第18話 F.II ディレクト
老婆は星の巡りを感じていた。その星は、明確で、ランタンのように削ぎ落とした魅力が逆に機能美として魅力となった、計画的な星。彼はサージェと呼ばれていた。
「何のゲームをお望みかね?」
そう聞いた時には既にサージェの思考に王獣紙が浮かんでいたため、口から答えを聞く前にそれを卓へと出した。
予測の精度を上げるために、技構の技術によって魔力を吸収することでそれに付随する記憶を奪って人間の行動原理を研究していた。だが、精度が上がり、未来を詳しく見れるようになる度に生への退屈さは指数関数的に増加した。退屈さに気が狂いそうになる中、思考という肉体信号によるものは時として予測とは全く違うものを見せることを知った。
私はそれを思考による変異、人に許された特権、人間の可能性だと考えた。人間の可能性は私を十二分に楽しませる。それに気づいた時、最もそれが起こる可能性があるのが、生存を賭けた戦闘だと知った。
残念ながら、私に魔術の才も、戦闘の才ない、だからこそ、ゲームという箱庭で記憶の奪取という実質的な死を作り、状況的な死闘を再現した。可能性を目の前で観察するために。
サージェという男の可能性は私の予測を上回り十二分に楽しませてくれるのか、卓についた男は無愛想に札を受け取った。
思考を読むと言っても、常に垂れ流されているものを読み取る訳では無い。泉に水滴を落とし、その波紋を見るのだ。かつて使われた『ソナー』のように、打って響いた音を聞かなければならない。私は予測士だ、相手の表情、動き、抑揚、パターンを解析し、一番高い可能性の未来を正として確定させる。星の廻りは廻りこそが知っているのだ。
三枚の王族、獣族、魔族の絵が書かれた札をサージェに渡し、こちらも全く同じものを用意する。
「三本勝負だ」
「いいだろう」
王獣紙は三枚の手札から一枚を選び、それで勝負をかけるゲームである。
王族は獣族に強い
獣族は魔族に強い
魔族は王族に強い
じゃんけんと構成は全く同じであるが、肉体的な要素は無い。老婆に肉体的な負担を持たせないとは、なんという孝行者であろうか。思考の読みが加わればどんなシンプルなゲームでも無段階の思考が可能になる。
サージェは無言で一枚の札を伏せて場に出した。
「迷いなく! 思考を読まれている自覚が無いのかい? 何の札を出したのかね」
「……」
『魔族』
容易い。獣族の札を出せば勝てる。私の言葉に打たれた彼の表情筋、呼吸、鼓動は間違いのない真実を私へと伝える。札を出す前に、もう少し水滴を落とす。
「光魔術でこのゲームに使えそうなのは迷彩と光速だが。……魅せてくれよ」
「……」『迷彩、魔族を王族に』
身動きの少ない上に、勝負前とは比べ物にならないほど口数少ない彼に反して、その光は饒舌。光の色変えを利用して札の絵を変えて見せるつもりか。出しているのは魔族の札だが、その上に王族の札を貼り付け、出し抜くつもりだったようだ。
悪くない。奴が出す札の絵は王族だが、土壇場で魔族のまま出すということも有り得る。私が出すべき札は魔族だ。王族には勝てる上に魔族を出されても負けることは無い。
……この男は、私がこの情報を得ていることを知っているだろう。ならば、それを上回り勝ちに来るはずだ。まずは斥候のひと勝負。魅せてみろ、お前の人間を。
「………………勝負だ」
サージェが呟いた。ひっくり返した札に書かれた絵は王族。私の出した札は魔族。私の勝ちだ。拍子抜けであると感じた。つまらないと感じた。この札そのものすら稚拙なものに見えた。特務機関と言ってもただの人間であり、特別なものでは無いのかと。
「期待通りってとこかね。やはり」
落胆を隠そうともせず挑発するが、凪のように落ち着いた彼は何も映さない。三本勝負のため、次を取れば勝ちは確定する。しだいに、私の思考は勝負への興味から彼の記憶への興味と写っていった。
