第39話 王子との密会
結果的に、学級対抗戦はわたし達にとって最高の結果と言っていいだろう。お悩み相談部には、魔術の相談や特異点のことを聞く声が多数寄せられることになったのだから、あの時、イムがわたしを信じてくれてよかったと思う。
相談部の活動記録も四ページは埋まったし、このまま想定通りに事が進めば、一定の投票は貰え、焚書庫への道は近づく。だけど、わたしとしては、せっかくなんだし恋愛相談とか、もっと個人的な相談を聞いてみたかった。ほかの人の事情とか参考にしようと思ったのだが。何故かって、わたしはイムとどうなりたいのか、未だに分からないのだ。
条件魔術のことは何も解決していないのに、世界が敵に回るのに、わたしはイムから離れられなくなっている。でも、こうも思う。世界が敵に回っても、ダインとか、父さんとか、カッツィとかフィアがそばにいてくれればいいなって。身近な人が隣にいてくれれば、それでいいなって。リサのようにみんな消えてしまったら、わたしは耐えられないと思う。
イムをリサの代わりにするわけではないけど、大事な歯車が抜け落ちたわたしの心は、イムが上手く回してくれている。イムがいなくなったら、わたしは歯車の抜けた時計のように止まってしまうだろう。もしくは、また元に戻ってしまうかもしれない。時計は動いていなくとも、そこにあるのだから。
ただ横にいてくれるだけでいい。わたしの横に、ずっといて欲しい。たった、それだけなのに、それ以上のことを求めるわたしの気持ちはなんなんだろう。わたしがお悩み相談したい。
「ユウメ、私、用事があるから、先帰っといて」
夕焼けが満ちて、容赦の無い斜陽が木製の家具を焼く匂いが漂う部室で、今日の活動記録を書いていたわたしにイムはそう言った。
「用事って?」
「大した用じゃない。すぐ終わるから」
彼女は目も合わせずに荷物を手際よくまとめてそそくさと部室から出る。
「あやしい……」
リサは目を合わせない男と、ずっとニコニコしてる男には気をつけなさいと言っていた。イムも男らしいところがあるし、男とそんなに変わらないだろう。
特務機関は潜入工作も一応やる。わたしたち兄弟はもっぱら強襲だったけれど。尾行も、できることはできる。たぶん。
机の書類を手早く片付け、イムを見失う前に部屋を出る。いつも持ち歩いてる、手のひらより小さな手鏡をもって、部室のドアの鍵を閉める。
中庭の見える一階の廊下には、既にイムの姿は見えない。右を向けば突き当たり、左を向けば丁字路。手鏡を空間に取り付けて浮かばせ、丁字路へと向かわせる。廊下を歩く数人の学生に不審に思われないように、天井を這わせて。
飛んだ手鏡にイムの背中が反射する。これで、こっちの姿は見せずに監視できるのだ。しかし、イムはわたしの空間が見えるので、そこだけは気をつけないといけない。天井に手鏡が張り付いているのを見られただけなら、まだ、怪奇現象で済むのだが。
五分ほど校内を歩いて、学生の通りも少なくなってきた。幸いにして、イムは全く尾行を疑う様子がない。わたしを信じていると考えると少し心が痛いが、あれもこれも隠し事の多いイムが悪い。わたしは悪くない。
昔のことも教えてくれないし、用事も教えてくれないし。そして、わたしが気持ちを伝えようとすると避ける。もしかして、本当は迷惑だと思われてるんだろうか。
イムは優しいから、わたしを助けるために心の拠り所になっているだけで、本当は嫌なのを我慢してるのかもしれない。
そんなことは無いだろう。何故ならば、わたしを最初に求めたのはイムなのだし、わたしからの甘えは享受すべきであるからだ。彼女はそんなことも出来ないほどに器の小さい人では無い。
しかし、考えれば考えるほど、水面に浮かんでくるのは醜く悪い魚たちだ。イムのことを教えてくれないのも、わたしに教えたくないからで、気持ちを伝えようとすると避けるのも、納得がいってしまう。
やめよう、こんなこと。虚しくなってきた。イムはわたしのものじゃないんだし、自分がみじめになるだけだ。
優しい匂いのする髪も、悪戯っぽくわたしを見るあの目も、いつも隣に座って笑ってくれるイムは、わたしのものじゃない。けれど、あの唇と、華奢な体の感触、そして、好きって言ってくれるイムは、わたししか知らない。
今は、それだけでいい。
夕焼けが暗さを深めていく。もう帰る時間だ。
胸を押えながら回収しようとした鏡には、ひとつの部屋が映っていた。反射した先の、部屋の中。椅子に座った王子と目が合った。
白い肌、白い髪、白い眉。間違いなく、レモン第二王子。そして、彼の部屋にイムが入った時、彼と目が合ったまま、扉は閉じられた。
戦闘の日々に育てられたわたしの勘が、点と点を線で繋げようとする。なんで、イムは王子がクソ野郎だって知ってるんだろう。それは、お互いの本性を知れるほど親密な関係ってことだ。イムと行ったレストラン。なんで王都の店を知っているのかなと思ったけど、合点がいった。あれは、王子と行ってたんだ。
床が私に近づいた。波打つ壁と天井が、私を押し潰すように動き、肺を圧迫する。王子と皇女。男と女。説得力があったのだ。それが真実であるべきだと、私自身が思ってしまった事実に、私は呑まれてしまう。
王子はきっと、私の知らないイムを知っている。教えてくれない過去のイムを知っている。あの唇と、華奢な体の感触、そして、好きって言ってくれるイムは、私しか知らない。
本当に?
