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第48話 血の絵画

 火の手が上がる館が篝火のように森を照らしていた。先輩はファウンの血溜まりを踏みしめながら彼女の顔を覗き込む。ファウンは驚いたような、何かを思い出そうとするような表情をしていた。


「熊は、これの片割れだ。二人揃って“絵”は完成する」


 そして、彼女は熊を見る。彼はわたし達に攻撃が通じないと判断したのか、飽きたのか、それとも、ずる賢い山の熊のように興味が無いフリをしているのか、のそのそと歩き回っている。


 血を絵の具にして描かれた絵画。その絵師である先輩は、この現象を知っている。


「私の絵だ。状況は分かる。血を使ったものは、()()の形を作るのだから」


 何でもないように零された信じ難い言葉にミチルがいきり立つ。


「誰だ、お前。貴様……自分が何を暴露したのか分かっているのか!?」


 ファウンが絵画になる、元々の状態はひとつしか有り得ない。


「――子どもの血を使ったの……?」


 イムの憤怒を押し込めるような声はファウンの体を震わせた。


「その通りだ」


 わたしは彼女の足を払い、馬乗りになって襟を掴む。跳ねた血を浴びながら、抵抗もせずに見せる涼しい表情は、怒りよりも不気味さを感じさせた。


「時間が無いから、聞かれたことに答えて。アイツはどうやって殺すの。ファウン無しで」


「あれは“絵”という同じ括りでしか干渉出来ない」


 彼女は遠回しに殺害は不可能だと言う。


「作者なら干渉出来るはずでしょ、どうにかしてよ」


 わたしは無表情の先輩に期待した訳では無かった。


「――嫌だね」


 だが、その言葉を聞いて、頭蓋骨が罅割れる程ムカついた。


「嘘ね」


「ウソ?」


「『嫌』ではなく『出来ない』分かる嘘をつくのは無駄だと思うけれど」


 その意趣返しを聞き、先輩は不満そうに八の字に眉が歪む。少し頭は冴えたが、状況は刻一刻と悪化している。


 ミチルの消耗を考えると、どうしても焦ってしまう。条件魔術が成立したということは、干渉できる手段は全く無い訳では無いのだ。魔術の可能性を、わたしの頭の可能性を信じれば……


「私が行くっ」


 八方塞がりの中で、ファウンがふらふらと立ち上がりながら言う。その声は震えている。わたしは返事をせずに、ファウンの赤いワンピースを掴んで軽い体をミチルに投げ捨てた。


「ミチル、持ってて」


 軽い体は軽く受け止められて、両手で抱き締められる。ばたばたと手足を投げ出して駄々をこねるが、子供の力では逃げられない。


「なんでっ! 私が行けばみんなたすかるんでしょ!」


「助かってないのが一人いる」


 ファウンを掴んだ手は、真っ赤に染まっていた。


「助かるとか、助からないとか、そういう話では無い。絵が元の形に戻るだけだ。あの熊は、自分の足りないものを探しているに過ぎないというのに」


 一手が欲しい。確実な一手が。


「ユウメの素描で絵という扱いにはならないの?」


「あれは絵として完成していない」


「なんで」


「色が無い。血の色があるから、宿るものがある」


 血というのは魔術にも儀式にも密接した位置にある。そういう認識が人間にあるのだ。先輩はファウンを捨てて解決するつもりだろう、いや『捨てる』という解釈すらしていないのかもしれない。


 そんな人間の思い通りに動く程、わたしは空っぽでない。詰まった脳みそ、その肉の連なりは自分の道を拓くだけだ。


 わたしは念の為に血溜まりに手をつけて、両の拳に塗りたくる。そして、大人しくミチルに羽交い締めにされた服を切断し、頭の上で握り潰して血を被った。


「ミチル、解いて良いよ。条件」


「なに、どうするんだ。まさか一か八かじゃないだろうな」


 その言葉を聞いて落ち着いた小型犬がまた暴れ出す。


「だめっ! 行っちゃだめ! 思い出したの、私はもう死んでる、あの冬の山で、あの熊に食べられて」


 吠えるように痛がるように悲しく叫ぶ。


「だから、もういいの! 痛くない! こわくなんてないっ!」


 バタバタと駄々を捏ねるファウンの胸ぐらを掴んで大粒の涙を零す瞳と真っ直ぐ目を合わせる。


「ミチルに何を吹き込まれたか知らないけど。わたしは、特務機関で、魔術師で、到達者で、エクテレウ家で、リサの妹で、そして、わたしにも弟がいる」


そして、彼女にも姉がいる。


「そして――姉には、引けない時がある」

 

