第44話 バイオレンス先輩
「綺麗だなぁ」
ウィズダムの魔力を閉じ込めた立方体と、ついでにグリズリからもらった魔力の立方体。黄金のような色と、新緑のような色を真上に上がった太陽に透かすと、水銀のように光が乱反射する。
重い“お悩み”が、終わって活動記録が一ページ増えたその次の日。わたしとイムは課題の終わりに学園までの道のりを歩いていた。
これから、ウィズダムは前を向いて歩けるだろうか。彼を追い込んだ身として、かなり心配している。だけど、大丈夫だろう。頼れる大きい友達もいるし。
「それ、集めてどうするの?」
皇女様が、色付きの空間を見て、犬が棒を拾った時の飼い主のような事を言ってきた。
「どうもしない。なんか綺麗じゃない? 星みたいな感じで」
「ふーん、別にいいけど」
なんだか素っ気ない。横顔を見ると、少し不機嫌の色が見えた。
「なに、もしかして、イムの魔力じゃないから拗ねてるの」
「……そんなわけないでしょう」
「そんなに心配しなくても、イムがいちばん綺麗だよ」
「ふふ、そんな当たり前のことを今更言わなくてもいいの」
そんなことを言って、彼女は満更でもないようだ。
「ブラウン、出撃ぞ!」
教室に戻ると、元気そうなウィズダムとグリズリ、そして、何故かミチルとその他男共がごっこ遊びをしていた。
帝国出身者のクラスではあるのだが。ウィズダムは周囲に溶け込む能力があるようで、王国の差別主義者の沼にどっぷり浸かっていたにも関わらず、そんな事実が無かったように馴染んでいた。元が清廉なのかもしれない。
「何してるの……」
「おっ、皇女様と騎士様じゃねぇか」
「騎士ってなに。わたしのこと?」
「皇女様も『姫様』って呼びたいんだが、学園の姫っていったらやっぱし共和国の姫だろ。で、皇女様とそれを守る騎士って訳だよ」
訳だよ? と言いたいわたしの表情を読んだのか、まだ何も言っていないのに弁明しようとする。
「いやいやいやいや、『ユウメ』って呼び捨てにするのは違うだろ? 恩がある訳だし、引け目に感じるんだよな。それに、俺よりでかい相手に『ちゃん』はおかしいしな?」
「ユウメ『さん』でいいじゃん」
彼は分かっていないな、とでも言いたげに肩を竦める。
「『さん』は距離が遠すぎる。俺らダチだぜ?」
こう、はっきりと、間柄について強調されるのは初めてかもしれない。そして、ダチ、友達、と同年代から言われるのも、初めてだ。
でも『騎士様』の方が明らかに『ユウメさん』より遠い位置にあるだろ。それは言わずに、そうだね。とだけ返した。
では、わたしが友達と話すだけで不機嫌そうにするこの姫様との間柄はなんと呼べばいいだろう。
カッツィには『友達になってあげてください』と言われたが、もう、友達を超えたなにかだろう。だって、友達同士でキスはしない。
恋人もちょっと違う。言葉としては、あっさりしすぎなニュアンスだ。愛人も生々しくて違う。そこまではしていない。
姫と騎士、飼い主と、犬。飼い主と犬はあんなキスをしないだろう。姫と騎士、というのは今のところ一番しっくりくるかもしれない。どちらかが死ねば、終わり。そんな関係にぴったりの言葉だ。
物思いに耽っていると、廊下が騒がしいことに気づいた。乱闘騒ぎのような騒がしさではなく、普段起きないことが起きて、ざわめく騒がしさ。
だんだんと大きくなるそれと同調するように教室に侵入してきたのは、あの、公衆の面前で年頃の女に『脱げ』と命令しても全く評判の下がらないことで有名な先輩だった。
彼女の獲物を探すような視線はわたしに固定される。
「あぁ、ユウメちゃん。今日、暇だから。約束のあれ、頼むよ」
そう言って、返事を待たずに颯爽と去っていった。
「不敬、不快、不潔」
「あれ、美術部の四年生じゃねぇか。仲は……良くなさそうだな」
わたし達の歪んだ表情から察したのか、彼女との関係について深くは聞かないでくれた。
他人の前で裸体を晒すなど絶対に嫌だが、約束を取り付けたのはわたしだし、先輩はリサの情報を渡してくれた。脅しに近い条件とも言えど、不義理は避けたい。
学園に来て初めて放課後が嫌だと感じる。それでも、時間というのは待ってくれないもので、その時はやってきた。
「学園で脱ぐんじゃ無いんだね……」
