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第26話 浮かぶロールシャッハ

「あっ! ジョンさん、あなたに言われた通り二人は通しましたが、闘技場が揺れて…… 中で一体何が」


「あー、あー。VIPってやつだ。企業秘密。秘密は高いからな。手は出さない方がいい。修繕費は全部俺もちだから、安心してサボってろよ。ほら、これでいつも頑張ってる自分にご褒美でも買ってこい」


 夜の街で一日遊べる程の金を手に警備員の二人は困惑しながらも離れて行った。


 彼はその背を一瞥もすることなく煙草を蹴り潰した。この時代に兵士にならずに民間の警備に当たっているものなど、厳しい環境は嫌だが筋肉には自信がありますって奴らか縁故だけ。大抵は金さえ渡せばどうにかなるが、今回は少し好奇心が強い奴らだったようだ。


 秘密は離れれば離れるほど幸せに近くなる。人間は見て見ぬふりを遺伝子レベルで刻み込むべきだ。そうなれば、救えなかった理由をそこにこじつけられる。


「あーあ。こりゃひでぇ」


 砂原で殴り合うあの二人の対角線は戦闘の余波で跡形もなく瓦礫になっていた。特にユウメの背後は、観覧席が熔け溶岩のように流れ砂原を侵食している。恐らく、皇女の攻撃だろう。


 第二皇女の本気を見れなかったのは情報収集の面でも残念だ。だが、それよりもこの闘技場の修繕費の方が残念なことになりそうだと思った。


 ため息の変わりに高めの煙草に火を付けた。殴り合う美女二人を見ながら吸うタバコは、美女二人を両手に侍らしている時より上品な味がした。好きではない味だ。


 短くなった煙草を足で磨り潰す。観覧席にいるはずの知り合いを探すと、目立つ彼女はすぐに見つかった。


「これで、よかったのか?」


「えぇ、これで良し。物事はいつだってシンプルで、メイドは主人の行動を予測しなければならない。ワタクシの額の上で終わる話です」


「獣人は難儀だねぇ」


 メイド獣人のカッツィの横に座り、また一本煙草に火をつける。これが、手持ちの最後の一本か。最近は減りが早いな。と、煙による多幸感か、ボーっと考えていると吸っていた煙草が口から消えた。


「……解説でもしに来たのですか、ジョンさん」


 カッツィの手から煙が上がっていた。たしかに、猫に煙草は良くないと言うが。こないだホテルで四人で話した時は大丈夫だったじゃないか……


「最後の一本だったんだけどな……その可愛い声でヴァルターって呼んでくれないのかい?」


「呼びません」


  彼女は不機嫌そうに喉を鳴らして座り直した。


「まぁ、話に来たんだ。拳でじゃないぞ」


「残念です」


「戦闘民族め。話っていうのは、ユウメの話だ」


  いつも見下ろす砂原には、ユウメが楽しそうに拳を振っている。


「俺は、あいつらが特務に入るのは反対だったんだ」


「……何の話を?」


「まぁ、聞けよ。特務の仕事、知ってるだろ。殺し殺し殺し尽くす。ただ、殺すだけじゃない、命乞いする貴族をその子どもの目の前で殺すことだってある。それを見て泣き叫ぶ子どもも命令とあらば殺す。秩序の上の幸福にはそれが必要だからだ。血も涙もないだろ。……だからこそ、あいつらガキが背負う業じゃない」


「あいつ“ら”というのは」


 ユウメの姿が少女のものへと変わる。たまに城の訓練場に顔を出すと、必ずと言っていいほどあの二人はいた。カルベラに師を仰いでいたユウメと、カフェに師を仰いでいたダイン。


「ユウメには同い年の弟がいる。ダインってやつだ。あいつも、クソ真面目なやつでな、姉とどっちが強いかって城の中で賭けが流行ったこともあった。……そして、六年前か。二人で足並み揃えて、特務に入るだとか抜かしやがった。

 その頃の試験官が俺とカフェで、子供好きなカフェも、二人を特務に入れるのは反対していた。だから、『ガキが見ていい世界じゃねぇ』ってボッコボコにしてやったさ。二度と立ち上がれねぇくらいにな。

 だけどな……なぁ、『七転び八起き』って言葉、知ってるか。知らねぇよな。昔の言葉だよ。七回落ちても、八回這い上がればいい。単純だが何よりも難しいことだ。

 あの二人は176回倒れて、177回立ち上がった。二年間の間試験に挑み続けて、倒れたままの日なんて無かったんだ」


「いい根性ですね」


「よかったとは、言えねぇな。おかげで、アイツらの歩む道は血と臓物に塗れた修羅道。俺たちが転んだままのせいだ。178回ボコしておけば、こうはならなかったかもしれねぇ」


