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第28話 虐殺の血統

 馬男は名をゴルトシュミーデと言った。長いのでゴルトと呼ぶことにする。わたしの髪の色と同じ、明るい茶の毛色をした馬男。どことなく気風漂う佇まいだった。雰囲気はカッツィに似ているが、獣人がみなこうなのかもしれない。


 彼は相変わらず出自とボコボコにされていた理由は語らず、たまたま近くにあったレストランの一角は重みのある沈黙に包まれた。


「……でっかいね」


「馬だからな」


 この続かない会話による重苦しい沈黙にカフェは我関せずでメニュー表を見ていた。


「私このスパゲティにしようかな」


「わたしは」


「僕もそれで構わない」


「……じゃあわたしも」


 朝なのに溌剌とした雰囲気の店員が立ち寄った時にカフェが注文した。店員は女性だった。最近ヴァルターによく会うのでまた化けているのかと思って注視したが、そうではなさそうだった。帝国の軍服を着たわたし達と馬の獣人を見て顔を顰めたからだ。


「僕の出自よりも、君たち帝国の特務がなぜ朝の王都でうろちょろしてるのか、一般の人は気になると思うよ」


「ヴィッツって呼ばないんだ」


「……僕は人を統括した呼び名が嫌いでね」


「どうして?」


「トランプのカードは全て“トランプ”で呼べるが、カード達にはそれぞれれっきとした呼び名があり、“トランプ”だけでは無駄に伝わりすぎる」


「意味わかんない」


  彼は馬面を顰めて天を仰いだ。


「……例えばだ。今、僕の手元にナプキンがある。これはトランプか?」


「違う」


「なぜだ」


「絵柄がない、カードでもない。紙ですらない」


「それらがあればトランプか?」


「うん」


「それだ。“トランプ”という単語には先入観が存在し、それによって前提の観察を怠ることになる。目が紙を認識でき、カードを認識でき、絵柄を認識でき、初めてトランプとして理解する。それは理解か、いいや、偏見を体良く言い換えたものだ。その先入観は、時として人の判断を早計に終わらせ、真実から遠ざける」


「ゴルトくん。私達を、“ヴィッツ”と呼ぶには早計だと判断したの? 興味を持ってくれたわけね」


「人を選ぶ訳では無い。誰に対してもこうだ。そうでなくてはならない」


 「でもトランプ以外になんて呼ぶの?」


 「今のは例え話だ……」


 ヴィッツ、という言葉は蔑称ではない。ないが、言葉の裏に蔑む何かを感じざるを得ない。といった言葉だ。ゴルトはその言葉の裏の蔑称はわたし達を正確に判断するのに邪魔な要素だと考え、そういう、人を統括する言葉を嫌っているようだ。確かに帝国人とか、王国人とかいう言葉は相手のお国柄を想像し、丁寧な人なんだろう、とか大胆な人なんだろう、と先入観を持ってしまう。わたしが思うに、それを偏見だと自覚するのが必要なんだろう。


「じゃあ、獣人って呼ばれるの、嫌?」


「嫌では無い。自分の考えは人に強制するものでは無いしな。お前たちは、獣人という言葉にどう感じるのだ」


 浮かぶのは、メイド服の猫の姿だった。


「うーん、強い? カワイイ? メイド?」


「はぁ? お前、獣人の歴史を知っているのか」


「お前、じゃなくてユウメね。あんま詳しくは知らない。人の天敵だったことしか」


「……そうだ。天敵“だった”。力に溺れ、慢心し、王国に御され、滅びた。獣人に支配されていた人間は今までの借りを返すように怒り狂い、虐殺を産んだ。獣人と聞いて、良いイメージを持つものはいないだろう」


 わたしが産まれる二十年以上前。獣人が作った国は、その持ち前の力を十全に発揮し王国に対して快進撃の進軍を続けた。獣人の国は順調に王国の領土を奪い取り、支配し、奴隷にし、最終的には今の王国領土の八割を奪い取ることに成功した。


 しかし、戦争により急速に発展した魔術と、二人の特異点(シンギュラリティ)到達者を前に獣人は手も足も出ずに敗走。魔術の研究も間に合わずに、獣国は王国によって落とされた。


 そして、人間の醜さというのかある一方では正しさか、虐げられていた借りを返すように、貯められていた憎悪は虐殺を産んだ。犠牲になった獣人は、約二百万人。王国の報復は、“差別”という言葉に変わって今も続いている。王国の負の歴史。


 だが、王国はそれよりも酷いことを帝国人はやるという。実際に、やった人間がいる。わたしの出生と恐らく同時期。こんどは、帝国の話。塩の国(クロークランド)東方の海街(ディープ・シー)、王国とは真反対の帝国の隣国。東の虐殺と呼ばれたそれの犠牲者は、三千万人以上。人の死は比べるものでは無いが、西の虐殺、獣人の犠牲者約二百万人と比べれば恐ろしい程の数だった。


 虐殺の理由は、当時の将軍の独断。抵抗をやめ、両手を上げた敵国に対し、たった一人の指差で三千万人は殺され続けた。だれも意を唱えなかったのか、だれも反抗しなかったのか。そのおかしな命令に黙って首を縦に振ったのか。そこにいた帝国人は、ヴィッツは、本当に人の心を持っていたのか。いつしか、ヴィッツという言葉の背後には虐殺厭わぬ冷徹の死神が立つようになった。