学園の門をくぐり、大通りを数分と怪しい路地を数分歩いたところで、先輩は足を止めた。案内されたのは、ほぼ無料で貸し出されていてもおかしくないほど寂れた集合住宅の一室だった。コンクリートに打ち付けられたままの五階建て。壁に穴。ひんやりしてそうだ。
「人目が無いところでと言ったのは君だろう。それとも、気が変わって衆目で肌を晒すのが趣味になったというのなら」
「いや、大丈夫です」
「そうか。私としてもここは心地がいい。まあそれはいいさ。私は無駄なことが好きでは無いからね。いいんだが、なぜ、皇女様もいるのだろう」
薄暗い部屋に足を踏み入れたのは、先輩とわたしだけでなく、その後ろにイムがぴったりとついてきていた。
「命を狙われているのだから。皇女に護衛がつくのは当たり前でしょう。それが逆になっただけよ」
「そうか。私という才能のある美人に所有物の裸体が盗み見られると聞いて嫉妬で狂ったのかと思ったよ。正当な理由を考えられているようで安心した」
食い気味に言う先輩に、イムは殺意と表すにはあまりにも重い激憤の籠った目を向ける。
「不敬罪に処されたいのかしら」
先輩は敵意満々の視線が二方向から注がれているのにも関わらず、睨み合いを止めて準備に取り掛かった。
なんでこの人はあんなに人気があるのだろう。
先輩はマッチを取り出して、火を灯す。そして傍らにある瓦斯灯の石炭に明かりを与えた。
なぜ昼過ぎなのに薄暗いのかと思えば、室内に唯一存在する窓が、陽の光を遮るような悪質な建築の被害者となっており見えるのは灰色だけだ。役目を無くしている。
「そこに立って、脱げ」
瓦斯灯によって赤く照らされたキャンバスを前に、先輩は背もたれのない木椅子に座って不躾に無遠慮にそう言った。
イムは適当に置かれた椅子に座り、監視体制に入る。
一歩進む度に、黒ずんだ床が軋み、ぎぃぎぃと音が鳴る。もう、木の床を剥がしてコンクリの上で生活した方が快適だろうに。
キャンパスの背後にいる彼女、更にその背後には数十個の水入れがあり、全てにそれなりの絵筆が突っ込まれている。瓦斯灯に照らされて赤く染まった水面は、血液の杯に筆を浸しているかのようだった。
「筆を水につけっぱなしにすると、良くないって聞いたけど」
「良くないのは君の頭だ。絵も描かず、興味も無いことに何故質問する? 私は無駄が好きでは無い。同じことを二回言うことはまさにそれだ」
なんでこの人はあんなに人気があるのだろう。
わたしは基本的には暴力反対派だが、今だけは暴力大賛成派だ。殴りたくてしょうがない。ここまで右腕が疼いたこともないだろう。感情とは考えものだ。
むかむかとしながら、制服のぼたんを外して装備を剥いでいく。夏服は脱ぐのが楽だ、上は二枚脱げば、下はスカートを脱いで、もう下着だけ。
服というのは尊厳の防護服みたいなもので、着れば着るほど包まれるような安心感がある。逆に、脱げば脱ぐほど不安が増す、特に、このバイオレンスな先輩の前では。
「下着は脱がなくていい」
意外にも、先輩はこちらを見ずにそう言った。
「なんで? ヌードか何かじゃないの」
「それでもいいが……こちらの方が不自然さを強調できる。君がどうしても脱ぎたいと言うなら」
「いや、これでいいです」
「じゃあ、その椅子に座ってろ」
彼女は木炭を取りだし、キャンバスに走らせ始めた。大体、予想はついていたがわたしの裸体を素描したかったようだ。何故かは分からないが。
イムが瞬きをせずに見守る中で迷いのない鉛筆の音が響く。
「芸術において、積極的に重要視されているものは、なんだと思う」
先輩は脈絡もなく、独り言のように言った。少し悩んで、適当に答えようとした時に、彼女は被せるように言い放つ。
「違和感、つまり無駄の修正だ」
わたしはこれが会話ではなく、独白のようなものだと察して返事をしなかった。先輩は席を立ち、新たなキャンバスを移動させわたしの側面を素描する。
「理想の形に近づく為の、無駄の排除。理想の根幹には、現実がある。ヒトで例えると、頭があり、胴があり、四肢があることが自然で、そこに少しの無駄というアクセントを足せば、現実に近くなる」
不思議と聞き逃せない声音で先輩は続ける。
「だが、私はこの『自然』が好きでは無いんだ。愛に理由が無いように、嫌悪にも理由は無い。とにかく好きじゃない。人の手が加えられた……無駄を完全に削ぎ落とされた、俗に言う人工の何かが好きでね。鹿の角のような無駄なものではなく、針のような洗練されたものを」
