第25話 非暴力運動
「これで、三回目か……」
白いベットと、カップをふたつ持ったイム。ひとつ違うのは、王都の外が賑やかで騒がしいということだけ。あと、イムの雰囲気がいつもと違って辛気臭い。
「左腕は八箇所骨折。断面が綺麗でよかった……繋がったのは幸運だったけど、もう、元のようには動かない。骨が消失してる部分があるから……」
わたしの切り落とされた左腕は、包帯でグルグル巻、器具で固定して動かないようにされている。いつもと同じように感覚があって、しっかりと激痛が走っている。
「骨がすこしでも残っててよかった。大丈夫だよ。いざとなったら空間で動かすし」
「だめ。そんなのはだめ。痛みに慣れたら病気に気づきにくい、私が切断するのは嫌よ。自分の体を大切にしなきゃ……あなたを戦わせた、私が言うことじゃないけど」
「え、うそ、ちょっと。泣いてるの?」
彼女の声にはいつもの渓流のような軽やかな流れが無く、無機質だった。そして、わたしの言葉が堰を切り、彼女はポロポロと零れ始めた涙を腕でゴシゴシと乱暴に拭いた。
「判断に後悔があるわけじゃないし、謝らないわ! この涙は私の医療技術の限界に対してよ……」
「高慢だ……」
「指揮者には責任がある……それを放棄して謝るわけにはいかないの」
「妙なところで強がるんだね。精神的な面で私に頼ることは出来ないって?」
「うん……」
高慢さを十全に出し切れず珍しくしおしおとしたイムに対してわたしは真剣に何も言えなかった。わたしが、情緒不安定、というよりその情緒が育っていないことをはっきりと自覚したのは最近であるから反論は出来ない。そして、チェイサーの条件魔術、『選択』の魔術は、未来を決定する魔術。そんなものひっくり返してやると意気込んだものの。一度決まった未来をひっくり返す具体的な方法など暴力的な手段しか思い浮かばない。このままだと、私はいつかカッツィを殺す。一度口に出したものは、もう戻せないのだ。以上の理由を考えると、口をつぐまなければならないのは当然だった。
「どうかしたの?」
離れることだ。彼女たち、イム達の一群から離れ護衛をカフェかサージェに引き継いでもらうことが私が掲げる『護る』ということそのものである。私が正常にカッツィを殺すとは考えにくい。精神に隙をつかれてイカれると考えるのが普通だろう。
「いや、大丈夫。ちょっと、痛かっただけ」
「鎮痛剤はあげないわよ。依存性は無いけど、精神が弱っていたらとにかく薬に頼ってしまうから。依存するなら私に依存しなさい」
「高慢だ」
それに、この痛みは、たぶん鎮痛剤じゃ収まらない。
目が覚めてから一週間が経った。
「どう? 立てる?」
イムが出した手を取らずに立ち上がる。
「いや、大丈夫。ひとりでやれる」
左腕は動かない。
更にそこから一週間が経った。
「ねぇ、天気良いし一緒に外、歩かない?」
「今日は遠慮しとく」
左腕がゆっくりだが、指先以外は動くようになった。
更にそこから一週間。
「……そんなにじっと見て、どうしたの?」
「…………」
目が覚めてから一ヶ月経った。
「…………」
「…………」
イムが私の部屋に来ることが少なくなった。
大きめの鞄に出来るだけのものを詰める。軍人として、いや、機関として訓練を受けた私にはこんな鞄が無くても生きていける。でも、いろいろなものを詰め込んでしまった。
左手で鞄を締めようとしたが、手先が不自由で上手く閉めることが出来ない。分かっている、不自由なのは手先だけじゃない。手こずる度に、苦痛に苛まれる。涙が出る。寂しくて、痛いのだ。なんで、やっと人の気持ちが分かって。一緒にいても怖くならずにすむようになったのに。こんなことになるんだろう。
わたしはイムと一緒にいるべきじゃない。だが、最初の選択が正しいなら学園に入学することは決まっている。しかし、一緒には行けない。カッツィとの約束を破ってしまうことになるが、わたしがイムにとっての最悪の思い出になり続けるよりはマシだと思った。
今日は天気がいい。わたしの暗い部屋を窓からの光が照らして、いつもいつも鬱陶しい。その光から逃げるように荷物をまとめていると、ふと気づいた。なんで、左手は不自由だと分かっているのに、左手で閉めようとしたんだろう。それにこだわる必要はないのに……
右手で鞄の口を閉めた時、部屋のドアがとんでもない音をたてて開いた。そこには、右足を突き出したイムがいた。鍵を閉めて空間の板で補強したドアを突き破ったのだ。
「何してるの」
