第4話 機械仕掛けの女帝
魔術は思想に沿って形成される。ダインの魔術は仲間を手助けするのに適していて、魔力を座標としての位置交換という手法はロジカルな彼の性格が反映されていると思う。先日捕まえたジェメロは、絶望的な状況から偶像への崇拝に目覚めたからか、生物の背後に移動するという魔術が形成された。利己的で、殺意に満ちた狂信的な魔術だ。
異常と狂気、常識のなりそこない。私は、きっとその狂気の内にいる。
私はリサの死体を見た時に、姉は死んだと思った。不快には思った。だが、ただそれだけだ。そして、ダインが悲しんで現実を受け止められない様子を見て私はあたかも悲しんでいるように表情を歪めてその現実を乗り越えたように見せかけた。本当は、悲しくも、乗り越える何かすら持っていないくせに。
私が持つ感情と他人が持つ感情はどうやら違うらしい。私の中にあるそれは、瞳を潤ませる力も唇の端を持ち上げる力も持っていない。とても弱くて白紙の絵のように希薄だ。私の魔術は透明な空間を作り出す力。空っぽな私が持つ力。空虚な私を象徴している。
私は異常と狂気を殺してきた。私こそが排除されるべき狂気であるにもかかわらず、感情を持つ人間の猿真似をして常人として異常者を殺した。生き物を殺すたびに、周りの生き物が死ぬ度に私の中から何かが私の肉のつらなりを指圧する。その度に、私は高い所に登りそこから飛び降りたくなる。
自殺願望とはまた違うだろう。きっと私は強くなりたいのだ。常人の振りをして好き放題殺して力の糧にしておいて身勝手にも「死にたい」とは情けない事このうえない。この胸の内にある何かは、意志なのだろう。おかしく思いつつも相棒として接してくれたダインへ、姉へ父へ、私を家族としたのは間違いではなかったと伝えるために。そして、その家族を護るために強くなれと意志が叫んでいるのだろう。そうじゃなければ、私はあまりにも惨めだ。生きる価値もない。
空虚な私は常に誰よりも劣っている。感情を知らず、周囲を見渡さなければどういう表情をすればいいのかも分からない。周りの人間よりも常に一歩遅れている。だから、他人よりも努力して訓練をして強くならなければならない。これが護るための力だと証明するために、強くならなければならない。
寝ている場合じゃない。
――おはよう。
白を基調とした清潔感を感じる部屋に、透き通るような清廉な声が響き、私は目が覚めた。水面のようなカーテンからの陽光が瞼ごと眼球を照らして苛立ちのうめき声が漏れる。それが、『おはよう』の答えになった。
何故ここにいるのか思い出そうとしても、酷い頭痛がして思い出せない。覚醒したばかりの脳は考えることを拒み、乾いた身体に水分を欲している。
「はい、水」
思考に追従するように、杯の中で揺れる水面が現われた。体を起こし、渡されたコップの冷たい中身を勢いよく飲み込み、一息つく。脳に空白が産まれると、自分が置かされている状況に疑問が湧いてくる。自分が意識を失う前の記憶が次々と思い浮かび、矛盾が言葉になって口から出てしまった。
「ねぇ、ここはどこ、今は何時、あなたは誰! 痛ったい!」
私は状況が知りたいが故に、彼女を問い詰めようとするが、節々が痛む身体がそうさせてくれない。
「おお」
目の前の女の子が声をあげた。機械的だったが、僅かの感嘆が篭っているように聞こえる。その女の子は、青みがかかった銀髪を一纏めにして、品のある振る舞いが似合いそうな目元をしていた。簡単に人を操作出来そうな背筋の冷える声音を持つ彼女は、爛々と紫色の花のような瞳を輝かせながらこちらを見つめている。そこら辺の町娘のような何の変哲もない服を着ているが、その境遇とは程遠い場所にある、訓練された品を感じた。
「君、特務の人でしょ。面白いね。ここは私の家だよ、一人暮らしね。時間は、うん。私の家の前にボロボロで転がってた君を拾ってから二週間ぐらいは経つかな。私の名前は……うーん……イム。私の名前はイム。一般市民。身体はしばらく痛いだろうね、なぜなら全身ボロボロだったから」
