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第40話 あの日見た白骨の月に

 夜の寒さと汗の不快感がわたしを起こした。わたしはなぜか自分のベッドで寝ていた。頭を支えるのはイムの腕だ。頭痛が酷く、前後の記憶が曖昧で何をしていたのか良く思い出せない。


 汗が滲んだ服を脱ごうとすると、制服を着ていることに気づく。横に眠る彼女も制服で、死んでいるのかと思うほど静かだ。夜の静けさが、布切れ音すら際立たせた。静寂は冷たさを孕む。しかし、彼女の存在がそのどちらもを沸き飛ばす。


 絶対で完全なる無音の中で、彼女の傍から離れたくない。この無何有郷の柔らかさのまま、ずっと、ずっと一緒にいたい。


 どこからかわいてくるほっとした安心感と、少しの違和感がわたしを包んだ。彼女の放り出された手を握る。彼女の手は冷えている。


 体の末端が冷えるといけない。両手で握って暖める。いつも、わたしよりもイムの方が体温が低い。この冷たさがわたしの熱と混じりあって、ふたりにしか再現できない温度になるのが好きだった。

 

 手の温度の境界が無くなって、ひとつになっても、彼女は起きる気配が無かった。寝ているふりをしているのか、彼女もこの柔らかさにあるのか。部屋が暗くて、彼女の表情は見えない。そして、無防備に眠る姿を見るとイタズラしたくなる。


 頬を撫でようとした時、彼女の首に痣があることに気づいた。締め付けられたように首を一周した痣だ。喉仏に近くなるほどそれは青黒さが広くあり、首に流れれば、細くなっている。


 いつ、こんな傷を負ったんだろう。しっかり確認しようと彼女の顔を動かしてうなじを見る。痣には終着点があって、人の指のように枝分かれしている。 細長い、女の指。わたしの手の大きさに似ている。


 イムが寝返りを打って、その痣に私の手が触れる。


 わたしは全てを思い出した。イムの後をつけていたことも。幻覚のことも。レモンの黒い目も。両手に残るあの、首を絞める感触も。


「ユウメ……」


 私が跳ね上がった衝撃で目が覚めたのか、イムが体を起こす。


「ごめんなさい」


 自分の首を空間で切り飛ばそうとした時、空間が動き出す前にイムが私を押し倒した。


 そして、何か言う前に、口に舌をねじ込んできた。わたしの中とイムの中が絡み合う心地良さに堕ちる前に、どうにか彼女から離れようと暴れるが、両の手とも指の間に一本一本イムの指が絡んで離れない。


 あんなことをした私が、あんな果てしなく傲慢な、おぞましい考えをしてしまったわたしが彼女の近くに居ていいはずがない。


 私の体で起こしたことは、わたしの責任だ。


 イムはきっと私を許す。


 だけど、わたしは私を許せない。


 あんな事をしてキスが気持ちいいと思ってしまっている自分が気持ち悪い。まだ、イムの横にいたいと思う自分が恐ろしい。


 これ以上、彼女に甘えて、彼女を傷つけて、あまつさえ、殺意を抱く女なんて。消えてしまった方がいい。


 わたしは私に始末をつけたい。彼女を傷つけた責任を、彼女の唇の甘さに溺れてしまう前に。


「生きて、償いなさい」

 

 彼女が唇を離して言った。


「地獄に逃げるのは許さない。責任の精算は、負けを勝ちにすることで終わる。私が、生きて、人を救うように。あなたも、生きて、私を護って」

 

 厳しい言葉だった。いつもの彼女と違う、皇女の姿で言った。


「なんで……わたしのこと、きらいじゃないの?」


「……貴女の中では、そうなるの?」


 彼女は訳が分からないという表情をした。その表情が歪む。汚れた感情とともに、涙と言葉が溢れる。


「だって、イム、わたしからいっつも逃げるから。迷惑なのかなって、思って。わたしのことは、ほんとはきらいで、我慢してるのかなって。そこに、王子がいたから。いっしょに行ったレストランも、王子と行ったのかなって。わたしにしたことも、王子に」


 力の抜けたわたしの体を優しく起こして、イムは力強く抱きしめた。


「初めてって、言ったでしょ?」


「うん……」


「ちょっと、もったいぶりすぎたね。教えてあげる、私の昔。でも、その前に。ユウメは、私のこと、どう思ってるの」


 わたしはイムの目を見て言った。逃がさないように。


「好き、好き、大好き」


  彼女は心地よさそうに目を細める。


「私も……同じ気持ち。好きだよ、ユウメ」


  またキスをする。イムと触れ合うと、わたしの深いところにある、いけない感情が浄化される気がする。でも、やりすぎると、なにか別の感情が湧いてきて、イムにもっと触りたくなってしまう。