「さっきから、何の話をしているのかよく分からない」
差し込んだ言葉に馬鹿だの阿呆だの返されるかと思えば、先輩は何故か素直に聞いた。
「そうだね。話を戻そう。それなりに絵を描いてきた私は、それなりに眼識を持っているつもりだ。君の体を見て感じた違和感を、そのままにしておきたくないという、プライドがある。だから、わざわざこうして君の現状を保存しているってわけだ」
「ふーん、それで、その違和感の正体って?」
「違和感というのは、何物にもちょっぴりだけ潜んでいるものなのさ」
そう言って、先輩は席を立つ。まさか、このわずかな時間で書き終わったのだろうか。
「理解できた。君が何なのか。違和感がないことが違和感だったんだ」
先輩はキャンバスをひっくり返して完成品を見せる。
正面のわたしと、右から見たわたし。精巧で、服のしわから模様までこの短時間で書かれたものとは思えないほど緻密なものだった。
「君、産まれは」
「産まれ? たぶん、帝都だけど……」
「たぶん、とは」
「拾い子だから、はっきりとは分からない」
「えぇ!?」と、イムが驚愕の声を上げる、彼女の座っていた椅子も大きな音を立てて倒れた。
「エクテレウ家じゃないの!?」
「あれ、言ってなかったっけ。帝城の宿舎の前でリサに拾われたらしいよ」
「らしいって……自分をもっと気にしなさいよ。あのスレイブの娘っていうから、その身体も納得だったのに」
「えへ、ごめんね。だから、ダインも義理の弟なんだよね。一応」
呆れるイムに先輩が目を向ける。
「その身体、とは」
「頑丈なの。このオンボロの住処よりは確実に強いわ」
「なるほど」
「何がなるほど?」
「君の身体は、人工のものだ」
さも当たり前のことを言う先輩に、頭に意味不明を表す「?」が浮かんだ。
「そりゃ、そうでしょ。男の人と女の人が……ほら、するわけだから……」
「関わって数十分で敬語を崩す君の頭では理解しがたいだろうから、分かりやすく説明してやる。存在を絵に落とし込んでやっと理解した。あのキャンパスには、最初から、削るべき無駄が無かった。違和感というのは、何物にもあるというのに。セックスで産まれたものじゃない。自然のものではないのだ君は。人工の針のような、最初から機能性に振り切って創られたようだ」
あまりに想像しがたい情報は、インプットに時間がかかる。悲鳴をあげる脳の処理能力は限界を迎え、アウトプットは貧弱で簡潔な一文字となり果てた。
「は?」
先輩は何も言わなかった。先ほどの言葉の咀嚼が終わることを待っているかのように、ただ昆虫のような感情の籠っていない目でこちらを見返すだけだった。
否定してほしかったイムも、腑に落ちたような、納得したかのような顔をしていた。
「な、なんで、なんのために? でも、そんなの無理でしょ。人間を創るなんて、どうやって? そんな話、聞いたことないし。ねぇ、イム?」
想像した、欲しかった返答とは違うものが返ってくる。
「……道徳的にはあり得ないことだけど……有り得ない話じゃない」
じゃあ、わたしがイムに寄せるこの想いも造られたもの?
いや、それは違う。この想いは、辛い思いも、楽しい思いも経験して、生きてきたわたしという人格が想っているものだ。それに、今まで違和感なんてなかったじゃないか。
「まぁ、いっか」
心配そうにこちらを見るイムに思いっきり抱きついた。
「えっ、な、なに急に」
「別に、創られようがなんだろうが、今まで困ったことないし。わたしはイムがいればそれでいいの」
「分かった! 分かったからその格好で抱きつかないで!」
そういえば、下着のままだった。一部始終を見て、つまらなそうに絵を片付ける先輩を視界の端に置いて、ずっと気になっていたことを聞く。
「先輩って、この部屋で生活してるの?」
ところどころ、壁が剥がれて柱が露出している部屋。絵に関係するものがないこの部屋と、建物の外観から見て大きな部屋があとひとつ。とても、生活しているとは思えない。
「こんな所で生活できるわけが無いだろう。用は終わった。早く帰れ」
この部屋に入った時からずっと、気になっていた。
瓦斯灯の匂いと、また別に漂ってくるこの匂いは。
バイオレンスな、血の匂いだ。