サージェは先程と同じように場に札を伏せて出した。記憶の喪失という実質的な死を理解していないのか、後がない身でありながら堂々としている。だが、それはどこか、抜き身の刀身を見せつけられながら、それでも剣を抜かない達人の風貌を思わせる。
「記憶の喪失を体験したことはあるかい? ここで負けた奴らは、どんなにいい学歴やら経歴やらを持っていようと、産声を上げる赤子と何も変わらなくなる。私が外に転がした人間は、何人物乞いとして生きているんだろうね。分かっていながら、その札を出したのだとしたら、それは“面白い”」
「……」『魔族』
「当ててやろう、その札は魔族だろう。それで本当にいいのか? 変えたっていいさ」
「……」『光学迷彩、魔族を王族に』
さっきと何も変わらない。表情筋、呼吸、鼓動、全てが同一だ。勝ちを諦めているのかと思わせる。だが、同時に面白いと思った。思わされたのは事実だ。彼はまだ刀を抜いていない。その刀身の輝きを持たずして、この老婆を打ちのめそうというのか、それとも、私がその刀が抜かれていることに気づいていないのか。さらにそれとも、記憶を渡したくてたまらないのか。賢者の思考を否定することが常の愚者のように。
どちらだろうと、なんだろうと、人間の可能性を引き出すために。ただ、老後の興味関心、長生きのための蝮漬けを飲み下すかのように。この一手は確実に、ただ一閃の、一時の娯楽の勝利のために。魔族を出す。表のまま。抜き身の刀身で眩ませるのだ。
「…………勝負だ」
呟いた。迷彩を利用し、私の札の絵柄を変える手もあるのだ。素人でも思いつくのだから、彼はそれを超えてくる。しかし、熱せられた脳は、油に付けられた鉄のように、急激に冷めていく。老人の脳とはそうなのだ。老人の脳とは諦めた脳なのだ。期待を萎ませることが役割と化してしまった脳なのだ。勝負は三本だけ。ここで彼は王族を出し、魔族の私に負ける。残念だがこれで終わりだ。
しかし、彼の捲った札は、獣族だった。ただの負けでは無い。我が予測の、絶対の予測の敗北である。浮かぶ感情は、動揺というより、高揚だった。
「……どういう事だ。王族か魔族になるはずだろう ……迷彩か?」
いや、違う。どの角度で見てもこれは獣族で間違いない。迷彩はどれだけ精巧に作ろうとも綻びは生まれるものだ。これは本物の獣族の札だ。彼の思考には浮かんでいない可能性。
「札を高速で入れ替えた。そうだろう!」
どこからこの札は現れた、疑問に思っても、彼の思考は凪のように澄んでいる。一対一、サージェが並ぶ、次を取った方が勝ちだ。
刀だ。彼は刀を既に抜いていた。いや、抜かずとも、この大鎌を構えた老婆を仕留められるのだ。速さも、鋭さも、いやその刀身すらも不可視の一閃であるのだ。彼は正しく達人であった。見えず、分からず、死んでいく。何も分からず耄碌していたのはこの老婆の方であったのだ。
面白い。分からないというのは面白い。やはりこうでなくては。興奮を隠せぬまま、思考に耽ける前にサージェが札を場に伏せて出した。考える時間は与えないつもりのようだ。
「無礼な発言は撤回しよう。この一度の勝負だけでも、私の退屈を潰すだけの価値はあった。さぁ、まだまだ楽しもうじゃないか、出したのは、何だ」
「……」『獣族』
獣族。先程までの思考とは全く違う。この最終局面にして手が変わった。
「獣族か、さっきの手品のタネは二度同じ札を使ったところに答えがあるように思える。迷彩ではない新しい手だ、思考で読めないその手は……」
「――私の勝ちだ」『獣族を魔族に』
この迷彩を考えているのは釣りだ。この情報が全く意味を成していないことはさっき分かった。目にも止まらぬ早さで札を交換している訳でもない。
その思考にその手品は写っていない。タネは分からず、サージェは勝ちを宣言した、ここはシンプルな心理戦でやるべきだ。私が出すべき札は獣族。王族を出す可能性が無いのならこれを出すべきだ、と考えているであろうサージェの一枚上を行く。出すのは魔族。獣を狩りに来た王を狩る。最後の勝負だ。
