第3話 帰還と事変
一週間が経った。私とダインは帝都を目前にして、馬を走らせ続けていた。でこぼことした田舎道とは違い帝都周辺は舗装されていて、揺れも気にせず軽快に走ってくれる。
裂く風を心地よく感じながら、微かに聞こえるうめき声に苛立った。正座の形で空間魔術によって拘束したジェメロの声である。フェルマーに拘束具を頂こうとしたが、衛兵が砦で暴れている時には、彼は多忙なのか、既にいなかったため、私が拘束して、魔力を無駄に浪費しながら帰ることになった。
「はぁあ、やっと見えてきたよ、もう疲れた……帰って寝たい」
空間は一度設置すれば意識せずともそこに在り続ける。けれども、拘束しているのは人間で、魔術師だ。警戒せねばならない。一週間ろくに寝ずに拘束し続け、睡眠によって回復するはずの体力が枯渇し疲れからか目の前で虫が飛ぶような幻覚が見える。馬にもたれ掛かりながら呻くと、走る邪魔をされた馬は迷惑そうに首をふるわせた。馬まで私を働かせたがるのだ。
「寝るより報告が先だね。そいつの武器が見つからないのはかなり気がかりだしな」
ダインは、特務に入るまでは優しい口調だった。年頃か、思うところがあるのか、彼は男勝りの口調を意識し出しているが、根付いた性というものは簡単に変えられないものらしい。私は季節の移り変わりのような彼の様子を面白がる。
「ダインくん。喋り方変えないでよ、それ好きじゃないから!」
その瞬間、私の額に衝撃が走る。
「痛ってぇ!」
ダインが石ころを投げてきた。彼は私にバカにされた時用に石ころを常備しているのだろうか。乗馬してる人間に石を投げるのは誰でも許されない。もちろん、乗馬していなくてもだめだ。
帝都。名前はエーヴィッヒ。ヴィルヘルム帝国のエーヴィッヒ。辺境の街の外壁も見上げる程に大きかった。だが、帝都は帝国の首都であり、頭であり胸であり首であるため、防壁の格が違う。遥か高みの防壁から、巨大な生物が息をするように吐く蒸気が湯気となり蜃気楼となって、空を歪ませる。外壁のてっぺんから地上を見たら、私達は米粒のような大きさに見えるだろう、そんな高さの壁が、帝都を囲んでいるのだ。獣と、人間に備えた要塞である。
帝都には、商業地区やら工業地区など分野様々に区分され、規則正しく建物が並ばされている。人力の重機たちが、ドミノを積むように並べ、組み立て、空の息がかかるほど高く、大きい建物をいくつも作り上げた世界がこれだ。都全体が蒸気の息吹を上げて人という血を回しているのだ。だが、人々に活気は無い。帝国民の性質か、それぞれが街の歯車と化しているかのような、長閑とはまた違う静けさが都に降りている。
外壁の門を抜け、銀行や証券会社、コーヒーハウスの並ぶビジネスを象徴したような交差点を進み、真っ直ぐ進んでいくと、特務機関や他機関と女帝のいるエーヴィッヒの城が見えてくる。そして、都の中を歩いている時も、ジェメロは浮遊正座で拘束されているため、周りの人間から不審な目を集めた。しかし、彼ら彼女らは特務の軍服を見ると納得したように視線を外すのだ。城の前まで近づくと、門番の兵士が話しかけてきた。
「特務殿。お疲れ様です」
顔見知りの兵士だった、厳つい顔がどこか緩んだ、老犬のような方だ。何でも隊長に命を救われた事があるらしく、特務下っ端の私たちにも良くしてくれる。
「うん。意外とものを知らないみたいだったからね。法務が来るまで、牢に入れといてくれるかな」
兵士は笑顔で頷いた。
「了解しました」
ジェメロは私たちが心底恨めしいという目で睨みながら、兵士に連れられた。その体力がどこから来るのかは知らないが、今後彼は然るべき場所で裁きを受ける。そうなれば、もう二度と顔を見ることは無いだろう。
仕事を終えた私たちは厩舎に馬を預け、そのまま特務の執務室へ報告に向かった。
「ユウメ、ダイン。おかえり」
執務室のドアを開けると、帰ってくるのを待ち構えていたようにリサが飛び付いてきた。
「うわぁ、リサねぇ、もう調子は戻ったの」
リサは私とダインを両手で抱き締めながら、満面の笑顔で言う。
「うん。心配かけてごめんね。もう大丈夫、いつも通りの、リサねぇです」
ダインが安心したように微笑む、彼女の事が心配でここまで急ぎで帰ってきたのだ。良かった。本当に。
「リサ、無理しちゃダメよ。あなた二日前まで寝込んでたでしょ」
抱き着かれる私から証書を受け取ったカフェ副隊長が言った。二日前となると、まだまだ病み上がりだろう。
「二日前って、こんなとこで何やってんだよ姉さん。寝とけって」
