葉に、痛む人差し指を反対の手で握り締めながら答える。
「わたし……何でか知らないけど、動物に好かれたことがないの。道端の猫とか犬とか、好きなだけ威嚇して逃げていくから……」
「大変だね」
あっさりした言葉で、全くそう思ってなさそうな平坦な声音だったが、綺麗な顔立ちはしっかり可哀想なものを見る表情をしていた。彼女は動物が好きなようだ。
モリフクロウがフクロウちゃんの頭に不格好にはばたきながら上り、彼女からは神妙な雰囲気が現れる。
「頼みたいことは、ひとつ」
彼女は背筋を伸ばして、願いと相談を吐き出した。
「おばあちゃん――いえ、憶奪の彗術師。彼女の本を見つけたい。手伝って欲しい」
憶奪の彗術師。ピンと来ないわたしに対してイムは表情を険しくしていた。
わたしはその依頼をふたつ返事で了承した。イムの悩んでいる横で、だったが。まあ、直ぐに「本人に会う訳じゃないからいいか」と、彼女なりに納得してくれた。
フクロウちゃんが示した手掛かりは、王都で開催されているという『闇市』にその本が出品されているらしい。
闇市というのは、禁制品など、その取引の一種だろう。帝国で、そういう闇取引とかを任されていたのは副隊長とヴァルターだった。だから、わたしは詳しくない。
その日はこれで解散となった。フクロウちゃんには用事があるらしい。しかし、闇市にあると分かっているのは幸いだが、闇市の場所が分からないとなると……
「また……総当り……?」
それだけは絶対に嫌だ……
「誰かに頼ればいいのよ。土地勘があって、裏事情に詳しい人に」
イムにはそう言うが、しっくりとくる人相は思い浮かばない。
土地勘があるといえばウィズダム。しかし、裏には詳しく無さそうだ。
先輩はどちらもあるだろうが、頼るのが癪なので嫌だ。
カフェ副隊長は出来るだけ会いたくない。
「やっぱり、ヴァルターかなぁ。会えるかどうかが難しいけど……」
イムの表情で答え合わせをするが、どうやら正しい答えでは無いようだ。彼女は得意気に自身の髪を払う。
「ふふん。もっと、適任がいるわ。ユウメもよく知っている人よ。明日、フクロウちゃんと一緒に行きましょう」
それが誰かは当日のお楽しみにするみたい。
「話は変わるけど、イム、なんで依頼を受ける時、ちょっと悩んでたの」
「ああ、その本の執筆者が、厄介なのよ。私も最近知ったのだけれど、彼女とのボードゲームに勝てば絶対に的中する占いをしてくれるのだけれど、負ければ……全ての記憶を失うらしいわ」
ボードゲームじゃなくて殴り合いなら会ってみたかった。わたしはチェスとかリバーシの弱さには自信がある。ああいうのは、攻めたくて攻めたくてしょうがなくなるのだ。
「まあ、本を探すだけだから、会うことは無いでしょうけど」
「ふふ、わたしが負けても、イムのことは忘れないよ」
鼻がくっつきそうな程の距離で、彼女の顔が赤くなる。彼女の肌の熱が伝播して来そう。
「も、もう。縁起でもないこと言わないでよ」
じっと見ていて気付いたが、イム、あまり体調が良くなさそうだ。良い顔色とは言えない。
今日は早く寝よう。憶奪の彗術師とやらも、もし、会ってしまっても勝負をしなければよいのだ。心配することでは無い。
そもそも、こんな広い世界で、見知らぬ人間と見知らぬ場所で偶然でくわすなんて、ありえないだろう。
“運命”でもない限り。
重い重い暗雲が、ぽたぽたと雨を降らせ始めた。
 




