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第45話 床下血液事故物件

 先輩のイメージに染み付くような、バイオレンスな血の匂い。燃える石炭の香りと混ざったそれは、どこからのものなのか、発生源を探らせない。


「じゃあ先輩、帰りますから」


 服を着て心の防備も万全になったところで、正体を突き止めたわたしなど微塵も興味が無いと言った具合の、指に付着した木炭を洗い落としている先輩に言う。


 彼女は振り向かなかった。わたし達も背を向けた先輩に特に何かを言うことは無く、女の悲鳴のような声を上げる扉を開け、階段を降りて外に出る。


「どうする?」


 わたしはイムに問うた。彼女も匂いに気づいていたようで、考える間も生じさせずに即答した。


「探りましょう」


 疑わしきは罰せよ。とまでは言わないが、疑わしいなら捜査するべきだ。幸い、特務機関のわたしには王国でもその権利がある。戦争に勝ったのは帝国なのだ。


 しかし、あの先輩が真正面からの捜査を受け入れるだろうか? いや、受け入れないだろう。時間を与えれば、新たな犠牲者が増えるかもしれない。あの攻撃的な性格なら、有り得ることだ。


 そうとなれば、残された手段は強行突入しかない。不法侵入を見られる前に証拠を見つければこちらの勝ちだ。


「私は正面で適当に時間を稼ぐ、その間に部屋に侵入してくれないかしら」


 先輩の住処には三つの部屋があった。建物の外観から見て、わたし達が入った部屋と、あとは大部屋ひとつとクローゼットのような小部屋がひとつ。


 イムの提案に頷いたわたしは空間の階段を作って先輩の部屋へと向かう。人通りが少ないので見られなかったが、もし見られていたら空中を歩く女として噂になっていたかもしれない。


 最初には建物間の狭い隙間を歩き、大部屋へと向かった。こっそりと手鏡の反射で覗いた窓は木組みのキャンバスと白地で、中の様子は見えなかった。そして、女の悲鳴のようなドアの動く音が耳に入る。


「まだ……よ…………か?」


「…………忘れ…………のよ」


 先輩の声と時間稼ぎをするイムの声が聞こえる。この部屋に先輩がいないことを確認出来た。空間で窓の鍵を外し、キャンバスを静かに動かして室内へと侵入する。


「こっわ」


 思わず声が漏れてしまった。


 この部屋にも、なみなみと水を注がれた水入れに、狂気的とも言えるほど、大量の筆が付けられていた。それも、水入れの数が尋常ではない。足の踏み場に注意しなければならないほど無差別に置かれている。


 その水に、赤が滲んでいるように見えるのは先入観が起こす幻覚か。


 中心に設置されたひとつの白地のキャンバスを監視するように、何も描かれていない白地のキャンバスが囲んでいる。良いように言えば芸術家らしい内装だが、悪いように言えば異常者の部屋だ。


 白地のキャンバスに写る何かがこちらを監視しているようで気味が悪い。そして、この部屋にも、噎せ返るような濃さの血の匂いがあった。


 足音を立てないように、空間の上を歩行する。ここには完成した作品は無いようで、水入れ、筆、キャンバス、それ以外は何も無い殺風景な部屋だった。


 もうひとつの小部屋だろうか?


 壁に穴を開けようと布擦れ音すら立てないよう慎重に移動する。


 そして、足元の不自然な温かみに気づいた。


 陽の光が当たっている訳でもないのに、生暖かい。素手で木床に触ると、僅かに湿っているような感触。木が傷んでいるようで、柔らかく指が沈んだ。何もかもが、気色が悪い。


「……やっちゃうか」


 イムも無限に時間を稼げる訳では無い。時には思い切った判断も必要だ。


 空間で床下から木床を捲りあげると、パキパキと柔らかく軋む音と共に、予め切れ込みを入れていたのだろう、継ぎ目から綺麗に持ち上がった。


 そして、その床下には、固まらないように人肌に暖められているのであろう、血液のプールがあった。赤黒い血液、黄ばんだ血液、鮮血のような血液、それらを混ぜ合わせ、臓物の浮かんだもの。四つに区分けされたおぞましい浴槽が、そこにはあったのだ。


