第21話 選び、進む。
フィアがギンピーギンピーと交戦する少し前。
ユウメの前にはF.V チェイサーが立ち塞がっていた。
「条件定義。私は貴様の接近を認めない」
条件魔術。術者と対象の間に、術者の脳内に刻まれたルールを強制させる魔術。これだけ聞けば、術者に有利すぎるように感じるが、魔術がバランスを崩すことはないので、私にもチャンスはある。
空間魔術が防御一辺倒なように、条件魔術にも穴が用意されているという訳だ。……チェイサーが特異点に到達していない場合に限るが。
「貴様の脳にもルールが刻まれた。『選択』それが私の魔術だ。貴様と私の距離、二五メートル……一回の選択に付き、五メートルの接近が許される。従わざるを得ないのだよ。さぁ、来い。ギンピーギンピーに生徒が殺される前にな」
選択。五回の選択。チェイサーに近づくごとに選択を迫られる。五回のそれが終わらない限り、私はチェイサーに攻撃出来ず、チェイサーも私に攻撃することが出来ない。
セレクト・ワン
→学園に入学する ダインを追う
「入学する」
透明の壁が消える。残り二〇メートル。この五回の選択は、将来の私に突き付けられる人生の転換、その選択肢。それを“今”選べということだ。
脳に流れ込んだルールのひとつ。五つの選択は、未来の私に強制される。つまり、学園に入学するか、ダインを追うか、という選択に迫られたとき、未来の私は問答無用で学園に入学することを選ぶことになる。それがどんな状況でも。
「いいのか? 心配なんだろう? たった一人の弟が」
「心配以上に、信頼しているからね。たった一人の相棒を」
セレクト・ツー
第一皇女を殺す →サージェを殺す
「……サージェを殺す」
空気の壁が消える。残り一五メートル。
「存外、ドライな奴だな。大切な仲間じゃないのかね」
「あんたと似てるから、選んじゃった」
「いいのか? そんなに簡単に。立ち止まって迷うことも時にはいいさ」
私がサージェを殺す未来が決定した。そもそも、皇位継承者を天秤にかけて、殺し合うような未来が、来るのか。
……確かに彼は嫌いだが、殺すほどじゃない。――無駄な思考。決めたことを考えている暇は無い。これが最も現実的な判断、最善の判断のはずだ。ただ黙って、自分の思う判断を下せばいい。そう言い聞かせても、この十五メートルはあまりに長い。
ルールのひとつ。回答に一秒以上迷えば、罰則が発生する。それは、三秒間の身体硬直。相手に対して攻撃も防御も許されないその時間は、チェイサーにとっての必殺の時間。
死か、選択か。
三つ目の壁に触れる。
セレクト・スリー
→市民を助ける ズグロを殺す
「市民を助ける」
透明の壁が消える。残り十メートル。
迷いは無い。助けた後で殺せばいい。
闇夜の中でチェイサーの貴族じみた髭面がよく見えた。たかが、十メートル、されども十メートル。二つの人生転換を迎えるには、あまりにも短すぎる距離である。
「なぜ、あの小さな女ではなく貴様を選んだのか教えてやろう」
チェイサーに迷いは見えなかった。この距離、条件さえなければ必殺の間合いであるにも関わらず、彼は襟を正す余裕を見せた。
「この稼業に身を落として四十年。よく見える。いざ選択の場面で、捨てる決意を持つ奴と、持たないやつがな」
「老眼じゃない? 引退の選択肢は出なかったんだ」
「ふん、閉まらん口だ! 若造よ、今に分かる」
五つ答えることができたら、ターンは私に回る。その場合、三秒間硬直の罰則はチェイサーに与えられ、必殺の拳をあの薄ら笑いが浮かんだ顔面にぶち込むことができる。
セレクト・フォー
→ダインを守る カフェを守る
「ダインを守る」
不実在の壁が消える。残り五メートル。愚問であった。カフェを護る自分など想像ができない。
「あと一問。もうこんなに近づけちゃった。あと、五メートルの命。悪い気はしないでしょ?」
あの余裕の見える薄ら笑いにひびでも入ったかと顔色を窺うが、その老獪さのにじみ出る笑みには油断と慢心がありありと浮かんでいる。嫌な爺だ。
「……では、最後の選択の前に一つ聞かせてもらおう。この選択の順番。どういう並びだと?」
「私が、将来選択する順番」
「違う。選択の“重さ”だ。さぁ、最後の問いだぞ。
――『選べ』」
セレクト・ファイブ
カッツィを殺す イムを殺す
一秒の空白。時が止まって見えたのは、私の思考が停止したからで。雨粒は止まらない。圧倒的危機に時間を引き伸ばした優秀な脳でさえ、これを選ぶことはままならなかった。時間の流れ、運命の流れに滲ませた感情は、後悔に似たものだ。昔の、少し昔の私なら――躊躇なく――。
体が動かない。三秒間硬直の罰則。
