第43話 小さな小さな車輪
死人が黄泉帰るなんて、ありえない。あの男を見る前のわたしなら、簡単にそう決めつけた。赤い手のネームレス。自分の価値観を切り捨てられたわたしは、死人が黄泉帰るという現実をすらりと受け入れるべきではある。
あるのだが、墓地とかいう雰囲気が凝り固まった場所でそういう話をされると、受け入れるとかその前に、こわい。
「ウィズダム、君の家に行こう!」
「あ? おぉ……」
一刻も早くこの場所から離れたかったわたしは、彼の両肩をがっしりと掴んで逃がさないように言った。
墓地には、ゴーリーの死者行軍を辿るための、頼りになる目印もなく、彼の実家という生前の行動を探れる場に向かうのは至極当然の流れだ。不自然なことじゃ、ありません。
「……もしかして幽霊とかゾンビとか、ニガテ?」
やっと、鳥肌が収まり夏の暑さを思い出したころ。まばらに人とすれ違う、大通りの五分の一もない幅の路地で、ウィズダムとグリズリの背中で前方視界が埋まっている中、横を歩くイムがホッと息を吐くわたしに言った。
「いや、全然余裕だけど」
事も無げに言ったつもりだったが、彼女は瞳の効力で表情を読む力が鍛えられているのか、強がりをあっさりと見抜いて胡乱げにわたしを見た。
その疑わしげな視線を避けて、彼ら二人の背中を見ていると、わたしの背骨がある場所を細い指が撫でた。猫だったら毛が逆立つような、そんな感覚がして、声を上げそうになったがどうにか我慢した。
犯人に目を向けると、悪戯っぽく笑う。
「変なことしないでよ……」
「じゃあ、変に強がらない事ね。たまには弱いところを見せたら好かれるわよ」
自信があるところが好きっていつも言ってくれるのに……
「ここが、俺の実家だ」
彼の背景にある住居。見る限り、石造りの三階建て。複雑な彫刻と空を反射する青い窓。公共施設、集合住宅の大きさにも負けずとも劣らない立派なものだった。
「これが、実家が太いってやつね。農家だったんじゃ?」
「言ったろ、農民貴族だ。それに、皇族には負けるさ」
ウィズダムは数段の段差を昇り、玄関を静かに開けた。我が物顔で進むので、グリズリ含めわたし達は遠慮がちに後に続く。
「もてなしは出来ないぞ。葬儀で忙しくて整理が出来てないんだ」
「その割には、綺麗じゃないか?」
グリズリが聞くと、彼はなんということもないように言う。
「女中を雇っていたからな」
儲けているとは言っていたが、ここまでとは思わなかった。
「ここが、親父の部屋だ」
折り返す階段を上がって、少し歩いて彼が招くように扉を開いた。そこには、書斎と一言で表せる部屋あり、中には向かい合うように置かれた黒い木製の机と椅子がある。机の上に、また、花瓶が置いてあった。名前は知らないが、花弁が大きく開いた白い花が何本か。そして、大きな本棚。それ以外に家具は無い。
「お父さんは花が好きだったの?」
「いや……そんな趣味は無いだろうな。母さんの方が、好きだったからだろう」
彼は、歯切れ悪くそう言った。 年頃の男は、父親とこうもギクシャクするのだろうか。そういえば、ダインも父とそんなに話していなかったな。
「ユウメ」
なにか手がかりは無いかと部屋を物色し始めた男二人を差し置いて、部屋の隅でイムが小さく手招きをしていた。
「どうしたの」
「これは、推測に過ぎないけれど」
ほか二人に聞こえないように、彼女はわたしの耳に口を近づけて言う。
「この“お悩み”には、虫が関わってる」
「……黒い魔力が見えたの」
「いえ、見えてない。でも、死体を動かすという事と、さらに、もうひとつの根拠がある」
彼女は自信ありげに言う。
「この前、アァ レウェが汚染地域の魔力生物だって話、してくれたでしょう。アァ レウェは魔物の一種だと言うけれど、魔物の魔術は、人間には使えない。脳の形と因子の色が違うから。逆もそうよ」
「でもネームレスは、空間魔術を……」
「そう。固有魔術でないそれは後天的に目覚めることは無い。言葉を話せる時には魔術の存在を自覚しているものよ。魔術師は、そういう生き物なのだから。つまり、アァ レウェはネームレスの魔術を覚醒させたのではなく、魔術を与えたってことになる。でも、魔物は魔物の魔術しか使えないはず。じゃあ、空間魔術はいったい、どこから?」
「寄生した人間から、回収した……もしくは、人間の魔術の構造を真似た……?」
じゃあ、ゴーリーは魔術を回収するために、動かされた?