場に出した札が、その刃の煌めきが、同時に首を狩ろうと走り始める。そして、先に首を狩ったのは、老婆の大鎌ではなく、不可視の一閃であったのだ。
「参ったね、こんなにあっさり負けるとは」
出されていたのは、獣族。あいこにすらさせて貰えず、読み切られた。悔しいのは、彼の手が全く読めないこと。手玉に取られたも同然、屈辱的だった。
「ふん、当然だ。むしろ、一つ取ったことを誇りに思うがいい」
「言ったことはもろもろ訂正しよう。何を言ったか覚えてないが、是非、答え合わせをお願いしたいね。老いると頭が固くなるのか、全く検討もつかない」
「ふん。最初の勝負は何の小細工もしていない、前工程に過ぎないからな。仕掛けたのは、このテントに入る一分前だ。やったことは単純だ。私を反射する光の速度を遅らせた。貴様風に言うなら、宙に浮かぶ星の光が数十年前のものであるように、距離の代わりに速度を変化させ、過去の私を見せた」
「……不可能だ。光速度不変の原理を覆すのは、生物の絶対死を覆すのと同等、例え魔術でも不可能だ。出来たとしても、私に近づく度に光の、秒速三十万キロの速度を計算し、調整していたとでも言うのか」
「可能だ。貴様なら分かるだろう」
『特異点』
「到達していたのか。極地に……分かったぞ。二戦目のタネが。獣族のカードを出していたのは私から見て一分未来のお前だったわけだな。私が札を見る瞬間、私の気が逸れた時、瞬きでもした瞬間に光の速度を等速に戻した」
そんな化け物じみた芸当ができるなら、自信を迷彩で誤魔化して思考読みを遮るなり、光速でカードを入れ替えるなり出来たはずだ。わざわざ光の速度を変えたのは、魅せるためだろう。つまらないと言った私に、その真髄を。神業を当たり前のように使うことによって。
「そうだ。貴様は私を舐めていた。当然だ。そして、三戦目は推理だ。思考を信じれなくなった貴様は、私の一手先を読むと予測し、安牌である獣族を選んだ」
「最後の最後は自力か、完敗だ。光魔術を舐めていたね。いいだろう、十分に満足出来た。ひとつだけ知りたい未来を教えてやろう」
「……未来では無いが、先が分かるなら今もわかるはずだ。私の妹の安否を教えろ」
勝者の願いに答えるように、ドームの星が軌跡を描いて廻り始めた。
「こんにちは、堅物メガネくん」
テントから出るサージェを待っていたのは代理隊長であるカフェだった。彼は勝ちましたと告げる。しかし、とそこかしこから天に昇る紫煙を見ながら彼は考えた。あの力は下手な魔術を超える、人の身一つで極み上げた技術だ。技術が魔術を凌ぐ、それこそ、一種の特異点のように思えた。
「ちぇ、ちゃんと覚えてるか。『堅物メガネです』って自己紹介する君はすっごくおもしろいと思うんだけどなぁ。ユウメなんて泣きながら笑うと思うよ」
「……笑えない冗談はやめて頂きたい」
「ふふっ、いやぁ、我ながらおもしろい。……頭使ったから糖分が欲しい。そうは思わない? 元隊長のところに行く前に少し食事に行きましょう」
返事をする前に、人の波が突然激しく動く。怒号と悲鳴が湧き上がりながら津波のように何かから逃げる人々。
「うわわ、凄いな。サージェ、捕まえて」
波に手を突っ込んで、適当な浮浪者を捕まえる。浮浪者は突然掴まれたことに、手入れのされていない長髪を振り乱しながら言葉にもならない言葉を叫ぶ。
「おい、何だこの騒ぎは」
「あぁ! 離せクソヴィッツが! イカれた奴が暴れてるんだよ、殺されてたまるか!」
やっと意味のある言葉を飛び散る唾と共に吐いたかと思うと、再び聞き取れない奇声を発する浮浪者を離す。バタバタと獣のように走り去って行った。頭をやられているのだろう、狂乱した様子に彼は辟易した。