 護るべきものを護る。ミチルがイムにそうしたように。姉が見せた意に、志す。それだけだ。


「ファウン。あなたはまた姉に会える。本当の気持ちを言って」


 赤く染った涙が、館の火を反射しながらぽたぽたと落ちる。観念したように項垂れる彼女が、色々な液体でぐしゃぐしゃになった顔を上げて言った。


「――おねぇちゃんに、会いたい」


  そう言って、堰を切ったように泣き出した。


「じゃあ、ミチル」


「良いんですね? 皇女様」


「えぇ。いいわ」


 ミチルが目を閉じて、条件魔術を解除する。どうにか、二分以内に収めることは出来ただろう。それでも、重い代償だが。骨と皮になるよりはマシだ。


「これで死んだら相当ダサいぞ」


「かっこよくなって帰ってくるよ」


 イムには目も合わさずに、こちらを見据える血液熊へと進む。高慢ちきな皇女様は言わなくても分かるだろう、どうせ、空気の椅子を作ってふんぞり返って座ってる。


「彼女は馬鹿なのか。無駄だと言ったのに。中身の無駄は削ぎ落とされてないのか。そして何で君は堂々と座っているんだ? 彼女が何をするのか分かっているのか」


 先輩の言葉に皇女は、わたしの想像通りであろう体勢で不遜に言い放つ。


「背中を見れば分かるわよ」


「はぁ?」


 先輩は、心底理解出来ないと素っ頓狂な声を上げた。


 血液熊は謎の障害が消えたことを察して、本来の形を取り戻そうと、それの血に塗れたわたしの元へ疾走を始めた。巨体が走ると、動作は緩慢に見えるがその一歩が果てしなく大きい。二、三秒もすればわたしに触れるだろう。


 だが、それはもうどうでもいい事だった。


 ファウンは自分の運命を、記憶が無くとも察していたのだろう。だから『不幸になっちゃうよ』って、言っていたんだ。不器用に優しい子に、家族に会いたくて泣くような女の子に、そんな事を言わせたままで、黙っておいては。


「エクテレウ家の名が廃るってね」


 わたしは立ち止まり、血液熊の掌底を見上げる。ぐるぐると渦巻きのように形作る血液の肉球が急速に迫っていた。


 イムから貰った、黒の首輪――チョーカーを触る。先輩が言うには、コイツに干渉出来るのは色のある絵だけらしい。


ならば、透明のものは色が無いことが絵として完成されているということだ。


 戦列を組むように四つの巨大な立方体が出現する。この場でそれを見ることが出来るのは、わたしとイムだけ。


「特異点――」


 空気を凶器に変える圧縮が終わる。先輩は細部まで、下着の皺から模様までしっかりと、ありのままを克明に書き込んでくれた。


 チョーカーの革の質感に段差が混じる。それは、イムが付け加えたアクセントであり、わたしのアイデンティティ。彼からは見えたかもしれない。指の隙間から覗く空間の花が。


 掌底が振り下ろされ、血液の奔流に包まれる。激しい血液の循環で口を開けないため、続きは口の中で唱えた。


 ――四重爛漫(クワトロ・カメリア)


 切り拓く道に、花は咲く。巨大な血液熊は爆散し、毛皮を象っていた血液も、丸く小さい目も、赤黒い鼻も、踏み潰された苺のように赤として飛び散った。打ち上げられた血液が雨となって落下し始める。


 その雨でも館の火の手は止まらず、崩れ落ちる梁の隙間から熊と少女の絵がこちらを覗いたまま焼かれ落ちた――。


「……驚かされた。これが率直な感想だ」


 先輩はまた身体を拘束されてわたし達を見上げる。彼女の黒い髪と白いブラウスの制服は出鱈目に赤く染められている。趣味の悪い高級ブランドみたいな服だが、それが妙に似合っていた。


 彼女の外面の状態はいつもと違っても本質は変わらず、相変わらず挑発するように顎を上げて見上げてくる。


 隣には、血液熊に飲み込まれて干枯らびていた女中が、艶やかな肌を取り戻して健康的な速度で胸を上下させていた。


「感想ではなく、目的を聞いているのよ」


「ただ私の意志を描きこんだだけだ」


「そう。じゃあ、科学者が興味本位で薬品を混ぜたとして、それが爆発して死者が出たとしても『やりたかったから』で通せると思っているわけね」


「あの絵に危険を孕んでいることは知らせてあるさ。それでも買った彼らの責任だとは思わないか?」


 問い詰めるイムの横でわたしは目を光らせる。さっき自分を手鏡を見たら赤くないところが無かった。喋ることが何も無いけど威圧感はあるはずだ。


 先輩の視線が女中に向く。この人に血を戻し、心臓を動かしたのは先輩だ。


「現に、やらなくていい後始末もやっている訳だ。目的は無いと現状が説いているだろう」


 先輩の身体に着いた血液が波が引くように移動して、地面へと流される。


「…………じゃあ、今回の件は良いとしてファウンの血を使ったというのはどういうことかしらね」


 答えは後ろから飛んできた。ミチルにひっついたファウンから。


「そ、それはっ! うっ……えぇっとぉ……そのぉ」

 

