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第19話 釣果

 空から降ってくる大雨。頭上に展開した空間に当たって、沢山の雫が流れ落ちる。透明な傘の下で私とフィアは悠々と、月明かりを貫く時計塔を見ながら富裕層の区画を歩く。


 深夜の雨降る王都で外に出る酔狂者は私たちの他にはいない。ポツポツと点在する街灯に照らされた大通りは、薄く広がった水面に雨の波紋を映していた。隣に歩くフィアは、緊張しているのか表情に不安が見える。


「私、やれるでしょうか……」


「大丈夫だよ。狙われてるのはイムだし、こっちには足止め程度の戦力しかこない。たぶん。それに、私はフィアが足引っ張っても全く問題ないぐらいには強いから。なんなら、フィアが仕留めちゃってもいいんだよ」


「……でも、怖くて。人を殺すのが」


「そう……だったっけ」


 錆びてめっきの剥がれた道徳を、質問と思ったのかフィアは答える。


「……死にかけた時って、寒いでしょう? 先生も知っていますよね、自分の血が流れ出て体温が下がっていく。でも、それ以上に、思い出や叶えたかった夢、大切な人がいる場所から落とされて、どこまでも寒さに震えながら沈んでいく感覚。冷たく暗い深海に一人落ちていくような恐怖を、人に与えるのが怖いんです。可哀想だと、思ってしまうんです」


 フィアの顔は青褪めて、その寒さの中で藻掻くように震えている。海の圧が彼女に伸し掛っているようにも見える。彼女も皇女に忠誠を誓った身だ、その理由が生まれる程の過去があったのだと、簡単に予測できた。だが、海を見て水だと理解出来ても、それ以上は海なのである。私には、分からない。


 人は『国のため』『家族のため』大義名分に縋り、仕方なく人を殺す。その大義名分は、強さを求める理由である薪と似たようなものになるだろう。彼女の目には燻っている薪がある。気づかせてあげなければならない。私に嘯いたズグロのように。


「最初はそうなんじゃないかな。みんなそうだと思う。だから、人は理由を考える。殺してもいい理由を。私は、護るために強くなる。そのために」


「戦う、理由、ですか」


「そう、フィアは何のために魔術を覚えて、強くなろうと思ったのか。フィアの目はある人の目。あるんじゃないの。強くなりたい理由が」


「……はい。あります。ごめんなさい、もう、大丈夫です。私は戦えます」


 震えは止まり、その目には固い決意が見える。

 私はズグロと何が違う? 『戦わなくていい』と、フィアの為に、いや自分の為にかもしれない、言いそうになってしまった。


「私たちは別に正義の味方ってわけじゃない。私たちを邪魔する奴らの敵ってだけ。難しく考える必要はないよ、殺した命に押しつぶされて死んだら元も子もないから『私たちの邪魔する奴らは殺す!』ぐらい適度に気楽で行こう。…………今回はね」


「はい! 邪魔する人は殺します!」


「はは、いいね。その意気。はぁ……残念だけど、話す時間は終わりみたい」


 大通りの先には立ち塞がる二人の人影。背の高い男と、フィア程の身長の小柄な女。絶え間なく降る雨に対して濡れた衣服が、身に纏う防御魔術の影響で陽炎のように揺らめいている。そして、二人の手には赤い手袋。釣り餌に食いついた、襲撃だ。釣竿がしなったのだ。

 

「こんばんは、赤い手の亡霊。一体、誰の依頼を受けたの?」


  男の方が口を開いた。


「すまないな。顧客の情報は……!?」


 異変を感じて口を閉じた男が上空を見上げる。自身の上だけ、雨が突然止んだのだ。見上げた先にあるのは、天を覆う程の水塊。あらかじめ雨を空間で集めて、それを上空で解放した。顧客の情報などどうでもいい、イムを狙うものは全員消す。私はイムを護るために戦うと決めたのだ。


 水塊という大量の質量に襲われた二人は避けきれずに潰される。流されないように踏ん張っている間に、私とフィアは接近し、大きく踏み込んだ。投降の意思など聞かない、一撃で終わらせてやる。


