第46話 赤いワンピースのファウン
「不幸になっちゃうよっ!」
なんだこいつ。
困り顔のミチルに話しかけようとした時、彼女の指を掴んでいる生意気な赤いワンピースを着た幼女が勢いよくわたし達に言い放った。
「こ、こら! なんてことを言うんだ! やめておけ、相手が悪いぞ!」
ミチルが慌てたように幼女の肩を揺すって落ち着かせるが、不満そうな顔が更に不機嫌になるだけだった。
「ふんっ! 知らないもん。時間の無駄だから、放っておいてよね」
つり目の勝気な幼女は止まらない。更に暴言を吐こうとした所を、ミチルが口を塞いで、耳元で何か呟いた。
そして、褐色の肌色が段々と青く染まる。攻撃色はなりを収めて、ミチルの足に隠れてわたしを怯えたように見る。
……何を吹き込んだんだろう。
「……どうしたの、その子」
イムが心配したように言う。
「いえ、その」
歯切れ悪くミチルは説明した。
買い物途中で見かけた幼女が、ふらふらと迷子の様に宛もなく歩いているようだったので、どうしたのか事情を聞こうとしたところ先程のように暴言を吐かれたらしい。
会話が出来ないので、一時退散して後をつけたところ、同じように心配した大人達に話しかけられて「不幸になるよ」「邪魔、一人で行ける」などと言って、追っ払っていたと。そして、遂に怪しい大人に話しかけられたところをミチルが助け、今に至る。
「こんな可愛い私をいじめると、い、痛い目に合うからね……!」
蚊の鳴くような声で名前も知らない幼女は言う。怖いなら煽らなきゃいいのに……
イムがわたしの手を離して足に隠れる幼女の目線に合わせてしゃがみこむ。幼女の顔に緊張が走るが、素知らぬようにイムは彼女の前で両手を合わせて、圧縮するようにすり合わせ、ゆっくりと開いた。きらりと光る小さな結晶が少しずつ花開くように大きくなっていく。
子供らしい好奇心を乗せた表情で幼女はそれから目を離さない。キラキラと光る砂粒の花が、手の平に満開で咲く氷の薔薇になったところで、成長は終わった。
「これ、欲しい?」
ハッと、夢中になっていた自分に驚くように幼女が顔を上げて、どこか申し訳なさそうに「うん」と、イムから目を離さずにゆっくりと頷く。
「はい、別に特別なものじゃないからあげる」
「あ、ありがとう……」
「そのくらい、幾らでも作れるくらいには強くて、知識がある。貴方が隠れているミチルも、負けてない。この横の怖いお姉さんもね」
怖くない。
「……これほど最適な人材はいないと思うわ」
幼女は差し出された手を様子を伺いながら握った。そのこどもの心をつかむイムを、ミチルが懐かしむように見ていた。
「ファウン」
「ふぁうん?」
「私の名前……」
恥ずかしがるように赤い髪をくるくると弄るファウン。信用してくれたようだ、何かわたしは怖がられてるし喋らない方がいいかな。やっぱりミチルが親しみやすいようで、再び指を握り直してイムに目を向ける。
「ファウンは何をしていたの?」
「帰らなきゃいけないの……おねぇちゃんが待ってるから」
「迷子になっちゃったのかな、家の近くの風景とかわかるかな」
「……木がいっぱい生えてて、雪が積もってたの。近くに山があって……フロント山って呼ばれてた」
「国境付近じゃないか……」
ミチルが驚いたように言う。ここから歩きで、一週間以上夜通しの距離だ。この子が一人で歩いて王都に到着することは不可能だ。
「誰かに、連れてこられたの?」
わたしが聞くと、ファウンは驚いた猫のように怯えながら答える。
「う、ううん! 気づいたらここにいたの!」
「そ、そう」
わたしは喋らない方がいいみたい。何かを考えているイムが場を繋ぐように口を開く。
「……いえ、それはいいわ。じゃあ、カッツィに頼んで付き人をつけてもらいましょう。この怖い人はついてこないから安心して」
「ねぇ! 怖くないから!」
「怖いか怖くないかはこの子が決めるの。さ、行くわよ」
最近甘えてくると思ったらこの高慢ちきである。今度弱った時にいじってやろう。
