第47話 怪異の中心で歯を鳴らす少女
「こわいお姉ちゃん! お空飛べるの?」
空から地上に降りたわたし達を迎えたのはファウンの暴言だった。
「飛ぶっていうか……歩くって感じだけど。あとユウメね。名前」
「すごいね! 見直した!」
初対面の人を見直すことなんてあるんだね。びっくり。ミチルは何を吹き込んだんだ。
「空間は途中で消えていたわ。私達は迷っているのでは無く、なにかの力で瞬間的に戻されている。ファウンちゃんは、何でこうなるか知ってる?」
ファウンは力無く首を振った。
「……無いものを出せと言ってもしょうがないわね。総当りで行きましょう」
イムが無いというのだから、ファウンの頭の中にも無いのだろう。歩いても歩いても帰れない。この子は何かに囚われている。
「総当りって、何するんですか?」
「歩きまくるわ」
「え?」
「王都中を歩き回って効果の範囲を調べるわよ」
そうして、わたしの空間を使ったマッピングが始まった。
総当りは、解を求めるのに最も確実で、遠い近道だろう。ただ、確実な代わりに、とんでもない労力がかかる。ダイヤル式のよくある南京錠、その四桁の暗証番号を総当りで解く場合、最悪一万通りをちびちびと確かめなければならない。
だが、それはまだいい方だ。正解すれば、カチッと音で教えてくれるのだから。途方もなく王都を歩き回るわたし達、いや、ファウンの正解は、どこにあるのだろう。限界の三点を見つければ中心を知れるが、その中心に何かある保証は無い。今日中に、見つけることは出来るのだろうか。
「疲れたぁ…………」
日の暮れが見え始めた時、口数の減ったファウンが遂にへたりこんだ。この歳の子にしてはよく頑張った方だろう。
「頑張れ立ち上がれ一緒に帰るぞ!」
だから、根性論でどうにかしようとするミチルはわたしより怖いと思う。
「背負う?」
「いや、それなら私がやるべきだろう」
結局、ミチルの背中にファウンはしがみつくことになる。
「お姉ちゃん達って、いっつも何してるの?」
足を動かす代わりに口を動かし出した。
「私達はな、あの学園で人助けを生業としている『お悩み相――
「あなたは剣術部でしょう」
「ゥッ」
あとから聞いた話だが、彼女はお悩み相談部に移籍したいらしい。でも、剣術部の入部を許してくれた先輩方に迷惑をかける訳にもいかず、渋々ながら移籍を諦めたようだった。
「王国の人達じゃないの……?」
「えぇ、帝国人よ」
「ふぅん」
「怖がらないのね。国境沿いだから両親に散々鬼だの悪魔だの言われているかと思ったのに」
「ふん! 怖くないもんね!」
じゃあわたしの事も怖がるなよ。でも、そういえばわたしって、昔っから小さい子とか猫とか犬とかから怖がられていた。触ろうとしても逃げるのだ。何でだろう。
「あら、知ってて言ってるの? 強い子ね」
「偉そうなお姉ちゃんは話が分かるね!」
そう言われてもイムは軽く笑っている。大人の余裕? なのかな。子どもには優しいみたいだ。
「……寂しくないの? お父さんとお母さん、遠いとこにいるのに……」
生意気なガキだが、この時は少し撫でてあげたくなった。
「そうだね。……寂しいよ。わたしのお姉ちゃんも遠いところに行っちゃった。でもね、ちゃんとお別れはしたから大丈夫。ファウンはお別れしてないから、ちゃんと帰らないとね」
「うん……私のお姉ちゃん、いっつも多めにご飯分けてくれてたの。でも、恥ずかしくて、ありがとうって、言えてなくて……」
「そうだな。ファウンのお姉さんも、喧嘩別れだから、すごく心配してるぞ。ほんとは、お姉ちゃんのこと、好きだろ」