「任務完了」
チェイサーの、幾多の命を奪ってきたであろうナイフのような手刀が私の胸に触れた。
「ギンピーギンピーは死んだか」
声が聞こえる。何が起こったのか分からない。体を起こそうとすると、節々に釘を打ち込まれたような痛みが走った。目を開けると真っ赤な地面が映る。赤い水。気合で起き上がって理解した。これは、私の血液だ。声のした方には、一目で死にかけと分かるフィアと、それに近づく無傷のチェイサー。そうだ、チェイサーの見せた最後の選択。罰則を食らったんだ。
貫かれたはずの胸にそれらしい傷はなく。胸ポケットにしまっていた圧縮空間が消えている。ひとつは、フィアに渡して、もう一つは、そうか。チェイサーの手刀に纏われた防御魔術に触れて爆発したのだ。条件魔術の壁に守られたチェイサーは無傷で、硬直した私はもろに爆発を受けた。
フィアに近づくチェイサーは、爆発で私が死んだと思っている。無防備な背中から私への警戒を感じない。殺れる。防御魔術を展開する彼には空間魔術で攻撃することはできない。圧縮空間を作っても、あれではフィアが巻き込まれる。一息に近づいて、一撃で決める。
カッツィの力強い加速を思い出しながら、獣の姿勢で、その背中に飛びかかった。
「……がぁ!?」
爆発の衝撃で外れたのか、両肩の動かない私は、その首を嚙み千切る。だが、致命傷には至らない。
「ッ条件定義!」
失敗した。再び透明の壁に距離を取らされた。五重の壁が、溢れ出る血液を手で抑えるチェイサーとの間に現れている。
カエルの皮のような、嚙み千切った肉を吐き捨て、爆発の衝撃で外れた右肩を空間を利用してはめる。左肩はどうやっても動かない。
「驚いた……なぜあの爆発で生きている? やはり、ただの依頼ではないという事か」
「弟子の前で負ける師匠がいるかよってなぁ! ボロボロの私に条件魔術って。ははは、そんなに私が怖いか」
「自分の様相が分かって言っているのか? 化け物が」
チェイサーの顔から自信が消える。殺しに慣れた爺の顔に映るのは、怯え。滅多に動くことのなかったであろう、恐怖の表情筋が彼の頬を引き攣らせる。条件魔術といえども、実質は初見殺し。二度目の私には通用しないことも分かっているはずだ。彼の怯えはそこから来る恐怖だ。
それとも、私の今の姿は暗殺者が怯えるほど異常なのか。フィアの顔は、あえて見なかった。見ない方がいい気がした。
足を踏み出す。
セレクト・シックス
→カッツィを殺す イムを殺す
「カッツィを殺す」
残り二〇メートル。
セレクト・セブン
→カルベラを殺す イムを殺す
「カルベラを殺す」
残り十五メートル。
セレクト・エイト
→カフェを殺す イムを殺す
「カフェを殺す」
残り十メートル。
「あんたさっき言ってたな、見えるものがあるとか……私には何がある? 何も無いか?」
チェイサーが後ずさる。条件魔術は平等で世界のバランスは均衡である。チェイサーの周りにも、逃走を許さないとでも言うように透明の壁に阻まれる。彼は特異点に到達していない。着実に、勝利までの要素が積み重なっていく。
セレクト・ナイン
→ダインを殺す イムを殺す
「ダインを……殺す……!」
上回るのは理性であり、殺意では無い。無心では無く、選択をしなければならないのだ。捨てられたものたちが押した二十メートル。しかし、道は二つでは無い。最後のひとつはここで負けることだ。ここで決断しなければもっと多くの者を失う。残されるもの達が開く五メートルを、踏みしめなければならない。
「たった一人の相棒だと聞いたがなぁ!? えぇ!? それでいいのか貴様ッ!」
チェイサーは逃走を諦め、唾をまき散らしながら煽る。そこに余裕や自信などかけらも見えない。
セレクト・テン
イムを殺す →自害する
「自害する」
条件魔術は平等で世界のバランスは均衡である。三秒間硬直の罰則は勝負に負けた彼へと与えられる。
「チィ!」
一対一のタイマン。飛んでくる右と左の手刀は、止まって見えるほど遅い。踏み込んだ左足。突き出す拳を邪魔するものは、もう何もない。この拳はあまりにも軽すぎるのだ。
私の拳は、暗殺者の体を貫いた。チェイサーは貫通した拳に身を預けながら、血に交じった怨言を零した。
「修羅か……貴様……」
チェイサーの瞳に映る私の顔。
『私が、そうなったからよ』
頭の中でイムの声が揺れる。強さのために正気を失えたらどれだけよかったのだろう。私は、自分で選んで、友達も、師匠も、先輩も、残された弟も殺すのだ。
命の灯が消えたチェイサーの体が拳から抜け落ちる。血にまみれた右腕は、いくら雨が降っても赤いままだ。
 