そう言ったイムの顔から感情は読み取れなかった作られた仮面みたいに。わたしは覚悟を決めた。
「わたしっ、イムとは、一緒に」
はっきり言おうとしたけど、無理だった。イムの目が見れず、下を向いたわたしの無事な方の腕をイムが力強く掴んだ。
「きて」
「えっ」
万力のような力だった。その細い体のどこからこんな力が出ているのかという程。半ば引き摺られる形でホテルのフロントまで降りて、そのまま外へと向かう。
「ちょ、ちょっと。いたいって」
そう言ってもイムは力を緩めずに群衆の中を突き進み続けた。何も言わないので、わたしも黙って抵抗せずに連れていかれた。
歩き続けて数分。辿り着いたのは、闘技場だった。今日は試合の予定は無いのか、闘技場の周りに人はいない。ただ、それでも無断の立ち入りは遠慮しているようで、憲兵モドキの警備員が入口に立っていた。
もちろん。イムとわたしはそいつらに止められるはずだった。部外者だから。でも、そうはならず、警備員は私たちを一瞥もせずに、あっさりと中へ通した。それに目を丸くしている間にもイムの歩みは止まらない。中の中へと進み、イムの手は砂の海の真ん中に立つまで離れなかった。
「ちょっと! イム。どういうこと」
彼女は腕を掴んだまま振り返った。その顔には無表情の仮面は外されて、怒りの感情がありありと浮かんでいた。
「なんで私のこと無視するの」
「無視じゃない。ちょっと、良くないなと思って」
「なにが」
「なにがって……」
「そんなに嫌だったの」
「え? なにが?」
「私にされたのがそんなに嫌だったの」
「は?」
「私にキスされたのが、そんなに嫌だったのかって聞いてるの!」
「は!? なにを」
わたしの腹部に拳が突き刺さった。
「いってぇ!」
この女。ネームレスに斬られた場所をお構い無しに殴ってきた。傷が開くとか考えないのか。医療に通じてるはずなのに。わざとか。痛い。めちゃくちゃ痛い。驚きと痛みで思わず膝をついてしまった。
「とぼけないでよ。ばか! 嫌なら嫌って言えばいいじゃない。それすらも出来ないの? ねぇ、なんで誤魔化すの!?」
この時の彼女は、普段の生活からは全く想像も出来ないほど怒っていた。わたしの歴戦のメンタルが震えるほどだった。だから、と言っていいのか分からないが、失言をしてしまった。
「落ち着いて! 違うから、落ち着いて。それは全く関係ないの。むしろ、忘れていたというか」
口は滑るものだと忘れていた時には、もう遅かった。
「はぁ!? よりにもよって、最悪の嘘をついたね。最低。最低よ! もっとマシな嘘はつけないの!?」
「ごめん! 違う! 忘れたっていうのは、ほら方便みたいなもので。他に重要なことがあったというか。とにかく、ちゃんと覚えてるから! 覗いて見てみればいいじゃん!」
「適当なこと言わないで! それに、私が一々頭を覗かなきゃいけない関係を望んでいると思う!? 分かった。どうせ覚えてないんでしょ! 私が一ヶ月どんな思いで過ごしたと思ってるの? 何も言わずにそっけなくされて。何を言っても私を避ける……ねぇ、なんでさっきから、私の目を見ないのよ」
そこで初めて、目を覚まして以来、初めて彼女の瞳を見た。相変わらず、綺麗な瞳。紫の花の咲いた、水晶のような瞳。そう、この瞳を見ていなかったということに、今やっと気づいた。
潤んでいるのは、他でもないわたしの責任だ。
護るって言ったのに。困らせないって決めたのに。また、わたしは間違えた。傷の疼く体にムチを打ち、無理やり立ち上がって逃げられないように素早く彼女を捕まえた。
そして、抵抗されないように手を握って、わたしからキスをした。感想は無い。読まれたくないから感想は無い。唇を離すと、間抜けなくらい驚いた表情のイムがいた。
「ちゃんと、覚えてるよ……わたしも、初めてだから。イムのは、わたしが無駄にさせない……わたしは! こういうのよくわかんないけど。イムに素っ気ない態度とってる時とか、遠くに行くことを考えてた時は、胸が痛くなった。嫌だったら、こうはならないでしょ?」
「じゃあ……なんで」
「赤い手に条件魔術を受けたの。わたし、将来いろんな人を殺すかもしれない。カッツィも、その一人だから。そんなやつが、イムの横にいたら、ダメ」
「なんで私に相談しなかったのよ」
「だって、どうしようもないし……」
そう言うと、イムはまたわたしの唇に口を持ってきて、キスするのかと思ったら思いっ切り噛みやがった。
「いったぁ!」