「条件定義」


 呟いたのは男だった。私の拳は男の体に到達する前に停止し、中空で止まる。透明の壁のようなものが私の身体を押して、定義された位置まで男から遠ざけた。


「条件魔術! クソっ、フィア!」


「ギンピーギンピー、そいつを任せる。コイツの方がやりやすそうだ」


「うるさい! 分かってるわよ、命令すんな」


 ギンピーギンピーと呼ばれた小柄の女が、大通りの石畳へと体を沈みこませている。水を泳ぐように地面を泳いで、フィアの足を掴んだ。彼女は躊躇なく女を殴るが、その拳は目標を捉えきれずに地面へと当たり、石畳が音を立ててひしゃげた。しかし、地面へと逃げるように潜り込んだ女には当たっていない。フィアを掴んだ手は、地面の更にその下へと彼女を引きずり込もうとする。


「フィア! 手を!」


 フィアは左手を伸ばすが、到底届く距離では無い。その手は空間を掴み、瞬きの間に地面の下へと引きずり込まれた。地面を削ろうにも、条件魔術はそれを許していない。フィアを助けたいが、まずは、この男を片付けるしかないようだ。


「初めまして。そしてご冥福を。赤い手、F(フィンガー).Ⅴ 名をチェイサー。皇女の護衛、ユウメ・エクテレウ。貴様を始末する」


「……ご丁寧にどうも、あんた、しれっと私の方がやりやすそうって言わなかった?」


「事実を言ったまでだ。フィアという女より、お前の方が簡単だ」


 私にも、魔術師としてのプライドはある。私を先生と呼ぶ弟子より弱いと言われれば、一発顔面にいれないと気が済まないくらいにはイラつく。だが、それよりもイラつくのが、こいつの背格好と喋り方が世界一嫌いなアイツと似ているのだ。本気で殴る。フィアがやられたのは多分、領域魔術だ、こいつに時間をかけなければ余裕で助けられる。心配だし、さっさと終わらせて向かおう。

 私の意識は、フィアに向くばかりだった。


 ――――


 ギンピーギンピーと呼ばれた女は、私の足首を掴んで力強く土の中を引き摺る。引き締まった地盤が私の体をヤスリのように削り、全身に凄まじい痛みを感じる。苦痛の時間は直ぐに終わり、掴まれた足首は離され、地下だというのに私の身体は宙に浮いた。空に放り出され、落下を開始した身体はコントロール出来ずに十メートルほど下の木々に絡まりながら墜落した。


「痛い……」


 どうにか身体を起こし、辺りを見回すと、地下空間とは思えない光景が拡がっていた。空があるし、ギラギラと輝く太陽が見える、周囲は一面の緑だ。幹の太い木に様々な植物が絡みついて更にそこから植物が派生している。そのような樹木が、目に見える一面に生えている。突然、熱帯雨林に放り込まれた。比喩ではなく、事実である。だが、体感温度も真夏のように上がっているというのに……寒気がした。


 静かすぎる。生命で溢れる樹林には、本来、動物の息遣いや虫の鳴き声、風に揺らされた木々のざわめきが聞こえるはずだと、行ったことが無くても分かる。だけれど、この空間は全く何も、生命の息遣いが感じられない。この不自然さに対して私の本能が疑問に持たなければならない状況だと告げている。


 身体はそこかしこが傷だらけで出血もしているが、幸いにも骨は折れていないようで不自由なく動かすことが出来た。


「可哀想なお嬢さん。ごめんね。私はあなたを殺さないといけないの。依頼されるようなことをしたあなた達が悪いのよ」


 どこからともなく、響き渡るように声がした。ギンピーギンピーの声だ。言葉自体は哀れむものだが、その口調は嘲笑しているように聞こえる。


「赤い手のF(フィンガー).Ⅳ 名をギンピーギンピー。あなたを殺す、真紅の名よ」


 その声に呼応するように、領域に侵入した異物を排除するつもりなのか、赤い光が軌跡を伴って私を囲む。ギンピーギンピーの攻撃性をそのまま写したような真っ赤な光は、樹木の影、草葉のひらめく瞬間、暗い木の洞から私を見つめている。