「もう、そんなに心配しなくても大丈夫だって。今日は今までに無いくらい調子がいいんだから。ほら、無駄話してないでさっさと報告しなさい」
姉はあからさまに顔をムッとして話を逸らす。
「今日はみんなでご飯食べるからね、頑張ってつくるから早く帰ってきなよ」
リサはにっこりと微笑んで、執務室から出て行った。
「何だ貴様ら。帰って来ていたのか」
リサと入れ替わるように、最悪ながら聞き覚えのある威圧感を満載した低い声が聞こえてきた。振り向くと、案の定そこには特務一の堅物であるサージェが立っている。私より頭一つ分高い身長に、ピンと伸びた背筋に軍服を堅苦しく着こなし、溢れ出るギラつく意識を撫でつけたような髪をしている。見た目に違わず意識が高く、仕事第一みたいな奴だが、それは別にいいのだ。私は、この眼鏡をかけた傲慢な顔つきがどうしても気に入らない。目を合わせていると身体の奥底のどこからか、煮え切らない吐き出さなければやってられないような苛立ちが湧き上がってくる。彼と私とは馬が合わない。はっきり言ってキライ。
「何を睨んでいる、アホ面が。私に喧嘩を売る暇があったら、誰かのための平和について考えておいてくれないか」
私も無から怒りが生まれる程、理不尽な生物ではない。彼は性格が悪い。とても、とっても性格が悪い。キライ。
「はぁ? アンタは実家を出てからモノを言いなよ!」
サージェも私に同じ感情を抱いているようで、大したことを言わなくてもすぐに怒りに顔を歪ませる。
「何だと貴様」
「隊長、今回の件での報告を」
ダインは取っ組み合いを始めた私達のことは気にもとめずに父のもとへと向かう。いじめられる姉に見向きもせず仕事第一の弟に思うことがないわけでもない。
淡々と報告が進み、私達は散々と殴り合う中で父の声が耳に入った。
「俺の記憶上、法務機関にフェルマーという人間は存在しない」
私とサージェの拳が空で交差した時に父が言った言葉は、私の拳を揺らすのに十分だった。
「は……ですが証書は彼に反応しました。あれは事前に決められた人間にしか反応せず、細工したのならば魔力痕が残るはずです。法務の人間であることは間違いないはずで……」
ダインが慌てたように言う。その通りだ、今、カフェ副隊長がそれを確認しているように、特定の人間にしか証書は開けない。そして魔力痕は証拠として絶対であり、これを出さずに魔術を使う事は不可能で、魔力痕を消すために魔術を使ったのであれば、今度はその魔力痕が残るはずだ。道中での不正は絶対に有り得ない。
「証書の素材は法務にあり、作製と配布は全て法務に一任されている。それまで証書が城の外に出ることは無い。間違いなく、細工は作製時に行われた。法務または城内に裏切り者がいる可能性がある」
父は淡々と言った。慣れているのか、それとも、想定していたことなのかは分からないが、どっちにしても、ここに居る人間へはらわたが浮く奇怪さを持たせるのには十分だ。
「この件は俺が預る、今から法務へ行く。二人はもう休んでいろ」
サージェと私は取っ組み合いを止めて起き上がる。サージェは埃を払い、なんてことないように仕事に戻るが、私は、執務室から出ていく父が気になった。いつも通り、長い刀剣を帯刀して歩く父にすこしだけ薄ら寒いものを覚えたのだ。その剣がいつもより姿を主張しているように見えたからだろうか、どこか肌寒い空気に体が強張り、深く呼吸をした。
斜光は影を伸ばし、日の後を影が呑む。日が沈んで夜が降りてくる。
「隊長全然帰ってこないじゃん!」
私は憤慨していた。数時間寝て、気力を回復させたせいもあって、果てしなくお腹が減った。ここは特務機関の宿舎、食堂である。私達の目の前には、リサとカフェ副隊長が作ってくれた豪勢な料理が並べられている。
「少しは静かに出来んのか、猿。リサが呼びに行っただろうが」
四角いテーブルに副隊長、ダイン、私、そしてこのカスが座っている。しかし、法務に取り調べに行った隊長と、彼を呼びに行ったリサが帰ってこない。
「しかし本当に遅いな……何かあったんじゃないか。俺も少し見てくる」
ダインがしびれを切らして席を立ったその時に、壁につなげられた、喇叭の首を伸ばしたような配管、滅多に震えることの無い伝声管から、くぐもっているが、切羽詰まった声が響いた。
『特務執務室にて異常な魔力反応を検知。動ける者は急行せよ。
特務執務室にて異常な魔力反応を検知。動ける者は急行せよ。
特務執務室にて──』
ダインがはじけるように走り出し、私もそれに続いた。執務室へは、リサが向かったばかりだ。頭に浮かぶ疑問を振り払い、宿舎から執務室までの入り組んだ廊下を最短距離で走り続けると、いつもの執務室までの長い廊下が見えてくる。