「それにしても、やっぱり皇女様は私の事を認めてくれていたのですね!」
カッツィのいるホテルに向かいながら、ファウンと手を繋いだミチルが言う。初めて会った時のような高いテンションで。
「は? なんでそうなるのよ」
「『貴方が隠れているミチルも、負けてない』って! これ以上の賞賛はありませんよ。この言葉を浴びせられた身体にシャワーを浴びせる訳にはいきません!」
不潔。ファウンが繋いだ手を嫌な顔で見ている。
「……あぁ、言ったわね。そんなこと」
顔に「めんどくせぇ」と書いたイムが平坦な声で言う。これ以上会話を広げたくないと、恍惚とするミチルの賛美を聞かないように耳を塞いだ。
「ねぇ、なんでそんなにイムのことが好きなの?」
これだけは聞いておきたかった。ミチルがイムに忠誠をアピールする度に、わたしの知らないイムを知っているようで言い様のない、じっとりとした怒りを覚える。
「気になるか? 気になっちゃうか?」
「早く話せ」
「あ、あぁ! 私は家庭があまり、なんというか……良くなくてな。母は悪い人では無かったのだが、娼婦で、取っかえ引っ変え部屋に男を連れてくるもんだから。家に居場所が無かったんだ」
思ったよりヘビーな話が飛び出してきた。いつもの元気な口調から飛び出るものだから、悲愴さが際立つ。
「それで、ある時タチの悪い男を引いてしまったようで、母がとんでもない借金を吹っかけられた。ありとあらゆるものを差し押さえられて、真冬に布一枚で過ごしてたんだ。残ったものは、私の体だけ。母は最後まで護ろうとしてくれたけれど、まぁ、どうしようもなくて、母は死ぬほど殴られながら私を逃がした。そこでだ! 皇女様と出会ったのは!」
山場に入った吟遊詩人のようにミチルは声を張り上げる。ファウンが同情する目から危ない人を見る目に変わったり忙しい。
「ふらふらと、雪を裸足で踏みながら歩く私を! 半ば人間不信のようになった私に、皇女様は炎の花を見せて暖めてくれたんだ! そう体も、心もね。そして、あの男達も皇女様によって片付けられ、母の傷も治療してくれたんだ! 正に女神! 絶望の縁に表れた希望の光だ!」
「うるさいわよ……」
「まあでも納得出来る理由だね。だから手紙を送ったりしてたんだ」
「あぁ。一日に六万通送ったこともある」
「化け物じゃん」
それが毎日なのだとしたら、イムがうんざりするのも納得出来る。でも、わたしも負けてられない。こんなに好かれる人なのだから、油断したら取られるかもしれない。
「…………」
一言も喋らない小さなファウンは、赤い髪につけた赤い花の髪飾りを弄りながら俯いている。
「あれ、ここ、さっき通ったか」
区画分けされ、街並みを整頓された王都は、大通りを逸れた道ではあまり風景が変わらない。話に夢中で、いつの間にかぐるりと折り返してしまったようだ。
「……? ごめんなさいね。真っ直ぐ歩いてたはずなのに」
先頭を歩いていたイムが首を傾げる。わたしも、王都で迷うなんて初めてだ。だが、そんな時もあるだろうと思い、再び同じ道筋をたどる。ただ、ファウンの様子に少しだけ感じた違和感は無視出来ず、空に小さな空間を配置して道標とした。
「変なお姉ちゃん、やっぱりいい。ひとりでいく」
ミチルの手を握ったファウンが泣きそうな顔で言った。
「言ってなかったけど実は私は固有名詞を持っていてね? ミチルっていうんだ。その、一般的というか変態的な名詞は二度と使わないで欲しいかな。ミチルお姉ちゃんとの約束だよ」
「至極一般的な変態ね」
「あぁ! 罵倒もイイ!」
元気付けようとしたのか変態なのかは分からないが、手を握る彼女は今にも泣き出しそう。ミチルは笑顔に真剣さを滲ませながら言う。
「ファウンは村か街かは知らないが、故郷に戻るんだろ。なら今は姉ちゃん達にまかせて、故郷のことを考えるんだ。どんな感じだった?」
ファウンは髪飾りを弄りながら言う。
「……山のふもとにある村で……水車小屋のおじさんとか、薪割りのおじさん、お野菜を分けてくれるおばちゃんがいて、そして……暖かい家にパパとママと、お姉ちゃんがいた」
