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第37話 知れ渡る特異点

「学園に行く理由?」


 イムは膝に乗せた黒猫を撫でながら言う。英雄候補(ネクスト)に負けたカッツィが不貞腐れて小さくなっていた。


 入学のための勉強に疲れて、気分転換に歩いていた時、まだ肌寒い夜にホテルの一室で暖炉に当たるイムを見つけた。赤い炎がぱちぱちと弾け、イムの髪が夕陽に照らされているようだ。


「女帝閣下様に言われたからってだけじゃないでしょ。学園の話してる時、楽しそうじゃん」


  「そう……? そんなに楽しいことでも無いんだけど……」


 イムが隣に座るように促した。立派にできた木の椅子は、軋むことなくわたしを受け止める。暖炉の火が、体の表面を暖めてくれる。


「ユウメは、一人か、百人か、どちらかを殺さなくちゃいけないってなったら、どうする?」


「わたしは……一人を殺す」


 冷たい人間だと思われたくなくて、答えは出てるのに少し迷ったふりをした。合理的なことは悪いことでは無いのに、どこか冷たいニュアンスを感じてしまう。合理性の真反対にあるのが、人間性だからだろうか。


「じゃあ、その一人が私だったら?」


「殺さない。イムの医療技術があれば未来で救えるのは百人どころじゃない」


 本当はそんな理由じゃないけど、スラリと言えてよかった。たぶん、イムが殺し屋でもわたしは殺すことが出来ないだろう。今だけは、イムの目がわたしを見ていなくてほっとした。


「そっか、そう言って貰えたら、嬉しいかも。そう、その考えは“私”を知ってくれたから出来た答え。ユウメが私を知ってくれたから」


 カッツィがイムから降りて背伸びをした。


「知識があれば、いつも見捨てられた一人を救うことが出来たかもしれない。その方法を知りたい。知性とは“見る方向”。人間はいつだって、道無き道を進んでこれた。それは、茨を道に変える力を手に入れたから。海を渡れるように、いつから空も、宇宙も、次元すらも、道を切り拓く。“知”には道を見つける力がある。一人でも百人でも救える道が、きっと見つかる」


 イムは疲れたように背を椅子に預けた。


「だから学園に」


 イムもゴルトも、みな知識を求めている。自分の中の信念を貫くために。暖炉の火が揺らめいて、わたしを見つめる。「お前はどうだ」と、揺らめく無機が問いかけている。


 イムは、どうしてそんなに人を救おうと思うんだろう、ただ、それが人の特性だからとか、そういうものではなくて、イム特有の信念、強迫観念にも似た何かがある。それは、彼女の過去から来るものだろうか。


「でも、最近思うの。ユウメなら、誰かを選ばなきゃいけない状況すら壊しちゃうんじゃないかって」


「わたしのパンチで?」


「そうそう。何でも殴って壊しちゃいそう」


「もしかして失礼なこと言われてるのかな」


「ふふ、そう思われるのは嫌なんだ? ……ユウメ、私は時々考えるの」


 イムは火を見つめていた紫の瞳を、わたしに向けた。


「あなたとふたりなら、あなたが護って、私が助ける。それで、一と百が救えるかもしれない」


 わたしはこの時、本当に奪われたのかもしれない。イムは、いつも欲しい言葉をくれる。



 緊急時に飛ばすはずのフクロウは、試合開始僅か一分で空を舞うことになる。四方に展開した四軍はウォルフ・ライエの『一岳』を前に撤退か、継続かの選択を迫られていた。


 帝国軍は指揮官のイムと空間魔術師のユウメが矢面に立ち、どうにか灼熱の熱波を受け流し続ける。海と王国を繋ぐ生命のラインである大河はほぼ蒸発し、致死の温度に到達した水蒸気が『一岳』の熱波と共に四軍に到来する。そう、その熱波はウォルフ・ライエの軍であるはずの諸外国軍にも襲いかかっていた。


 ウォルフ・ライエに指揮官の座を譲り渡した共和国(ローレアン)の姫、コットン・ローレアンは気体魔術で自軍に襲い来る熱波を誘導し、どうにか人の生存がギリギリ許されるレベルで耐えていた。


「ウォルフ! 話が違うでしょう!」


 コットンからウォルフへは熱風の影響で声が届かない。水蒸気で視界はほとんど潰され、距離も、彼女が豆粒より少し大きく見えるくらい遠いのだ。しかし、その問が予測できたのかウォルフは自軍に声を届けた。