頭が痛い。痛みの発生源を押さえようとした指の間から、床を真っ赤に染め広がる血液が見えた。ここは四角い密室の執務室であり、開け放たれたひとつの扉の前に転がったリサの首が、花の咲いた紫の瞳でわたしを見つめている。そして、その綺麗な目に剣が突き立てられた。ぐりぐりと、リサの顔がザクロのように開くまで蹂躙は続く。血液の跳ねる音と剣が頭蓋をひっかく音だけが聞こえた。
見たくもない夢を、瞼を開き縫われ不自由な視界の中で、切り裂かれた中身が剣との間に糸を引きながら持ち上げられる。
その掲げられた剣を持っていたのは、レモンだった。これは、私のものだとでも言うように、慈しむように剣を撫でた。
これは幻覚だ。
ここは学園だ。
私の両手は真っ赤に染まって、乾いた綿が血を吸うように、私を赤く染めあげる。 一度血に染まった綿は純白に戻ることはない。
私には、イムがいないとダメだ。この体は私のものなのだから。
「座りなよ」
レモンは笑ってしまうほど唖然とした表情の彼女から視線を逸らして、イムグリーネに言った。
「座るほどの用は無い。あの件はどうなったか聞きに来ただけ」
イムは石のように冷たく言った。その取り付く島がない様子に、レモンは鼻を鳴らして小さなグラスに帝国産のワインを注ぐ。
「ユウメ・エクテレウくんと、えーと、たしか……」
角張ったふたつのそれに薄紫の液体が満たされる。
「クレッテよ」
「そうだ。クレッテくんだ。名前覚えるの苦手なんだよ僕、知ってるだろ」
「無駄話はよして、ユウメを待たせてるの」
「ふーん」と、空に浮いた手鏡を思いながらレモンは薄ら笑う。イムはその表情を不審に思いながらも、心を覗くことはしなかった。彼の心が、どれだけ嘘と欺瞞に満ちているか知っているから。
「考えるに、君が彼女らの心を見れないのは、実力不足としか言いようがない。僕の『交信』は魔術工具を考えるクレッテくんと、君のことでいっぱいなユウメくんの心ははっきりと読めた」
「実力不足? 有り得ないでしょう。だとするなら、私は人間不信にはならなかったでしょうね」
レモンはグラスのひとつをイムの方へとスライドさせた。彼女はそれを一瞥しただけだった。
「君の瞳は、心を覗くことが本懐じゃない。副次効果だ。感情の信号に揺れる魔力を読んで逆算しているというのなら、読みにくい信号もあるはず。つまり、人によって違うってコトだ」
「今までそんなことは無かった。均等であったのよ。一人くらい相性の悪い人物に会ってても不思議じゃないでしょう」
彼はそれを聞いて、笑いを堪えるように皮肉げに笑った。
「でも、今のところはそう考えるしかない。ユウメくんもクレッテくんも、君とは相性が悪いんだよ。運命とか思っちゃったりしたのなら、だとしたら、残念だね」
イムは彼の様子を見て眉を寄せた。この男は綺麗な見た目をしておいて、中身は、腐った落ち葉のその下で気味の悪い虫が蠢いているような男だ。しかし、不用意に人は煽らない。矮小な存在だと自覚している虫は岩陰から顔を覗かせないのだ。何かある。彼女はそう考えた。
「今度は何を企んでるの?」
「嫌な言い方をするな、君は。心を覗けばいいだろう。さぁ、僕の情熱を受け取ってくれよ」
レモンは、彼女が怒りを覚えた時、無表情になるのを知っている。そして、狙い通りにそうなった。
「まぁ、君はそうしないだろうね。一度失敗したことをもう一度挑戦する無謀者では無いのだから」
夏が始まるというのに、凍えきった空気の中、レモンはグラスを掲げた。
「乾杯しよう」
イムは再び薄紫の液体に視線を落として、口を開く。
「貴方と? 何に乾杯するというの」
彼は「そんなの当たり前だろう?」と言わんばかりに目を見開いて、大仰に両手を開いた。
「平和に」
イムはそれに答えずに、グラスを持ってその中身をレモンに投げかけた。漂白されたような白い髪が濡れて、ぽたぽたと気味の悪い色の液体が落ちる。
「あなたの口からそんな言葉が出るなんてね」
レモンは顔に張り付く髪をかきあげる。彼の薄ら笑いは剥がれない。その下の何かを抑え込むように、笑顔の仮面を被っていた。