 世界にとっては長いかもしれないけど、わたしにとっては短いキスが終わった。


「なんで、教えてくれなかったの?」


 イムは後ろめたいことを告白するように目を伏せた。


「私はね……言ったでしょ、昔、たくさん人を殺したって。…………一度だけ、たった一度だけ、信念に間違えが起こった。殺してしまったのよ、無実の人を。怖いの、この話をして、ユウメに嫌われないか」


 羽を折られた鳥のようだった。どこまでも、可哀想で、痛々しく吐かれる言葉を受け止めて、抱きしめてあげたい気持ちに駆られる。でも、それは違う。


「嫌うわけが無い。聞かせて、イムの話を」


 覚悟を決めた彼女は語り始めた。


「まだ、カッツィにも、フィアにも会っていない時」


 私は、王国と帝国の国境沿いの場所で、ほら、馬車で通った王国の街。覚えてる? あそこから半日歩いたところに、バースディっていう、ピューピルに次ぐ大都市があるの。


 そこに、私が追っていた帝国の人売りが立ち寄った。私は、心が覗ける。だから、法を欺く潜在的な犯罪者を殺していた。人売りも標的の一人で、順調に殺しは終わった。


 その日は月が白かった。次の標的の街に向かおうとした時、夜の路地で声をかけられた。空に浮かぶ白い月が、人の姿をとったような男。それが、レモンとの邂逅。


 彼は言った。「この街にいる領主を、殺して欲しい」って、彼の姿と噂は聞いていたから、一目見て彼が王子だと分かった。


 品行方正で誠実な王子。そのレッテルに見合う品位と格、惹き付けるカリスマがあることが言動から分かる。その心も、それから逸脱することの無い、民を思った清廉さだった。そして、王子だと分かる様相で、あの清廉な心でその言葉を言ったこと、おかしいと思った。


 私はその申し出を断ったの。レモンが異常者だからじゃない。私は、殺しの前にその殺しが私の信念から外れたものでは無いか、計算をして決める。その領主は計算から外れたから。


 彼は諦めなかった。親指の太さ位の紙束を渡されて、その中身は、全部ここの領主の悪行を暴いたものだった。街の汚職を揉み消した形跡とか、領主の館で家畜みたいに人を飼っているとか。


 技構が貴族を管理して、労働者が貴族を管理している。魔術を含む技術や危険思想の氾濫が起きないか監視する仕組みよ。


 そういう仕組みだから、その帳簿が本当だという可能性は低い。だけど私が殺した人売りの帳簿にも領主の名前があったから、その帳簿が正しいと思った。


 でも、それでも断ろうとした。人の心をこの瞳で覗かない限り、確実とは言えないから。でも、彼はこう言った。「僕が正式に動けば、監査までは時間がかかる。それまでに領主は証拠を揉み消そうとするだろう。現に、僕の動きを予測して人売りに家畜を預けていた。このままでは、犠牲者はもっと増えることになる。君の、人の命令で人を殺さないという信念は、素晴らしいことだ。だけど、その信念を曲げなければ、救われるはずの人間は死んでしまうよ」って。


 私は断固として断った。彼の必死さに違和感を抱いたから。でも、彼の心に浮かんでいたのは、泣き叫ぶ妊婦の腹に毒蛇を詰め込み、母の前で、まだ十歳にもなっていない子供を犯して殺す領主の姿だった。


 人の心は嘘をつかない。彼はどこかでその光景を盗み見て、告発しようとしたんだと思った。彼の必死さも理解出来た。私は、その子たちのような犠牲を増やさないために殺してきた。見捨てることは出来なかった。


 そして、私一人で領主の館に忍び込んで、標的を殺した。私の魔術は魔術痕を残さない。だけど、魔術痕の残らない不思議な技術で何人も何人も殺したとなれば、そういうものとして、証拠になる。だから、魔術は使わなかった。そして、領主はできる相手で、殺すのに数十秒かかったの。


 でも、その数十秒で覗いた心は、娘を思う父の心で、とても犯罪者のものとは思えなかった。


 殺した後に、その違和感に気づいた。まず、地下を確かめることにした。レモンに貰った書類に、地下への隠し扉の情報があったから、実際に行ってみることにしたの。


 確かに、地下はあって、血の混じった鉄錆の匂いとか、何かおぞましいことが行われた後はあった。でも、それは少し……昔すぎるように感じた。


 家畜と呼ばれていた人々はいなかったわ。レモンも人売りに預けたと言っていたから。だから、その時は、事の実態を掴めずに少しの違和感と共に帰った。


 事前に決めた、レモンと落ち合う予定の場所に、彼は来なかった。数日後、私は、領主が第一王子の支持者であったことを知った。


 疑問は確信に変わり、私は領主のことを調べた。巧妙に、森に木を隠すように、真実は隠されていた。あの地下での所業は、今の領主の二代前でのことだった。私の殺した彼は、全く関与していなかったのよ。