「結局、(わたくし)が勝ち残れば話は一緒ですわ。弱者(ゴミ)と連む気は毛頭ありませんの。そのまま、退くか、死んでくださいまし」


 熱に包まれた冷たい宣告を前に、コットンは砕けるほど奥歯を噛んだ。このままでは魔力が尽きる。この熱波に耐えるのは絶望的だ。


 この対抗戦は、致死性のある攻撃を行った者は即刻失格、そして退学になる。しかし、彼女の『一岳』は逃げる時間も与えて、更に己との力量の差も分からせている。この場合は、攻撃に当たりに行った方が失格だろう。


 打つ手無しだが、彼女の言うとおり、指揮官のウォルフが勝ち残ればこちらの勝ち。意地になる気持ちを抑え、あたふたしている自軍に八つ当たりにも似た怒りを覚えながら「全員撤退」と叫んだ。


 ウォルフは撤退する自軍に何の感情もない目を向けてから、帝国軍に向き直る。自身の首に届き得るのは、あの女しかいないと確信していた。


 そして、試練は更に温度を上げる。


「誰しも私の事を狂犬、狂犬と呼びますけれど、故郷では狂炎と呼ばれましたの。日頃から山を溶かしていたからでしょうか? 違いますわよね。きっと、炎神の子孫という忌名がついてまわるからですわ」


 ウォルフは自身の熱量を更に上昇させる。彼女の頭上には太陽のような熱光球が胎動しながら熱波を送っていた。


「一つの山と書いて『一岳』私、やろうと思えば八つ同時で溶かせますのよ。では、『二岳』」


 大地が焼け、完全に蒸発した大河の底の黒く染った焦土を見て、ウォルフは満足そうに笑った。



 襲い来る水蒸気と熱波を鼻先のような形の空間で受け流す。フクロウを見て集合した帝国軍総勢62名は出来るだけ肩を寄せながら、その空間が生み出した恩恵に与っていた。


 しかし、空間は熱を完全に遮断することは出来ない。同じ場所に留まるだけではゆっくりと、蒸し焼きのように温度が上がる上に、地面から伝わる温度で目玉焼きのように焼かれてしまう。だが、このままなら、このままならまだ耐えられる。状況が変わらなければ。


 ウォルフの声はここにも届いた。彼女の独り言と『二岳』の号令が聞こえてきた時のイムの判断は早かった。


 ――私とユウメ以外、全員撤退


 薄く広がった空間では熱の問題は深刻だ。庇護対象を二人に絞ることで、空間の強度と厚みを上げて耐え抜くという判断。合理的で、不可能なものは切り捨てるという最善の判断だった。しかし、その迅速で聡明な判断にユウメが口を挟んだ。


「待って!」


 自身の展開した空間を見るユウメに、自軍に声を張り上げていたイムが駆け寄った。そして、他の者には聞こえない声量で会話する。


「待ってどうするの、地獄の道ずれを増やしたいわけ?」


「違うよ、イム。わたしならやれる」


 空間に当たる純白の水蒸気から彼女の目を見る。


「今が()()()


 ユウメの目に映るのは意地でも自棄でも狂気でもない。まっさらな、希望の光だった。


『あなたが護って、私が助ける』


 ユウメの目的を一瞬で理解し、イムは静かに頷いた。


「だからあなたの事が好きなのよ」


 その言葉を聞いてユウメが目を丸くするのを尻目にイムは自軍に声を張り上げる。


「全員集合! 防御魔術を解いてユウメの後ろに集まれ!」


 その号令に、全員が正気を疑った。魔力から変質された熱は防御魔術により少しはマシになる。彼女の号令は、『燃え盛る火に突っ込め』と同等の意味合いである。


 だが、狼狽する羊たちを前に、イム、フィア、ミチルが率先して防御魔術を解き、歩むべき道を示した。


 一方、王国一軍では、『二岳』の到来により、城壁のような岩石の壁が融解し始めていた。


「これはちょっぴり、まずいかな。ゴルトくん。君の岩石魔術はたしか城壁ぐらいは強いはずなんだけどな」


 防御壁の影に隠れて熱波に耐えていた第二王子レモンは冷や汗をかきながら言った。『一岳』の時よりも明らかに壁内の温度が上昇している。迅速な判断を下さねば、蒸し焼きになるのは明白だった。しかし、この状況でも冷静で、むしろ腑抜けたとも言える声にゴルトは多少の棘を声に含ませた。