ファウンはぐりぐりとミチルの肩に顔を押し付けて少し潤んだ瞳で元気よく返事をする。ミチルの制服は液体で少し汚れていた。
それから、二時間。
「よし、もう大体埋まったでしょう。もう一度、空に行きましょう」
わたしはもう一度、イムを抱いて空へと向かう。空へ向かう途中で、薄暗い夜に照らされた彼女の顔を見る。イムもわたしを見ていたようで、目が合った。気恥ずかしくなりながら、気になっていたことを聞く。
「イムって……クレッテとかフィアとか、小さい女の子に優しいけど、そういう趣味?」
「は?」
「わたしは否定しないけど、そういう目で見るのはわたしだけに」
「あなた、凄く失礼なことを言っている自覚はある?」
空から見下ろした王都は、道に沿ってぽつぽつと橙色の光が見える。わたしが産まれる前は、あの技術は無かったらしい。今となっては、人間の血管のように張り巡らされている。敵国の首都だが、素直にいい景色と思えた。
それはそれとして、王都の空には、わたしの小さな空間の連なりで大きな円が出来ていた。王都の三分の一はあろうかという大きさだ。 改めて、よく歩いたものだ。
範囲外に出ると戻される場所、最初に二人に会った、所謂『初期位置』は円の中心から見ると、かなり離れて南側にあった。
そして、肝心の中心には杉の木に囲まれた館のような大きな建物がある。
「総当りが当たってくれるといいね」
「ダメだったらあの館の周りから総当りよ」
「見つからなかったら徹夜だね……」
「ふふ、そうね」
何だかいつもより機嫌の良いイムと共に橙色の人工の光に照らされた地上に降りていく。大地が開拓されるように夜もいつか人のものになるのかな。イムの言った『知には道を見つける力がある』が、体現されているように思えた。
「寝ちゃったんだ」
「夜は子どもの時間じゃないからな」
歩いて背負われて歩いてを繰り返していたファウンは、ベンチに座ったミチルに抱かれて眠っていた。
「黙ってたら可愛いのにね」
小型の犬のような攻撃性はなりをひそめ、子どもらしい表情で目を閉じている。ぷにぷにとしてそうな頬を突くと、目にも止まらぬ早さで指に噛み付かれた。
「痛ってぇ!」
慌てて引き抜くと、ギロチンのようにガチンと音が鳴って彼女の顎が閉まる。あまりの痛みにちぎれたのかと思って指を見ると、人差し指の第二関節に真っ赤な歯型がついてジンジンと痛みを発していた。
「変態! どすけべ野郎! 女の子に勝手に触ると痛い目見るんだよ」
「痛い目に合わすの間違いでしょ! ちぎれたのかと思った……」
「今のはユウメが悪いわね。いい教育を受けてるわ」
「それで、これからどうするんです」
もちろん、最初に向かうのは円の中心。
「総当りの最後の一手になることを祈りなさい」
四人揃って中心へと向かう。ファウンは少し寝て元気になったのか、都会の夜に浮かれているのか、肌を紅潮させながら、ミチルの手を握って上機嫌。わたしの指は青くなって痛すぎて泣きそう。
「ファウンはいつからあそこにいたんだ?」
「今日の朝だよっ」
「夜は過ごしてないんだな。良かった」
王都といっても夜中に子ども一人で歩けるような治安ではない。可愛い女の子が夜中にひとりとなれば悲惨な事になるだろう。彼女が跳ね回る度にひらひらと泳ぐ赤いワンピースも、品が良いように見える。そう考えれば、あの攻撃能力を育てたファウンの両親は流石と言えるかもしれない。
わたしじゃなかったら指が落ちているのでは無いだろうか?