「でも、黒い魔力は出てないって」
「なにか別の方法かもしれない。黒い魔力が無いこと、それが無関係の証明にはなり得ないのかも」
もし魔術が盗まれたのなら、透明な敵、透明な暗殺者が生まれることになる。わたし達には脅威では無いが、友達達にとっては脅威だ。
「とりあえず、ゴーリーさんの居場所をどうにかして突き止めて、男二人は関わらせないようにしましょう。被害を広げるわけにはいかない」
「そう、だね」
考えてもしょうがない。情報の少ない今は、地道に進んでいこう。
「そっちはなんかあったか?」
ウィズダムが手当り次第に引き摺り出したであろう本たちを本棚へ戻しながら言った。残念ながらわたし達は何も見つけていない。サボっていたのと同義である。
「えーっと。いや、何も無いかな」
「ウィズダム、あなたの魔術も聞いておきたいわ」
わたしが失言をする前にイムが手助けに入った。魔術が盗まれる可能性があるのなら、感染者であるゴーリーの近くにいたであろう彼の魔術も聞いておくべきだろう。
「なんか関係あるのか? 大したもんじゃねぇからいいけどよ」
疑問に思いながらも、差し合いに身を置かないからか抵抗無く話してくれるようだ。彼は右手に持った本を真上に投げた。そして、彼の手元に本が戻るところで彼は言う。
「『止まれ』」
というウィズダムの声と共に、本が空で停止した。時間を止められたかのように。重力に捲られたページも、文字を見せたまま停止している。
だが、止まったのは一秒程度だった。なんの合図もなしに、落下を再開した本をキャッチして、彼はそれを本棚に戻す。
「これが、俺の魔術。『短針停止』たった、一秒だけ物体を停止させるっていう、使い所の無い魔術だよ」
この世に使えないものなんてない。でも、彼にとっては、そうだったんだろう。
「ありがとう、覚えておくわ」
「それと、他の部屋も見たいんだけど、いいかな」
おう、と不満のない返事をした彼が、突然悲鳴にも似た声を上げた。
「待ってくれ! 突き当たりの俺の部屋は入るなよ。俺が片付けるからそれまで絶対に入るんじゃないぞ!」
なんでそんなに慌ててるんだろう。女が突然、男の部屋に入ることに問題があるみたいな言い方をする。グリズリも共感するように頷いているし。別に急いでないからいいけど。
適当に返事をして立入禁止部屋以外の物色を終わらせたが、特にめぼしいものは見当たらなかった。
「この家には無さそうだね。次は仕事場に行ってみる?」
「貴族相手の職場だし、あんまり気は進まないわね。情報も渡してくれないでしょう。瞳でカマをかけてもいいけど……とりあえず、彼の部屋に賭けましょう」
「分かった。で、片付けはまだ終わらないの!?」
待ってくれ、と彼の部屋から声が帰ってくる。グリズリも中にいるようだが……時々響くタンスの転がるような騒音は何をしているんだろう。
しばらくして、いいぞ! と声が上がったので、容赦なく扉を開けた。
「なんだ、綺麗じゃん」
なんというか、無難な部屋だった。ベッド、机、椅子、壁面クローゼットと、大きなチェスト。もっとゲテモノが置いてあるのかと思えば、大したことないじゃないか。いや、大したことがないレベルまで片付けたのか。
「ふん、当たり前だろ」
「このチェストは開けていいの?」
「おい待て絶対に触るなよ」
少しからかったつもりだったが、イムとグリズリがわたしに窘めるような目を向ける。
「ユウメ、年頃のオスには隠したいものがあるものよ」
「君には分からないだろう。母親に片付けられた物物が食卓に並べられた時の屈辱が」
「そ、そう。なんかごめんね」
「その一線引くような目で見られるのが一番効く……」
肩を落とした今の彼には何を言っても効いてしまうだろう。これから男の部屋に入った時は気をつけよう。
「ねぇ、これ」
机の上に飾られた、木製の模型にイムが興味を示した。それは、小麦色の、優しい色の木で出来た二匹の馬と、それに引かれる籠。馬車の模型だった。