「後悔を?」


「してるさ。今でもな。歳をとるって言うのは、経験を積むって意味だ。歳をとると、感情を濾す機能が発達する。人を殺した時の感情は、それはもうクソ不味いもんさ。スラムの糞尿混じったドブぐらいな。だが、歳を取ればそれも濾されて貴族の小便ぐらいにはなるんだよ。あいつらも……その機能が発達しちまった……まだ、十八だってのに、この世界が灰色に感じるようになっちまったんだよ」


「この時代、仕方の無いことです」


「仕方なくてもだよ。俺が止めれたのなら、俺が止めるべきだった。十八の時、俺は何してた? はっ、初めて女に刺されかけたのがその時だったかな。……あいつは、ずっと戦場にいる。カルラカーナ、母親が殺された時からな。魔術と戦闘以外の楽しみを知らねぇ、人を愛するってことを知らねぇ、友達に頼るってことを知らねぇ……あいつも、もう二十二だ。だからよ、皇女に言っとけ、何が狙いであいつに近づいたかは知らねぇが。あいつを、ユウメを楽しませてやってくれ。灰色の世界に、お前が色をつけてやれってな」


「……ここを使わせてもらった借りもあります。いいでしょう」


 やっと、皇女にユウメの攻撃が当たった。嬉しそうにユウメの顔が歪む。人を殴る時にあんな笑顔を浮かべるやつに、女性的な魅力は感じずらいだろう。俺なら見いだせるが。彼女が城にいる時も、冬眠明けの熊のように徘徊するか血塗れでスタスタ歩いているかのどちらかだ。


「なぁ、皇女ってホントに何考えてんだ。ユウメに対してなんかあったのか」


「さぁ。女心を弄ぶあなたに分からないのであれば誰も分かりませんよ」


「なんかあんだろ。なぁ、教えてくれって。会って半年経ってないくらいだろ。心当たりないのか」


「しいて言うのであれば」


 カッツィは手を顎に当てて考える素振りを見せた。


「顔じゃないですか?」


「……俺と変わんねぇな」


 日が暮れて月が明るくなり始めた頃、決着が着いた。カッツィが重さを感じさせずにふわりと観覧席から飛び降り、倒れて星を見る二人に近づく。


 重くなった腰を上げてカッツィの横に立つと、二人は疲れきっていたが、満足したような、へらへらとした笑みを見せた。久しぶりに見た、気の抜けた笑顔だった。


「ユウメさん。ワタクシは、簡単に殺されるほど弱くはありませんよ」


「ははっ……たしかに。大変そう」

 

 ユウメの笑みからは影は無い。憑き物が取れたようだった。


「で、結局どっちが勝ったんだ? これは」


「私の勝ち」「わたしの勝ち」


「引き分けね」


 赤い手の戦力を削り仕事にも余裕が出来た。リサの仕事先も調べることができ、女遊びも十分にできた。そして、思わぬ収穫も。


「ユウメ、良い情報と悪い情報がある」


「悪い情報」


「悪い情報は良い情報が最悪だってことだ。


 ――特務の裏切り者が分かった」


 血に沈んだであろう手帳。なぜか、残されていた手がかり。真実だとすれば、重要な情報になる。真でも偽でも、共有するに値する情報。しかし、それはゲームルールが変わることを知らせる凶報だった。


 「これは、時計塔の鐘の下で見つけた手記だ。俺が狙撃手を追う為に塔に登った時、残念ながら狙撃手は逃げた後だった。が、そこには自分の首をペンで刺した赤い手の死体があった。これが赤黒いのは、持ち主の死体の下にあったからだな。こいつの筆は饒舌なようで、愚痴やら落書きやら要らんことも書かれている。重要なとこだけ抜粋して読むぞ。


 特務機関 帝国序列(フロンタルナンバー)五位(イットセルフ)サージェ


 特務機関 帝国序列(フロンタルナンバー)四位(シュビライ)カフェ


 両者二名の抹殺をディレクトは快諾。二名の魔力からフェルマーが計測した結果、ディレクトが抹殺成功する確率は低くは無かった。が、敗走した場合を想定し、次回抹殺の成功確率をより上げるため、両者二名の戦闘情報をここに記す。


 十八時。寒さで時計塔の鐘も凍っているように軋んでいる。陽の光の温かみも失われた頃、北東から上品なワインのような音色のクラシックが聞こえた。アシュワイヤート紫地区。ディレクトが暴れだした。彼の音楽は音の質が良い。あの細身のどこから鳴り響いているのかは知らないが、年に一度のオーケストラのような重厚さだ。彼の調子は悪くない。筆先が脱線する前に『視界共有(ジャックアイ)』を発動する。