 浮かんだ鏡に人影が映る。


「わたし、素手で熊を殺せるけど、それでもやる?」


 開け放たれた扉の前に立つ、どこから取りだしたか大柄のナイフを持った先輩に、血液から視線を外さずに言った。


「少し、油断していたかな。これは、降参だね」


 先輩の後ろには、いつでも殺せる目をしたイムが立っていた。


「まあ落ち着いて、話そうじゃないか」


 彼女は以外にも抵抗せずに拘束された。イムの座っていた背もたれのある椅子に、イムの魔術によって木材を変形されて縛り付けられている。


 不遜にも、大股を開いてなんということも無いような表情をしていた。犯罪を暴かれた犯罪者。絶対絶命であるはずの彼女の自信がどこから来るのか、わたしには分からない。


「やっぱり、異常者じゃない。何人殺したのかしらね」


 散々吐かれた暴言に溜まっていたものがあったのか、イムが勝ち誇ったように言った。しかし、先輩の表情は変わらない。


「ゼロだ。何を勘違いしているのか知らないが、絵を描くために人を殺したことは無い」


 イムの表情を見るに彼女は嘘をついていないようだ。だが、王子の前例もある。わたしは質問を重ねた。


「じゃあ、なんで血を集めてるの。あれで何をしてるの」


「質問はひとつにしてくれないか? 知ってるだろう。絵を描くために、狩猟をして鹿から手に入れただけさ、臓物を調べればいいじゃないか」


 これも嘘じゃない……人間を鹿だと思っていない限り。


「ナイフを持ってわたしを殺そうとしたじゃん。あれはそういうことに慣れてるからじゃないの」


「そりゃそうだろう。私は何年も正体不明で活動してきた。口封じに動こうとしても何ら不思議はないね」


 何だか持ち合わせている情報に齟齬があるようだ。


「女体に興味があるのなら、私の体は自由に使ってもらって構わない。貴族共に言いふらすことだけは止めて欲しいね」


 わたしとイムは顔を見合せた。彼女の体に興味があるのではなく、何を言っているのか分からない。頭にはてなが浮かぶわたし達を、先輩は初めて表情を驚きに変えて見つめた。


「まさか、知らないのか 」


 失敗した、とでも言うように天を仰ぐ。


「なら、不法侵入で訴えたら勝てたじゃないか……焦ったな」


「イム、何言ってるのか分かる?」


「分からない。異常者の思考が理解できたらそいつも異常者よ」


 拘束された彼女は子供のように不機嫌そうに顔を歪める。いつも無表情か薄く笑っているだけの彼女にまともな感情が見えるのは少しギャップがあった。こういうところが人気なのかもしれない。


「君達は『私が人殺しを隠蔽しようした』と思っているのだろう。私は『有名な画家の正体がバレて言いふらされる』と思っていたんだよ。体液を絵の具にした画家ともなれば、よく狙われるものでね」


 うげぇ。大分変わった趣味を持っている。


「つまり、君達は冤罪で私を拘束している訳だが何か釈明はあるかい。動物の血液を持っていることを罪に問えれば話は別だが」


「私はそんな絵を見たことがないし、あれが動物の血液だという証拠はどこにも無いわ。それに、人にナイフを向けるのは立派な犯罪よ。ユウメは疑わしきを捜査する権利を持ってるから、不法侵入には当たらないしね」


「やれやれ、横暴という言葉はこの時のためにあるのだろうね。これだから貴族は嫌いなんだ」


 こんな変人の絵を買うやつがいるのだろうか。変人の絵だから買うのか?