イムと名乗った彼女は、一息に質問した意趣返しに、一息に答えた。しかし、私の脳は立ち上がりに時間がかかるため、長文を受け入れられない。頭の中で文を短く切って処理をしている間も、イムは私を見つめ続ける。気まずい状況だと考えた私は、ひとまずの感謝を伝えることにした。
「包帯とか、イムさんがしてくれたんだよね。ありがとう」
「どういたしまして」
このような時は、大抵相手も気まずいと感じているんだろうなと私は思っていた。彼女は例外の存在らしい。ずっと紫の瞳が見つめてくるのだ。嫌とは思わなかったが、対処法が分からず私は思考の中に逃げようと決めた。
ダインと私は父を追って、帝都の上を走った。そして、追いついて……身体がボロボロなのは、父に負けたのか。それで頭でも打ってしまったのか、最後の部分は、記憶が曖昧で綺麗に思い出せなかった。
「そうだ、男の子を見なかったかな。私と同い年の同じ軍服の」
「いや、いなかったね」
父とダインはどうなったんだろうか。追い続けているのか、それとも一度退いたのか。
「二週間経ったって言ったの」
「遅いね、言ったよ。二週間と三日ね」
「えぇ……」
あの事件から二週間経ったとは到底信じられなかった。目を瞑れば、今でも鮮明に、数秒前に起こったことのように、地獄のような光景が思い出せる。暫く忘れていたこの感覚。不快だ。血の海に浮かぶ、表情を奪われた母の顔、虚空の瞳が私を見つめている。
「そう。二週間。この私が身体を治してあげたんだから、治療費は後で請求するわ。忘れないでね。あら、顔色が……」
「おえっ」
胸を内側から押す何かが呪いのように残り続けて。その呪いごと胃の中を吐き出すように、さっき飲んだ水が喉の奥から溢れ出てきた。
「ああ! 私のベッドに何をしてるのよ!」
首だけの死体も、そこだけがない死体も、仕事で見慣れているはずなのに。あの光景だけは忘れられなくて。意識が夢の中に駆けていく。
私が再び目を覚ましたのはそこから二日後だった。身体中の痛みもかなり軽くなっていて、一人で歩けるようにはなってきた。完治にはまだ時間がかかるとイムが言っていたが、もうこれ以上時間をかける訳にはいかない。
城に戻って状況を確認しなくてはならないが、軍服は私と一緒にボロボロになっていた。着れたものでは無いのでイムの厚意に甘えて、彼女の服を借りさせてもらった。そして、私は城に向かう前にイムに挨拶をする。
「ありがとう、イム、何から何まで……いつか絶対お礼するから」
「ううん。大丈夫だよ。後で返してもらうから、じゃあまた後でね」
彼女はびっくりするほど爽やかな笑みでそう言うと家の中に入っていってしまった。淡白な人のようで、別れの挨拶はあっさりと終わった。まぁ、今生の別れではない。服も返さなければならないし、助けて貰ったお礼もしなければならないのだから。
門の前に立ち、城を見上げる。当たり前だが、いつも通りの巨大な城だ、何も変わっていない。あの出来事が夢の中で起こった事なのでは無いかと考えたが、そうであって欲しいと私の意識が考えているだけで私の身体はあれは現実だと痛みを発している。リサのことを忘れてしまったかのような城の様子だ。
顔見知りの門番の兵士は非番のようで、若い兵士に事情を説明し、中に入る。城の外面は変わっていなくとも、すれ違う人達の表情は心做しか暗い、父や今後の特務の扱いはどうなるんだろうか、私の抱える不快さは彼らと一緒なのだろうか。
宿舎で替えの軍服に着替え、執務室に向かって歩いているとカフェ副隊長と会った。彼女はこちらに駆け寄ってくる。
「ユウメ、良かった。無事だったのね。ダインと一緒に隊長を追いかけたの?」
副隊長はほっとした様子で息を吐く。三週間近く会っていなかったが、目に見えてやつれていた。彼女の心労を増やしたようで申し訳が立たなかったが、全てを説明した。
「親切な人に助けて貰ったのね、良かったわ。疲れてるみたいだから、座って話しましょう。あの執務室は今は使えないから、代わりの部屋を用意してもらっているの」
私は疲れているように見えるらしい。よっぽどあなたの方が疲れているように見えるのに。それに私は、全てを放って一人で三週間近くも寝た後なのに。