「すごい。継ぎ目が無いって事は、彫刻みたいにくり抜いて作ったってこと? 手綱の模様まで入ってる」
「それの凄さがわかるか。俺がガキの頃に、親父が作ってくれたんだよ、あの人の腕は凄いんだ。それも王国随一の硬い素材で、加工が難しい木材だぞ? 繊細で、豪快。国宝だよ」
気を取り直したウィズダムが自分の事のように自慢した。
「王国随一の素材……行ってみる?」
「伐採場にか? 何でだ」
根拠も何も無い。ただの勘だが……
「思い入れって、忘れられないから」
日が暮れようとしている。
赤く染った木々の下で、あっさりとそれは見つかった。
太く、黒い皮に包まれた大木の幹に加工刀を突き刺して、それを握ったまま、途中で力尽きたように、黒いボロ布を纏った男が。
「親父……」
駆け寄ろうとするウィズダムを止める。
「待って。わたし達が先に確認する」
説明も根拠もろくにない、彼にとっては謎めいた提案は、わたし達の切羽詰まった表情を読んでくれたのか、通してくれた。
うつ伏せに倒れ、加工刀を掴んだ手を、素手で触れないように空間魔術で慎重に安置する。仰向けにした時に、違和感があった。
彼の顔は、白黒の写真にあった生前のものと同じである。肉も、皮の形も、骨も、生きて、そして死んだ人間そのものだ。そして、中身も同じだとするのなら……軽すぎる。空間で持つには、この体はあまりにも軽すぎるのだ。
ひとまず、イムの瞳を使ってもらう。頭から足まで精査する目線が終わると、イムはほっと息を吐いた。
「いない。そして、脳が抜かれてる」
ゴーリーは黄泉帰り、安らかに眠っている。そして、クリュサオルは仕事を為した後だった。不可視の寄生虫が、完成したのだ。
「最悪だ。透明化の魔術が敵に渡ったってこと? じゃあ、ここにもいるかもしれない?」
「いや、透明化が文字通りのものとするのなら、そこには透明の物があるはずよ。でも死体は、魔力因子で満ちている。ここには何もいない。でも、今の問題はそこじゃないユウメ、ウィズダムを自分で考えて納得させなさい」
「え、どういう」
イムに対してのわたしの質問は、我慢できないと言ったように寄ってくるウィズダムとグリズリに遮られた。
「もういいか?」
彼はわたし達が何をしていたのかは聞かずに父親の顔を覗く。
「もう、二度と見ることはないと思っていたんだがな。なんで……こんなところで」
納得させろ? それは、黒い虫の話を出さずにということか。クリュサオルのことを確証もなしに流布すれば、ウィズダムやグリズリが何か大きな力に消されるかもしれない。そして、ウィズダムの気持ちを考えれば、父の安らぎを冒涜した人間達がいるままでは、彼自身が安らかになれない。
つまるところ、こじつなければならないのだ。ここで父親が再び眠った理由を、物心ついたばかりのわたしが。
あまりにも、難しい話ではないか。
でも、そうしなければならない。これは、お悩み相談であり、わたしは部長なのだから。
「この世に、大したことない魔術なんてない」
わたしは言った。何も考えてない。とにかく、なにか口に出して、そして考えようとしたからだ。わたしは、自分の頭を信じている。ここまで支えてきてくれたのは直感、リサの、特務の教育である。そして、わたしは特務を信じている。
なにか、思い付け。わたしの頭。
「『短針停止』一秒停止させる魔術は大したことの無い魔術なんかじゃない」
「なんだって? 俺が? 俺が親父をこんな風にしたって言うのかよ」
あらぬ疑いをかけられて、ウィズダムは怒りを顕にした。
「そうだよ。粉々になった骨が肉体として再生するには、とんでもない魔力がいる。『止まれ』と同じ、もしくは、なにか似たようなことを言った覚えは無い? ゴーリーさんに、直接」
勝負には、少なくとも賭けが生じる。
「そんなこと言う……いや、言った。『待ってくれ』って、親父が薬を飲む前、用意された最期の時に……」
そして、わたしは常に勝ってきた。