「はぁ、最後にひと仕事あるみたいだね。行こうか」
「了解」
騒ぎの中心に向かうと、段々と人が少なくなり聞き慣れない音楽が聞こえてくる。人の悲鳴の比喩ではなく、クラシックだ。オーケストラをそのまま開催したように流れる曲は中心部に近づく程大きくなる。
「これはまた、派手にやってるね」
路地を曲がった先に広がっていた光景は、血の海だった。何十人もの死体、壁にシミのように潰れた死体や、巨大なものに潰されたような死体、関節のない人形のように変わり果てた死体。爬虫類のようなゴロツキも変わり果てた姿でここにいた。それらから流れ出る血が、砂浜を侵食する波のように路地を赤く染めていた。この異様な光景に人々は全員逃げ去ったようだ。
この様相で、血の海の中心に誰かを抱えて佇むあの男は間違いなく精神異常者だ。よく耳をすませば、このレストランで流れているような洒落た音楽も彼から発せられている。非日常的な光景で流れるクラシックと彼の舞は演劇作品のような、別世界の存在のように見せる。
「可哀想に、可哀想に。全ての人が、どうか幸せになれますように」
男がこちらを向いた。黒縁のメガネをかけた長身の男。スラムに似合わない、質のいい背広を着ている。彼の抱える人物は、ゴロツキに殴られて動かなくなったあの少年だった。音楽に呼応するように滾る魔力が波打っている。尋常ではない出力だ、魔力因子に空気が揺さぶられて大気が震えている。そして少年を抱く彼の手には、真っ赤な手袋が嵌められていた。
「全ての人が幸せに。私も、そう思うわ。これは君がやったのかな。大仕事だ」
男は少年を壊れ物でも触るように優しく横たえた。流れる音楽が賛美歌のような何かを称えるものへと変化する。
「えぇ、そうです。私がやりました。こんにちは。心の美しい方。共にワルツを踊りましょう。私の名はディレクト。赤い手のディレクト。F.Ⅱのディレクト」
彼が赤い手袋の甲を見せる。“Ⅱ”と意匠が刻まれたその手袋は見たことがあった。かつて、特務が滅ぼした暗殺集団。その構成員がつけていた手袋。
賛美歌に合わせて更に魔力が増幅する。血の海に重なり合うように波紋が出来る、暴れる魔力因子が地鳴りを起こし、建付けの悪いスラムの建物が崩れて煙を上げる。物理現象まで引き起こす、素の魔力の大きさ。人間に出せる出力では無い。速攻に備え、防御魔術の隔壁を最大まで展開する。
「亡霊犯罪組織の生き残りがいたとはね、それともただの模造? 申し訳ないけどワルツは踊れない。音痴なの。……それに、これ以上暴れるなら、私たちもやるべき事をやらないといけない」
彼は答えない。怒りを抑えるような震える手で眼鏡を外して投げ捨てた。割れたレンズが海に沈み赤く染る。
「白痴であるのは罪では無い。音痴とは大道あっての道外れ。私の、ディレクトの耳が許す音だけが音楽であり、大道なのだ。踊れ、踊れ、ワルツを踊れ」
ディレクトと名乗る男は突然、私たちには見えない誰かと踊り出した、その華麗な足取りはそこに誰かがいるように思わせるほどよく出来たものだったが。瓦解寸前の山岳のような魔力がその異常さを際立たせている。彼の足が抱えていた少年の頭を踏み潰した。全く気にもせず、彼は踊り続ける。
「代理隊長」
「うん、話が通じないね。実力行使といこう」
「了解」
「……君が足蹴にしたその子にも未来があった。スラムを住処にする市民にも、それは暗いかもしれないけど、いつかは明るくなる未来があったかもしれない。それを、人間の可能性を無下にすることは誰であろうと絶対に許されない。
帝国機法第九条に則り、無辜の民を正当な理由もなく命を奪う凶徒を、市民の安息と未来のため、女帝キャロルの名のもとに王国間との条約に基づいた絶対法権を適用し、排除執行に係る。投降の意思は無いとし、特務機関隊長代理、帝国序列 四位カフェがこれを執行する。
――幸せは秩序の元に、私たちが存続させる」