 快活に答えようとしたところを、何故か言い淀む。言い淀んだのは、振り向いたわたし達の腰あたりを見た時だ。そして、その位置にあるのは先輩の顔。目で口封じしたらしい。


「なんで喋らせないのかな。絵には熊に襲われる女の子が描かれてたけど、まさか…………見殺しにしたの?」


 両肩を掴んで、逃がさないように目を合わせる。全く泳がない黒い目は光を反射しない真っ当な黒。


「ちっ、ちが――「全て、全くの偶然だ。狩猟した熊が、人の子どもを食べていた」


「信じられるわけないでしょ、そんなの」


 殊更に怪しい。しかし、重ねての詰問はイムが止めた。何か見えたのかもしれない。呆れたように、先輩の拘束を解き始める。しかし、この九割犯罪で出来た者を野放しにしていいのだろうか。


「理解頂けたようで。心底うれいよ」


「……今愁いって言った?」


「嬉しいと言ったね」


 拘束の土塊が地面に戻っていき、先輩の肩に付いた、わたしの血の両手型がすぅっと消えていく。


「ねぇ、それ、わたしの血にもしてよ。さっきから気持ち悪いんだよね」


 そして、待ってましたと、得意げな顔をして言う。


「――嫌だね」


 わたしは拳を握りしめた。


「待て、まさか殴」


 白いブラウスの腹に血の拳が刺さる。唸り声を上げながら情けなく蹲る先輩にわたしは容赦なく言葉を浴びせる。


「お腹に空間を刺したから。それ、悪いことしたらわたしに伝わるようになってるからね」


 地面に爪を突き立て、咳き込む先輩が血走った目を見下すわたしへ向けた。想像していたよりも手応えが無かったが、苦しそうでスカッとした。


「女の腹を、殴るとは、地獄に、落ちるぞ。あと空間魔術に、そんな力は、無いはずだろう」


「わたしは到達者。あなたが無理無駄言おうと、なんでも出来るから」


 嘘だ。


「はぁ、くそ、防御魔術を発動したら、消えるだろ」


「その度に埋め込んであげるね」


 防御魔術を発動される前に言うと、観念したように地面に額を擦り付けて項垂れる。わたしのブラウスも綺麗になり、少しは見直したかと思ってファウンを見ると、ミチルの足に隠れてこの世の終わりのような表情をしていた。


「……こ、こわいお姉ちゃん」


  怖い?


  後日。


「ねぇ、なんで先輩を見逃したの」


 わたしは活動記録を書く手を止めて、窓の下で本を読むイムに聞く。


「……何か、妙な嘘を吐いているようだったから」


「妙なって?」


「不必要に他人を煽る悪い人だけど、あの人も何か抱えてるってことよ」


「ふぅん?」


 イムはそれ以上語ることは無いといった様子で、わたしも、それ以上は聞かなかった。


「なんでっ! 本当の事を言わないの!」


 絵の呪縛が解かれたファウンは、学生寮の先輩の部屋に突撃していた。辺境育ちのファウンにお貴族さまの礼儀などあるはずが無く、ずかずかと廊下の真ん中を歩いては合図もせずに扉を開ける。


 その部屋には白紙のキャンバスの前で仁王立つ先輩がいた。


「絵から独立した生命が産まれるのは、私にとっても想定内だ。だが、暴走したのは想定外であり、それは君の故郷に降った――」


「違いますっ!」


 野次馬が集まりつつあることに気づいて、ファウンはバタンと音を立てて扉を閉める。そして、キャンバスから目線を外さない先輩の前に割り込んで立った。


「助けようとしてくれた、だけど間に合わなかった。そう言えば良かった! 血の絵画も、私を食べた熊さんが悪いんだから、うう、なんで正直に言わないの!」


 先輩は赤いワンピースの後ろ首を、汚いものでも触るように摘む。糸に釣られるようにむくれた顔の子どもが同じ目線の位置に現れた。


「私は無駄が嫌いでね」


 そのまま部屋に入り込んだネズミを逃がすように入口を開けて投げ捨てる。


「うきゃっ」


 話すことは無い。と暗に示すかのように扉が閉じられる。だが、ファウンの冴えた聴覚は、捨て台詞を聞き逃さなかった。


「立場は、明確にしておくべきだ」


 聞き捉えたとて、言葉の中身が理解出来ないファウンはあんぐりと口を開けて首を傾げる。ただ、少し冷静になって、野次馬に白い目を向けられていることに気づき、赤くなりながら保護者の元に走り帰った。

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