執務室の事を思い出して気分を悪くしながら、副隊長について行った。
新たな執務室に入ると、前の執務室と似たレイアウトの部屋が迎えてくれた。机はひとつ減っていた。サージェの顔も見えた。彼は私の顔をじっと見つめていたが、しばらくすると手元の書類に視線を落とし、話しかけてこなかった。私も彼に構わずにいると部屋にダインの姿が見えないことに気づく。
「副隊長、ダインは」
「まだ見つかってないね。帝都での捜索でも彼等は見つかってないから、未だに隊長を追いかけてるのでしょう。あぁ、もう隊長じゃ無いのか……はぁ……今の私達は法務の捜査結果が出るまで動けない。女帝直々に待機命令が出されたの。それに、三週間も経つのになんの情報もない。この城の何かが狂ったのでしょうね」
副隊長は私のいない三週間を教えてくれた。父は指名手配されたらしい。彼が執務室の窓から逃げるところをサージェが見ていたのだ。捜査に時間がかかっているのは、事の背景を理解している人が一人もいないのが原因だろう。一番近くにいた私たちが何も分からないのだから、誰もわかるはずがなかった。
待機命令が出たのなら、女帝が命令するまで私達は動けない。三週間も経っているんだから何らかの捜査結果は出ているはずなのに、上で情報が止められていることは明らかだ。まだしばらく時間はかかるだろう。
そう思っていた矢先、翌日に私と副隊長は女帝に召集されたのであった。
「面をあげろカフェ、ユウメ・エクテレウ」
私と副隊長は女帝キャロル・ヴィルヘルムに謁見を許された。
女帝は人である。言わずもがな、帝国は人が人を統治する国だ。だが、この女帝を目にする度に私は思う。彼女は本当に人なのか?
「今回の顛末は全てが不明確。しかし、当時の魔力感知から判断して、スレイヴがリサを殺したのは確実である」
殺し殺され、積み重なった死体の山と歴史の層。女帝は、その帝国の機構と歴史が集合した、なにか無機質的で冷たい、凍った星のような私達人とは程遠い存在に思えてならない。
「リサが執行対象となった可能性もあるが、その場合、彼が逃走を図る理由が見当たらない。ユウメ・エクテレウ、貴様は何も知らないのだな」
「はい。分かりません、何も……」
「そうか。ならば、現状は奴をただの殺人者だと判断せざるをえない。よって、特務機関はカフェを代理隊長として、決定まで、私、キャロルの直接の指揮下とする。そして特務にはユウメ・エクテレウ以外の全員でスレイヴ・エクテレウの捜索に当たってもらう」
私、以外。
「ちょっと待ってください! 隊長を追うのならずっと近くで、娘として見てきた私が適任だと思います。それとも、私が裏切り者だと疑っておられるんですか!?」
女帝はどこまでも遠くに見えた。肌が粟立つ。虚脱に似たふらつきを覚える。それでも、私は心を律してどうにか声を絞り出した。
到底、黙っていれることでは無かった。不安で不安でたまらなかった。副隊長がいきり立った私を止めるように服を掴んでも、私の命を握っている相手に対峙する恐怖という根源的な反応でも、私が除け者にされ異常者と判断される死よりも恐ろしい現実を否定する私を止めることは出来ない。
「貴様は決定事項に容喙する立場でない」
それでも、遠く冷たい女帝には私の熱は届かない。むしろ私を冷ますのだ。
「これは決定事項だ。私の与える任務に貴様の魔術が特務の中で一番適切だと判断した。それに貴様、奴を隊長と呼んだな。未だそのような半端者にこれは任せられない」
私は息を呑む。
「異論ないな。任務の仔細は追って話す。二人共、退室することを許可する。ユウメには別の任務がある。私の娘と面会しろ」
「了解、しました」
私と副隊長が退室しようと一礼し背中を向けた時、女帝が口を開いた。
「ユウメ、貴様。奴の、スレイヴの魔術を受けていないだろうな」
「いえ、受けていません」
その言葉は私でも驚くくらい滑らかに漏れ出た。私はその事に違和感を抱かずに、ただ当然の事として受けいれ、記憶の隅から消えていった。