執務室の扉はいつものように閉じられている。私には、いつも自分の手で開けるその扉が、初めて見るものに見えた。日常のものではない、空気も、影も、匂いも。部屋の外まで濃い血の匂いが漏れている。胸に張り詰める感情をそのままに、覚悟を決めた。
ダインと視線を合わせ頷き合う。そして、私の合図と共に突入した。
「リサ姉!」
そう叫んだのはどっちだったか。その名を受け取るはずの彼女は、血の海に沈み、髪を赤く染め、斬られ、胴と頭が別たれていた。
どうしようもなく――死んでいたのだ。
――ねばらかな赤い宙がまとわりつく。血と死を肌で感じ、匂いで感じ、目で感じ、緩やかに、思考の秒針が動き出す。
執務室には、右手に抜き身の剣を持った隊長と。頭と胴が分かたれたリサの姿があった。広がる血流に横たわった胴体と、隊長の足元に転がっている頭部。苦痛も何も、何の表情も無くなった顔がこちらを向いている。私たちを迎えた笑顔も、シチューを作っていた時の笑顔も、魔術が上達した時に褒めてくれた笑顔も、泡沫のように消えて、もう見れない。
只、呆然と。切なさ、悲しみ、怒り渦巻く脳が理解を拒んだ。理解する日なんて来なければ良い。しかし、私は理解を止められない。リサは確実に殺され、死んでいる。目の前で。
隊長の剣には真っ赤な鮮血がべったりと付いている。認めたくない。認めたくない。私の脳は理解を拒めなかった。父であり、隊長であるスレイブがこちらを振り向くと、目が合った。
何かを、覚悟したような瞳だった。見つめ合い、永遠とも思われる時間が過ぎたと感じた。先に視線を切ったのは彼だった。彼が前を向いて走り出した先には窓がある。
「ダイン、私を飛ばして!」
私の敵は、隊長かリサか。隊長は、帝国最強とまで呼ばれた男は、私達の父親は、背を向けて逃げだした。ならば、スレイブは私達の敵だ。
私の見てる風景は執務室から変わらない。ダインの魔術が発動していないのだ。ダインは呆然とした顔で、リサの頭を見ていた、何も映さなくなった瞳を見つめていた。ダインは、まだ追いついていない。
私はダインとリサの交差した視線に割って入り、両肩を掴んで強く揺らしながら叫ぶ。
「ダイン。隊長は、リサねぇを殺して逃げたの。なら、追わないと、私達が追わないと!」
背後からガラスの割れる音がする、スレイブが窓から飛び出した音だろう。ダインにかけた声が、しりすぼみになる。声音は震えていたかもしれない。いざ声に出すと、リサのことを考えて涙が出そうだった。
ダインは目尻に涙を浮かべながら呟く。
「何……何でそんなこと……何のために……」
「それを確かめに行くんだよ。やり方は分かってる。殴って、聞くの。得意でしょ」
「……あぁ、そうだ、そうだね。いつもやってる事だから」
そうだ。その通りだ。考えるのは止めて、スレイブの口から聞けばいい。逃げたなら、追いついて、聞けばいい。
「飛ばすよ!『魔間交換』」
私の体は帝都の空へと投げ出される。いくら魔術と言えども、自由落下の速度は無視できない。窓から地上まで高さ、落下の対処をしないと即死する高さが私を見ている。
スレイブはどうやってか分からないが、既に着地して建物の上を走っている。あの人ならこの高さでも問題ないのかもしれない。
私はあえてこの落下を対処せず、利用する。ダインを抱え、私の空間を斜面にして設置し、その上を滑る。グングンと私たちは急速に地面に近づいていく。
夜の風が、頬を引き裂く。正面に人の鼻のような、空気を避ける空間を設置し、さらに速度を上げる。空間と私の靴底で火花が出ているが、ここでビビったら彼には追いつけないだろう。しかし、建物の屋根に接地した瞬間、私の足は摩擦に負け、転倒することは目に見えている。そうなれば怪我ではすまない。速度を落とすか、いや、違う、さらに上げる。
接地する直前、私は遥か前方に何の変哲もない空間を設置する。そして接地。足裏からさらに強い火花が出た瞬間、合図せずともダインの魔術が発動する。
「『魔間交換』」
私の視点が移り変わる。設置した空間と私達を交換した。そう、少しずつ、少しずつこの落下エネルギーを消費していく。超精密なタイミングを毎秒、ダインに強要する。そして私の弟はそれに応えた。
私達には全くロスが無い。この世の全てのエネルギーを利用して、彼に追いつく。最初に離された距離は既に埋まり、あと数メートルにまで迫っていた。ついに、彼の背中に追いつける、私が握り拳を構えた時、風に運ばれた彼の声が私達の鼓膜を叩いた。
「……成長したな。……『決闘』」
私の視界は暗転した。