「誰の口からも出るだろう。平和ってのは。やっぱり、諦めきれないな。女帝になれよ、イムグリーネ。君と僕なら、この世界をもっといいものにできる。万物の支配者である君と、心の支配者である僕なら」
「私の万物には心も含まれている」
「いや、そうではないよ。君は背景の存在を理解していない。なぜそう考えるのか、では足りない。その考えと経験を参照した上でどういう判断を下すのか。それは、本人にしか分からない。その経験と形成された人生小説は本人にしかないのだから。心は、読めないんだよ、イムグリーネ。分かり合えることは無い。偏見を持つ事は出来るが」
「だから、第一王子も殺したの?」
レモンは時が止まったように硬直した。躍動していた薄ら笑いも、冷笑のように凍っている。 その弧を描く目と、イムの虚無の瞳が見つめあっていた時、レモンが扉を見て目を見開いた。
咄嗟にしゃがみこむレモンのすぐ上を、破られた扉が飛来する。常人であれば、当たれば死ぬ速度で飛んできた扉が椅子を壊しながら不時着した。
イムが振り向いてみたものは、抑え込んでいたはずの修羅を帯びたユウメだった。
「ユウメ……どうして」
動揺するイムに、ユウメの仄暗い虚空の瞳が向く。イムしか映していなかったその目が、遂に彼女すら映さなくなっていた。正気を失っていることは、誰が見ても分かっただろう。
瞬時の迷いが、間違いだった。 持っていたグラスが地面に落ちて割れる。気づけば自分の首がユウメの両の手で掴まれていた。ギチギチと人から出ていい音では無い音を立てながら締まる首。腕の力だけでは飽き足らず、イムを押し倒して、全体重をかけた。
あまりにも唐突な出来事で、かけるべき言葉も思いつかない。だが、思いついても無駄だっただろう。咳き込む空気すら吐き出せない状態で、どうにか名前を呼ぼうとしても、声にならない声が漏れるだけだからだ。苦しそうに訴えかけるイムの顔を見ても、ユウメの表情は変わらない。
彼女の顔が、段々と土気を帯びていく。それでも彼女は、抵抗するかしまいか、迷っていた。まだ、思い出してくれるかもという淡い期待があったから。
レモンは顔を上げて、その理解し難い状況に慌てたように立ち上がる。彼は無事な方の椅子を持ってユウメに叩きつけた。だが、椅子のほうが壊れて、木片が辺りに飛び散った。
「おい! ビクともしないぞ!」
その後もどうにか皇女から剥がそうと悪戦苦闘するが、ユウメはビクともせずに殺意の一心で力を込め続ける。
イムは既に抵抗できる力を失って、意識朦朧とするなかで、レモンが「一か八か」とユウメの肩に手を当てているのが見えた。
その時、彼が何かをしたのか、ユウメの手が緩み、動力を失ったようにイムの横に倒れたのだ。
開放された気道へと慌てて入り込む空気に咳き込むイム。飲み込んだ唾にすら棘を感じる。どうにか、上体を起こし、潤む視界でユウメを見る。汗の滲む顔と、苦痛に歪んだ表情は悪夢にうなされているように見えた。
「はぁ、これは、貸しだぞ。イムグリーネ。首輪の役目を果たしてないじゃないか」
レモンは息を切らしながら自分の部屋の惨状を見る。扉が殴り壊されて風通しが良くなり、二脚の椅子が壊れて座る場所が無くなってしまった。辺りに散らばった木片は惨状だけ見たら、魔術での強襲を受けたようだった。
「ユウメに何をしたの」
「この期に及んで、心配かよ。ツボみたいなもんさ。すぐ目が覚める。縛り付けといたらどうだい?」
彼女は返事もせずにユウメを抱えて出て行った。
その様子にレモンは呆れたように笑う。そして、衝撃で落ちた皇女の白い髪の毛一本を掴むとそれを口に含み咀嚼する。空虚に笑いながら無事だったグラスの中身を飲みほした。
「将を射んとする者は、と言うが、この場合、僕が射止めるべき“将”はどちらなのかねぇ」
レモンはグラスを置いて、部屋の外を見る。
「君はどう思う、トリくん」
丸眼鏡をかけた薄く赤い髪の少女。いつもドジだポンコツだとからかわれる彼女が目を細めて廊下の先を見ていた。
「私にそういうことは聞かないでください」
トリトリントは散らばった木片を避けながら部屋に入る。
「じゃあ、質問を変えよう」
レモンは目を見た。
「親の仇を見た感想は?」
彼女は不快さを隠さずに王子を見返した。