「うん。それで?」
「お姉ちゃんはいつも優しいんだけど、ファウンが文句を言っているところを見ると、すごく怒るの。『さむい』って言ったら、『アンタは頑丈だから大丈夫!』って、言うから……困らせようと思って、雪山に入ったの。ファウンが急にいなくなったら困るかなって」
「そりゃ……困るよ……」
「でも、すぐに帰ろうと思ったんだよ? 山でお姉ちゃんと作った秘密基地にいたんだけど、眠くなっちゃって……起きたら夕方だったから、帰ろうとしたら、いつの間にか……」
「王都のど真ん中にいたのか?」
気まずそうに頷いた。記憶が飛んでいるのか、奇妙なことに巻き込まれたのか、分からない。ただ、ひとつだけ言えるのは、この子の姉と両親は死ぬほど心配しているだろうということだけ。このご時世、ある日突然、幼い娘が影廊に消えるなんて、ありふれた絶望だ。
何日も帰ってこなければ、死んだと思うのが自然。早めに帰宅させて安心させてあげたい。あげたいのだが。
「また、戻ったね」
注意深く、歩いたつもりだった。いつの間にか、気づけば最初にミチルとこの子に出会った場所へと、舞い戻ってしまっていた。
「どういうことだ? これは日常の出来事では無いんじゃないか」
「二度も同じ間違いを犯すなんて、間違いなく異常ね」
通った道には、わたしの空間がぽつぽつと浮かんでいる。
「空に行く」
「ん? どういうことだ」
「さっき空間を置いて歩いてたから、上から見れば辿った道筋がわかる」
「おお」
空へと一歩踏み出したところで、驚愕したようにイムが手を掴んだ。
「え、まさか、スカートのままで行く気なの?」
正直、先輩の時のように全く考えていなかった。あの時は全く人通りが無かったが、今はそれなりにいる。わたしは勿論想定内だと装って手を差し出した。
「イムが隠してくれるんでしょ?」
「何を当たり前のように……しょうがないわね」
胡乱な目を向けられて気まずくなって目を逸らす。わたしの空間に防御魔術で触れれば空への階段は消える。そして、街中でイムの防御魔術を解かせる訳にはいかないので、必然と、イムを抱いて空を歩くことになる。
「じゃあ、ちょっと、ごめんね?」
片手でイムの肩を持ち、片手で両足をすくい上げる。気恥しさで目線が合わせられない空気で、彼女がわたしの首に両手を回した。
「変なお姉ちゃん、あのふたりなにしてるの?」
「羨ましい……目を逸らすなよ。あれが帝国の未来だ」
太ももの柔らかさとか、髪が手に当たるくすぐったさとかを考えないように、動揺して踏み外さないように階段を上る。
一段、一段、空が近くなる。馬車の高さを超え、街灯の高さを超え、屋根の高さを超え、辿った道筋を辿るに十分な高さを得た。
下を見ればミチルとファウンがこちらを見上げているが、道行く人は前を向いている。イムが何か細工をしたのかもしれない。
こういう、空に近くなればなるほど、下を見た時に落下する想像をしてしまって身が震える。大事な人を抱えているから、尚更。
「途切れてるわね、空間」
そう言われて、本来の目的に目線を向けると、点線のように伸びた空間の道筋が唐突に消えていた。
「迷ったんじゃなくて、瞬間的に移動した。最初の地点に戻された」
「そういうことね。連日の厄介事になりそう」
「めんどうくさい?」
「いや、面白くなってきた。どちらかと言うとね」
「いいね。間違い無く異変の原因はファウンだけど。あの子も自分の言っていることに気づいてないみたい」
「ファウンが異変なのか、異変のひとつがファウンなのか。鍵は彼女にある。気づいてた? あの子の言っていること」
赤いワンピースと、彼女の記憶。『さむい』と言って怒られて、山へ向かったという。それにしては、あの赤いワンピースは薄着すぎる。そして、今は。
「こんな真夏に、雪が積もるなんて、王国の領土じゃありえない」
記憶が抜け落ちている。
そこに、この異変の鍵がありそうだ。