 これが、帝国の負の歴史。王国の民も虐殺は経験しているというのに、自分のことは棚に上げてわたし達を非難している。まぁ、それが戦争というものだし、その虐殺に関わっていないわたしだからこんな他人事のように言えるのかもしれないが。


「うーん、わたしには獣人の友達がいるから悪い想像がつかないね。ゴルトも悪い人じゃなさそうだし」


「そうだな。知れば、人の本質を知れば良い。関わり合うには先入観はどうしても邪魔になる、だから知識を仕入れる必要があるのだ。人と関わり、知識を得る。学園にはそれがある」


「えっ!? 学園の人!?」


「違う、入学予定なだけだ」


()が良かったわね。ユウメと同級生じゃない。最初の友達じゃん」


「何、お前も入学希望か」


「そうそう」


「ユウメは、何のために学園に行くんだ?」


「えっ」


 返答に窮した隙をつくように、テーブルに皿が置かれた。赤い、色鮮やかなトマトのスパゲティ。


 何のためか、イムを護るため。リサの仇を探すため。それ以上でも、以下でもない。ゴルトのような自分を変えるためじゃない。ただの仕事。使命。


 ゴルトが聞きたいのはそんな外聞じゃなくて、わたしの本心。何がやりたいのか、だと思った。そして、気づいた。わたし、仕事のことしか考えてない。強くなること以外、他に、何も無い。空っぽだ。


「ゴルトくん。蹄じゃなくてちゃんと指ついてるんだ。友達は肉球だよ」


 カフェが考える時間を用意するようにゴルトに問う。


「ん? あぁ、ユウメたちの友達の獣人は血が濃いのだろう。人の血が多く混ざれば混ざるほど獣人は人に近づく」


 ヴァルターは言っていた。リサは帝国に帰る前に学園に潜入していたと。クリュサオルの正体を突き止め、リサの仇を取りたいから、学園に入学する。……何か、しっくりこない。この恨みという感情は、ネームレスとの戦いで綺麗に燃えた。今は、それ以上に、学園に行きたいというわたしの感情が、心の片隅で燻っている。


 この湧いてくる感情の源泉はどこにあるんだろう。なんで学園に行きたいと思ったんだろう。今のわたしの心の大半を閉めているのは、イムだ。イムと学園に行きたい。イムと学園に行って、楽しみたい。これだ、これだ、楽しみたい。


「わたしは……」


 なぜだか体が軽く感じる。わたしの中のなにかが笑ったからだろうか。一瞬だけ雲の隙間を刺す陽光が虹を見せたからだろうか。


「わたしは、楽しみたい。イムと学園を楽しみたいから、入学する」


 ゴルトはスパゲティを巻いていたフォークを置いて、考える素振りを見せた。


「ゴルトに比べたら、大したことない理由だけど……」


 馬面がニヤリと笑った。


「いや、楽しいというのは人間の原動力だ。それが無ければよっぽどの人は動かん。それがあれば、いつか『大したことある理由』も見つかるだろうさ」


「うん、うん。そうでしょ! そうだよね!」


 天気は悪かったけど、快晴の時ぐらい気分が良かった。小躍りしたいぐらいだった。


「まぁ、よろしく頼む」


 ゴルトの差し出した手をわたしは握った。彼は学園での最初の友達だ。


「よろしく、ゴルト」


「時にユウメ、勉強は良いのか? 余裕のありそうな感じだが」


「は? 勉強?」


「入試試験があるだろう。知らないわけじゃ……ないだろうな……」


 快晴だった天気に暗雲がかかる。イムは何も言っていなかった。試験のことなんて何も言っていなかったが、まさか、落ちたら、離れ離れ? 暗雲から大雨が降り出したように、冷や汗がぶわりと湧き出た。


「スパゲティ、ゴルトにあげる! お代はこれ、わたしの分もあるから! じゃ!」


「あっ、おい」



 ――ユウメはいてもたってもいられず、一刻も早く事情を聞くためにイムのもとへと走り出してしまった。


「騒がしい子だね」


「お前の後輩じゃないのか」


「いつもはもっと、そうだな、何も興味を示さない覚めた子なんだよ?」


 カフェはスパゲティを既に食べ終えていた。ゴルトも自分の分は最後の一口、ユウメの分も合わせればまだまだ大量にあった。最後の一口に挑もうという時、ゴルトの耳が慌ただしい足音を聞いた。


「あっ、こんなところにいた! ゴルくん! 王子が探してたよ。昨日はごめんねって」


「おい! 馬鹿、堂々と叫ぶな!」


 薄い赤い髪の少女、このトマトスパゲティのような赤い髪。大きい丸眼鏡を支えながら小走りでゴルトの横に向かった。ゴルトはこれ以上、このドジがボロを出す前にと席を立った。


「悪い。馳走になった。この恩は忘れないとユウメに伝えておいてくれ。また、機会があれば」


「はーい」


 あっという間に、カフェはひとりになった。ユウメが食べなかったスパゲティを自分の前に置いて、フォークに巻いた。


「あーあ、一人になっちゃった。寂しいなぁ」


 カフェは外の暗雲を見た。この天気の時は、いい事が起こる。その証拠に、今日はユウメに会えた。そして、彼女はゴルトシュミーデと出会った。かち、かちと、ひとつの駒が動く音は心地よい。


「これが、最後だったんだけどな」


 そう言って、巻いたスパゲティを口に入れた。

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