 ともかく、まずはあの血液を調べよう。あれが動物のものなら、一応、推定無罪の犯罪者予備軍となる。


 これが初めて会った人間の趣味だと言うのならまだ理解できないことも……難しいが、理解しようとはできる。だが、このバイオレンスな先輩がその趣味を持つなら話は別だ。


 この人は、人を殺していてもおかしくないという説得力がある。なんだか、異常な説得力があるのだ。殺していない先輩は、恐らく先輩では無い。


 それでも、冤罪は良くないし、正当に判断するが。


 そして、結局浮かんでいた臓物も鹿のもので、イムの目には人由来のものが映らなかったと言う。非常に残念ながら推定無罪だ。


「こうしよう。画家のことを黙っていてくれたら今回の横暴は見逃してやる。体液で絵を描くことは罪では無いのだからな」


「私達が悪いことをした訳じゃないけど、それで円満に終わるなら良いわよ」


 その会話で、解散となった。何だか、どっと疲れた。下着を推定猟奇殺人犯に見られるし。常に強気の人間と会話するのは疲れるのだ。


「あれは十割いつか手を汚すわね。あの言い草で人を殺してないわけないと思わない?」


 イムも納得がいっていないようで、唸りながら文句を吐く。


「思う。絶対殺してる。わたしの勘は当たるんだよ」


 自信を持って言える。あれは殺っている奴の顔だ。でも、イムの瞳は嘘を写していない。なら殺っていないのか、先輩が上手く思考を逸らしているのか。


 どうにか強引にしょっぴけないか考えていると、強引に腕を掴まれて人気の無い路地に連れ込まれる。そして、犯人のイムがわたしを壁に押し付けて上目遣いで睨む。


「ねぇ、あの先輩のこと、なんとも思ってないよね」


 逃げられないように両手を掴まれて、息のかかる距離で捕食者のような目で睨まれる。


「いや、全く……なにが?」


「でも、先輩が不貞腐れてる時、ちょっと可愛いって思ったでしょ。そんな顔してたもの」


「それはギャップがあるのが人気なのかなって思っただけ」


 最近、イムはことある事に紫色の嫉妬の炎を瞳に写す。何でだろうって思っていたけど、もしかして。


「イムって、わたしが他の女に目移りすると思ってる?」


 目の前の彼女は、ゆっくりと瞬きながら悲しそうに目を伏せる。何を思っているのかは分からないが、良くないことを考えているのは分かる。


 力の抜けた両手を押しのけて、強引に抱き締めてキスをした。彼女の腰が抜けるまでずっとそうしていると、寄りかかってきた体からドクドクと心臓の跳ねる音が聞こえてきた。潤んだ瞳から目が離せなかった。


「だって、私……この目しか、取り柄がない」


「嘘でしょ。あの態度でそんなこと考えてたの?」


 日頃から高慢ちきなのにそんな事で悩んでいたのか。いや、弱い心をそれで隠していたのかもしれない。


 強かろうが弱かろうが、わたしの気持ちが変わることは無いのに。


「ユウメがどこかに行ってしまったら、私、死んじゃうかも」


「そんな事言わないで、どこにも行くわけないじゃん」


「だって……」


 ダメだ。このまま抱き着かれていたらわたしは犯罪者になってしまう。理性という獣を囲う檻が壊れてしまう前に、どうにかイムを立ち直らせなければならない。


「ほら、一旦帰ろう? 人に見られたら嫌でしょ。部屋だったら、何してもいいし」


「うん……」


 どうにか女から半分くらい皇女に戻ったイムを連れて学園に戻る道を歩く。当たり前のように手を繋ぎ、個人の自由など無いかのようにくっついて歩く。誰かに見られたらちょっとまずいかな、いや、でもそっちの方がいいかな。と、相反する気持ちと理性と獣性の葛藤渦巻いて悶々としながら歩いていると、見知った顔が見えた。


 ミチルだ。その横には小さな赤い花の髪飾りをつけた幼女がいた。彼女の指先は幼女の手で握られて、これでもかというくらい困った顔をしている。


「どうする、イム」


「行きましょう」


 すっかり気を持ち直して皇女の顔になった彼女は、わたしの手を握ったまま困り顔のミチルの方へと向かった。


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