「『待ってくれ』言い換えれば『逝かないでくれ』……止めたんだ。君が、父親の死を」
「止める……? 死を? 何を止めればいいのかも分かっていないのに、不可能だろ……」
「魔術に不可能は無い。証明する。特異点が。到達者であるわたしが」
「何、ウィズダムも到達者だと言いたいのか?」
「いや。どちらかと言うと、火事場の馬鹿力。魔術は意識の影響を強く受ける、いや、影響では無く意識そのもの」
考える彼を庇うようにグリズリが言う。
「納得がいかない。死の進行が止まったと言うなら彼の父は何で大人しく燃やされ、棺に入ったんだ。それに、『短針停止』で止めるのは一秒じゃないのか」
「止めるのが一秒だって、誰が決めたの?」
「何……?」
「ウィズダム、誰が決めたの?」
「誰って……固有魔術だぜ。決まってるだろ。決まっていることだろ。生まれた時から……なんで自分自身が生きているかって、疑問を持ったとしても、返ってくるのは『そうであったから』っていう虚しい答えだ」
「なら、君は考えずに物体を停止しているということ。じゃあ、停止とは? 物体にかかる力の反対を等しく加えること? かかっている力を取り除くこと? 物体の粒子をその場に固定する? いや、そのどれもが不適当。君が決めることなの。『停止』いう意義と、『一秒』という意義。言語から生み出されたふたつの言葉。その定義は、君が、ウィズダムが決めることなんだよ」
こういう風に、姉に詰められたことを思い出す。あの時は、空間魔術がなんなのか分からなくなりしばらく使えなくなった。
「俺にとっての一秒が、世界の一秒より、長かったってのか? やろうと思えばできたって? それで骨が肉に生き返ったって? 馬鹿を言え。なら、俺はこんなところにいないさ。それが通るなら『なんでもあり』じゃねぇか。世界はとっくの昔に崩壊してる」
そうだ。その通りだ。そして、誰も彼もが目を逸らしている。いや、見えない力によって逸らされている。人間の思想という無限の力には、世界を殺す力があることを。
「そうだよ。わたしは世界を殺せる」
墓場のような静けさが辺りを包んだ。ウィズダムは返答に窮している。馬鹿馬鹿しい理論だと言っても、彼は目で見ているのだ。疑似太陽とわたしの月の争いを。
「じゃあ、棺が掘り返されたのは?」
「墓荒らしは本当にいた。あの手痕……物音を聞いて掘り返し、人が黄泉帰ったから慌てて逃げた。だから、片付けられなかった」
ハッキリ言って、この理論は杜撰も杜撰であり、スカスカの違法建築のゴリ押しもいいところである。だけど、なんだっていい。納得するまで続ける。この嘘が、彼を復讐の道から外すというのなら、わたしはただ頑張って口を回す。
「じゃあ、俺の親父は、俺に呼び起こされて仕事をするために、ここに来たってのかよ」
「筋は通ってるわよ。棺には大量の魔力因子があった。あなたの色がついた魔力因子がね」
とどめを刺すように、イムが言う。すると、ウィズダムは乾いた笑いを漏らして自虐的に語る。
「は、はは、そうか。俺が……休ませてやることも出来ないのかよって、俺が、俺が親父を眠らせなかったんだ……なんだって、惨めじゃないか」
「ウィズダム」
わたしは、母親が死んだ時だって父を慰める言葉や姉にかける言葉は見つからなかった。でも、今なら。
「悲観することじゃない」
わたしは、無責任に、不器用に、そう言う。
「彼は仕事に来たんじゃないから」
「なんで、そう言えるんだ」
「だって、あんな小さな加工刀で作るものって、ひとつしかないでしょ」
皆が見る。木の根元に、人の指程の刀。そして、掘っていたであろう木に小さな小さな車輪を幻視する。
「そうか……はは、そうだったら、いいな」
そうだったら、いいな。
「うん、思い入れって忘れられないものだから」
嘘をついたわたしが、その嘘を願うのだ。滑稽だけれど、今だけは――それでいいと思った。
今日も、日が沈む。