 ここでは、ジリジリと肌を焼く偽物の太陽ですら、私の敵。味方はいない、私がひとりでやらなければならない。やらなければ、私がやられる。恐怖に震える体は、先生との会話を思い出すと、静まった。私には死ねない理由も、戦う理由もあるのだ。身体の代わりに心を奮い立たせ、その赤い瞳を睨み返した。


  ―――


 私は別に釣りが好きでは無い。釣り糸を垂らして、ただ獲物を待つ無為な時間が嫌いなのだ。欲しいと思ったものは、自分から獲りに行く主義だ。せっかちだと言われればそうかもしれない。


 釣り自体は嫌いじゃない。こういう風に、吊るされた釣り糸に直ぐに食いついてもらえれば、私も暇を持て余さずにすむ。


 赤い手を潰す作戦は至って単純明快である。学校の先生なら思わず笑顔を零してしまう程に。私自身を餌にして、暗殺者を釣る。あれほどの威力の狙撃だ、組織の最高火力だと考えて、それが防がれたとしたら近接での暗殺を狙うと予測した。それも、こちら側の最高戦力であるユウメが私から離れた時が赤い手にとっての絶好の瞬間だ。だから、その状況を作り出してやった。向こうは罠だと分かっていても襲うだろう、私からユウメが離れることは、わざとでもない限り無いのだから。


 カッツィの持つ黒傘に雨が流れて落ちる。大雨の中、この大通りの続く先で、既にユウメ達も接敵しているだろう。私とカッツィの前には、狼のような獣人が立ち塞がった。銀と黒の織り混ざった毛並み、その鋭い目付きと狼特有の威圧的でありながらシャープな顔立ちは、野性と高貴を両立させている。それに、図体が大きい、建物の二階に届きうる身長だ。


「帝国の第二皇女とお見受けする。悪いが仕事なんでな。赤い手のF(フィンガー).Ⅲ 名をクラフティ。その命、頂戴するぞ」


 クラフティが見せた赤い手袋の甲にはⅢの文字。手袋と長手のシャツの間にあるはずの毛皮は見えず、機械のようなものが見えた。よく見れば、両腕のシルエットは有機的ではなく、機械のように無機質に角張っており、それが義手であることが分かった。


「お姫様、ここは私が。風邪をひいてはいけませんので」


 カッツィが私に傘を渡して前へ進む。メイド服は濡れずに、雨を弾いて地面へと流す。水滴が光を反射して、メイド服に艶やかな色を加えていた。


 クラフティの獣の身体が隆起する。獣人特有の、人体から本来の狩りの形である獣への変質。骨が軋む音に機械義肢が変形する音を混ぜながら、巨大な一匹の獣が産まれる。義手だけでは無い、両足も義足だ。変形に耐え切れなくなった衣服が破れ、機械義肢が露出した。義足には、鋳鉄の鈍い光を放つシリンダーが剝き出しで大腿骨の位置に存在している。あの体のどこかに内燃機関でも搭載しているのか、変形した義肢からは蒸気が立ち昇っている。それは管理された技術の中で見たことの無い代物だった。


 カッツィの四足形態と違ってクラフティは二足。ジャンプする前のように曲がった両足と、殺意を前に押し出したような前傾姿勢。人狼を思わせるシルエットを前にカッツィはただ見つめていた。


「その漆黒の毛並みと発達した大腿ながらも、しなやかで余白のある筋肉。黒豹の生き残り、王の血縁か。相手にとって不足なし、全力で行くぞ」


「ふん、先に変質するとは随分自信の無い狼ですね。獣の力を捨てて機械に頼るとは、情けない。変質する価値もない。ワタクシが受けて立ちましょう、王族として。野良犬如きがワタクシと立ち会えること、感謝しながら死になさい」


 自身の何倍もの大きさの相手にカッツィは何の気負いもなさそうに対峙する。獣人は産まれ持っての性質で、一対一の戦いを好む。そして、先に変質した方が相手を格上として見ているという風潮がある。カッツィはそういう性質を色濃く継いでいるようで、獣人特有の儀礼や矜恃を大切にしているように思える。私を差し置いているのも、それが理由だろう。手持ち無沙汰だが、余計な手助けはしない。カッツィが久しぶりの獣人同士の対決を楽しんでいるのを、穏やかに揺れるしっぽを見て分かったからだ。


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