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第1話 特務機関

 飽きる程長い回廊に点在された窓から、格子に遮られたどこまでも青い空がちらちらと此方を見る。窓枠と格子が長い影の模様を作り出していた。城の設計者は、思い通りの構造なのだろう、帝国人らしい計算され尽くした余裕の無い美しさがある。


 その余裕の無さだけに関しては、今の私と似ている。格子の影を体に転写しながら、憂鬱げにため息をつく。


「はぁ……」


 私は今日寝坊した。寝起きだ。冬の始まりは人間にとって睡眠に最適な気温だと思う。だけど、気温に反比例する輝きを持った太陽の光が視神経を刺激するのはいただけない。こういう時に人間は憂鬱になる。


「うるさいな、黙って怒られてこいよ」


 自業自得であるにも関わらず、大きなため息をつく私に対して前を歩くダインは眉を寄せた顔だけ振り向かせて言う。


 彼は私の弟である。知性を感じさせるような怜悧な顔つきは私とは、似ていない。血が繋がってないので当然ではあるが。


「だってさ」


「だって? 六時間の遅刻に対する言い訳なんてあるのか?」


「ない」


「お前……」


 弟は私に対して全く敬意を持っていない。悪いことじゃない。単純で対等で、良い事だ。仕事中に、余計なことが起こることもない。


「騒いでないでさっさと歩きなさい」


 前を歩く副隊長が振り向かずに言った。きっと、人のよさそうな笑みを浮かべたまま言っているのだろう。彼女は上官である。カフェという。柔和な人だが、どこか中身の見えない神秘を時々に思わせてくる。


 執務室には八個のデスクがある。だが、これが埋まることはほとんどない。みんな、仕事で忙しい。


 この国で、正常とは違うもの、狂気、例外、異常、と判断されたものは法と女帝の力によって排除される。

 異常や狂気が数を持ったものを普通と呼び、偏見の集合体を常識と呼ぶ。姉が言ったことだ。

 その異常と狂気、常識のなりそこない達を、私たちは排除しなければならない。狂気が常識に成り代わる前に。


 思想を殺すのだ。


 それはとても厄介で、仕事を成すには国中を走り回らなければならない。よって、二、三年、席を空けることもあるわけで、今、埋まっている席は二つだけだった。私の姉であるリサと、恐れられる父であり隊の長であるスレイブ・エクテレウ。


 リサは部屋に入ってきた私たちを認めると、時計を一瞥して苦く笑った。カフェ副隊長は自分の席に戻って、私とダインはもう一人の方へと向かう。


 私の義父でもある彼は、ダインの父であるだけあって、怜悧な顔立ちをしているが、その上に厳つい目つきを持っている。私が原因であろう額に浮かんだ青筋が、黒い岸壁のように厳めしさを強調していた。


「言いたいことは後でだ。先に任務を伝える」


 今にも爆発しそうな理性を表皮の下に押し込めて言った。父が怒ったところは、初めて見たかもしれない。寡黙で表情の無い人だったが、私の所業に対して遂に堪忍袋の緒が切れたようだ。反省はしている。


「今回の任務は、法務からだ。フルフラット辺境領で六名もの軍兵の死体が見つかった。死因は物理での刺殺、だが、魔力痕も確認されている。犯人と拠点は特定出来たが、法務では太刀打ちできん奴だ。重要指名手配の『魂狩り』これを無力化しろ」


 隊長は私の目を真っ直ぐ見た。私の責任能力を活用するときだ。罪を償う時。寝坊という罪。


「問題ないです」


「了解です」


 こうして頭に受けた重い一撃で罪を清算した私は、新たな思想を殺すための旅路に着いた。



「ダイン、まだ着かないの」


 天気は快晴。森と山は本格的な冬に備えて茜色と小麦色に染まり、絶え間なく落葉している。馬の頭に朱い紅葉が乗って尖った耳がそれを跳ねのける。そんな、少ない荷物を乗せた二頭の馬が、舗装されていない、ただ踏み均されただけの土の道を進んでいく。落ちた木の葉を馬の蹄鉄が踏み砕き、ぱらぱらと音が連なる。

 情景は良いが、飽きた。


「……半刻もすれば街は見えてくるはずだ」


 帝都を出て一週間、途中で通過する領土や街も人工物より自然の割合が大きくなり、辺境領へと近づいていることが感じられたが、あまりに退屈すぎた。退屈は、よく歩く軍隊の、いちばん悪い事だと私は思う。


「姉さんの調子が悪そうだ、さっさと終わらせて帰るぞ」


 姉好きがそう言ったため、出来うる限りの強行軍で馬を進めた。私も一応、姉であるはずなのだが、幼少期に虐めすぎたせいか彼の姉に対する尊敬はリサが全て持っていった。


 リサは学術の先生でもあり、聡明で知識もある、彼女の作るシチューはお店に出せるほど美味しくて、ご飯の時はあの父が微笑むことさえある。私が勝てる分野は魔術と戦闘面ぐらいで、彼女は姉の鏡といった存在だった。


 私は物心つく頃からエクテレウの家にいた。父が言うには、特務の宿舎の前で捨てられていたそうだ、そのまま私はエクテレウ家で育てられ、たまたま、この仕事にも適性があり、特務に所属することになった。