「夜ってわくわくするよねっ」
「なんでそんなに元気なんだ……あんまりはしゃぐなよ」
わたし達は歩き疲れて少しげんなりとしてきていた。特に慣れていないだろうミチルは疲れが見える。
「夜は幽霊の時間よ。好物は元気な子」
「ふ、ふーん。怖くないし」
彼女は路地の暗がりや背後の夜に目を向けて、ミチルの手を両手で握った。
「小さくなったユウメみたいね」
イムが耳元で囁いた。
「え、全然違うと思うけど……」
本心から思った言葉は、呆れ顔で返された。
杉の木の館に近づいた時だった。真夏でも冷えた風が吹く夜に、木々の隙間から館が見える。そして、その半分が動物の唸り声と共に吹き飛んだ。夜の散歩が、唐突にして切迫した空気に変わる。
紙のように破かれた家屋が杉の木にぶつかって破砕した。小さな破片を空間で防ぎながら、全員固まって、館の方へと向かう。ミチルとファウンは出来れば待機させたかったが、異常事態でわたしとはぐれて動くのは危険だと判断した。
館から、真っ赤な動物の腕が突き出る。爪だけで人の背丈はあるその動物は、館をはるかに超える大きさの巨大な熊だった。
大口を開けて月に咆哮する大熊は、明らかに自然のものでは無い。体表も、血のように赤い、と思えば毛の一本一本が血液が流れ出ているかのように脈動していた。
虫が散るように逃げる使用人の一人を熊の目が狙った。
「まずい」
「人をお願い」
二発の熱光球から、糸のように細い熱の塊が熊の頭部に向けて発射される。わたしは使用人へ向けて迫る大腕の侵攻先に空間を配置する。
だが、熊の頭は煙のように熱線を通過させ、空間も腕を止めることは叶わずすり抜けられる。家族のいるであろう、妙齢の女性に熊の腕が迫る。
「物理でも魔術でも通用しない……? 」
「とりあえず殴ってみる!」
あの人が殺される前に。
「待ってっ!」
駆け出そうとするわたしを鋭い悲鳴が止めた。ファウンが頭痛に苦しむような体制で、表情を悲壮に歪めていた。
わたしは止まっても、血液熊の殺意は止まらない。壁のように大きな掌底が婦人の体を透過し、地面も透過して潜り込む。血液の濁流に飲み込まれた婦人の身体が、あの腕に持っていかれたかのように、ミイラのように干枯らびる。
「血にしか触れないって訳か……!」
骨と皮だけになった使用人は、もう死んでいるだろう。心の中で謝りながらどの反撃が有効か考える。だが、そうなると何故ファウンはわたしを止めたんだろう。まるで、近づけば死ぬことを知っているようだ。
痛みに唸るような声を上げながらファウンは蹲っている。そして、彼女の赤い髪飾りが、あの熊のように脈動を始めた。
地鳴りのような夜を震わせる唸り声が上がる。血液熊の目と、わたしの視線がかち合った。彼の巨大な両手が地面を突き、自身の体を引き抜くように力を入れる。流れる血液が、爆発するように筋肉の形に変わった。
「――くるぞ」
一息で全貌をこの世へと引き抜き、全身を見せずにこちらへと突進を始める。匍匐のような体勢でも、平屋の数倍はあった。
真っ赤な涎を撒き散らす血液熊の足元を空間で消し飛ばす。だが、どういうことか彼は空を走って標的に、その牙すらも赤い大口から、熱気を感じる程迫った。
そして、わたし達の前にミチルが立つ。
その指は、傲岸不遜に対象を指定していた。
「条件定義。私達四人への対象の接近を、私の寿命と引き換えに封印するっ!」
ミチルの魔術は幸いにして効力を発揮し、横に大きく広げられた熊の大口が、わたし達を喰らう直前に停止した。熊の口は、喉奥を見せながら自らの存在と食欲が拮抗するように震えている。血液の流れる奥歯が見上げるほど高い位置にあった。
「寿命!? 大丈夫なの」
「問題ない。ひと月使えば一秒止まる」
二分で、十年。
「全然大丈夫じゃないじゃない! 早く何とかしないと……」
イムの泣くような声に、ミチルは振り向いて談笑でもするかのように笑った。
「大丈夫です。皇女様。意を志すと書いて“意志”。これが、貴女の見せた背中です」
かっこいいところは似合わない。そんな奴だと思っていたのに、彼女は最高に良い女だった。
「バカ……」
「尚更、長生きさせないとね、イム。わたしも……うん。よし、ファウン! 起きて、幽霊なんかに負けないんでしょ!」
痛みに押し負けたのか、気を失ったようだ。彼女の髪飾りは完全に熔け落ちて、周りは血溜まりのようになっていた。揺すっても起きず、一か八かで頬を空間でつついた。すると、ギロチンの音を立てながら空間に噛み付く。彼女はまだ空間に触れるようだ。
「変態! どすけべ野郎!」
「よし、起きたな。あれはどうやって倒すの」
前を見たファウンがびくりと体を跳ねさせた。赤い大口と目を合わせて怯えているのだ。
「ミチルが死んじゃうよ」
冷たく言うと、彼女は口を少しだけ上下させながら、わたしを見る。赤く泳ぐその目には迷いが見えた。
「それは…………」
「それを熊に喰わせればいい」
感情が見えない虫が喋ればこんな声だろうな。無機質なそれの主は、推定無罪の、バイオレンスな先輩だった。