 これは、こいつの固有魔術だろうな。文面から見て他人の視界を覗く魔術。諜報には持ってこいだ。で、この続きが難解だ。


 ディレクトの視界はいつも揺れ動く。スラムの崩れた積み木のような住処と血の海の真っ赤な赤が混じり合う中で確かに見えた、二人の標的。 四位(シュビライ)カフェ、五位(イットセルフ)サージェ。カフェの烏羽色の髪。珍しい髪色で帝国でも王国でもあまり見ない色だ。十年前の赤い手掃討戦に参加している彼女については詳細な記述は不要だと判断した。身体強化系の魔術師で、まともに打ち合えるのはディレクトかボスぐらいだろう。


 問題はもう一人、ここ数年で頭角を現した戦闘情報の少ないサージェという男。十年前の掃討作戦にも参加しておらず、情報戦に特化した人間だと認識していた。泥と血に塗れる戦闘機関だというのに、その白い軍服に小さな汚れも見当たらず、一世一代をかけた営業でも行くのかというほど余念のない風靡。濡れた金の髪を撫でつけ、しきりに眼鏡を触る様子から、几帳面で潔癖症、神経質な性格が見て取れる。魔術の詳細も分からず、属性か固有かも不明。ただ、彼が手にかけた死体から熱で焼き切ったような傷が見れたことから、熱系の魔術だと想定出来る。この男さえ抑え込めれば、ディレクトの勝利は揺るがない。


 カフェの口が動いている。


「幸せは秩序の元に、私たちが存続させる」

  「私の親はペンキ屋だった」


 意味がわからないと思うが、走り書きで言葉が上書きされてるんだよ。続きを読むぞ。


 唇の動きから見えたその言葉にディレクトの視線は真っ直ぐに彼女へと向かった。せんとうが始まる。私は手を握っている。ペンを握る手に力を込めたが、戦闘は始まらずディレクトは困惑するように自分の両手を見た。


 音楽が消えている。彼の魔術、その最大の特徴である鳴り響く音楽が消えている。言語だ。言語は最初の――なのだ。再びカフェの口が動く。


「四分三十三秒」


 何か、違和感がある。上手く言えないが、良くないことが起こっている時の、あれだ、大量の鳥が同じ方向に飛んでいるのを見た時のような、犬が一斉に吠えだした時のような、得体の知れない前兆を見た感覚。


 思うことを率直に書く。支離滅裂になるだろうが、未来の俺が推敲することを願う。


 今気づいた。なぜ今気づいた。特務機関が何故王都にいる。赤い手の掃討戦ですら王国政府主体だった。確認出来るだけでも六人……スレイヴ・エクテレウ、カフェ、ヴァルター・トンプソン、サージェ、ユウメ・エクテレウ、ダイン・エクテレウ。カルベラ・ハインベルトットとリサ・エクテレウは確認できていないが、現時点で総勢八名の特務の過半数がなぜ王都に集結している? 政府に強襲するつもりか王城をいや違う三英五騎士を無視できるとは思えないでは何故。貴族の失踪、不自然な技術の提供、王政支持者の不審死、死んだはずのネームレスの影、黒い虫狡刷摺ずるズル何かあるのか、王都に。カフェの目はずっとこちらを見つめている。ディレクトは動かない俺には私には息子がいる裏社会のことを知らない薬にも浸っていない真正面を向いた真面目な息子はペンキ塗りをはじめて首を吊って死んだ見ているみている彼女たちの物語を知って欲しいんだ技術防疫機構は見ている。浮かぶロールシャッハ。 墨の染み。蜘蛛の足。死。


 なんだこれは僕の字じゃない。落ち着け。息子は今もペンキ屋で働いて、そうか、かれは首を括って死んだじゃないか。違う、今はそんなことを書いているんじゃない。何かおかしい。観察を続けなければ。時計塔の鐘が聞こえる。ゴーンゴーンごーんごーん

 ディレクトは自分の首をくり抜いて倒れた。

 見ている。カフェがこちらを見ている。違う、見ているのはディレクトの目であって私の目じゃない。

  あれ、おかしいな。『視界共有(ジャックアイ)』は共有先が死んだら見れないはずなのに。ずっと彼女と目が合っているんだ。


  そうか、彼女はこっちを見


 

 ここで、手記は終わって、彼は首をペンで貫いて死んだ。書かれている通り、カフェの魔術は身体強化系でこんなイカれた精神汚染系の魔術じゃない。だが、こんな現象、魔術じゃないと説明出来ない。なぁ、ユウメ。見ただろ、黒い虫が魔術を与えていたのを。不思議なくらいに、点と点が繋がる。


 裏切り者は、カフェだ」

ブックマーク、評価をお願いしたい。そうすれば、多くの人がこの話を知ってくれる。

多くの人にこの話を広めてほしい最後まで戦い続けた彼女たちの物語を、知って欲しいんだ。

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