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第42話 重い一ページ

 クレッテへの尋問が終わり、彼女たちが相談室から退室すると、部屋にはわたしとイムだけになった。


「あの子は……」


 イムがわたしに寄りかかって、言い淀む。彼女は、わたしと、彼女の心が覗けない。わたしにそれを秘密にしていたのは、からかいたかったから、らしい。彼女が高慢であるのが楽しくなってきた。


 あの人間の屑である王子に会っていたのは、彼の魔術である『交信テレパシス』では、イムの瞳で見えない心が、どう見えているのか知りたかったから。


 イムが王子の魔術を知っていたのは、領主襲撃前に自身の魔術を語っていたからだそうだ。「僕の魔術が不幸な人の役に立つのなら出来うる限り手伝うよ」と。そうやって、手の内を晒して信用を稼ぐ、そう構成された人間なのだろう。


 そんな噓のかさぶたで出来た人間でも、自身を最悪な形でだました人間でも、使うべきだと思ったなら、遺恨は後回しにして使う。それが、何かの手掛かりになるかもしれないから。それが合理的で、優しいイムの生き方。


 じゃあ、そんな判断力に優れた彼女が言い淀むのはなぜだろうか。


 きっと、クレッテは黒なのだろう。


 クリュサオルに、その主のアァ レウェに姉を殺されたわたしが、クレッテに秘められた情報を前に、涎を垂らして我慢しろ、と言うのを躊躇しているのかもしれない。


「いいよ、言って。イム。わたしはあなたに従う」


 優しいイムに、わたしは従う。少し迷って、彼女は言った。


「確証はない。ただの勘。あの子、話すときに考えている動作が全く無い。予め、疑われたときのための台本があるみたいだった。それに、クレッテのような、発明家みたいな好奇心の塊は『分かりません』と一蹴するよりも、『なんですかそれ!?』って聞く方が自然。何かを知っているけど、確実ではない」


 確証ではないと強調するイムの言いたいことは分かる。全く情報が無く、神出鬼没に人を操るアァ レウェ。二国の中枢に寄生しているのだ。王都を歩く商人も、街中で走り回って遊ぶ子供も、教室で席についた少年少女も、学園の教師すらも。誰がどこでクリュサオルが脳に潜み、取って代わられるか分からない。人類の、天敵である。


 友が、黒い虫に寄生され、いい様に扱われるかもしれないこの状況で、たとえ確証がなくとも、その情報を持つ可能性があるクレッテは拷問してでも情報を聞き出さなくてはいけない。


 だが、冤罪の可能性が万に一つでもあり得るならば、今のイムはそれを行わない。同じ過ちは、繰り返さない。


「分かった。確証が得られるまで待とう。焦って大きい魚を逃がしてもしょうが無いしね。あの子も被害者なのかもしれないし。黒い魔力は見えた?」


「いや……そういえば、学園に来てから、ボスティ以外で黒い魔力を見てないわ」


「じゃあ、クレッテは、自分の意志でアァ レウェに協力しているかもしれないってこと?」


「そう、なるわね」


 心なしか、イムの声も悲しみが籠っていた。元気が良くて、愛想がいい、そして、フィアと仲良くしてくれる可愛らしい子が、仮面をかぶって人類の敵と手を組んでいる。やるせないだろう。


 だが、誰が相手でも、やるべきことは変わらない。リサの仇、そして、平穏を脅かす敵を白日の下に曝して、打ち滅ぼす。そして、それは今じゃない。それだけの話だ。


 コンコンと、ノックが響いた。来客を迎えようと扉を開けた先に立っていたのは、熊のような大男で、イムにノミの心臓と揶揄されていたグリズリだった。


 お悩み相談の時間がきたようだ。


「悩みがあるのは、俺じゃない。こっちの、ウィズダムという友人だ」


「なんだ、てっきりその図体で女の子に怖がられたから私達に泣きついたのかと」


「俺は君に嫌われているのか?」


 彼の横に座ったのは、細身で、どんよりとした雰囲気の男だった。グリズリの横に並ぶと、とても小さく見える。熊に捕らえられた鹿みたいだ。


「ウィズダムという。いいます。会えて光栄です」


「私の前では基本無礼講よ。やり過ぎたら不敬罪で処するけど」


「いや、悪い。苦手なんだこういうのは。俺は王国の農民貴族でね。グリズリに会う前までは帝国人の血は氷点下に達してるって噂を信じてたものだから、その親玉と臣下である御二方を前にちょっぴりびびったり、ね」


 その雰囲気に反して口は軽く、ペラペラと喋りだした。


「で、なんで王国の人間がって思うだろ」


「まぁ、王国の人が来るのは初めてだけど」


 そもそも、どうやってグリズリは帝国に先入観を持ったこの人と知り合ったんだろう。グリズリの人柄が良いのだろうか。


「だろ。結構、途方に暮れるほど真剣に困ってる」


「話して」


 彼は、意気込むように息を吸って。


「親父の墓が荒らされた」


 そう、口火を切った。


 王都外縁、疫病対策に城壁を挟んで隔絶された場所に墓地はある。死者に位は無く、あったとしても、生者には意味の無いものだ。貴族だろうと、獣人だろうと、燃えて骨になり、理路整然とした墓石の下に納骨される。骨の様に真っ白な、ただ一本の丸い棒の下に。この墓場の規則を技術防疫機構が定めたというのは、後からイムに教えられたことだ。疫病ある所に、技構あり。