 じゃあ、人売りの帳簿や、汚職の証拠、そして、レモンの心は、どういう事なのか。簡単な事だった。人売りがこの街に辿り着いた理由も、汚職の証拠も、全てはレモンが作り出した欺瞞だった。


 彼の心は、分からない。おそらく、想像か……それとも、経験か……とにかく、彼は、心に嘘をつける人間なんでしょうね。彼の心には、欲望に歪んだ領主の顔があった、あれも全ては、経験に基づいた想像に過ぎなかった。


 私は魔術の力を過信しすぎた。娘を持つ、たった一人の領主を、無実の民を、この手で、殺してしまった。


 身体の震えが止まらなかった。あの領主の、朝を迎えて、美味しいご飯を家族と食べて、民のために仕事をして、慕われて。奥さんと笑いながら話して、娘と遊ぶ。それが毎日続く幸せな未来を、私はこの手で全て奪った。


 吐いた。奪った未来のその重圧が、私を押し潰して殺してしまいそうだった。身勝手に、殺して欲しいと思った。私はその時、気づいたの、私がやってきた、正義だと思っていた殺しも、これと同じだと。


 最後に、レモンを殺さなければと思った。あの白い人間の皮を被った悪魔を殺さないと、不幸になる人間の数は止まらない。


 私は殺す前に、計算をする。それは、その人物を殺して、どんな影響が出るか、職業、交友関係、思想、日常の発言傾向、心。一日で終わらせることもあれば、一年かけたこともあった。監視する。それが、命の計算。


 多分、この世界で、彼を悪魔だと思っている人間は三人もいないかもしれない。それほど、品行方正で、『かわいそう』だと思う側に立つ人間だった。明らかに、彼を殺した方が、不幸になる人間が多いのだ。領主の分のマイナスを考えても、結果的に王子が救う人間はプラスになる。


 私の信念を無視して王子を殺せば、それこそ、今までの行いがただの殺人だと肯定し、開き直ることになる。それだけは、絶対にやってはいけない事だった。


 王子は一手一手、私を詰めていた。罪の意識でがんじがらめにして、自身を殺せないように。王子に、手は出せなかった。


 殺した領主は、王国の大都市の領主。罪の意識に負けて下手に告白をすれば、戦争の種になる。そうなれば、不幸になる人間は果てしない。


 誰にも言えることじゃない、誰にも話してはならない。この罪を負って、死ぬことも許されない。領主の死を無駄にしては、絶対に、絶対にダメだ。彼の死に意味を持たせなければいけない。


 人を、救うことによって。


 滔々と語る彼女の話は、簡単にまとめられていて、自分で何度も何度も反省して、こうやって告解の時を待っていたのが分かった。


「醜い、そして愚かで、どうしようもない人間なの……私は。あなたを助けようとしたのも、トラウマに悩まされていた自分と重ねてただけなの」


 彼女が私の間違いを許さなかった理由がわかった。それは、身勝手に許される苦しみを想像できるからだろう。許されたとしても、自分は自分を許せなくて、自分が自分を裁く、終わりの無い無限回廊のような矛盾による苦しみを。


「だから、あんなに……」


 彼女の強迫観念にも似た、救いに対する考えを思い出した。


「償わなきゃね。その人の分も、いっぱい、いっぱい助けないと」


 わたしはイムのやったことを勝手に許さない。全肯定をすることが、愛ではないのだ。ふたりで歩く道を拓くのが、正しい愛の形だと思う。


「醜くて、気持ち悪いって、言ってよ」


 少し、嗚咽の混じった声で言った。


「言わないよ。イムは、頑張ってるよ。ずっと、人を救ってる。わたしも救われた一人で、ずっと横で見てきたんだから」


 彼女がわたしの胸に顔を埋めて、声をあげないように身体を震わせる。滅多に見ない、弱い彼女がそこにいた。彼女の頭を優しく抱き締める。


「イムのやったことは、許されることじゃない。その領主の奥さんも、娘さんも、イムを殺したい程恨んでると思う。そして、人を助けたからって、許されるとは限らない。でもね、人を助けることに、意味が無いわけじゃない」


 イムの首元に、わたしがつけた痣が見える。


「頑張らないとね。わたしも、イムも、もっともっと、がむしゃらに。いつかくる、裁きの時まで。わたしも、イムに許して貰えるように頑張るから」


 イムは、ぐりぐりとわたしの胸に頭を擦り付けながら言う。


「嫌だ。絶対。一生、一生許さない」


 そして、鳴くような声で言った。


「だから、一生そばにいて」


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