「山を溶かす熱に城壁が耐えられるわけないだろうが!」


「それもそうだ」と開き直るレモンを尻目に、ゴルトは熱したフライパンのように熱くなる地面に手を着いて、融解した防御壁を次々と崩し、新たな壁を再建する。キャベツのように何十にも壁を作り、それを外に押し出すという工程を五十は繰り返していた。


「あっ、まずいですよ」


 ゴルトの横で、丸眼鏡をした少女が言った。防御壁を繰り出していたゴルトは、足元の地面に集中していて気づかなかったが、ついに城壁の土壌である大地が溶け始めたのだ。


 足場を失った高さ十メートルほどの壁が次々とドミノのように倒れ始める。防御壁の数枚は、流れ出る溶岩に乗ってゆっくりと遊泳し始めた。


 どこかで見た絵本の終盤のような光景。レモンは人知を超えた状況に、呆れたように笑いながら声を張り上げた。


「全員撤退! 無理だよこれ」


 流石に限界だった。しかし、ここまでやれば帝国軍は撤退しているだろう。王国二軍にはその役割は求めていないため、既に撤退は終えている。レモンは、二位の椅子は確実に空いているだろうと考えた。


「トリくん、無線は、ちゃんと聞こえたかな」


 話しかけられた丸眼鏡の少女は名をトリトリントといった。レモンの元へと不安定な足元に苦戦しながら駆け寄り、無線通信の筐体を見せる。


「王国二軍の敗北決定アナウンスは聞こえましたけど、ほか二軍は何も聞こえませんでした」


 レモンは耳を疑った。そして、またドジなこの子が聴き逃したのかと考えた。それほど、有り得ない状況だった。


 だが今は、順位のことは考えず、自軍の撤退を第一に優先するべきだと考え駆け出そうとした彼の足が止まる。


 ふと、試しにと、帝国軍の方に視線を向けたレモンは、有り得ない光景に目を見開いた。


「なんだい、あれは、イムグリーネの仕業か?」


 帝国軍上空に、遠方からでも圧巻の、巨大で真っ赤な球体が浮かんでいる。そして、今も上昇を続けているのだ。


 あの赤は、土が赤熱したものだろうが、何故球体が浮いているのか。頭の回るイムグリーネが策を弄したのかと考えたが、彼女でもこの熱波、上にあと六段階の控えがあると考えれば到底耐えれるものでは無い。レモンの記憶にない、何かがあそこにいた。


「あれは、空間魔術です」


 トリトリントが言った。彼女は、自分の言っていることが理解出来ず、この場にいる誰もその一言に理解を示さなかった。なぜなら、あの球体は今も上昇を続けているからだ。


「いや、空間魔術は、動かないだろ……」


 ゴルトが言った。誰かが言わなければならないことだった。普段なら、ここが、教室で教師が教壇に立ち、ゴルトがその一言を言ったならば、誰かが、誰かひとりは頷くはずの世界の摂理を前に。


 誰一人と、頷けなかった。


 なぜなら、今、自分たちは魔術の深遠を見ているのだ。その自覚が、どこからともなく湧いてきた。撤退の命令を出された王国第一軍158名は、灼熱の熱波の前に立ち尽くす。全員が、あの球体に注目していた。


「動くとしたら、世界の摂理を超える、何かがあそこにあるとしたら」


 レモンが言った。そして、熱波の中、一時の静寂の中で、誰かが言った。


 ――特異点(シンギュラリティ)


「ははっ、興味が湧いた。イムグリーネ、やっぱり君は、女帝になるべきだ」


 熱波が役割を思い出したかのように熱を持つ。そう感じるほどに、全員が熱を忘れて目を奪われていた。この中には、特異点を見た事がない者もいる。伝説とさえ思っている者もいる。眉唾だと卑下するものさえいた。


 彼らは、伝説を見たのだ。魔術師として、目を奪われるのは当然の事だった。そして、誰しもがその到達者が誰なんだと疑問を抱いた。


 だが、思考を前に無念にも、試練の熱は更に上昇する。


『三岳』


「全員撤退しろ! 今すぐにだ!」


 レモンは今度は笑わなかった。あの光景を名残惜しむ自軍の尻を叩かなければならない。もしあの空間魔術師が女なら、女に見とれて158名を犬死にさせた大戦犯になるからだ。


 少しでも目に入れておきたいというように、チラチラと後ろを見るトルトリンに背を押しながらゴルトは、言葉には出さなかったが、頭を抱えたい気分でいっぱいだった。


 もし、もし彼女が特異点到達者だと言うのなら、あの時奢ってもらったスパゲティは、どれだけ高くつくのかと。


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