驚いて手を離した隙に、猫のようにすり抜けて距離をとられた。
「ふん! あなたはメンタルが弱いのよ! もうちょっと心を鍛えなさい」
「何も噛むことないでしょ!」
「今日ここに来たのは、私から離れようとするなら力で服従させようと思ってきたのよ」
「人に最低って言える手段じゃない……」
「上下関係を教えるだけよ! 私が主人であなたは犬。それをはっきりさせる時が来たようね。戦うつもりで来たから、このままじゃ不完全燃焼よ」
「わたしは、全っ然やる気じゃないけどね」
「もう学園への入学まで二ヶ月を切ってるわ。入学したら、こんな暇が出来ることなんて多分無いでしょうから。私とあなたがやり合えるのは、これが最後のチャンス。私を不安にさせた罰よ、甘んじて受け入れなさい」
「手加減、苦手なんだけどね」
「犬はそうでしょうね」
もう彼女は引く気は無かった。わたしは彼女の闘い方を見た事がないし、実力も全く分からない。ただ犬も叩かれ噛まれ煽られれば飼い主に牙を剥くものだ。
「見せてみなさい。あなたの爛漫。真正面から、受けてあげる」
「ほんとに、容赦しないからね」
「口ではそんなこと言ってくれてるけど、もう、やる気でしょ?」
彼女の言う通り。あれやこれやは別として、強くなるのは何より楽しい。苦行を乗り越えてその成果が出た時は本当に、跳ねるほど嬉しい。だけど、わたしの魔術が輝くのは戦闘の場だけで、普段の生活でその成果が見れる時など滅多にない。
溜まっている。苦行を乗り越えた後の成果が。それを受けてくれると言うのなら、遠慮なく。空に浮かんだ四つの立方体。やれる。
「四重空間圧縮」
やれる。わたしなら。四つの立方体に蕾と花弁を設置する。右手を標準に、それを左手で支える……左手、動いた。まぁ、今はどうだっていい。
「謝るなら、今のうちだよ」
彼女は、自身に向けられる四つの砲塔に目もくれず、わたしの目を真っ直ぐ見つめていた。
「あなた、今までで一番いい笑顔よ」
特異点 四重爛漫
四つの蕾が閉じ込められた暴力を解放する。目標を示された方向に四重の爆発が重なり合い、進行上の全てを破壊しながら破壊の奔流が突き進む。 爆風の中で、更にもうひとつの爆発が起こった。横凪の爆発の中で、縦に登るような爆発だった。わたしの広域的な爆発攻撃を局所的な爆発によって威力を上へと受け流し、それによって安置を作ったのだろう。
ならば、来るはずだ。反撃が。爆風によって巻き上がった石畳と土煙による視界不良の中、数個の光が瞬いた。
前方に展開した空間に熱光線が命中する。傘に当たる雨のように分裂して背後に流れる光、何個も熱光線が空間に当たり、だんだんと外の景色が見られなくなる。
空間に纏わりつくそれによって、完全に空間内からの視界は遮断され砂や背後から伝わる熱によって空間内の温度が上昇する。
「このまま蒸し焼きにするつもり?」
空間に纏わりついた光線。その天井の一部の流れが変わった。
「それじゃ、つまんないでしょ!」
天井の空間がイムの防御魔術によって消滅する。流石にあの爆発で無傷は不可能だったようで、余すとこなく血塗れだった。だが、その顔はこれでもかと言うくらい口角が上がり、挑戦的な笑みを浮かべている。
わたしの空間に侵入するその姿も、久しぶりの戦闘に心躍らせているように活気に満ち溢れていた。わたしもただ立っていたのではない。魔力の循環、体の中で魔力を循環させ、速度を上げる。流動速度を上げればあげるほど、急停止した時の衝撃は上昇する。
「その殴り方の弱点は、右手に魔力が集中しすぎることよ」
イムは前方の空間に触れた。熱光線はまだその火力を落としておらず、循環させた魔力は既に右手に集中している。つまり、イムの防御魔術によって空間が消滅した後に到来する熱線に対しての防御、威力軽減手段は、無い。
空間が消え、熱線がわたしに直撃する。
随分前から分かっていたが、わたしの体は頑丈だ。例え石を溶かす熱線だろうと、数秒なら、耐えられる。わたしに纏わりつく高温の熱線を我慢しながら、落下してくるイムに躊躇なく右手を振り抜いた。
「弱点は、克服するもの」
「流石にタフすぎるでしょ!」
しかし、振り抜いた右手に手応えはなく。わたしが見上げていたはずの青い青い空が砂色に変わった。投げ飛ばされたことに気づき、顔を上げると仁王立ちしたイムがこちらを見下している。
「帝国の姫は武術もやるの。覚えておきなさい」
「いいね」
蹴り上げながら起き上がり、それからわたし達の気が済むまで殴り合いは続いた。
 