 血は繋がってないが、家族同然に扱ってくれたし、私も家族だと思っている。だから、この強行軍に異議は全くなかった。


 ポツポツと辺りに農場や民家が見えてくると、やがて、高い塀に囲まれた街を見下ろすことになった。ここら一帯は他国との国境沿いの領地であるため、戦いに備えて高い塀を構えているんだろう。街に近づいてくると、なかなか威圧感があるものである。


 門番の衛兵から声を掛けられた。


「特務機関の方々で間違いありませんね」


「あぁ、これが証書だ。法務の人間は呼べるか」


 馬から降りたダインがそう言うと、鞄から封筒を取り出して紐に纏められた真っ白な紙束を取り出す。魔力証書と呼ばれるそれらは定められた個人しか閲覧することが出来ず、法務機関でしか作成許可を持っていない、機密文書である。私たちですら覗く権利はないが、大方、中身の予想は出来る。白黒の顔写真と共に、この二人はれっきとした特務機関の人間です、信用してくださいとでも書かれているのだろう。


 当然、衛兵はそれを閲覧することができないので、封筒と証書に刻印された徽章を見た。


「了解しました。それまで御二方は兵舎でお待ちください」


 衛兵がそう言うと、門を開けて中へ通された。綺麗な街並みだ、大通りやその横の水路は日頃から整備されている感じがする。街ゆく人々にも陰気な雰囲気はない。私たちはその街へ繰り出すことはなく、そっぽを向いて案内される通りに兵舎へ向かう。


 半刻ほど経っただろうか、兵舎の応接室でダインと待っていると、部屋に神経質そうな細身の男性が入ってきた。丸眼鏡を掛け直したり、撫でつけた髪を触ったりと落ち着きのない様子で、法務の制服では無く、特徴のない灰色の背広を着ていた。


「法務機関所属のフェルマーと申します。まずは、証書の確認を」


 そう言われるとダインは、鞄の中の紙の束を渡す。


「これが証書だ。確認したら詳細を教えろ、急ぎの用事があるからさっさと終わらせて帰りたいんだ」


 フェルマーが証書を受け取りながら答える。からからに乾いた、ナイフを突きつけられているかのように震えた声で。


「……確認しました。任務の詳細を説明します。事の始まりはひと月ほど前に、国境付近巡回中の分隊からの連絡が途絶えたことです。他の分隊が確認したところ、北東付近の河川下流付近で六名の分隊員の死体が発見されました」


 彼の額に汗が滲む、この部屋に入った時から椅子に座らず、ずっと机の横に立って説明を続けている。


「座らないの。なんだか凄く……つらそうに見えるけど」


「いえ、すぐ終わりますので。大丈夫です。……死体は全て衣服、武装が剥ぎ取られており、左胸から背中まで刀剣のようなもので貫かれた傷がありました。死体の頭部は切開され、脳が抜き取られています。外傷はこの二か所のみで、死因は心臓を一突きした胸の傷。頭部の切開は殺害後に行われたようです。殺害方法、死体の様相、魔力痕、全てが魂狩りのものと一致しています」


「……何で脳を抜き取るの?」


「不明です。意図、手法ともに不明。抜き取られた脳は見つかることは無く、犯人は跡形もなく消える。突如現れる死の神になぞらえて魂狩りという識別名がついたのです。特務のお二人には、三日後、この町の衛兵と共に拠点と思われる場所を強襲していただきたい」


「三日後って、遅いでしょ」


「急ぎの用事があると言ったな。あと、衛兵は必要ない。俺達で全員始末する。今日中に動かせてもらうぞ」


 三日も待つのなら、ここまで急いだ意味がない。ダインの怒りも最もなものである。


「……すみません。今回の任務は辺境領の衛兵の練度確認も兼ねているのです、辺境は国境沿いですから、衛兵も他国と戦闘することがあります、辺境衛兵の練度は他国との戦争時にも重要な要因となり得るのです」


 フェルマーの声は怯えているように震えていた。


「チッ……まぁいいだろう、二日後だ二日後の明朝だ。これだけは譲れない、これでもダメなら俺達は今日動く。あと、魂狩りは俺達が殺るから衛兵には絶対に戦わせるな。下手に死人を出したくないからな」


「分かりました。作戦の詳細の説明は後日、また行いましょう。領主の館に休憩所を用意してあります。今日はもうお休み下さい。それと……これが魂狩りのプロファイルです」


 彼は証書から一枚を抜き取り私たちに手渡し退室した。


 自然と私たち二人の目線はそのプロファイルに交差する。特に、その白黒写真の中で生きるぎょろりとした目を持つ男に。瘦せ細った長身と、爬虫類のように首を曲げて警戒している様子だ。しきりに辺りを見渡している様が想像できる。


「この男が魂狩りで間違いなければ、という前提だが。ジェメロ。こいつ、この街で生まれてるぞ。この街の孤児院で働いていたが、児童への性的暴行の『疑い』があり、民衆からの私刑を受ける……」


「疑い、民衆。よく聞く言葉だね」


「衛兵も加担し、落ち着いて牢に入れられるころには重症。だが、次の日には牢から消えていた。領主はこれを内々に処理し……死んだことにした。そして、ジェメロが消えた時期から少し経って帝国全土から例の事件が発生するようになった。被害者に共通点は無し。過去の事例を参照して、動機として挙げられるのは――神への信仰、狂気的な祭儀」


 犯人の思想は、捜査の進展や犯人の特定の面でも非常に有効だが、私たちにとっては剣や盾よりも心強い情報の武具となる。

 魔術は、人の思想によって形を変えるのだから。

 

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