「俺と親父は、いい関係とは言えなかった。話すことは話すが、深くは踏み込めない。そんな感じだ」


 均等にならされた土のような言葉。隆起する怒りを抑えようとする声音。そんな彼の視線の先には、『ゴーリー・チャリオット』と銘の刻まれた墓石の前、掘り返され、土に汚れ、蓋の開いた、あるはずのものがない、抜け殻の棺があった。


「一年前に母さんが死んで、親父は一層仕事に打ち込んだ。死んじまうんじゃねぇかってぐらいにな」


「じゃあ、働きすぎで……?」


 わたしが聞くと、彼は力なく首を振った。


「違う。農家を継がなかった親父は馬車を作る仕事をしていた。集合馬車じゃなくて、上流階級のための、オーダーメイドで一から作り上げる仕事だ。王国で、車輪から金具、装飾まで全てやってるのは親父の企業だけだった」


「それ、結構な大仕事ね。帝国にいても噂は聞いたことあるわ」


 イムの言葉にウィズダムは頷いた。


「互換性は無いが、その分希少性が高くてな。頭の悪い貴族相手に儲けてたよ。……だけど、親父はしくじった。親父が計画した馬車が、走行中にぶっ壊れて、乗っていた令嬢が傷の残る重体になってな。問答無用で処刑。労働者に権利は無い。それに文句を言わずに親父は、自分で毒を飲んで死んだよ。それが一週間前の話」


 墓場は静かだった。石壁に立て掛けられた草刈り用の鎌が、風に煽られて倒れる。からん、と持ち手が遠い墓石に当たり、それだけがよく響いた。


「そこまではいい。円満の死とは言えないし、貴族に恨みが無いわけじゃないが、結局のところ、それらは親父が招いたものだ。――だが、これは、こんなのは、違うだろう」


 父の死を理解して、受け入れて。肩を落として、目の下の隈が死相に見えるほど、深く深く悩んで。運命の仕打ちが、これか。


 棺に父親の遺骨は無い。彼の納骨と共に行われたであろう、絨毯のように潰れ、無惨にも萎れた花と、家族の写真。寂しくないようにと、大きな棺の中にお花を詰め、そのお花の上に古紙を引き、家族の写真や生前の象徴を入れ、骨の粉を撒くのだ。だが、その遺骨が、無い。


 高価な副葬品を狙った盗掘とはまた違う。死体そのものを狙った、遺族の怒りを買う最上の行為。死者を冒涜することは、どの世界のどこにおいても重罪だ。


「感謝もしてたし、尊敬もしてた。話すことはあまり無かったが、寡黙で弱音を吐かずに働き続ける姿に、……憧れていたんだ。親父の罪の精算は、生前に終わった……骨に罪はないだろう。 なんでゆっくり休ませることもさせてやれねぇんだよ……」


 最もな怒りを浮かべるウィズダムの肩に、宥めるようにグリズリが手を置いた。墓地にまでついてきてくれるなんて、友人の鏡だ。一息落ち着くのを待ち、彼に聞いた。


「これはいつやられたの? 墓守りか、憲兵には頼った? かなりの、重罪だと思うんだけど。やろうと思えば、適当にこじつけて特務として殺せるくらい……殺ってもいいよ」


 彼は少し怒ったように言った。


「『人を殺せ』と同級生に言うわけないだろ。親父探しを手伝ってくれるだけでいい。気づいたのは三日前だ。墓守りもこれには気づかなかった。見回りの隙をついたらしい。憲兵には頼ったが、最近は王都中で起きてる事件の解決で手が回っていない。聞いたか? 今の王都の治安って戦時中と変わらんらしいぞ」


「だから、わたし達に頼ったわけか。悩み……解釈によってはこれも立派な悩みだけど……」


「厳しいなら、大丈夫だ。憲兵を待つ」


「いや、やるだけやってみる。でも、本業の憲兵が来たら邪魔しないように切り上げる」


 彼は安心したように、ありがとうと、絞り出したような感謝の言葉を言った。


「目的としたら、何でしょうね。副葬品狙いでは無いとしたら、死体愛好家の変態(コレクター)? でも、ピンポイントでここだけ荒らされているのよね」


 墓地には数百の墓石が並んでいたが、掘り起こされているのはこのゴーリーの墓だけだった。


「あなたのお父様、何か身体的な特徴は無かった? 目の色が片方違うとか、身長が特別高いとか、手足の長さにバラツキがあるとか」


「平凡なおっさんだよ。特にこれといった特徴は無かったな。筋肉はついてたけど。でも、骨になったら意味ねえだろ」


「そんなことは無いらしいよ。わたしが捕まえた奴は骨にこそ意味があるとか何とか……そうだな、外見じゃないとしたら、中身かな。臓器が反対だったとか、でも、固有といったら……」


「魔術か」


 グリズリが言った。


「親父の魔術は、確かに固有魔術だったが、魔術も一緒に死ぬんじゃないのか」


「魔術っていうのは、本当に不可思議で、魅力的なものなのよ。どんな形であれそれを求める収集家は見たことがあるわ。どんな魔術だったの」


「使ってるところは見たことがなかったが。『透明(インビジブル)』それが親父の魔術。透明な釘とかも出来たらしいぜ」


「それは、中々……狙われるには説得力のある魔術かな。ゴーリーさんはそれを誰かに話したりしてた?」


「いや、無口な人だったからな。俺でさえも、昔、木彫りの馬を作ってもらった時に見ただけだ。仕事場の人だったら、知ってるかもしれないが……」


「知っていても、知らなくても、かなりの数を当たる必要があるわね。水に塩を入れたら溶けて見えなくなるように、噂は無差別に広がり続ける。それに、よくよく考えれば、変態がやるにしては仕事が雑すぎる」


「じゃあ、どうするってんだよ」と、少し考えてウィズダムは言った。確かに、そういう変な趣味を持っている人間は、何よりもバレないように動く、奴らは生涯を掛けて変態なのだから、プロだ。巡回している墓守りも犯人の姿を欠片も見ていないわけだし、この穴を埋める時間ぐらいはあったはずだが、山盛りの土からは後始末のやる気が欠片も感じられない。


「棺には触った?」


「いや、憲兵には何も触るなって言われたからな。そのまんまのはずだ」


「ユウメ、空間で持ち上げて」


「分かった」


 ウィズダムと、ここにはいないゴーリーに断りを入れて、棺を持ち上げる。見えない手に掴まれたように、ぱらぱらと土を零しながら棺と蓋が浮いた。


「こんなところで、到達点を見れるとは……」


「安売りしてるわけじゃないんだけどね」


「特異点も、店に飾ったままじゃもったいないのよ」


 花と写真を零さないように、棺と蓋をゆっくりと回転させるが、特に異常は見られない。四人並んでじっと見つめていると、やっぱり、最初にイムがなにか見つけた。


「止めて、蓋の内側、上の方に何か見える」


 棺を置いて、蓋を目の前に持ってくる。蓋の上方、死体でいうと、胸の当たりだろうか。そこに、言われて見ればわかるような色の変化があった。


「手の跡だ」


 ウィズダムが言った。


「ほら、こっちが右手で、こっちが左手。木は日頃から見てる。だから分かるんだよ」


 わたしには、それが少しだけ変色した丸い円に見えた。でも言われてみれば、見えてくる。これは変色ではなく、窪みだ。蓋の内側を、棺の中から押したような窪み。


「胸の前で、こう、押し出すように構えたら、丁度ぴったりじゃないか?」


 ――だとしたら、棺の中から、押し出せる人間は一人しかいないわけで。無駄な音のない墓地が、急に不気味に感じて背筋に震えが走った。


「わたし、心霊系はあんまり得意じゃないんだけど!」


「中に人……? 忍び込んだ……? でも、棺が閉じられ、埋められる時は何人も周りにいたはずよ……一人しかありえない。そうか、だから花が潰れているのね」


「蘇ったのなら、骨かゾンビだな。俺が蘇ったら家族に会いに行くけどなぁ。この図体だから、骨でも腐った肉でも分かってくれるだろう」


 グリズリは能天気に言った。彼の心臓はノミなんかじゃない。間違いなく熊レベルだ。


「……親父は、そんなに俺を気にしてた訳じゃないからな……なぁ、でもよ、何かが起こって蘇ったとして、不自由な棺の中から一メートル近い高さの土が乗った蓋を開けれるのか」


 わたしなら骨になってもやれば出来そうだが、それを言う前に彼は穴の縁を指さした。


「それに、この穴は、明らかに道具で掘られてる。蓋を強引に開けたって感じじゃない。壁面が圧迫されて固まってるから、シャベルを使ったんだろ。手の跡も、親父じゃなくて、その棺を作ったやつが何かの拍子でやっちまったんじゃねぇのか」


「花の潰れが説明出来ないわ。それに、私の目が、ここで魔力因子の動きがあったことを見ている」


 この世に幽霊なんて居ない。わたしはそう信じている。わたしが殴ってどうにもできない相手が存在していいはずがない。でも……本当にいたらどうしよう。わたしは違うと言って欲しくて、焦りを隠せずに口を開いた。


「じゃあ、考えられるのは……ゆ、幽霊になって、誰かに取り憑いて掘ってもらったってこと?」


「そうかもね……ウィズダム、あなたのお父様が棺に入れられたのは?」


「一週間前に処刑で、二日後に埋葬された。そして、その二日後にこれだ」


「二日間、誰かがどうにかして中に入ることは不可能ね。酸素が足りない、排泄物の痕跡もない」


 あの棺の中では、死人しか存在できない?


「じゃ、じゃあ。協力者は、いたことはいて、掘り返されたんだろうけど」


 わたしはかなり慄いているのに、イムはなんてことないように少しだけ困った顔をして言った。


「えぇ、死人が動いたことは確定ね」

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